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 救助後に搬送された病院で、セナは自分に起きた事のあらましを聞いた。セナのいたビルの一部が突然崩れ、その真下にいたセナは運悪く落ちてきた服飾店の天井の下敷きになったそうだ。検査を担当した医師曰く、セナが無傷だったのは奇跡らしい。

 諸々が終わって帰宅したら19時を回っていた。おかしい。今日は遅くても16時には帰る予定だったのに。洗濯物は干しっぱなしで冷蔵庫の中には牛乳と生姜のチューブしかない。セナの手に下げられたコンビニのビニール袋に入っているのは期間限定の抹茶ティラミスだけだ。明日が日曜日でよかった。

 食事の前に埃を落としたくて、先にシャワーを浴びる事にした。着替えを持って脱衣所を兼ねた洗面所に入る。

 目を疑った。洗面所に入ったはずが、あの妙な白い部屋にいた。目を擦っても頬を抓っても変わらないので頭の方も疑い始めた。

 「こんばんは」

 椅子に座った青年が口を開く。

 「……何で私はまたここにいるの?シャワー浴びたいんだけど」

 「要望であれば、シャワールームの増設も可能です」

 「そういう事じゃなくて」

 ここで風呂に入りたいとは思わない。青年がマイペースなのか何なのか、話が微妙に食い違う。

 「どうして私はまたこの部屋にいるのか知りたいです。また歪みが出たとか?」

 青年は首を横に降る。

 「今現在、歪みの出現は確認されていません。あなたに来ていただいたのは勧誘のためです」

 「勧誘?」

 セナの頭に浮かぶのは何度か家に来た新聞や宗教の勧誘だ。生憎と家では既に契約している新聞社があり、セナは取り立て信仰したい神もいないのでお引き取りいただいた。しかしこの青年がそんな俗っぽい事をするようには思えない。言動と相まって浮世離れした印象がある。

 「ウォーカーになりませんか」

 セナが言われた事を理解する前に、青年が続きを口にする。

 「あなたには境を超える素質があります。誰もが持ち得るものではありません。その素質を活かして、ウォーカーとして世界を守ってみませんか」

 「ええ……今決めなきゃいけないの?」

 「勧誘から返答までに一定の猶予期間が設けられています」

 「どれくらい?」

 「勧誘から3日間です」

 「意外と良心的だ……」

 「一度帰りますか?」

 「ちょっと待って……ウォーカーになるのって、私に何か負担はある?」

 「あなたに負担していただくのは、戦闘行為による身体的、精神的負担です」

 「お金とかはいらない感じですか?」

 「はい。金銭的、時間的負担は必要ありません」

 「わかった。やる」

 一拍の間があった。

 「やる、とは」

 「ウォーカー、やります」

 機械のような動きで青年の頭が縦に傾いてすぐ戻る。頷いたのだろうかと気づいたのは、後でこの時を思い出してからだ。

 「登録を開始します。名前を教えてください」

 「瀬川セナといいます」

 「登録を完了しました」

 「はやっ。登録情報、名前だけでいいんだ」

 「ウォーカーへの登録、ありがとうございます。私はガイド。ウォーカーの補佐、支援を行います。これからよろしくお願いします」

 「こちらこそ。お世話になります」

 実際、昼間にお世話になっている。彼がいなかったらセナが今こうしていられたか分からない。

 「今回の要件は以上で……失礼、一点、質問があります」

 「なんでしょう」

 「セナはどのような理由でウォーカーになることを承諾しましたか?」

 うーん、と考える。理由はあるが、うまく言葉にできなかった。

 「……なんでだろう」



 表側に戻り、携帯を開くと新着メールと留守電が一つずつ。ひとまず電話の方からと不在着信を見て目を剥いた。相手の名前にガイドとある。まさかと思いメールボックスを開く。目眩がした。

 「……個人情報……!」

 メールの送り主もやはりガイド。件名は「ウォーカーへのご登録ありがとうございます」本文も、一時間ほど前の白い部屋でのやり取りと同じようなものだった。最後に、「業務を円滑に行うため、メールアドレスを登録させていただきます」と付け加えられている。念のため留守電の方も聞いてみたが同じだった。最後が電話番号を登録させていただきますに変わっただけだ。

