幸田露伴「新浦島」現代語勝手訳(2)
其の二
蜜柑は寒地には実らず、霊芝は現世では生じないと言われているが、希有で神秘的な草花は都から遠く離れた辺境の地に生じるという例もあり、九世渡の老夫婦の間に生まれた浦島次郎という人物は品格高く、生まれつき才気に溢れていた。『いろは』に始まり、以後、手紙を通じて慣例語句などを学ぶ『消息往来』とか商売の知識を書いた『商売往来』くらいまでなら貧乏寺の老いぼれ和尚にも習ったが、それ以外は誰に教わることなく、誰に勧められることなく、自ら学問を求めた。ふりがな付きの草紙で漢字を覚え、年端もいかないうちは、やむを得ず原典ではなく孫引きの書物から学んだものの、その書き方、内容にイライラしていたものである。やがて漢文も読みこなせるようになり、判る判らぬに関わらず、村中の家にある書物を好き嫌いは関係なく、片っ端から借りて読み尽くしてしまえば、もはやこの片田舎では物足りなさを感じて、学問を棄てた厳子陵や悟りの道も開かぬ蜆子和尚のような人たちの中にばかりいては、海の中で仙山を背負うという大亀を釣り上げる技量があったとしても、それを発揮する機会もなく、磯に打ち上げられた藻とか、浜で潮に晒されて朽ち果ててしまう木のようになってしまうのが悲しく、両親に相談したところ、反対もなく許してもらったのを幸いに二貫の銭を懐に丹波越えをして京に上った。
それからはどうやって生計を立てていたのか、何をして暮らしていたのかは当人が話さないので、周りの人は知るべくもなかった。
十六歳の時に故郷を離れ、十九歳の時、一度帰ってきたが、その時はすでにこれまでの面影はなく、口数も少なくなって、静かな大人になっていた。
身だしなみも上品に整え、京の土産を数々持ち帰り、親が喜びそうな旨いものまで買ってきて老人夫婦を喜ばせたのである。
それからまた、再び京へ向かい、東京にも行ったとは、去年帰ってきたときに、それとなく話したので判ったことだが、去年は以前とはまたずいぶんと変わり、眼中には自然と宿る眼力が生じて、話す言葉の端々にもそつがなく、すっかり浮き世の酸いも甘いも飲み込んできたらしい様子。親の次郎も喜んで、
「学問三昧にも程というものがあるじゃろう。もう、そろそろこの土地に落ち着いて子どもの先生にでもなって、気楽にやってみてはどうじゃ。幸い、隣村一番の金持ち、彦左衛門殿が二番目の娘に二百俵の米が穫れる田んぼと浜にある縮緬織場一つを添えて、是非お前にやりたいと去年から村長様の伝手で話を持ってきておる。
俺の家は雄略天皇様の頃から続いている旧家だと、普段この俺が空威張りするものの、この通り、板間半分畳半分のあばら屋で、商売用の網と舟以外何にもない。そんな中に彦左衛門殿が娘をくれるなど、ほんに今の世で乙姫様が舞い込んできたようなもの。器量は良し、読み書きも満足にできる。よくよくお前に惚れたからこそ身分違いの縁談を向こうから申し込んできたわけじゃ。こんなことは二度とあるまい。承知してやってはどうじゃ」と言う。
父がそう言う傍で母からも、口を添えて勧めるが、しばらく黙っていた後で、
「ご両親には不孝に当たりまして、恐れ入りますけれども、一生妻というものは、考えもあって持たないつもり。この縁談は倅の奴が偏屈な気性で、身分違いは不縁の基、どうあってもお受けいたしかねますと申しております、と村長殿にお断りくださいませ」と言い切って、その後は何を言っても考えを曲げず、そのまま再び嵯峨の一人住まいへ出ていってしまい、帰って来なかった。しかし、一年経って思いがけなく便りが来た。
何かと開いて読めば、
『優秀な人とその先を争い合って、煩わしく騒ぐ世の中に暮らすのもうんざりしてしまい、お膝元で魚を釣ったり、岩海苔を採ったりしての一生を送りたくなり、近いうちに帰ります。それまでに荷物を送りますので、お受け取りください』とあり、たかが漁師の狭い家に入るかどうか程の荷物を送ってきた。
今日こそは帰ってくるのではないか、今宵こそは帰って来いと、老い先が短くなるにつれて、気も短くなってきた老夫婦は一日を待つのも長く感じていたが、いよいよ今夜帰って来るのではないかと思う日、婆は汚い家を掃き清め、七島筵の新しいのを敷き、大根、牛蒡、芋、蒟蒻を用意し、土竈と膳棚の間を曲がった腰を叩き叩き、何度も行ったり来たりして、その間にも濁り酒の上澄みを濾したり、鶏小屋から卵を取り出すやら、心が弾んで疲れも厭わず働けば、爺は日の出前からゆらゆらと小舟を出して、遙か沖まで出ていって目も覚めるような綺麗な魚をと寒風も厭わず水洟を拭いもせず、漁に精を出し、ようやく夕方頃に帰ってきて、
「婆どんや、うまいことに、ほら見なされこの通り、大鯛一枚取り混ぜて小魚二、三十尾、この大きいのは浜焼きにするとして、あとの奴は煮るも良かろう、酢の物にするのも良かろう。おお、おお、汝の方もできたのか。なんせこんなにうれしいことはない。学問も、もう底が抜けたと見えて帰ってくれるとはありがたい。最初にたった二貫やったそれだけで、一人で生活して、何の荷物だか知らないが、あれほどの荷物を持って帰り、自力で修行してくれたとは本当にうれしいのう、婆どん、漁師になると言ったって、まさか漁師もできめえが、喧しい都会なんぞにいて、何やかや厭な思いをしながら暮らすこともないだろう。こっちへ来て、暢気に一生の米さえ食えたらそれでよかろう。それでよいわさ。それはそうと、もう大概着きそうなものだが、まだかのう」と柴の垣根の外に出て、眩しい夕陽に手先をかざして遠くを見ていたが、たちまち躍り上がって、
「来たぞ、来たぞ、婆どん、息子が帰ってきたぞ。あれあれ、ほらあそこに影が見える。これ、婆どんや出てみなさい」と、家に入ったり外に出たり、子どものようにまごまごして、しきりにうれしがり、喜ぶのであった。
つづく