破壊的思考の彼こそが勇者です。
瘴気漂う魔の領域『リヴィンズ・ヘスト』。
その中央にそびえ立つ古い城は通称、魔王城と呼ばれていた。
悪の魔王から世界を救ってくれと依頼された勇者は、その門前から溢れ出るオーラに冷たい汗を一筋。ただの武者震いだと仲間を鼓舞して一歩踏み出した。すると――。
――ギギィ……
「!!」
門は勇者が触れるまでもなく開放され、その中央に人型の影が現れる。
「くくっ……はーっはっは! よく来たな、愚かな選民共よ!」
よく響く男の声が勇者一行へと向けられた。その容姿は闇に紛れてはっきりとしないものの、その台詞は聞けば誰もが皆が悪と思うであろう。勇者は鞘から剣を抜き、魔術師は杖を前へと掲げて臨戦態勢となった。
「我は勇者! お前が人間を脅かす魔王だな」
「……だから言ったのだ。愚かな“選民”共と」
「――!? あ、あなたは!!」
「自らの考えを持たぬ有象無象は、この世から消え去るがいい!」
男は自らの腰に携えた白金の剣を抜き、その一閃で勇者一行を塵と化した。その光はこの世のものとは思えぬほどに美しく、金の装飾を施されたその武器はかつて至高の一振りと呼ばれた剣――第一勇者のものだった。
◆
男は幼少の頃から不思議でたまらなかった。
どんな絵本を読んでも、大人から伝えられる物語も、全て魔王が悪いのだ。魔王のせいで世界が闇に包まれる。勇者のおかげで世界が平和になる。
闇に包まれているのは魔の者が住むリヴィンズ・ヘストだけであり、その領域が広がっているという話は聞いた事が無い。作物の不良は天候のせいであり、被害は動物によるもの。魔の者が人間を襲うという話を耳にした事はあるものの、人間が人間を襲う強盗や盗賊とどう違うのだろうか。
魔の者の仕業は全て魔王のせいだと言うのなら、人間の仕業も全て国王のせいではないだろうか。本当に魔王の仕業だというのであれば、兵力的にも圧倒的な魔の者達は一昼夜で人間など滅ぼしてしまえるはずだと。
そんな男が成長したある日、国王に呼ばれた。
『貴殿には勇者として、世を混沌へと誘う魔王を倒して欲しい』
男は武官学校でも優秀な成績を修めており、勇者たる特殊な力なるものを有しているとの事だった。男は国王から勇者の剣となる至高の一振りを授けられ、魔王退治へ向かった。
それももう、数年前の話だ。
陰鬱とした城外と老朽化した城壁に比べ、明るく綺麗な内装をした城内は魔の者が潜んでいるとは思えない。中だけを見れば国王の住む城となんら変わりは無いだろう。人間の近衛兵の代わりに、異形の者達が魔王のためにある。ただそれだけだった。
「あ、お疲れ様でした~」
「おう。掃除、ごくろうさん」
そんな魔の者と笑顔で言葉を交わす人間の男こそ、かつての第一勇者である。
「戻ったぞ」
「勇者さん! 窓から見ていましたが駄目じゃないですか!! これではまた魔王が悪いという話が広がってしまうではないですか!」
玉座の間の扉を開いた直後、“勇者さん”に角の生えた男が詰め寄ってきた。その瞳には薄っすらと涙が滲んでおり、鼻先は赤く染まっている。
「んだよ。追い返してくれ、つったろ?」
「“追い返して”とは言いましたが、“殺して”とは言っていません! そもそも以前の来訪者を追い返していただいた時に同じ問答をしたと思います!」
「うーるせぇなー……どうせ魔王を殺しに来てんだ。こっちが殺して何が悪い」
「勇者さん……あなたは……」
あなたは、私を殺さなかったでしょう?
