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幸田露伴「新浦島」現代語勝手訳  作者: 秋月しろう
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幸田露伴「新浦島」現代語勝手訳(12)

其の十二


世間で師匠顔して偉そうにしている奴ほど憎たらしい者はない。一派の学説を開いたり、一流の技術の開発者として、他人ひとに認められて、自分でもその任に当たっているのならともかく、そうでないのなら単なる売薬の受け売り同然である。自分の店蔵に釈迦や加毘羅かびら竜樹りゅうじゅ天親てんしん孔孟こうもう荀墨じゅんぼく耶蘇やそやポウルや希臘人ぎりしゃじん羅馬人ろーまじんや進化論者や厭世宗人を並べておき、取り次ぎをしてその仲介料を取るだけの分際なのに、っくり返って、世間の人を見れば、蟻かけらのように見下し、自己おのれ一人が昨夕ゆうべは達磨と一緒に牛鍋つつき、今朝はアリストテレスと玉突き遊びをして来たようなつらをしている。


門の前で『と~ふ~』と豆腐を売る男も受け売りであれば、自己おのれもまた受け売りなのだ。同じ仲介屋仲間と気がついていても恥じることもなく、無闇矢鱈にまだ骨も固まらないような若い子息むすこ達に、興奮剤であろうが鎮静剤であろうが構わず飲ませ、浴びせかけている。そうこうしているうちに、哀れなるかな、自業自得とは言え、訳も解らず、それを無茶買いをしてうれしがっている若い者ども、一服、二服飲んだ途端、気持ちが高ぶって、目が眩みながら恐ろしい譫言うわごとを発して、両親の肝を潰させたり、あるいは落ち込んでしまって、肺病に罹ってしまったような独り言を発するようになる。『ああ、面白くもない世の中だ』などと、へその緒がまだじくついている半人前の身で、まだこの世の中の辛苦も知らないくせに無性に悲しがり、そのうち気が変になり、何かに没頭してふらふらと、魂は玩具おもちゃの豚の睾丸きんたまみたいに小さく縮んでしまう者もいれば、厭世えんせい主義の猿声えんせいで、猿が月に向かって吠えるような悲鳴を上げるたわけ者もいる。鉄道自殺を例にするなら、経典を積んだ経巻車きょうかんぐるまで轢き殺されたいと願う妄信的な仏徒となったり、入水じゅすい自殺で言えば、泪羅べきらの淵に身を投げた屈原くつげんを気取りたいが、そんな粋な淵も身近にないので、江戸に近い海で実行する者がいるみたいなものだ。その他、喉を突く者、首をくくる者もいて、もったいないことに、実も成らせずに花を散らす。こういったことは当人は皆純粋で正直な性格だと思われるので、その心中を察すると人ごとながら涙さえ催されるけれど、その親、妻、兄弟にとっての恨み嘆き、当惑はいかばかりのものか。言ってみれば、本人の天命みたいなものであるが、つまりは真面目に買いに来た者に対して、とんでもない薬を売るからで、誇大広告の大法螺おおぼらを大きく吹き立てられ、つんざくようなかねの響きを耳の間近で聞かされて、誘われ出た若者達が後先も見ずに狂ったように興奮して、次々と川の中に身を躍らせてしまうようなものなのである。


昔は学問の仲介屋にしても、今のように競ってこれ見よがしな金看板を掲げず、克己丸こっきがん謙譲丸けんじょうがん句読丸くどくがん雌黄錠しおうじょう明徳丹めいとくたん遷善丹せんぜんたんなど、あっさりした毒のない薬だけを売って、まあ、たまたま少し捻った店でも、風流三昧膏ふうりゅうざんまいこう良知良能散りょうちりょうのうさん経済円けいざいえん本草末ほんそうまつなどを売るに過ぎないが、今は、真理丸しんりがんなど、その効き目も強いが、劇薬ともなるようなものを売っており、青年わかものがこれを舌に乗せて歯で噛みだしたら最後、大抵、真理、真理と叫び出して、自分の家の親父が田んぼの草を取る苦労、辛さも知らずして、訳の分からぬ議論に一日を費やす。超悟丸ちょうごがんなどという大毒おおどく巴豆はずの入ったものを売れば、買った者の十人のうち九人までは、必要もない坐禅をして、のみに噛まれるのも我慢して、時計の秒針がカチカチとせわしなく進む世の中でも何食わぬ顔でぼやーっと毎日を過ごし、終いには坐禅をしていると頭痛がする等の禅病の対処法も知らないため、気が狂ったようになって、親を泣かせてしまうのである。


