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その三 賑やかな仲間たちと


 さて、訓練が始まる。



 珍しく、小鳥の鳴き声が響いていた。


「ふぁぁ…」


「あ、ナタリ」


 ナタリが寝床から頭を上げると、とっくに支度を終えた様子のエイヒがその顔を覗き込み、


「よく眠れた?」


 と問いかける。


「まあね」


 ナタリは布団を押し退けて早朝の冷たい空気に身を震わせた。


「さっむ…寝る…」


「駄目だよナタリー。もう起きないと遅刻するぞ?」


 エイヒは再び布団に包まったナタリを引き剥がすように立たせると、観念して支度を始めるまでじっと見つめていた。


「着せて。」


「…冗談でしょ?」


「むう。冗談だよー」



 ようやく支度を終えて二人がテントの外に出ると、丁度同じタイミングで出てきた隣のHxテントのアルフォンとジュウゼンと目があって会釈を交わした。




「まずは、この広場の外周りを10周して体を温めてもらう。各自準備運動を終えたら始めてくれ。」


 シャール指揮官の言葉を受けて、訓練兵達は動き出す。

 念入りに体をほぐす者もいれば、手足を軽く動かしてすぐに走り出すものもいた。

 ナタリ、エイヒはといえば。


「ナタリは終わった?…って、もう走ってる!」


 ついさっきまで隣にいたナタリを振り返るとそこには誰も居ず、既に広場を半周したところだった。


「しかも速い。」


「あ、えーと、ジュウゼン?さん?」


「ジュウゼンでいいさ。もしかして彼奴とは同じ基地から来たの?」


「ああ、最終基地に居たんだ。」


 ジュウゼンは準備運動を続けている。ナタリを見つめるエイヒの傍で、今ようやく体を反り始めた。



「じゃあ俺も、走ってくる」


「おう」


 広場の外周りと言われて、ナタリもエイヒもそこまで長い距離とは感じて居なかった。

 ナタリは3いや、4周目くらいだろうか。

 エイヒが視線を彷徨わせると、斜め前方に、既に走り疲れて崩れ落ちたナタリの姿があった。


「ナタリ!?」


 暫く走って、其処に到達する。


「あぁエイヒ。終わったの?」


「いやいや、まだ1周目。」


「遅くない?」


「ナタリこそ、座り込んで何してんだよ。」


「疲れちゃった。終わったから休憩。ってエイヒ?」


 不思議そうに首をかしげるナタリに背を向けて、エイヒは走り出す。物凄い勢いで。


「はやっ」


 ナタリはその姿を見つめ、クスッと笑いをこぼした。


「…負けず嫌いなんだから」




 1日目からの訓練は、主に体力づくりだった。元々戦世代で、労働などの義務あってかそこまで衰えている者は女子でも居ない。が、飛び抜けて体力がある者もまた居ないに等しかった。


「ナタリ、次いくか?」


「ぃぃぃぃぃいいいいいいい…無理ぃぃぃ」


 重量あげというか、重りを担いで走る、というものをやった。要は、そもそも持ち上げられない重さでは意味がない。ギリギリ持てるレベルより少し軽めくらいが丁度いいと教わって、皆で重り選びだ。

 ナタリは今しがた担ごうとしていた重りを投げ出して「ふぅ」と息を整える。


「やっぱり35kgでギリギリだよ」


「そうか」


 ちなみにエイヒの限界は50kgだった。


 よって、ナタリは32、エイヒは46kgの重りと決めて背負う準備をした。


 そして走る。飛び跳ねる。ひたすらに。




 …そんなこんなで一週間が経ち、待ちに待った焼き魚と大鍋の日だ。

 皆当初よりも整備が充実しており、それぞれに個性が出て来ているのも伺える。


 この日は開始当初より伝えられていた、武器選びの日でもあり、各々古臭いが性能は確かな自分用の武器を手に入れていた。


「それにしても、よく鍋なんて用意できましたね」


「言っとくが、今週は特別だからな。今兵員補充待ちの先の訓練兵が珍しく基地の傍まで獣が降りてきてたってんで、お前らに気合入れてやろうと思って獲ってきてもらったんだ。」


