幸田露伴「新浦島」現代語勝手訳(10)
其の十
神仙(仙人)の世界というのは本当にあるのだろうか。浦島家第百代目に生まれ、目の前で父母の奇蹟を見ながら疑うのは愚かのようだが、以前、中国六朝時代の道士、葛洪が著した抱朴子の論僊の篇という不老長生の仙術について書かれた書物を読んだこともあるけれど、納得できなかった。列仙伝や神仙通鑑並びに仙仏奇踪は仙人の列伝が書かれたものだが、禅宗坊主の仏書を本気にするのと同じで、皆小手先の馬鹿馬鹿しい下手くそな小説みたいなものである。仙郷を書いた武陵桃源は間抜けな息子の濁酒飲みの淵明の寝言。韓湘子の話は退之という著述家を嘲け笑った後人の悪戯で、老子は仏法の小乗を聞きかじり、悟りの道を求めて西へ向かったが、途中で行き倒れになったに決まっている。荘子は手淫主義の張本人で、一人でいい調子になってよがるだけの馬鹿者。『荘子』の逍遙遊編に「夫れ列子は風に御して行き、冷然として善し」とある、風に乗って行った列子の奴は日向ぼっこの妙を語る杢衛門の家の隠居と同じ。また、張良に兵法を授けたという黄石公は張良の知恵袋の中の居候に過ぎない。
こういう風に見てくれば、仙人というのは皆凧絵に描かれた武者となって紙の上だけに住んでいるようなものである。白玉蟾の書いたものを読めば不老不死の霊薬である仙丹は作ることはできなかったとの泣き言を歌った歌がある。後人の書いたものによれば、葛洪の奴めは井戸に明礬入りの大箱を沈めて水を澄ますという下らない仕掛けをしたことが暴かれている。周易参同契には必ずしも金石を砕いて練って作ったという不老不死の薬の調合について書かれてはおらず、陰符経もまた、不老不死のことを書いた秘伝書ではない。道蔵七部の五千数百巻とも言われる膨大な巻物はまだ読んだことはないけれど、おそらくへんてこなものが多いのだろう。悟真篇、指玄編、中和集、修真義、文帝全書、呂祖全書などもたいしたものとも思えない。秦の始皇帝と漢の武帝は人をあごで使って、精力剤を買うような気持ちで不老不死の金丹を欲しがったので、こんなのは落第生としても、まんざら馬鹿でもなさそうな劉向も錬金術でもって金を作ろうとして失敗し、危うく殺されそうになった。才知に優れたと人に思われている蘇東坡も『全集を読まれて、内々に精力剤を調合された』と、その愚かさを末代まで笑われたとか。我が国では、仙人のような白幽子という者が坊主によって語られ始めたり、源義経の家臣であった常陸坊海尊というのが不老長寿となったと、物知りの講談師から語られるようになるが、これも落ちのない悪い洒落であると思われる。もったいなくも、神功皇后の御名前から思いついて、釈迦の弟子、槃特が、迷いから脱却して真理を得る開悟の呼吸法と道家の修行の一つである胎息という呼吸法を綯い交ぜにした仙術と唱えるものの始祖であると仰ぎ奉る者もいるが、これらのことは取るに足らないことである。
しかしながら、我が家の系統を遡れば、浦島の子がいる。これも、水ノ江にいたとか、住之江にいたとか言われて、実際のことはよく分からず、情婦に縁切りの品物を送られて、男が悲しさの余り話を作り、歌を歌ったようにも思われるが、現実に得体の知れない玉手箱が目の前にあって、自分を驚かし、しかも、父上母上共に、あのように不思議なご逝去をされただけではなく、赤白の二顆の舎利がここにあるのだ。