 シャワーを浴びたセナの背中に冷や汗が流れる。自分は想像以上にヤバいことに首を突っ込んでしまったのかもしれない。そんな理性の囁きから目を背け、セナは携帯の画面を消して台所に向かった。それ以降、メールも電話にも返事はしていない。



 「練習ってできませんか?」

 セナがウォーカーになって2週間。3度目の戦闘の後、セナはガイドに相談した。

 新人である事を考慮されているのか、セナが戦った歪みは総じて自動車から家屋程度、ガイド曰く小型のものだった。しかし、戦うというのは思っていた以上に精神的な負担が大きい。ほとんど意志の感じられない無機物のような存在でもそれは同じだ。

 それ以上に問題なのが、セナの戦闘面での技術だ。無駄な動きが多い。立ち回りが下手。誰に言われずとも、セナ自身が痛いほど身に染みて理解した事実だ。経験が少ないから仕方ないと言えばそれまでだが、そのままにしていい理由はない。むしろ言い出すのが遅かったと思う。

 「練習とは、どのような内容ですか」

 ガイドの声はいつもと同じ淡々としたものだ。

 「戦う時の動きに慣れたい。あと、実際に歪みと戦う時の練習がしたいんだけど……」

 装備の力かガイドが何かしているのか、戦闘時は身体能力が上がる。意識しなければいつも通りだが、高く飛びたい、重いものを持ち上げたいと思えば平時の何倍も力が出る。まず力の調節をうまくできるようになりたい。

 「戦闘時の身体能力の慣熟、歪みとの模擬戦闘、可能です」

 「できるの?」

 自分から聞いてはみたが、正直なところあまり期待していなかったセナはぽかんと口を開けた。特に後者は無理だろうと駄目元だった。

 「可能です。いつ練習を行いますか?」

 「な、なんなら今からでも」

 「了解しました。訓練室を増設します。セナから向かって左のドアの先です」

 セナは左の壁際に置かれたソファの横にあるドアを開ける。中に一歩踏み込んだセナは「は?」と声を上げた。真っ白い街並み。そこには裏側の光景が広がっている。

 『世界の裏側を再現しています。歪みの際限も可能です。身体能力も戦闘時と同様に設定してあります。模擬戦闘が必要になったら言ってください』

 「うん。ありがとう」

 何度か屈伸をしながらセナは目の前に聳える白一色のビルを見上げる。初めて戦い、撃退したクラゲのような歪みを思い出す。空を飛ぶ歪みも多いと聞く。

 ビルの上に行くくらい、朝飯前になりたかった。



 「歪みの出現を確認。大型です」

 昼休み。セナがどこにいるか分かると同時に、ガイドが口を開いた。

 ガイドが座る椅子の傍のテレビの画面には、二足歩行の不恰好なウーパールーパーのような巨人が歩いている。ビルより背が高い。そんなサイズのやつが道や建物の区別などお構い無しに歩くのだから、進む度に街が壊れていく。

 「早く行かなきゃ。ガイド、装備はーー」

 「今回出現した歪みは、セナには荷が重い相手です」

 セナの言葉を遮りガイドが言う。

 「現在、他のウォーカーが現地に向かっています。今回、セナが無理に出撃する必要はありません」

 「……他のウォーカーを待ってて、表側は大丈夫なの?」

 「被害が反映される可能性は高いです」

 「じゃあ私も行く。ここに呼んだって事は、勝てなくても足留めくらいはできるかもしれないでしょ」

 「了解しました」

 セナは受け取った装備を手早く身に付ける。

 「出撃に入ります」

 ガイドの声と同時に視界が回り、セナは世界の裏側に移動した。近くから工事現場を数倍煩くしたような音。そちらを見ると、ビルの向こうに街を打ち壊しながら歩く歪みが見えた。