「…精進します」


「ああ!頑張れよ!」


 エイヒはシャール指揮官に背中をバンと叩かれ力なく笑った。



 いつものテントでの食事ではなく、この日は食堂に訓練兵たちが集まって食卓を同じくしていた。

 一週間の訓練で消費した気力と体力を補うように、皆貪るように食事を取った。


「エイヒ、これ美味しすぎ」


「ほんとな、俺たちのいた場所が悪かったのかもしれないけど、ナタリも来て良かったと思わざるを得ないよ。」


「えっ」


「?」


 ナタリが動きを止めたので、エイヒはパンを齧ったまま首を傾げた。


「あ、いや、…迷惑かけてごめんね。ありがとう」


 ナタリは小声でそう言った。


 確かにナタリの我が儘で始まったことだった。

 仕方ないと諦めて、あの基地で手を振ってくれていたら、要らぬ心労を背負うことはなかったのだ。

 でも、


「こっちの台詞」


「ナタリと一緒に居られて嬉しいよ。俺は。」


 とっくに全てを受け入れていた少年は、ナタリの口に同じパンを押し当てて笑みを浮かべる。


「食べようぜ」


 コクン




 隣で笑い声が聞こえた。

 藍色の髪をした青年が、シャール指揮官と談笑している。

 もう少し奥で、茶系の髪をした二人が言い争っている。

 斜め向かいに、相当疲れたようで眠りそうな少年を一生懸命起こそうとしている小柄な少年。

 一人黙々と鍋を食べている金髪の美青年。


 そして自分の横でパンを食み出した男装の少女を見つめて、エイヒはまた目の前の湯気の上がる椀に視線を戻した。


 久方ぶりの賑やかさに、少し頬を緩めながら。


 …



 変わり映えしない訓練所の片隅に、パァンと薬莢の弾かれる音が響く。


「次ィ!」


 パァン…パァン…


 エイヒたち訓練兵は、突撃銃を与えられ、的に当てる練習をしていた。ただひたすら、前に出て撃つ。弾が切れるまで。

 引いて、また前に出て撃つ。


「やめ!交代しろ!」


 シャール指揮官の声で、撃ち込みをしていた訓練兵は一斉に顔を上げた。

 各々銃を持って、奥の兵舎へと向かいはじめる。


 ふぅ、と息を漏らして、エイヒも引き金から指を離した。


「どうだ?」


 ジュウゼンが声をかけてくる。


「まあまあかな」


 正確さには欠けるが、的に掠ることもなかった最初に比べたら上達している。

 そう言うと、ジュウゼンはそうか、と笑う。


 この二週間弱で、訓練兵たちは随分と仲良くなっていた。

 エイヒもナタリも、基地にいた時は同年代の人がお互いしかなく、心地よくもあったが寂しくもあった。

 そういう意味で、この空間は新鮮で楽しかった。


 ジュウゼンは藍色の短い髪を後ろに流した体格の良い青年だ。テントが近かったのもありエイヒたちに頻繁に話しかけてきたが、人懐っこい性格のようで、他の誰とでも良く喋っていた。

