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 その日も次の日も、セナが白い部屋に行く事はなかった。セナからガイドに連絡もしなかった。猶予の期限である明日、また白い部屋に行くのだろうなとぼんやり考えていた。よく考えると言ったから、ちゃんと最後まで考えて返事をしたかった。

 さらに次の日。セナは落ち着かない午前中を過ごした。授業でも教師の声が耳から耳へと抜けていく。ノートもろくに取っていない。明日以降、友人の慈悲に縋るしかない。

 そして昼休み。3日前、セナが白い部屋に言った時間が近づいている。昼食を買うためコンビニに行くと言って、学校から出た。時計を見る。あと7分。

 どうするかという答えはもう出ている。問題は、セナがその理由を上手くガイドに伝える事ができるかだ。

 難しい顔をしながら歩いていると、目的のコンビニの敷地内に建てられている電柱が目が吸い寄せられた。

 「……ん?」

 セナの目線よりずっと上、電柱の一部が抉られたように削れている。ぞわりと背中に嫌な予感が走った。見なかった振りもできなくて、電柱に近寄り削れた部分を見上げる。セナの視線の先で、電柱の破損が広がった。コンクリートの破片がバラバラと落ちる。嫌な予感は確信に変わりつつあった。セナは迷わず携帯を取り出すと連絡先からガイドを選択する。ワンカールで繋がった。

 『ガイドです』

 「セナです。ガイド、教えて」

 『何をですか』

 「今、裏側のこの近くに、歪みがいる?」

 『はい』

 答えは簡潔。

 「私をそっちに連れて行って」

 『はい』

 「ありがとう」

 通話を切り、セナはコンビニのドアを開け、駐車場から店内に踏み込んだ。

 景色が変わる。3日振りの白い部屋。

 奥に座るガイドは、いつもと同じようにセナを迎えた。

 「装備を出して」

 「セナは現在、ウォーカーの業務を免除されています」

 「復帰する」

 「現在、他のウォーカーが向かっています」

 「被害、もう出てるでしょ。間に合ってない」

 あんな風に、電柱が一部だけ削れるなんて通常では考えられない。裏側の被害が反映されているとしか思えなかった。

 「出現している歪みは、セナが最初に戦闘した歪みと同一個体です」

 「……だから、なんなの?勝てないから、止めておけって?」

 セナの険しい表情にもガイドは動じない。

 「現在、セナは猶予期間中のため、ウォーカーの業務を依頼する事は禁止されています」

 「復帰する」

 ガイドが口を開いたが、言葉を発する前に畳み掛ける。

 「自分で決めた。私は、瀬川セナは、自分自身の意志で歪みと戦う事を選択した」

 強く手を握る。爪先に力を込めて立つ。真っ直ぐ、ガイドを見る。互いの視線が正面からぶつかった。

 ウォーカーになった日、ガイドの質問を思い出す。

 どうしてウォーカーになったか。

 「ガイド、装備を出して。私は、私の世界が壊れていくのを見てるだけなのは嫌なんだ」

 セナは、自分にもできることをしたかった。



 折れたのはガイドだった。

 セナは差し出された装備をひったくるように受け取り、身に付けていく。

 「ガイド、準備できた。出撃できるよ」

 「セナ、予め予告します。危険であると判断した場合、即座に回収を行います。我々はウォーカーの死を望みません」

 「私も死にたくない。お願い」

 「お任せください。転送を開始」

 視界が回る。白と青の世界の裏側。コンビニの入り口に立つセナが見上げる先に、前も見たクラゲのような歪みが浮いていた。



 セナは走りながら通信を介してガイドに聞く。

 「銛のロープって何メートル?」

 『15メートルです』

 「地面から歪みには……」

 『届きません。歪みは地上から高さ20メートルに位置しています』

 「わかった」

 引きずり下ろすのは現実的ではない。近くの建物に登れば5メートルは稼げるだろう。

 走る。走る。他のウォーカーを待っている時間はない。

 あの歪みが現れた日。あの日を境にセナの世界は大きく変わった。戸惑いがある。迷いもある。その中でセナが取った選択は間違っていないと言いたかった。

 あの歪みはそこへ至るための障害だ。あいつを倒さないと、セナはずっとここで足踏みをしている。前に進めない。

 歪みの真下に来ると、近くの塀に登って、屋根に上がって、さらに高い建物へ。もう十分という高さまで登り、2枚の内蔵盤を取り出した。時間がない。セナも、裏側も。歪みに気づかれる前に終わらせる。

