Space Opera Navigation
観測窓ごしに見える補給艦オルフェウス号の艦影は、もう親指の爪ほどにまで小さくなっていた。それでも、宇宙空間のスケールからすれば自分の鼻の頭を見つめる程度のものだ。
〈ピット司令官と軌道砲兵第三中隊員、二十六名。必ずやシルチスまでお届けします、ご安心を〉
モニターの向こうでオルフェウス号の指揮官、マイルズ・エコー中尉がこちらへ敬礼を送っている。格闘技で鍛えたという肉厚な四肢に、自負と程よい緊張が見て取れた。
「余裕のない計画で申し訳ないですが、よろしくお願いします」
唇をかみながら見送るマユミに、エコー中尉はいかにも誠実そうな笑みで応えた。
〈作戦の仕上げ段階は、ある意味私の艦が主役ですからね。遅れないように戻ってきます。では、ご武運を――〉
「良い航海を、エコー中尉」
通信を終えると、メイナードとマユミは同時に深々と息を吐いた。
「これで、万端整ったわね」
「……ご満足でしょうね」
室内に、一瞬沈黙が降りる。
ここはヴィクトリクスの船体上部、信号マストの基部近くにある展望室だった。艦首ブリッジと同等に戦闘指揮所としての機能を持つが、普段は単に眺めのいい部屋としてしか使われない。
マユミがオルフェウスの見送りにと選んだこの場所に、今いるのは彼女とメイナードだけだった。
「満足にはほど遠いわね。モリ大尉には多分全部見透かされて、そのうえで私たちは泳がされ、挽回のチャンスを与えられたのだから」
「その……正直に言えば感謝しています。タカムラ大尉も私にチャンスを下さった」
自分がどういう危地に踏み込みかけていたか、わかってはいるらしい。マユミは彼の謝辞に対してかすかな照れと怒りを覚えながら、少し声のトーンを落としてメイナードに問いかけた。
「メイナード中尉……あなたは『ボストン』とともに漂流していた私たちを発見して、果敢に救助してくれたわ」
「はい」
メイナードの声は絞り出すようだった。
「なのに、今回は――なぜなの?」
「……ヴィクトリクスの就役当初から乗り組んで、五年になります。前の艦長――オースティン少佐の指揮下でなら十年」
「長いわね」
メイナードの軍歴は参照済みだった。彼が士官学校を出て任官したのはちょうど開戦の年。厳密にいえば、木星圏からの『砲弾』が地球を襲った年だ。今回届いたメッセ―ジが真実なら、その時にはすでに木星は、得体のしれない異種生命体によって蹂躙されていたことになる。
「任務を成功させ、昇進して自分の指揮艦が欲しかった――それがないと言えば嘘になります。宇宙船乗りにとってそれは至上の夢だ。そのためなら何でもする、今でもそう言えます。ですが……」
「続けて」
「……恐ろしかったのかもしれませんね」
「恐ろしかった?」
「ええ、恐ろしかった。これまで、戦ってる相手は外惑星植民地の独立主義者たちだと思ってましたから。私は、あの年の『砲弾』で、カンザスにいた妹を失ったんです」
「そうだったの……」
マユミにとっても他人ごとではなかった。家族の誰かを失ったわけではないが、故郷のカザンは同様に砲弾で壊滅している。
ヴォルガ川を見下ろす橋や、雪に覆われて輝く、石畳に覆われた十九世紀以来の裏通り――そうした風景は、もう彼女にとって記憶の中にしか存在しない。
「同じ人間のやったことなら、許せなくてもまだ理解はできる。私は木星の連中に、『人間として』裁きを下す日がいずれ来ると信じていた。だが、あのメッセージを受け入れたとしたら……今まで信じてきたことは、すべて取り上げられてしまう」
メイナードはそこまでまくしたてると、胸の前で手のひらとこぶしを打ち合わせた。苦渋そのもののような、鈍い音が響く。
「代わりに『こいつらを殺せ』とばかりに目の前に置かれるのは、言葉もまともに通じない、得体のしれない宇宙のバケモノだ」