総じて言えば、師匠、宗匠そうしょうは皆、本来が受け売り営業なので、膏薬一枚、飲み薬一服でも多く売ることばかり考え、買い求めに来るのがたとえ得意客であっても、適不適、応不相応を考えず、情の一欠片もない金銭感覚で薬を売りつけ、毒を流しがちである。その上、第一にろくな売り方はしておらず、それぞれの問屋…開祖、宗祖…達は額に皺を寄せて談合し、受け売りをしている子分達が自分達の商標を濫用していること、例えば松脂まつやにでこしらえた偽物のの熊胆くまのいや牛角で作った烏犀角うさいがくなどを売って儲けているいるのを聞きつけて、これは何とか落とし前をつけなくては済ませられないぞ、そいつらを火の車に乗せ、焚書坑儒を行った秦の始皇帝殿にお出まし願おうか、とする内々の評議も聞こえてきている。


自分はこの噂を聞くと、同じように世間で師匠面ししょうづらする人間を無用の長物、単なる仲買屋なかがいや、売薬の『千金丹』の売り子同然と見限った。内々で彼らの売薬をあらためたところ、高麗人参はたいてい髭ばかり。麝香じゃこうは一種のばい菌を培養した人工物、薬と見せかけたのは実は泥鰌どじょう、目薬の精錡水せいきすいは淋病の洗い薬、『宝丹ほうたん』と偽ったのは寒晒かんざらし粉に色づけしたものであった。いやはや、昔の書物が炒り豌豆えんどうの袋となり、昨日の南京豆の袋が今朝の新版の書物になり変わって出版、というよりもまだ恐ろしい魂胆。


これにほとほと愛想が尽き果て、自分は師匠というものを取らなかったが、さし当たっての困り事、すなわち魔道を修得するのにどの魔王に帰依して、何の法をものにすればいいのか少しも解らず、我を捨てて、真言宗の坊主を師としようかとも考えた。まあ、次第を一つ伝授するにも金を取りたがるのは仲買人の常なのでまだ許しもできるが、東京の紳士(・・)などは金を儲けたいばかりに、聖天しょうでんの像に香油を注いで供養をする『聖天の欲油よくゆ』を一つ頼めば、大法七十五円、略法七円五十銭とせしめるとのことで、しかも、名だたる人々は秘かに頼んで、七十五円を惜しみなく支払うとの話。そういう話しを聞けば、貧しい自分には魔法伝授などは叶わないものだと思ってしまう。ああ、どうしたらいいのだろう。……おお、思いついた、聖天こそは威力無辺と聞く。まず、聖天と近づきになった後、少しずつ、少しずつ魔力を備えて魔道の奥義を極めてやろう。これは我ながらまず手近なところで思いついたものだ。これはなんとかなりそうだ。しかし、かつて何とかと言う男…露伴…が聖天様という小説を書いて、尊天そんてんの怒りに触れ、女難ばかりに見舞われ、しきりに厄鬼わざわいたたられ、家も断絶し、泣き面をかいていると聞けば、うかつに『魔王いじり』もできない。まず、聖天様の身元洗い、すなわち、ご気性、ご履歴もきちんとしらべてからでないといけないなと思い、京都みやこから持ち帰った行李こうりを開けて吟味、調査することとした。


つづく

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