 セナは歪みの進行方向に先回りし、ビルの上に登る。最初の時ほど手間取らない。

 程なくビルの屋上に立ったセナは、こちらに向かって歩く歪みを見据えた。放射状の細い突起が何本も突き出した頭部の前面、顔に当たる部分に大きな水晶のようなものがある。

 「顔にあるやつが核?」

 『そうです』

 セナはホルダーから取り出した固定式干渉武器の内蔵盤を周囲に置いていく。大砲、大型弩級、機関銃、対空ミサイルなどがビルの屋根に並び立つ。

 手元の迫撃砲を歪みに向けて撃った。歪みの側頭部に着弾したが、頭が揺れただけで大してダメージはなさそうだ。しかし、歪みの歩みは止まり、周囲を睥睨するように動いていた頭がセナの方に固定された。歪みの足がセナに向かって再度動き出す。釣れた。

 「よしこい」

 セナの役目は足止めだ。他のウォーカーが到着するまで、歪みによる破壊の被害を抑える事が目的。歪みの巨体や長い腕で好き勝手に暴れ回られるより、セナを目掛けて移動している方が被害は少ないと考えた。なので、セナは遠距離からの攻撃で歪みを引きつけ逃げ回るつもりでいた。

 それでも、歪みを破壊してしまえるのなら、それに越した事はない。核を目掛けてセナは大砲を撃ち込んだ。



 『歪みとの距離、50メートル』

 ガイドの声に、セナは攻撃の手を止めた。

 「ウォーカーはまだ?」

 『到着まで5分と予測』

 「5分かあ……」

 歪みの核は、所々僅かに欠けたりヒビが入っている。大砲の弾などが数回は直撃しているのだが、壊れる気配はない。見上げた頑丈さだ。

 「もう少しここで粘る」

 出した干渉武器を使い切ったら場所を変える。方針を決め他セナは攻撃の手を再開した。

 ドオンと腹に響く音を立てて、大砲の弾が真正面から核にぶつかった。核の透き通った表面が蜘蛛の巣状にひび割れる。

 もうひと押し、大きな一撃を叩き込めば核を破壊できるだろう。倒せるかも、という思いが頭をよぎる。他のウォーカーが来る前に、セナだけでもケリをつけられるかもしれない。

 顔を出した功名心を嘲笑うように、歪みはその場で屈むと勢いよく跳んだ。跳んで、落ちてくる。セナの立つビルの目の前に。

 セナの視界が黒い壁で埋まる。もうもうと立つ粉塵の中でひび割れた核がひかる。我に返ったセナは干渉武器を核に向けるが、使うまでに至らない。

 『セナ、退避をーー』

 ガイドの声は最後まで聞こえなかった。真上から叩きつけられた衝撃でそれどころではなかったからだ。瓦礫の上に落下して、詰めていた息を吐く間も無く落ちてきた瓦礫が降り注ぐ。

 セナの頭が混乱で埋め尽くされる。何があった、何が起きた?仰向けで吹き抜けになったビルの中から上を見上げる。反対にこちらを見下ろす歪みの姿を見て想像がついた。おそらくあの長い、棍棒のような腕を叩きつけたのだろう。歪みがゆっくりと足を持ち上げる。セナを踏み潰すつもりだろうか。大抵、無差別に街を破壊する歪みだが、時折ウォーカーを積極的に攻撃する歪みも存在するとガイドから聞いていた。この歪みも同じタイプなのだろうか。しかしまずい。セナは現在、胸元から太腿にかけてを大きな瓦礫に押し潰されて身動きできない状態だ。ここを踏みつけられたらひとたまりもない。致命傷程度では早々死にはしないらしいが、即死となるとどうしようもないという。そして歪みの踏みつけは、直撃すればまず即死だろう。

 沸騰しそうな後悔が身の内に溢れた。さっさと場所を移っていれば、こんな事にならなかったのに。

 どうにか手を動かせないか。ホルダーの中に地雷の内蔵盤がある。ただでやられるのはごめんだった。

 朦朧とする意識の中で足掻いていると、ズガン、と音を立てて歪みが持ち上げていた足が吹き飛んだ。ぐらりと傾いだ歪みはそのまま後ろに倒れていく。いつの間にか、崩れたビルの壁に小さな影が立っていた。

 それを最後にセナの意識は消えた。

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