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幸田露伴「新浦島」現代語勝手訳  作者: 秋月しろう
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幸田露伴「新浦島」現代語勝手訳(1)

幸田露伴「新浦島」を現代語訳してみました。

自分の訳したいように現代語訳をしていますので、厳密な逐語訳とはなっていません。

超意訳と言うよりも、ある意味勝手な訳となっています。


意味の取り違えはもちろん、言葉の選び方、文の繋ぎ等、泉下の露伴先生に大目玉を喰らうとは思いますが、それも承知で、ぼちぼちやっていきます。

結構不定期な掲載になろうと思いますが、よろしくお付き合いいただければ幸いです。


なお、大きく勘違いしている部分、言葉の大きな意味の取り違えがあるかもしれません。その時は、ご教示いただければ幸いです。


この作品は岩波書店 新日本古典文学体系明治編22 「幸田露伴集」を底本としました。


幸田露伴「新浦島」 現代語勝手訳



其の一


青く澄み渡った空の下、果てしない海原に白砂と青い松が美しく映える丹後国、水ノ江の里。その昔、そこから一艘いっそうの小舟に乗って、竜宮城まで行き、そこの国の愛娘まなむすめちぎりを結んだ後、再び故郷に戻った浦島の子については、広く歌にも詠まれ、誰もが知っているが、その後のことは世には伝えられていない。


哀れにも浦島の末裔は雲と散り、霧と消えたかのように思われて、木下錦里きのしたきんりが補った浦島の子の伝説にも、『たちまち頭に雪を被ったような白髪頭、霜が垂れたような白髭となり、思いがけない事態に悔やむこと甚だしく、気絶した後、幾ばくもないうちに亡くなってしまった』と書かれているが、いやしかし、浦島の血筋は綿々として、絶えることはなく、その子孫は天橋立の近くの九世戸くせどという所にずっと住み続けていたのである。


その家の始祖はじめといわれる人から数えれば、今の主人あるじは九十九代目に当たり、今なお鰹釣り・鯛釣りをして暮らしを立て、裕福でも貧乏でもない暮らしぶりである。舟竿半分くらいの深さの雪解け水に、浮かぶ花びらを押し分けながら舟を出し、月が昇るとようやく細い釣り糸を収めて帰るという日々であった。ビクの中の魚や海老、濁り酒の二椀ふたわん三椀みわんをもって、「足りて足らなか足らぬで足りよ何の浮き世の泣き文句」、あれこれ文句を言っても仕方がない、と今から三代前の人があるとき即興で詠んだ歌の心を今もなお引き継いで、卑しい心を持たず、あざとい夢を見ることもなく、目が醒めればを取ってあしの間からゆるりと舟を出すという毎日であった。酔えばかじを枕に一眠りし、青海原に浮かんで、夜には一晩中雁やかもめが寄ってくるのを楽しみ、そうやって潮の満ち引き、風の有る無しの日々を積み重ね、三十年、四十年は瞬く間に過ぎて行き、「田舎の太公望は俺だっぺぇ」と海面に映る自分のびんの白さを見て笑うほどの年齢となった。


割れ鍋に綴じ蓋、老舟ふるぶねさらがいたとえのごとく、磯場いそばの奥に構える一軒家の主人にも、襤褸袢纏ぼろはんてんの鉄砲穴を繕ってくれる女房いた。それは浜風が荒れ立って千鳥も鳴く夜には老舟の隙間から吹き込む風が寒かろうと情熱的な熱い腕でもって首にしっかりと抱きついてくれる女で、成相なりあいの山続きに太陽が沈み、空一杯が夕焼けで真っ赤に染まる頃になると、ちゃぷんちゃぷんと小浪が打ち寄せる渚にたたずみ、漕ぎ戻ってくる舟をじっと待ち受ける優しい心を持った女であった。だから、蓮根を切ったような鼻、芋虫が寝転んだような眉毛の醜さも気にならず、愛情の証、情けの塊のような子さえも産ませて、長男であるが、先祖代々『次郎』と呼び習わしてきた慣例に従って、自分の名の通り次郎と名づけて大事に大事に育て上げたのであった。


今年は次郎も二十五歳、立派に一人前の男となった。親の目ばかりではなく、近郷近在の人は言うに及ばず、宮津の城下の人々の間からも、次郎殿は天晴あっぱれ、大当たりに当たった息子殿、と評判されれば、親の次郎も大喜びで、立てた櫂に網を掛けしながら、土竈つちかまどで木綿の布を木渋きしぶでもって煮染めている女房を振り返りながら、

ばばあどんや、明日、明後日には息子も帰ってくるだろうが、去年よりもまたでっかい学者になって来るんであろうの。村長殿やお医者坊いしゃぼん殿も今度はさらに魂消たまげるだろうな。どうやってあんな偉いものを夫婦でこしらえたと、この間も羨まれたのだが、文殊さまのお膝元で生まれたお陰か、銭を出して習いもさせんのに一人で修行して一人で偉くなって、こんなありがたいことはない。婆どん、ほんによく産んだよ。先祖の兄貴には太郎殿のようなものもあったが、俺の種子たねはあんまりよくもないようだったに、何でも彼児あれをこしらえるとき、てめえの尻の振りようが別段良かったかして、本当に果報なを持った。ハハハハ……」と、歯のない口を開いて笑えば、婆は腰を叩き叩きしながら身体を伸ばして、

「お爺さん、馬鹿を言うもんじゃない、これはお天道さま、文殊さまのお恵みでできたに違いない。それはそうと、明日次郎が帰ってきたら、もう身代しんだいを譲ってやってもよいではないか。お爺さん、お前さんはどう思う?」

「そうよ、次郎をこの家の百代目に継がせようと、この間から俺も考えていた。しかし、譲ると言ってもこの身代では何にもないぞ。先祖の兄の太郎殿が竜宮から持って帰られたというあの玉手箱と一尺ばかりの釣り竿の中に封じ込んだ代々の譲り状の二品ふたしながあるだけだ。だが、婆どん、玉手箱と他の一品を譲ると、譲った者はすぐに死んでしまうとまっているが、婆どんや、お前はもう死んでもいいのかの」

「お爺さんや、お前は欲張ってまだ生きていたいかえ。歯もないくせに。私は今年六十四でお前は七つ上の七十一。私は十八でここに来たから、えーっと何年になるか……、そうか四十六年か四十六年もお前と一緒に暮らしたんだもの、死んでもよいさ」

「そうさのぉ、俺が二十五の時だったの、てめぇをもらったのは。その時分は俺も血気盛んな頃で、汝のほっぺたも林檎のように紅かったが、今では俺も梅干しじじい、汝も古沢庵ひねたくあんの婆どんだ、ハハハハ……。一緒に寝ても肌と肌との間に風が通るほど両方干からびてしまった。なるほど、うちの宝を次郎に譲って、俺等夫婦は人間のお年貢をお天道様に差し上げてしまおうかの。生まれ変わったらまたどこぞで若い同士で夫婦めおとになろうよのう。婆どん、人間、やっぱり若いうちだよのう」

「そうともさね。もうお互い納め時だろうよ。これで次郎に代を譲ってしまえば、いつ終わりになろうがめでたい一生だったと言うことさ、ハハハハ……」

「ほんにほんにさようだ」

老夫婦は顔を見合わせて、罪もなく欲気もなく笑い合った。


つづく

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