終わらない××
とある、ひとつの一軒家。そこには美しい美貌をもつ女性と、彼女が飼う犬が一匹おりました。
女性は、犬を大層大事にしておりました。風呂にいれ、毛並みを整え、挙げ句、素敵な服を与えました。
そして彼女は言ったのです。
「お前は私の、私のもの。私の愛しい犬」
犬は、彼女が、好きでした。
*
雷がどこか遠くで轟いている。時おり、雲の隙間から稲妻が見えた。
雨は比例するように降り注ぎ、絶え間なく雨粒を滑らせている。
「ふん、天気の悪いことだ、それにしても」
彼ーーヘイズは、苛立ちげに煙草を結わえる。その彼に付き添った、まだ年若い少年は小さく笑った。
「仕方ありません、先生。雨だって降るでしょう。嵐だって起こります。」
「自然だから、当然と。そうは言うけどね、ロイくん。探偵としては、こう、良き天気日和に捜査をしたいとこじゃないか」
「ふむ、先生の発言、一理あります」
ヘイズに幾度か頷いてみせ、ロイが大きな扉を見詰め、続いて、見上げる。
「なんとも、大きな建物だと思うだろう君も。ここの主は裕福な暮らしをしていたらしいからな」
「でしょうね、素晴らしい建築物です」
確かに、その家は大きく、まだ磨かれたばかりのように綺麗である。
ヘイズは探偵だ。探偵として、本日依頼がきた。それこそ、この建物の主にまつわるものだった。
「確認しますね。依頼主は近所の女性、1週間前、この家で女性が殺されているのが発見された。女性はこの家の主であると明らかにされている。死因は、おそらく包丁やナイフによる他殺。」
「そこまできけば、普通の殺人事件だな」
「はい。いまだ犯人は捕まってはいません。しかし、捜査は一昨日終りを迎えました。彼女が、自殺した旨をほのめかす資料が見つかったからです」
「刺されていたのは胸から。なるほど、確かに自殺でもできなくはない。だが凶器は見つかっていない」
「やはり、他殺なのでしょうか。それに、夜な夜な泣き声が聞こえてくる、と。これが、依頼主が我々に、もとい、先生に頼んだ大きな理由のひとつですね」
他殺によるものであるのか。
泣き声の原因とはなにか。
「また、先生は確かもうひとつ、抱えておりましたよね。行方不明の友人でしたか。この辺りに住んでいたとか」
「まぁ、な。さてはて、この件と関係あるのかもわからんが」
ヘイズは空を見上げる。
「警察が踏みよらなくなってから起き出したすすり泣き、か」
ヘイズは煙草の火を消した。
「幽霊でもいるというのか。馬鹿馬鹿しい」
「おや、先生は霊を信じてはいないのですね」
「当然だ。霊などいない、この世でもっとも怖いのは、人間だ」
言い捨てたヘイズがドアを開ける。
施錠されていないドアは容易く開いた。まだ、やはり中は綺麗だ。階段が続き、いくつか部屋も見てとれた。
「女性ーーマリーはひとりでこの家に住んでいたのですね」
「とりあえず被害者、マリーが死亡していたという部屋に向かうとするか」
率先して歩き出す、ヘイズは耳を澄ましてみた。
すすり声など、聞こえない。
依頼主の言葉は嘘だったのか?