――こんな恐ろしくて、腹の立つことがありますか。
彼はマユミから顔を背け、吐き捨てるようにそう言った。
「そう……だからなのね。あなたは、当初の任務を守ることで、今まで信じてきた、この『戦争』のかたちを守りたかった……」
共感と同情の言葉を探そうとして、マユミはそこで立ちすくんだ。上官としても、人間としても、それは多分踏み込んではならないラインなのだ。
彼女のためらいを感じ取ったのか、メイナードは再びマユミの方へ視線を戻した。
「いや、まあ気にしないでください。案外、私は単に誰かの下で命令に従うことに慣れ過ぎて、自分で、あるいは自分たちで新たな事態に対応して判断を下すことが億劫になっていただけかもしれませんからね」
「……どちらでもいいけれど、他人に言うにはそっちが無難でしょうね」
「そうですね。無様ですが、まだ理解してもらえそうだ」
(ふむ。韜晦したものね)
マユミは改めてこの男の扱いにくさを肝に銘じた。戦艦マンダレーへの強行突入を彼が止めなかったことは、この際忘れておこう、と思う。機動殻に襲われて切迫した状況で、彼が本当にマユミを止める余裕を持っていなかった――その可能性もゼロではないのだ。今更確認できることでもない。
「もう一つ」
ぽつりと言葉を発したマユミに、メイナードはいぶかしげな視線を向けた。
「何でしょう?」
「敵の情報だけを手に入れるなら、地球近傍軌道にいるマスキャッチャー船を徴発して回収に当たらせる、そういう選択もあったわね?」
「それは、私への質問ですか?」
「そうね……あなたへの質問というよりは、私たち全員への」
メイナードはしばし虚空に視線をさまよわせた。口元をしかめ、瞬きを繰り返し、そしてようやく再び口を開いた。
「地球の周辺にいるマスキャッチャー船は限られていますし、その多くは民間船だ。機動殻の情報を公開するにはまだ時期尚早ですし……それに、火星軌道を超えて下方へ落下した物体の速度を中和するには、ほとんどの場合キャッチャーの性能が足りない」
「なるほど」
メイナードは、少し不機嫌そうに続けた。
「ですから、この艦隊に取りえた選択肢は二つだけです。危険を冒して回収に向かうか、無視して当初の作戦を遂行するか、です」
軍全体で言えばもう一つある――別動隊を派遣して回収に当たらせる方法だ。だがそれを決めるのは、艦隊司令部の役割なのだ。
『速やかに上にゆだねるべき判断は、いつまでも手元でもてあそばないこと』
あの後モリ艦長から送られた私信メールには、そこをきっぱりと釘を刺されていた。
「感情論では動けない――職分を超える判断を下すこともできない。不自由なものね、軍人は」
「そういうことです」
マユミは時計を見た。計画で予定された新しい軌道に向けての再加速まで、あと二時間少々。のんびりとできるわけではないが、メイナードとの談話を手際よく締めくくるには十分余裕がある。彼女はメイナードの前を横切ってドアの方へ向かい、その途中で、優雅に振り向いて見せた。
「副長、一緒にお茶でもいかが? あいにく、二人で水入らずというわけにはいかないけれど」
「ふむ?」
「ピット大佐が出て行って、一号船室が空いてるわ。あそこに軌道砲兵中隊のダルキースト中尉と、それにクルベ中尉も呼んで、軌道変更前のミーティングにしましょう」
「なるほど、悪くないですね」
* * * * * * *
「この船も、ずいぶん広くなってしまったな」
テーブルの上に置かれたクッキーに手を伸ばしながら、ダルキーストがしみじみと言った。
「作戦の内容が変わりましたからね、戦闘をやるんでなければ大所帯は必要ない」
クルベはテーブルの端に陣取って、日本茶のパックを握ったままうなずいた。階級や職分に照らせば、本来は彼がここにいる必要はない。だが、呼ばれた。
