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その二 貴方といる日々に


 ◇


 いつものどんよりとした空気に、ちょっとした活気が見られた。


 古びた馬車が何台も停まっている基地の外れで、大きめの軍服を着込んだ黒髪の少年が、数人の軍人に囲まれて馬車に乗り込む。

 やがて、大きく開いた馬車の荷台に複数の荷物が運び込まれると、大勢の労働者に見送られて馬車が走り出した。


「え!うそ、待って!おおーーい。待ってよ〜!!」


 その時、やけにかん高い声を響かせて、何かが馬車に滑り込んできた。

 やや長い髪を後ろでまとめた少年は、驚愕に塗り固まるエイヒにゆっくりと笑いかける。


「来ちゃいましたよ。エイヒ君?」


「お前、おい!は?え、なんで、嘘だろ!?」


 そんな二人を気にすることもなく、重い荷物を乗せた馬車は、ゆっくりと戦場に向かう。


「…なあ、お前誰だ?」


「ナタリだ。」


「ナタリは女だぞ?」


「うんでも内緒ね。」


「…」


 エイヒは何を気負う事もなく平然と大きな軍服に身を包むナタリを前に、ひどく困惑した表情を浮かべていた。


 軍のやつを騙して入ったのか?

 隠し通せるわけないだろ!

 子供でもあるまいし…。


 なんで来たんだよ、ナタリ。



 ナタリは朝焼けに染まる大空を、声もなく見つめていた。




 どれくらい時間が経っただろうか。

 する事もなく閉じていた目をうっすらと開く。

 馬車がゆっくりと停止していく間、エイヒはぐーっと大きく伸びをする。


「意外と近いんだ。」


 ナタリのそんな呟きが一気に整っていた心のバランスを崩した。


「っ、、、もともと前線に一番近い基地に居たからな。」


「エイヒ、どうしたの?立ち上がったりして。」


 ナタリはいつもと変わらぬ笑顔でエイヒに語りかける。

 ただ、その瞳の奥には、エイヒとは比べ物にならないくらいの覚悟が潜んでいた。


「降りよう、エイヒ。」


「…ああ」




「ごめんね。」

 ーそんな一言だった。


 Hyという札のつけられた大きなテントに通されて、重かった荷物を置くと、ナタリはそう言った。


「何が?」


 少し、どころか、かなり腑に落ちない部分があったエイヒはいつもより尖った声でそれに応える。

 疲れただろうと淹れられたお湯からゆっくりと湯気が上がっている。ナタリは答えない。


「俺は男だからっ、、」


「男だから何?」


 エイヒの上げた声をナタリが強く遮る。


「…正直、羨ましいと思うよ。与えられた任務のことだけ考えて、嫌になったら死んじゃえば良いんだ。待ってるこっちの気も知らないでさ。」


 言いながら今にも泣きそうなほど、ナタリは顔を歪ませていった。


「ちょ、ちょっと待てよナタリ。別に任務の事だけ考えてる訳じゃないし、簡単に死のうとも思ってないよ。…大体、嫌なのは最初っからだし。」


「じゃあ、エイヒは私のこと思ってくれてた?何日経っても、忘れないでいてくれた?絶対死なずに帰ってこようって、思ってた?」


「…ナタリ、それは、」


「全然何も考えてなかったはずでしょ。成るように成るって、どーんと構えてくれていたって、こっちの気持ちは何も変わらないのに……嫌だからね?次会うときも、『久しぶり。』って、笑ってくれるエイヒじゃなきゃ嫌だからね?

ただ基地の中で、なんの意味もない時を過ごして、どれだけ思ったって助ける事も叶わない人を待ち続けることなんて辛すぎるよ…。

分かる気がしたの。みんな、ずっと労働でもして気を紛らせてないと、塞ぎ込んじゃいそうだもん。

ねえ、エイヒもお父さん待ってたんだから気持ちはわかるよね。戦争が終わらない限り帰ってくることは絶対に叶わない。だからと言って兵を送らないとあっという間に侵略されてみんな死んじゃうだけ。じゃあどうする?」