困ったことだ。迷ってしまう。普通に考えれば神仙(仙人)などいない。しかし、手元に手箱はある。舎利はある。目の前で奇跡は起こっている。なまじ学問を囓っただけに迷いが断ち切れない。何と考えればいいのだろうか。本当に神仙の世界があるものなら、この忌々しくつまらない世の中にいて、神仙となった後で、馬鹿な顔をして利口な人のすることを見ていたら少しは可笑しかろう。もし神仙世界などないのなら、神仙がやるような石を煮て食べるなどはたわけた望みというしかない。神仙はいるのが本当か、いないのが本当か。この二つ、どちらとも決めかねず、次郎はこの七日七晩の間考えに考え抜いたが、どう考えても結論が出せず、困り果てて、ほぅ~っとため息を吐くばかりだった。無駄に頭を痛めた挙げ句、ふと気がついてみれば、こんなことは頭で考えてもらちの明かないもの。もしも、神仙という存在が本当にあるにしても、世間並みの道理から考えれば無いと言うほかはなく、そうすると無いとする方が考えやすい。だが、有る方は智恵や思案の範疇を超えていると言うしかない。所詮頭で考えれば一方のことしか見えなくなるのに、両方にかかった疑いを明らかにしようとできるはずはないと悟って、バッタリと詮索の手がかりを失ってしまった。
到底これは人知の及ぶ所ではなく、人間よりも優れた霊智、霊力を持った者がいるのではないかと仮にでも定めるしかないのではないかと、思いつくが、そうであったとしても霊智、霊力を持つ者がいるという証拠を見なければ、その者であるということにならない。次郎は様々に考えつかれた末、自分ながらいいことを思いついた。すなわち、例の赤白二つの同じような舎利があることを利用して、もしも仙人がいるなら白い舎利を、いないというなら紅い舎利を掴ませくださいと、盆か何かの上に二つの球を置いて、その二つの球がどこにあるか分からないくらい回転した後、手探りして探し当てた方に決めよう。ただし、それが霊智、霊力のある者の示唆であるなら、その証拠として、七回同じことをしても七回とも同じ結果となるはずで、もしも仙人などいないのなら、ある時には白、ある時には赤の球が得られるのが自然であろうと考えた。
これだ、これだ、これにしようと、仮定めした霊智、霊力ある者を敬い、かしこまり、口をすすぎ、手を洗うなどして、身を清め、例の玉手箱を取り出して、二粒の舎利を中に入れ、蓋をして覆い、両手に捧げ持ち、何度か揺り動かした後、精神を集中、統一して、目を閉じ、『この世に神仙という者が存在するのであれば白い方を取らせ給え、もしもそういう者は存在しないならば赤い方を取らせ給え』と祈りつつ、一粒を探り当てて目を開ければ、白い方を取っていた。繰り返して再び探し取るが、またもや白い方を取っていた。今度はもしかしたら赤い方を取るかも知れないと拾ってみたが、またも同じく白であった。四度目も白、その次も白、またその次も白で、七度目までついに全て白い方だけを得続けたので、次郎も我を折って、ムーっとばかり聞いたこともないような唸り声を漏らし、さても不思議なこともあるものだ。しかし、先祖の太郎殿のことも、父上母上の奇蹟も、もうこれで疑いようはなくなった。神仙がこの世におられる上はきっと神通力の見通しでもって、自分が仙道を疑っていたのを可笑しくご覧になっただろう、ご先祖、ご両親が可笑しく思っておられるくらい恥ずかしい。
さて、いよいよ仙人がいることに決まれば、昔から言われるように九回大丹を練って不老不死の霊薬を得、霞を喰らい、石を煮るという自由自在の境地に到りたいもの。何もしないで毎日を送るのは何の楽しみもない。俗な世界の欲は捨ててしまおう。だが、修行しなくてはこういうことは叶うはずもない。そうは思ったが、その抱いた大願を成就するには、どこで何をどうすればいいのか分からない次郎であった。
この章については、底本とした「新日本古典文学大系 明治編 幸田露伴集」の脚注を参考にさせていただいた部分が多い。幸田露伴の余りの博聞強記に素人の私には手が出ない部分が多かったからである。