ありていに言ってこれはマユミ・タカムラ・ロバチェフスカヤの公私混同なのだが、現在の状況はそれを隠蔽することを容易にしていた。
現在、ヴィクトリクス号には第三中隊員の半数よりやや多い、三十四人の軌道砲兵しか残っていない。その中で、クルベは否応なしにダルキーストの補佐役として重責を負わされているのだ。
火星軌道からやや外側に位置する現在位置から、木星との中間点までおよそ二億キロ。ヴィクトリクスの航行能力は木星までの往復も一応可能だ。
だが、それは本来、推進剤の消費を最小にして行程に相応の時間をかける経済軌道が前提であって、今回のような無鉄砲な航行計画を想定したものではない。
ゆえに、マユミは大胆なプランを立てねばならなかった。
オービットガンナー・モジュールを投入するのはコンテナ回収のための比較的短い時間だけ、それも一回で済む。済まなければそれは失敗、ということだ。だから、軌道砲兵の人員は最低限でいい。そうして物資消費量が減れば、その分の航続距離が稼げる。
「残りたがるやつばっかりで、オルフェウスに移乗するメンバーを決めるのにはひと苦労させられたよ」
ダルキーストがぼやいた。結局のところ艦に残ったモジュール要員は、二人を除けばクローガーとフォレスター、それに第二小隊のメインパイロット、リー少尉だけだ。
「年端もいかない女の子がコンテナに乗ってる、なんて言うからです。そんなんで血相変えやがって……あいつらみんな『機動勇者』シリーズの見過ぎだ」
「かもな」
クルベとダルキーストは苦笑いを浮かべた顔を見合わせた
『機動勇者』というのはイタリアで通算十シリーズ作られた、ロボット活劇番組だ。ニホンの映像クリエーターが多数、制作に携わったという。
二十世紀後半から今日まで、ロボット兵器や機械生命体が主役のアニメや特撮は、ニホン人の独壇場とされている。
「クルベは見てないのか?」
「子供のころは見る機会がなかったんですよ。南アフリカのプレトリア近辺で育ったんですが、あそこではやってなくて。ネットワーク機器を持たせてもらえたのは高校に入ってからでしたしね」
「まあ、練度から言うと、クルベは残らなくても済んだと思うんだが」
ぽつりとダルキーストが矛先を向けてくる。
「……残らんと、いろいろ面倒になりそうでね」
クルベの視線がちらりとマユミをかすめた。
「あー、まあ雑談はそのくらいに。艦隊の個々の動向を確認しておきましょう」
マユミは慌てて話を引き戻した。このままでは自分とクルベの関係がこの席の話題に上ってしまいかねない。いくら周知のこととは言っても、直接の話題にはなりたくなかった。
「アラクネと、アンティノウス、それにヒュアキントスは……ある意味予定通り。あの三隻は光学機器が充実しているから――」
高速パトロール艦『アラクネ』は、当初の予定通り監視衛星群を次の三か月間、木星から太陽を結ぶ落下軌道をカバーできるエリアに投入。
公転方向に対して見かけ上逆行しながら、等間隔に衛星を軌道投入する、というのはなかなかに骨の折れる任務だが、アラクネの艦長サタージット・ナーナク・ボースは職人芸と評されるほどの腕利きだ。
その間アンティノウスとヒュアキントスはアラクネを護衛して同行する。衛星投入が終われば太陽の公転面からやや下方へ進出、ジュノー近傍で機動殻の根拠地を観測し、少しでも危険を察知すれば離脱する。
「オルフェウスはシルチスで司令たちを下ろしたあと、カーゴブロックに推進剤を満載して戻ってくる。こちらの帰途で邂逅するために」
「あとは、我々が可能な限りの無茶を押し通せばいい、というわけだ」
メイナードが皮肉な笑いを浮かべた。
「箒を用意してあったのは、何か天啓でもあったのかと疑わしくなりますね」
「箒?」
耳慣れない響きに、マユミはおうむ返しに聞き返した。