「え…」


「勝ってきてエイヒ。私よりずっと弱いエイヒが、誰よりも強い心を持って。帰ってきて欲しいんだ。」


 うっすらと滲んだ瞳に、淡い光が反射する。


「できる訳ないだろ。」


 エイヒは悔しさで歪んでいた表情に色を戻して、ゆっくりと微笑んだ。


「俺だけじゃな。…ナタリが隣にいるから強がっていられるんだ。」


 ナタリはいつも通りの親友の笑顔にほっと息をつく。

 もう一言、ナタリが口を開いたところで、エイヒはナタリの頭に手を置いた。


「?」


「勝ってくる。絶対終わらせて帰るから。」


 その言葉とは裏腹に、エイヒの心は不安と悲しみで溢れかえっていた。

 ナタリがそれを感じ取ったかは分からない。

 返したのは、ただ一言。


「うん、待ってるね。」


 そう言ってにっこりと笑った。




 翌朝。


 何時もより少し冷たく乾いた空気に首が竦む。

 慣れない広いテントで無理やり体を起こして身支度をする。

 ナタリもエイヒも、ろくに眠れた様子はなく、その表情は沈んで見えた。



「お早う諸君。俺は今度軍に入る奴等の訓練指揮官、シャールだ、宜しく頼むぞ!」


 コンクリートに塗り固められた広場に集められたのは、二人を含める十数人の若い男子達だった。

 一つ高い岩で踏ん反り返って自己紹介を済ませた指揮官は、男子達を一列に並ばせて、訓練やこれからの事について説明を始める。


「まず、説明の前に出欠を取る。名前を呼ばれたら大きな声で返事だ、いいな?……いいな!?」


 男子達は困惑した表情で各々小さな返事を返す。


「よぉし、じゃあ右から…いや、何処にいるかわかんねぇや。順番に呼んでいくぞ!」


 まず、一番左端にいた背の高い赤茶色の髪の男が、ハレングローと呼ばれて返事をした。

 そして、アルフォン、セリグレード、エイヒ、ユーカリウス、ミレイダク、シンエイ、ジュウゼン、ミレル、アーク、ティルダ、マークと呼ばれて、全ての新隊員が顔を上げる。


 …ナタリを除いて。


「君は?」


 指揮官の声に、他の者も不審げにナタリを見た。

 エイヒはただ一人、苦々しい表情で顔に手を当てている。

 ナタリは一人、進み寄る。


「申し訳ありません。私にはまだ入隊命令が出ておりませんが、どうしても訓練を受けたく参りました。共に、訓練を受けることをお許しください。」


 指揮官はずいとナタリに顔を近づけて、うん、と頷いた。


「君、よく見たら可愛い顔してるなー。よし、許可しよう。良かったら君も隊員に入れるよう頼んでおこうか、」


「いえ、私は、ここにいる人達が戻ってくるのを待っております。」


「そうかー、名前は?」


 指揮官はペンを取る。


「ナタリと申します。」


「了解した、それじゃあ元の位置に戻って。説明を始める」


「はい、ありがとうございます!」


 満足気に微笑むナタリの後ろで、エイヒがそっと安堵の息を漏らした。


 シャール指揮官の話によると、エイヒ達は入隊前に訓練兵として一ヶ月間訓練所で鍛錬を積み、その後、補充が求められるごとに入隊し、戦場に馳せ損じる事になるのだと言う。初日はとりあえず施設の説明。テントの配置、それと、食事と消灯時間、起床時間についての説明を受けた。

 訓練の詳しい内容などは明日からだ。

 ただ、かなり消費するから覚悟してこい、とだけ。



 そんな訳で、Hyテントの中で、エイヒは久しぶりの量のある食事にありついている。


「もう少しゆっくり食べたらどう?エイヒ。」


「ごめん、無理。ナタリも食べねーと明日持たないぞ」


「はぁ」


 テントの中は相変わらず寒い。ただ、広々とした中に置かれた簡易テーブルに並べられたパンとスープは、途切れる事なく湯気を立て、ナタリの食欲をそそる。


「…いただきます」


「ごちそうさま!」


 ナタリは、幸せそうに食器を置いたエイヒを軽く睨みつけた。

 パンにスープを染み込ませて口に運んだ。豪華な物ではないといえ、ほとんど芋だけでしのいできた基地の配給と比べたら一級品だ。

 そのうえ、週に一度は焼き魚と聞いてはもう基地には戻れない。


「美味そうだな…」


「む、あげないからね!」


 とっくに食べ終えてナタリの食事を見つめるエイヒから飛び退いてナタリは一人パンをかじる。


「一口も?」


「一口も!」


 エイヒは、未練がましく視線を送りながら自分は湯を飲んだ。





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