 手に持った銛で慎重に狙いを付けて穂を発射。柄を引っ張り歪みに撃ち込まれた穂先が抜けない事を確認すると、セナは迷わず柄のボタンを押し込んだ。

 ギュルギュルと音を立ててロープが巻き取られていく。その間にセナは空いた片手に持った内蔵盤を発動させた。

 衝撃と共に上昇が止まる。歪みの核はすぐ横だ。青く巨大な球体の中で鈍い光を明滅させている。以前セナがバリスタで撃った箇所は、ひび割れを上からコーティングしたようになっていた。

 セナは左手に持った干渉武器の持ち手を力一杯握り、射出口を歪みの核に叩きつけた。ガゴン、と内部の構造が動き、装填されていた杭が打ち出される。長さ30センチはあろうかという太い杭は、その身全てを余さず歪みの核を貫く事に費やした。

 突然歪みの動きが止まる。各々自由に動いていた触手もだらりと垂れ下がる。

 杭を打ち込んだ核に亀裂が走り、歪みを形作る黒い体に伝播する。

 『核の破壊、歪みの停止を確認』

 割れて崩れて、落ちていく歪みの体の破片を見ながら、セナはガイドの言葉を呆然と聞いていた。

 『回収に入ります』

 視界が回る。



 元に戻った視界で真っ先に認識したのは、天井でくるくると回るプロペラだった。何だあれ。あんなプロペラ、前までなかったはずだ。

 「脈拍、呼吸、血圧、正常。おはようございます」

 セナは大の字で床に寝ていた。足を閉じて体を起こす。もう少し、可愛げというか慎みのある格好で倒れていたかった。

 「あれ……あのプロペラ、前からあったっけ?」

 「シーリングファンです。4日前に取り付けました。不快でしたら撤去します」

 「不快とかじゃなくて、気になっただけ。おしゃれでいいと思う」

 「シーリングファンの設置を継続します。歪みの破壊を確認。業務完了。お疲れ様です」

 「うん。被害は広がった?」

 「被害の拡大は確認されていません」

 「そう。よかった」

 装備を外してガイドに返す。

 「セナ、一点確認事項があります」

 「なに?」

 乱れた髪を整える手を止める。

 「業務前の、セナのウォーカー継続に関する返答です」

 ああ、とセナは頷いた。

 「私の返事は変わらないよ。ウォーカーを続ける」

 「本当に、それで問題ありませんか」

 「うん。私は、ウォーカーを続けたい。君と会って世界の裏側とか、歪みっていうものを知って、私にできることがあるなら何かしたいって思った。だからガイドに誘われた時、ウォーカーになるって言った。そりゃ、怖くないって言ったら嘘になるし、心変わりしないとは言い切れない。でも今は、今の私はウォーカーでいたい」

 ガイドはゆっくり2回瞬きをした。

 「了解しました。担当ウォーカー、セナの継続意志を確認、受理。ウォーカー登録を継続。セナ、これからもよろしくお願いします」

 この選択を、明日どう思うかは分からない。その内後悔するかもしれない。いつか撤回するかもしれない。

 それでも今は、自分の選択が間違ってはいないと胸を張れる。

 「うん。私の方こそよろしく、ガイド」

 「今回もご協力ありがとうございました。仕方もよろしくお願いします。あなたの守った世界が良いものでありますよつに」



 表側に戻るとコンビニの店内だった。サンドイッチとツナサラダを選んでレジに並ぶ。

 「465円になります」

 500円をレジカウンターに置く。セナは店員に向けて言う。

 「あの、駐車場に立ってる電柱、上の方が削れたみたいになってましたよ」

 ぽかんとした顔の店員から商品の入った袋を受け取りコンビニから出る。ポケットの中で携帯が鳴った。メールだ。

 『まだ?』

 友人からだった。もうすぐ戻ると返す。

 「……」

 ウォーカーになった最初の日、ガイドからメールと電話が来ていたことを思い出した。電話はしたが、メールは一度も返していない。

 しまいかけた携帯を持ち直す。メールボックスを開いて、ひと月ほど前にガイドから届いたメールに返信。

 『こちらこそよろしく』

 送信ボタンをタップ。数秒と経たずに送信完了の文字が画面に浮かんだ。

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