幸田露伴「新浦島」現代語勝手訳(21)
其の二十一
思いも寄らぬ往事の馴染みの勇菊に突然出て来られて、醒めながら夢の国に飛び込んでしまったような心地。分別も思慮も驚きに掩われて出る暇なく、ただ厭わしいと思うばかりの気持ちがむらむらと燃え立って、とにかく言葉も何もなく突き退け、『無情』とか『酷い』にも耳を貸さず、
「縁はすでに断ったのだと思え、お前が他に酷い、情無い振る舞いをした報いを今度は俺から受け取るのだと諦めればそれで済むこと。帰れ、去れ、失せろ」と容赦なく罵れば、岩にも爪を立てようという意気込み凄まじく、
「それは余りに酷い仕打ち。厭と今さらおっしゃられても私は退かぬ、退きませぬ。私に悪いことがあれば改めないとは言わぬものを、なぜ叱っては下さいませぬ。昨日、今日の交情ではなし、一通りならず、二通りも三通りも入り組んだものを越して漸く添うことができるという段になって、詳しい仔細も聞かせてくださらず、寝返りをなさるとは。私を死ね、失せてしまえのなされ方、死にかねました私でも、生き甲斐のない世に生きる未練などはありません。随分見事に死にましょう故、お手にかけて殺してくださいませ。それもならぬとおっしゃるのなら、お家の後ろの波の音が私を呼んでおります。浄瑠璃や草双紙で恐ろしいと思った丹波越えして、多くの辛い目をしてきて、思い一つに辿り着いたのを少しは不憫と思いやってくださってもいいようなものを。私の顔が疫病神にでも見えますか、あなたのお胸に鬼でも入っておられるのか。無理にもほどがあるものではございませんか」と、縋りつく鬢の毛も乱れてしどろもどろ、千々に縺れる思いの綾が解き分けがたく縺れかかるのを、
「言っても無駄だ、愛想が尽きた、死ぬとも生きるとも勝手にせい。上手く死ねるのか、ええ、賢いお前が。一年、二年生き延びて、そのうちまた甘い男でもこしらえて暮らすのが目に見えておるわ。海でも山でも勝手に行け」と言い放す。
「それならどうあっても私を切り捨てるお心か」と、流し目に無限の恨みを籠め、細い声を震わせて言うも、五月蠅いと言わんばかりの冷ややかな顔つきで受け止め、
「もちろん」と言い切れば、それを半分も聞かず、『おさらば』の一言を残して走り出て、身を躍らせたかと見る間もなく、水音をこの世に残して姿は浪間に隠れ去った。
『人面獣心の浅ましい奴、死ぬんだったら死ねばいいのだ、消えるなら消えてしまえ』と、酷くも思い捨てはしたけれど、眼前の浪の底に深く入られては、もう、どこか気持ちが落ち着かず、ハッと驚いたように、知らぬ間に走り出し、次郎は続いて飛び込み、苦しみもがく勇菊を引き抱えて磯藻が重なる岸に泳ぎ上がり、家に連れて帰り、介抱すれば、漸く力のない眼を薄く開いて、言葉にできないが助けてもらった恩に感謝をする様子であった。
次郎は勇菊の処理に困り果てた。自分の罪に自分が苦しむのは、今さら恨むこともできないが、この勇菊との悪縁をどうすればいいのか。懸命に考えるが何とも解決策が見当たらず、苦しい時の神頼みではないが、そうだ、同須に頼んでみようと、同須を呼び出し、今までのことを仔細残らず打ち明け、どうしたものかと相談した。これを聞いて、同須は、
「お任せ下されば、ご心配のないよう綺麗に処理いたしましょう」と例の判然した口調で答えた。
「それでは万事よろしく頼んだぞ、同須。魔風でもって京都へ追い返すなり、唐天竺へ吹き飛ばすなりよきに計らってくれ」と命じれば、「心得ました」と勇菊を引き担いで忽ち姿が消えたが、間もなく帰ってきて、
「このようにいたしましたのでご覧ください。もう、永久にお悩みになることはないはずでございます」と、勇菊の姿そのままのものを部屋の隅に置いて澄ましきり、その顔には賞賛の言葉がかかるのを待っているかのようであった。
次郎は何やら訳がわからず、「何をしたのだ」と立ち寄ってみれば、これはどういうこと、髪一筋損ないもしていないが、女はまったく死んで凍って、生色がない。
「同須よ、これは何事」と、忙しく問えば、同須は落ち着いた顔、例の冷然たる調子で、
「化石にいたしましたところでございます。千万年もこの状態で静かにしておりますので、もう何の御煩いもございません」と淀みなくはっきりと答えた。
つづく
次回が最終です。