「ここか、微かに血の痕も残っているな」
「…………」
「君、大丈夫かね?」
ロイが無言で、床を見詰めている。ヘイズが声をかけると、ロイは笑みを湛え、沈痛げに首を振った。
「ええ、ただ、あまりにも、哀れだと」
「おいおい、まだ他殺と決まってはいないぞ」
苦笑したヘイズは、その場に蹲った。血の跡。ざらり、と指先が床を擦る。
「先生、見てください。地下へも続いているみたいです」
「む、地下か……」
顔を曇らせる、ヘイズ。
二人は降りていくことにした。
*
彼女と過ごす、幸せな日々。けれど、彼女はどうしても好かないものがありました。それが、地下の倉庫です。
ですので、彼女は地下には決して、決して、近づかないように、と、犬に申し付けました。賢い犬でしたから、素直に頷き、喉を鳴らしました。
ある日のことでした。
男達が来る、あの日まで、確かに、確かに彼女と犬は、幸せだったのです。
*
随分と長い螺旋階段だった。ふと、ヘイズはロイを思う。彼はつい最近、雇って欲しいと自分のもとにきた、年若くも賢い少年だ。
そんなロイがぽつりと言葉を漏らす。
「先生、知っていましたか。彼女は犬を飼っていたのです」
「それがどうした。元々、未婚の一人暮らしの金持ちだったろう。犬くらい飼っていても、おかしくはあるまい」
「ええ、その通りですね。しかし、先生、犬をね。マリーは、犬を飼っていたのですよ」
ロイのことばが止まる。ヘイズが扉の前に到着したのだ。
ヘイズは躊躇いなく、ドアノブに手を掛けた。
その瞬間。
__シクシク。
声がした。
微かに、それこそまるで__すすり泣くような。静けさの中に一層響き渡る声は、荒げることもなく、まるで、現状に悲嘆しているようなものだった。
ヘイズが扉を開く。
室内は暗闇に包まれていた。光も差さず、窓もない。物置、といって刺し違えないだろう。鼻を刺激した埃や湿っぽい臭いが気にさわった。
まるで、1度も手入れなどされていないような空間だった。
ヘイズが闇になれたころ、果たして、彼の目に一人の男の姿が映った。
猿靴をはめられ、目隠しをされ、喉を潰されているのか真っ赤に腫れている。おそらく、すすり泣きの正体は彼で、また、喉を壊されたことにより大声を出せなくなっているのだろう。
「おい!大丈夫か!」
ヘイズは慌てて駆け寄った。いったい、いつから彼はここにいたのだろう? 様子からして、彼かここに閉じ込められてから3日ほどではない。もっと前からだ。警察や捜査員は気づかなかったのか?
様々な疑問が沸き上がるが、呑み込み、ともあれ、目隠しを外した。男は喉を唸らせ、光に目を細め、やや混濁した様子でヘイズをみた。
そして、恐怖に顔をひきつらせた。
「ーーヒッ」
「どうした?! おい、いったい誰が、こんなことを」
「あ、あーー」
男は、悲鳴をあげ、四肢を硬直させてーー指差した。
指差した方向には、ドアの奥、立っているロイの姿があった。
そう脳内で想像し、ヘイズは振り向く。
「哀れですよね」
ガツン、と。
頭に鋭い痛みが走ったのは、そのときだ。
どん、と横倒しに倒れたヘイズの背中を、濡れた硬いブーツが踏みしめる。
「きいてください、貴方。この人、貴方を助けようとしました。面白いことをしますね、本当に。ねえ先生、先生、どうですか?」
「ぐ、う……?! なに、を、する?!」
「先生、先生、言ったじゃないですか、犬がいる、犬がいるのだ、と。犬は、賢く、忠誠心の強い生き物なのです。それなのに、だというのに、貴方は、何の警戒もせずのこのこと!」
ロイが、鉈を振り下ろす。
ヘイズの耳すれすれに、落とされた。
「……貴方は、あなたがたは、あの日マリーを殺しました。ここに隠してあった、マリーの忌み嫌う数多の財宝を盗み出して。だというのに、あなたがたがのこのこと生きている。そんなのって……そんなのっておかしいじゃないですか! 遺書を書きました!これ以上捜査されて、地下への道を見つけ出されたら邪魔でしたから! そちらの貴方を予め痛めて、この地下へ連れてきました。そして、探偵さん。ええ、先生、金に目が眩んだ貴方、こうしてここまで連れてきた! 全く、全く、滑稽千万!」
哄笑し、狂ったように綺麗な服を揺らし、その足で男を蹴り倒す。
ゆらりと鉈を構えて、ロイはーー彼女の、彼女だけの犬は、吠えた。
「これは、復讐なのです、あなたがた。あなたがたが死ぬまで、または、自分が朽ち果てるまで、終わらない復讐なのです」
*
犬は、犬は幸せでした。
捨てられていた犬を拾った彼女は、ロイ、と名をつけ、可愛がり。
最後の時まで、ロイを想って、別室に隠しました。
だから、ロイは許せなかったのです。のうのうと生きていた男達が。自分達の平穏を盗んだ、あの、男達が。
だから。
故に、ロイは、決意しました。
終わらない復讐を。