 話しかけられる方も、よく耳を傾けてくれて感情豊かに反応をくれるので気分がいい。


 Hxのアルフォンとは同じ基地からきたわけでもないそうで、それでもよくお節介を焼いているので人がいいのだろう。


「二週間足らずでここまで銃を扱えるようになっただけで褒めて欲しいよ」


 自分たち若者が、また銃の扱いを覚え、戦い方を覚え、戦地に赴こうとしている。

 エイヒは憂えるように言った。


 ジュウゼンは少し逡巡するように無言でいて、それから思うことがあったのか口を開く。

 閉じる。

 息を吸う。


「そうだな」



 兵舎は冷えていた。

 少し息をつけるのを期待していた射撃組は歯を食いしばる。

 それでも第一班の班長アークはハッと息を吸って、整備をしている残りの訓練兵に向かって大きく口を開いた。


「一班射撃訓練終わり!交代!」


 この週から、第一般と第二班の二つに分かれて訓練は進んでいた。

 アークの声を受け、中の面々は、はい!と返事をして立ち上がり銃を装備する。


「お疲れ」


「頑張れ」


 入り口で、エイヒとナタリはすれ違う。

 すっかり男らしい振る舞いが板についてきたナタリは、エイヒだけにわかるように優しい笑みを浮かべた。


「清掃が終わったら、あっちのを全部再装填だ。」


「了解した」


 銃の清掃をせっせとやっていた訓練兵たちは、エイヒたちが撃っていたのと同じ突撃銃を身につけて、射撃場へ駆けていく。

 全員いなくなったのを確認すると、第二班班長セリグレードはアークに指示を伝え、自分も片手を上げて挨拶の意を示し走っていった。





 冬も本格的になってきた。


 怒涛の二週間を終え、夕食の時間を前にしたナタリたち訓練兵は、必死に手を洗っていた。


「落ちないいいい」


 黒く汚れた指を、冷たい水の中で何度も擦る。


「手が凍るぜ…」


「感覚なくなってきたんだけど」


 エイヒはさっさと手を拭き、ナタリに耳打ちするように


「よく男声でそんな声出せるな」


 と言った。ナタリは、


「普段からやりすぎて地声になりつつある」


 と答えたのでエイヒは苦笑を浮かべた。


「どういうことだよ」




「「いただきます」」


 息を白くして駆けてきた訓練兵たちは、今日はじめての温かい料理を前にして声を合わせた。


「美味そ〜〜」


 ミレルが嬉しそうに声をあげる。

 ぴょんとはねた栗色の髪も其の声に合わせて揺れた。

 ぱっちりとした猫目が、嬉々として焼き魚とスープを映していた。

 そうして握ったスプーンで一口目を口に入れようとして、


「おい」


「わっ」


 同テント・Hwのハレングローにその頭をガッと掴まれ睨まれる。


「なになに?」


「毎週毎週そうやってはしゃぐつもりはお前は」


「うぇっ、別に良くない?」


「良くないだろ。お前があんまり落ち着きがないと、俺まで奇異の目で見られる。」


「ええ、」


 確かにミレルは目立つ存在で、度々人の視線を集めていた。

 常に明るく、自由な振る舞いは最近ではなかなか見ないものであったためだ。

 その年の平均身長ぴったりの高くも低くもない身長とひょろっとした体型には似合わない膂力の持ち主で、大きな瞳に、いつも少し尖らせた唇が印象的な幼さの残る顔立ちをしている。

 そして細身の体からは想像できないほど食べることを愛し、それは最初の鍋の日で周知のこととなっていた。


「まあまあ、ミレルが食べ物に目がないのはもう皆わかってるから。グローも気にせず食べなよ。」


「…シンエイ」


 割って入った青年に、ハレングローは仕方ないとでも言うようにため息をついた。


 ミレルは既にスープを口に含んで、コクコクと頷いている。


 その様子に微笑を浮かべながら、白髪の青年シンエイはホッと息を漏らす。


「シンエイは本当に面倒見がいいな」


「ああ、流石最年長」


 ジュウゼンが焼き魚から骨を除きながら何とはなしに言い、エイヒも頷く。


「何歳なんだっけ?」


 いつのまにか聞いていたナタリが問うた。


「18だったと思う」


「ほえー」



 このH期で一番面倒見の良い訓練兵は間違いなくシンエイだろう。

 彼は今年19になる長身痩躯の青年だ。

 本人曰く五人兄弟の長男で、母は幼い頃から亡く、仕事で家を空ける父に代わって子供たちの面倒を見てきたらしい。そしてその父は、四年前に戦争へ行って戻ってきていないとも、以前の会話で教えてくれた。

 実家は商業区で、兄弟だけになってからも次男、三男とともに稼ぎながらそこで暮らしていたが、シンエイに入隊命令が出たのち最奥基地に移住したという。


「セイライもミシェルももうすぐに15になる。うちは全員男児だから皆いずれ駆り出されることになるんだ。戦争の空気を知っておいた方がいいし、周りに助けてくれる人がいた方がいい。」とは、シンエイが全くそうとは思っていないような顔で語ってくれたことだ。


「兄弟を残してくるってどんなだろうな」


 エイヒは無意識にそう呟いた。

 たった一人の家族とも言えるナタリと一緒にいることを、深く考えることもなく諦めて、それでいて守れたような気になっていた自分を思い出す。



「僕の噂かい?」



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