幸田露伴「新浦島」現代語勝手訳(17)
其の十七
自分がこの魔道を修めるのは、こんな風に美女に傅かれて快楽を極めるためではない。そう思えば、次郎は再三再四、二人の美女を止めようとするが、二人は聞き入れず、
「私がお持ちしました衣をお召しになり」、「私がお持ちいたしました羽織をお召しいただき」、「我等が心を籠めたものでありますのに、なぜ今さらそのようにつれなくなされます。この世界では、このままだと女の面目が立たず、立場もございません。無理にでも、私達をお連れ下さいませ。唐臭い名前が、また、艶っぽくもないこの風習がお嫌いであれば」、「私は『妙』と名前を変え」、「私は『瑞』とお呼び下さいませ」。「衣服も和風の今の流行のものに代え、言葉も軽い洒落とやらを話せるように習いまして、お気にいるように努めさせて戴きます。たとえ、今一緒にお連れ戴かなくても、お後を慕って、一念の思いを持って雲に身を委ね、浪路を凌ぎ、山を越えて、御住まいまで参ります所存。言葉だけだとお思いにならないでくださいませ」と二人の美女は涙を流してその想いを述べれば、憐れとは思うけれど、これは余りにも馴れ馴れしすぎる言いぐさであると次郎は頷かず、
「差し出がましすぎるぞ。止めよ」と大声で一喝し、例の車にゆらりと乗れば、利佗横羅等の七、八十人とその他の美女達は見送りの礼儀正しく黙礼する。車が雲に向かって軋り上がろうとするのを見て、お妙、お瑞は駆け寄り、車輪にすがりついて叫び悲しんだが、その姿は、涙を流しながら、もうどうしようもないくらいに取り乱していて、玉で作られた髪飾りの鳳凰や金の簪は共に脱け落ち、カッと響いて砕けるのを厭う間もないくらいであった。
しかし、心はすでにここにはない次郎、同須に命じて、甲冑に身を包んだ者どもに二人の女を引き離させ、悲鳴を後ろに聞きながらも車を早めて、自分の住まいである九世戸を目指して急がせるのであった。
疾風、飛雲、矢よりも早く、瞬きする間に九世戸に帰ると、何と、あったはずの家は影も形もなくなってしまっており、立ち並んでいた漁村の光景はまったく消え失せ、今はただ、成相、天橋立、宮津の町が合わさって一つの大きな庭となっていた。金殿、玉楼、高塔、朱欄……、どんな王者の庭園もこれほどではないと思うばかりに荘厳美麗を極めた広大この上ない一構えの住まいがそこにあった。
「我が家はどこだ。これはどうしたことだ」と呆れて車の上から声をかけて同須に訊くと、同須は笑みを含んで、
「あそこに見える宮殿こそ、御住まい。我等がご奉公の手始めに建てたものでございますれば、いざ、ご案内させていただきます」と言う時、車はもう丁度地面に触れ、そこへ足を下ろせば次郎は夢を見ているようである。自分の家とはいえ、勝手が分からず、例の女の童に導かれて、奥へ奥へと進んでいくと、贅を尽くし美を尽くしたその様子にただただ唖然とするばかりであった。楼に上がれば翡翠の柱、珊瑚の釘隠し、鼈甲の天井、水晶の障子、敷き詰めた絹緞通の厚さは膝も隠れてしまうくらいで、眺めは日本一の天橋立が自分のものとしてある。世の中にこれ以上の家があるとは思えず、性格のねじれた次郎も、これには笑うしかなく、上座に着くと、女にしたいものだと思うくらいの美少年が色物の大振り袖をきて、若衆髷に伽羅の香をさせたのが何人も恭しく酒肴を運び、一枚板の紫水晶の食台、先の細まった黄金の銚子、麒麟の角の盃、蓬莱にある三つの島の飾り物をそれぞれ持って出て来た。やがて、一人の美少年はおもむろに盃を持って次郎に渡し、もう一人は銚子を手にして進み出て、その盃になみなみと注げば、次郎はそれを悠然と飲み干した。そして、その盃を同須にも与えれば、袴姿の同須は平身低頭して恐れ入りながらそれを頂戴し、
「浅からぬ因縁、有り難きご厚情、長く忠誠をお誓い申し上げ、励む所存でございます」と誠を籠めて誓った。次郎はなおも、もう一つの大盃を飲み干して、これを同須に与え、
「汝より初めて、皆の者に一巡して取らせよ」と命ずると、同須はかしこまって、自ら一口つけて次に回すと、皆々恭しく頂戴して、最後に『我が君万歳』と唱え終わるのであった。それからは主従寛いで、やがて銀の燭台が座に出る頃になると、紫檀の棹に花櫚の胴、その裏にはおそらく高級品の証である『綾杉』のしるしが入っているであろうよい音のする三味線を取り出して、興を添えさせていただきますと、一節綺麗な声で歌う者がいたり、金扇を取り出して一差し舞う者もいる。願わくば、我が君にお褒めいただこうと詩を創り、悦びを述べる者もいる。歌を詠じて自らの志を表す者もいる。次郎は様々な形でもてなされ、大いに気分を良くしたが、宴もたけなわとなり、次郎も微酔のいい気持ちになるに及んで心も大きく、肚も広くなれば、どうしても気にかかることがあり、
「皆々は去れ、同須は残れ、汝に訊ねたいことがある」と大盃を手にしながら命じると、心得ましたと、酌をする少年ただ一人と同須以外は皆退けば、次郎は身体を乗り出して、
「同須よ、正しく答えよ、我が元の家はどうした。また、この家はどうやって建てた。汝の通力は無から有を生じさせるのか。我が元の家の近くにあった漁師の家はどうなった」と畳みかけるように問えば、同須は落ち着いて、
「一献、快く酌みたいとのご希望でございましたので、御心地よく酌んでいただくには、元の光景ではふさわしくなかろうと考えてこしらえたものでございます。しかしながら、元のお住まいはそのままに塵一つ動かさずそのままにして、その上を大きな庫でもって覆いました。あれをご覧ください。後方に見えます庫が即ち元の御住まい。また、我が通力はどうして無から有を生じさせることなどできましょう。この広大なるお住まいは千里二千里ないしは東勝神州、西牛賀州などから奪い取ってきてここに安置させただけのこと。召し上がられた美酒は中国藍陵の青旗を立てている酒屋から部下に奪わせ、酒の肴は北鬱、単越の寺の台所から掠め取らせたもの。美女、美少年は通力を用いて、欺して誘き寄せ、我が同族としたものにございます。元のお住まい近くにありました漁師等の家は火を放ち、燃やした後、地を清め、七千の部下を使いましてこのように迅速にご一献快く酌まれますようにお住まいをしつらえたものでございます」と誇ったような得意顔で淀みなく答える。
この話を聞いて、次郎はサッと顔色が変わり、たちまち土色に。
「何! この栄華は皆盗んだものからできているというのか。また、漁師等の家は火でもって焼いたというのか」と咳き込みながら質すと、
「さようでございます」と眉一つ動かさず同須は答えた。
つづく




