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 意識が戻る。セナは白い部屋の床に寝転がっていた。

 「脈拍、心拍、血圧、正常。おはようございます」

 数メートル離れた正面に、椅子に座る青年がいる。彼の背後は壁一面が青空だった。

 「業務は終了しました。お疲れ様です」

 男の声が引鉄となり、一気に意識が覚醒する。同時に裏側での事も思い出した。

 白い街。黒く巨大なクラゲに似た歪みという存在。踏み込んだバリスタの発射ペダルと全ては壊せなかった核。

 「……どうなった?」

 直後に叩き付けられた衝撃で意識は消えた。その後をセナは自分の目で見ていない。

 歪みはどうなった?裏側はどうなった?表側は?セナはどうしてここにいる?

 聞きたいことがいくつもあって、主語を見つける前に質問が口から出てしまった。

 「歪みは撃退に成功。破壊には至りませんでしたが、被害が終息したため業務終了となりました。表側への更なる被害が反映される前に修復が完了したため、あなたが表側へ戻っても天井に押し潰されて死ぬ事はありません。おめでとうございます」

 「……そう」

 肩の力が抜ける。圧死の未来は避けられたらしい。起こそうとしていた体が床に沈む。付けたままのヘルメットがゴトンと音を立てた。

 「右肩の脱臼、手首の骨折、その他の外傷は治療しました。どこか体に不具合はあるでしょうか」

 「……は?え?骨折?」

 「回収時に先述の外傷が見られたため、治療を施しました。不具合はあるでしょうか」

 どこも痛くない。どこにも不調はないが、それはおかしい。セナはバリスタを撃った直後、歪みが振り下ろした触手よ直撃を受けている。気を失うほどの衝撃だった。

 なのに、どうして体に痛みの一つもないのか?

 「体はどこも痛くないですけど……治療って何?」

 青年の言う事が本当なら、セナは最低でも脱臼と骨折をしている。どちらも数週間以上をかけて治す怪我のはずだ。しかし、セナの肩も腕も痛みがないどころか自由に動く。一体どのような治療をしたのか。

 「治療とは、病気、怪我に然るべき処置を施し治癒を促す事です」

 「私にどんな治療をしたのかって聞いてるんだけど」

 治療の意味が分からないほど馬鹿だと思われたのか、単に治療の意味を尋ねたと判断されたのか。セナは後者であってほしいと思った。これまでの青年の態度からして有り得ないことではない。

 「回収の際に生体状況を読み込み、出撃前と大きく変化した点、外傷に干渉、修復しました」

 よく分からない。

 「とりあえず、副作用とか、体に悪影響はないですか?」

 「治療は身体に影響の無い範囲に収めています。過去に治療を受けたウォーカーの身体に異常が認められたという記録はありません」

 安心していいのだろうか。胸に一抹の不安が残った。杞憂であってほしい。

 セナは起き上がると、ヘルメットやコートなどの装備を外していく。グローブを外した右手首を掴んだり回したりしてみるが、やはり異常はなさそうだった。立ち上がって歩くこともできる。

 「もう帰っても大丈夫なんですか?」

 聞いてみたはいいが、帰り方は分からない。

 「はい。業務は終了しました。いつ表側に帰還して頂いても問題ありません」

 「……すみません、どうやって帰ればいいでしょうか」

 最初は気づいたらこの部屋にいた。帰りも同じように、気づいたら元いた場所にいるのだろうか。

 「後ろのドアからお帰りください。帰還の時間、場所はこちらで調整します」

 顔だけを後ろに向けると、壁には確かにドアがあった。

 セナはのろのろと立ち上がる。非現実的な白い部屋とも、ずっと座っている妙な青年とも、歪みというよく分からない大きな怪物みたいなやつともこれでおさらばだ。喜ばしい事だが心がついていけない。短時間の間に色々あり過ぎた。

 「じゃあ私、帰ります。さようなら」

 「確認、14時35分、御小戸グランドビルディング3階ティアジュエル御小戸店でよろしいでしょうか」

 「……はい」

 青年に言われて、セナはここに来る前自分がどこにいたのか思い出した。

 ドアからかちんと音がする。鍵の開く音によく似ていた。

 「お邪魔しました」

 軽く頭を下げてドアへ向かう。

 「帰還の際は、体勢を低くして帰られる事を推奨します」

 「なんで?」

 「帰還地点は崩落した天井の隙間です。そのまま帰えられると、落ちた天井に体が埋まる可能性があります」

 「こわ……」

 どんなゲームのバグだろうか。

 セナも崩落した天井に埋まりたくはないので、しゃがんでドアをくぐる事にした。

 「それじゃあお世話になりました」

 「この度はご協力ありがとうございました。あなたの守った世界が良いものでありますように」

 恐る恐る手でドアの向こうを探りながら出ていくセナに、気恥ずかしくなるような言葉がかけられる。セナは世界がどうこうなんて器じゃない。自分の生き死にがかかっていたからやっただけだ。



 ドアを潜った先は本当に崩落した天井の隙間であるらしかった。狭くて暗くてとても埃っぽい。セナは折りたたんだ体を更に縮め、亀のような体制で隙間に収まっている。

 いつか助けが来るのだろうか。セナは隙間の中で悶々としている。青年は押し潰されて死ぬ事は無いといったが、無事に助かるとも言っていないと気づいた。このままここで衰弱死という嫌な想像が頭をよぎる。慌ててそんな事はないと自分に言い聞かせた。

 一刻も早くここから出たいが、自力で天井だった瓦礫を退けるのはできそうにない。下手に手を出して上の瓦礫が落ちてきたら今度こそ圧死の未来が待っている。

 どれくらい時間が経っただろう。数分か。それとも数時間か。というか、せめて声くらい上げるべきではないか?

 「おー、ぃ……」

 震える声は急速に尻すぼみになって消えた。何だこの声、とセナは訝しむ。今の声は、本当に自分の喉から出てきのか?もしかして、自分は思っている以上に参っているのだろうか。それを自覚した瞬間、伏せている顔から血の気が引いた。まあ確かに、と変に冷静な部分で考える。こんな瓦礫の隙間に閉じ込められるなんてまずない事だ。加えて助かるかも分からない状況。精神に負担がかかって当然だ。いっそ気絶できていたら楽だったのに。というかあの青年、どうせ帰してくれるなら瓦礫の外にしてほしかった。いやでも監視カメラとかの関係もあるのだろうか。瓦礫の下敷きになった人間が急に違う所に出てきたらおかしい。それなら仕方ない……のだろうか。

 しょうもない考え事ばかり浮かんでは消える。何か考えていないと頭がどうにかなりそうだった。

 帰りに何か買って帰ろう。800円以内なら何を買ってもいい事にしよう。自分への労いが必要だ。何がいいか。

 「……干し海老、プリン」

 ゴゴ、と頭上で音がして、細い光が差し込む。誰かいる、怪我は、などの声が聞こえて、頭上の瓦礫が退かされた。 

 セナは埃や瓦礫の粉が目に入らないよう、何度も瞬きしながら上を見上げた。ヘルメットを被った男たちがセナを見て何か言っている。

 「要救助者発見!」

 どうやら、ようやくセナは助かるらしい。見咎められないように、そっと長い溜息を吐いた。

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