幸田露伴「新浦島」現代語勝手訳(15)
其の十五
次郎は我が身から出たこの一心同体の同須を見て、これが摩族の神通力を持った者かと怪しみ、少しは恐ろしく感じる所もあったが、自分の侍者となれと、命じておられた天王の言葉を信じて、試しに
「同須、汝は私に仕えることに嘘偽りはないか」と問うてみると、「いかにも、二心はございません」と言う。
「神通力は持っているか」と訊ねれば、「分相応の通力は持っております」と言う。
「悟るだけの知識、知解はあるか」と訊けば、「知解も供えております」と答える。
「よし、それならば、汝の生まれた場所、汝の住所、汝の経歴について語り聞かせよ」と命じれば、同須は頭を下げて、「生地ははっきりとは判りかねます。ご主人様がどこから生じられたかご存じないのと同じでございます。これは私の知解が及ぶ所ではございません。住所はこれまでは鶏羅山で、常に天王に随従し、ある時は幻術により空中に現れた楼閣、献駄哩縛城にあり、またある時は三千世界にその身を置き、人間世界で人の求道心を乱し、邪欲へと誘い、いかにすれば、人は五欲の満足だけを求めるようになるのか、様々な修行を行って参りました。経歴としてはこれといって、特段際だったこともございませんが、ただ、申し上げにくいことではありますが、過日、ご主人様の右腕に宿り、ある時は白い舎利を、またある時は赤い舎利を、私の思うままに取らせていただいたことが、自分では満足のいく手柄だったのではと考えております」
そう言われ、次郎はゾッとするほど驚いて、
「何と、この私の腕に宿って、白や赤の舎利をお前の思うとおりに私に取らせたというのか。してみれば、この次郎、最初から汝の手にかかっておったのか」と呆れかえれば、同須は進み出て、
「ご主人様、お怒りにならないでください。その時はその時、今は今でございます。今から後はご主人様の命のままに働くのが我が天王へのご奉公となりますので、微塵も逆らうことはございません。さあ、この同須、何をすればいいのか、ご命令をお与えください」と、先ほどの天王とはその態度はまったく違い、言葉遣いも怖いところなく、打ち解けた感じで自分を主と仰ぐ様子に安心して、
「そうであれば、主従の盃を交わそうと思うが、汝の通力にて酒肴の用意を今すぐ調えよ。また、自分はこの何日間、心身共に非常に疲れたので、但馬の城崎温泉、あるいは伊豆の熱海温泉というような温泉に入って、一汗流してから気力を回復し、その気持ちのよさを感じたままに汝と一杯やりたいと思うが、そんなことが汝にできるか」と言う。すると、同須は満面に笑みを含んで、
「簡単至極なお望み。そんな事はし慣れております。その類いのご注文ならもっともっと強いお望みを仰せ下さい。そうであれば、有馬、箱根、道後、伊香保も珍しくもなく、熱海、城之崎も古めかしくありますが、いっそ唐土驪山の温泉においで下さい。あそこは我ら同族が昔随分働いた名所でもあって、かつまた、当時も利佗横羅殿と申す我らの朋友が管理している場所でもありますので、万事手抜かりなどはございませんでしょう。早速お供させていただき、ご案内した後、我はここに戻ってご保養のための一献をお過ごしたいただける用意をし、再びお迎えに参上いたしますので、そのようにお思い下さいませ」と、徐々に馴染みになれば、恐ろしくも何ともない親切者。次郎は喜んで、
「驪山と言えば、なるほど、楊貴妃が玉の肌を洗ったとされる古蹟。これもやがて日本領となって、好色漢の老いぼれ達の別荘が立ち並ぶことになるだろうが、相当道程もある。どうやって行く……」と、言いかけるも、半分も言わせず、同須は「我に助力あれ!」と虚空の彼方此方に向かって叫べば、忽ち戸外に十人ばかりの足音がして、「さあ、お越しください」と呼ぶ声が聞こえた。見れば七宝を鏤めた五色の車に錦の帳と絹傘を美しく装ったものが門口にあり、甲冑に身を固めた屈強な男たちが蹲って平伏し、肩の辺りで髪を切りそろえた二人の可愛らしい女の童が、
「ここのお殿様、早くお乗り下さいませ」とあどけない笑顔をしながら、遠慮もなく入ってきて、次郎の木綿の着物の袖を引く。その誘う様子に『自分はどんな偉い人物になったのか』と次郎はまた驚いたが、ちやほやされて愚か者となった次郎は、車に乗り込み、環龍が縫い施された蒲団の上に悠々と坐れば、同須は後部へ、童は前に、男たちは四方を囲んで擁護に当たり、準備が整うと、忽ち地面を離れて、雲の上を飛ぶように駈け抜けて行った。
煙草なら『カメオ』を一本喫まない内に、早くも山水の美しい景色が見えるようになった。同須は一人駆け抜けて姿が見えなくなったが、車が穏やかに地上に降りる頃、高く尖った冠と錦の衣服に身を包んだ利佗横羅とその他の者達七、八十人ほどが同須を先頭に出てきて、言葉も発せず慇懃に八拝し、例の女の童に導かせて浴殿まで伴えば、そこで同須は一礼して、
「後ほどお迎えに参上いたします」と、また雲に乗って一度帰って行った。
次郎が浴殿の中に入れば、女の童は次郎の着ているものを脱がせて、それを瑪瑙に黄金を蒔絵風に施した大きな乱れ匣に納めるが、さすがの次郎も汚れた越中褌のやり場に少し困ったものの、『ええい、ままよ』と素っ裸になって湯槽に入ると、その大きさはおよそ八畳分くらいもあり、そのすべてが蝋のような光沢のある艶々した岩石を積み重ねた清らかさで、言葉に喩えられないくらいであった。
熱からず、微温からず、霊泉がなみなみと常に湛えられ、その四方へ絶えず溢れた湯が流れ行く気持ちの快さ。この場所で楊貴妃と乳繰り合ったなどとは、玄宗皇帝もなかなか味なことをやったものだと思いながら、次郎はゆったりと寛ぎ温まった。そして、浴槽から出た時、それを見計らったように、この密室の扉が押し開かれ、
「御垢、お流しいたしましょう」と鶯の鳴くような可愛らしい声がして、歳は十六か十七くらいの眉匂やかな色白の美しい処女が四人、白紗綾の薄袷に瑠璃色の襷の甲斐甲斐しく装ったのが入ってきて、次郎の右手に、左手に、背中に、脚に取り付くのであった。
つづく