「ああ、失礼。信号マストの後ろに固縛してある、あれですよ。正式には深々度単独侵攻用ブースターユニットというそうです」
「ああ……あれ」
マユミも存在は知っていた。実のところ、そのうえで今回の作戦にも組み込んである。ただ愛称だけが初耳だった。
それは、結局廃艦処分になった輸送艦ボストンの艦尾推進器ユニットを分解して、四つの推進器それぞれに推進剤タンクと姿勢制御バーニアを取り付けた、珍妙な兵装だ。
「箒というのは、フォレスターがあれを見た瞬間つけた愛称でね。響きがいいんで、みんなそう呼ぶようになった」
「一度くらいはセンチュリオンに装備した状態で運用テストをしておきたかったですが、そんな余裕はなさそうだな」
「タチバナ技術大尉の作ったものなら、安心でしょう」
ヴィクトリクスで可能な限りコンテナに接近し相対速度を合わせた後、軌道砲兵チームがモジュールでコンテナにとりつく。その上で、箒を使って減速し、太陽に落下する放物線軌道から離脱させて曳航、オルフェウスとの邂逅ポイントへ。
オルフェウスではマンスレック軍医率いる医療チームが、アルミ・ロビンソンの脳を救うべく待機している、という段取りだ。
あとは、実行するだけ――
一号船室でのミーティングが終わり、解散した後。マユミとクルベだけがしばしそこに残った。
「……ブリッジでの顛末、聞きましたよ。中隊長から」
肩口に頭を預けてもたれかかるマユミに、クルベがそっとささやいた。
「ええ。私たち二人とも、愚かだったわ。もう少しでメイナードもろとも軍を放り出されるところだったわね」
マユミの指がクルベの唇をなぞった。クルベはその手をさっととらえると空中のあらぬ方角へと導き、マユミはちょうど文楽人形か何かのように、おどけたポーズを取らされた。
「ちょっと……!」
「つかみ合いをしながら、二人でバカ笑いしたって聞いた」
クルベはひどく面白そうに、マユミの目を覗き込んだ。
「ひどい言いかた」
「『吐瀉袋』とか言いださないだけましさ」
「あの時は悪かったわよ……さ、そろそろ行きましょう。軌道砲兵を間引いても、シャワーの水の割り当ては増えそうにないし」
「あーあ。なまじそばにいてこれだ、気が狂いそうだよ」
「私もよ」
軽いキスを最後に部屋を出る。途中の通路で別れて居住区に引き取り、自室のベッドに腰を下ろしたところで、艦内放送が鳴り響いた。
(艦長――マユミのやつ、まだ休めないんだな)
パートナーとして親しみ始めた女の、少ししゃがれた声が聞こえる。クルベは彼女の苦労を思っていくらかしんみりした気持ちになった。
〈こちら『ヴィクトリクス』艦長、マユミ・タカムラ・ロバチェフスカヤ大尉。本艦はこれより、最大加速で小惑星帯の外縁部を一方の焦点とする、長楕円軌道に遷移――S.O.N.=軌道力学凌越航法を行い、救助目標であるコンテナの回収に向かいます〉
その瞬間、艦内にかすかなどよめきが広がった。
〈作戦暗号名・『流星』発動。加速中は落下事故に注意、各員は必要時以外はシートに身体を固定すること――〉
軌道力学凌越航法――もちろん、真の意味で軌道力学を凌越、あるいは無視できるわけではない。経済軌道を取らず、推力任せで乱暴に目標へ向かう、というだけのことだ。いうなれば内向きのプロパガンダに過ぎない。
だが、それはこれまでにごく限られた大型艦――たとえば『プレジデント・レーガン』のような――だけが取りえた航法だった。補助艦艇のサポートを受けるとはいえ、ヴィクトリクスのような小型艦での実行は、これまで例がない。
誰が言い出したかは分からないままになったが、この日から軌道砲兵第三中隊とヴィクトリクス号乗組員は、この無謀で冒険的な試みに自分たち好みの新しい名をつけた。
曰く――宇宙活劇航法、と。
6月7日 12:16 前話までの流れを踏まえて若干の加筆修正を加えました。