◆
魔王は生まれた時から魔王だった。
前の魔王が死んだので次の魔王として生まれたのだと側近は伝えた。そして仕えた。我らが主、我らが王、世界を束ねる全ての王だと。
魔王は、不思議でたまらなかった。
こんなにも心の優しい魔の者達が異形というだけで人から迫害される事。魔王の領地であるリヴィンズ・ヘストへと侵略して来る者達を追い返しただけで数を増やして報復へと来る事。人の領域で起こった災厄が全て、魔王のせいとなる事。
『私が生きているだけで世界は不幸になるのでしょうか……』
幼き魔王はずっと憂いていた。しかし自らの命を絶ったとしても次の魔王が生まれてしまうだけであり、根本的な解決にはならない。しかも自らが抱いたこの感情を、同じ状況下で生まれる次の魔王が抱かないという可能性も少なくない。望まぬ苦難を押し付けられるはずがないのだ。
そんなある日、和解を求めて人の領地へと足を踏み入れようとしたが、どうやら結界が張られているようで魔王はとても苦しかった。
魔の者を排斥せんとする、その心が。
そうして魔王は城に閉じこもった。
リヴィンズ・ヘストへやってくる者が減る事は無いが、以前と変わらず追い返すだけ。人によって傷つけられた魔の者へ「すまない」と、命を失った者へ「すまない」と、遺された者へ「すまない」と――悲しみの連鎖を繰り返さないためにも、頭を下げて魔の者達にも我慢を強いていた。魔の者達は涙を流しながらも、魔王のその心を汲んでいた。
魔の者は、幸せになってはいけないのだろうか。
玉座の間でぼうっと物思いにふけっていると、その扉が激しく開かれた。その大きな物音に魔王はびくりと身を震わせ、そこに立っている男の姿に目を見開いた。
人間だ。とうとう来てしまったのだ。魔王を倒すべく、人間の勇者が。
男は白く輝く剣を手に、魔王へとゆっくり歩みを進める。魔王はその姿を見てもなお、そこから動く事が出来なかった。動かなければ、逃げなければ。次の魔王が同じ苦難を背負うことになる。そう思っても、初めて見る勇者の姿に指のひとつも動かなかった。
魔王の前へとやってきた勇者は、何故かその剣を鞘に収めた。その意図が掴めない魔王はきょとんと目を丸くする。
「俺、魔王になりたいんだけど」
「――……は、はあ…………はあ!?」
「あんたが世界改革をしないから魔王が悪いって言われんだよ。だから俺が魔王になって変えてやる。だから黙って魔王を辞めろ」
勇者が一体何を言っているのか魔王はすぐに理解できなかったものの、辞めろと言われて職業のように変えられないのが魔王であり、人のような仕組みで出来てはいないとだけ説明した。その言葉に勇者は「そうか」と答え、「じゃあ」と続けた。
「俺が世界改革をしてやる。俺に従え、魔王」
それが、魔王と勇者の出会いだった。
◆
「いいですか? 勇者さんには確かに組織を束ねる者としてのカリスマも力もありますが、だからといって同族をないがしろにしては――」
「また説教かよ魔王サマ」
呆れた様子の勇者に魔王は大きな溜め息をついた。そんな魔王に勇者も眉間を寄せて腕を組む。
「じゃあ俺が組織を束ねてリヴィンズ・ヘストを滅ぼしてもいいのか? 異種族だから殺して世界統一していいのか? 同種族だから殺しちゃいけないのか?」
「そ……それは……」
「俺はここ数年リヴィンズ・ヘストで生活してるけど、俺の住んでたところより平和だと思うぜ」
その一言に魔王はぐっと言葉を飲み込む。
人の事を知りたいと、かつて魔王は勇者の昔話を望んだ事がある。勇者の生まれ育った環境や父母や友人、主に人の住む世界について知りたかったのだ。勇者が城へやって来るまで、人と話した事は一度として無かったのだ。興味を持たないわけがない。
しかし、その昔話は魔王が思っていたよりも壮絶だった。人は人の世で幸せな暮らしを送っているのだとばかり思っていた魔王には衝撃が強すぎて、その夜は眠れなかったほどだ。
「第一、魔王が死ねば次の魔王が必ず生まれる。そして魔の者は必ず従う。それなら、人間より魔王の方が治世に向いている。人間は玉座争いだの暗殺だの後ろ暗い話がたくさんだ」
どうやら魔王が物思いにふけっている最中も勇者の話は続いていたらしい。魔王は改めて勇者の方を向く。その様子に話を聞いていなかったなと今度は勇者が溜め息をついた。
「お前さぁ……五百年も生きてんのに変えようと思わないわけ?」
「まだ四百年です!!」
「あーはいはい、四百年ですね。ご長寿ですね魔王サマは」
厭味ともとれる言葉だが、それに腹を立てる魔王ではない。これが勇者なのだ。
「俺の寿命は長くても残り六十年だ。長寿の中の長寿であるあんたとは比べ物にならないほど短い。だから、俺が生きている今すぐにでも始めなきゃならないんだよ」
城への来訪者がある度に同じ口論をしていると魔王は思う。どうして勇者はここまで世界統治を望むのか、不思議でならなかった。
「世界改革より、次の魔王が生まれないようにする方法を探してはどうでしょうか」
「……結局、魔の者を消すのか?」
「そっ、そういうわけではありませんが……」
勇者は魔王の横を通り抜けるとその先にある椅子に座る。それは魔王のみが座る事を許された玉座だ。
「人間達は魔王という仮初の脅威があるから、身近に潜む真の脅威に気付かない。魔王がいなくなったら人間同士の対立と戦争が激化するだろう。その被害を受けるのは、争いと関係の無い一般人だ」
「――……」
自分は戦争孤児だと。そう告げたのは勇者だ。
「多分、というか断言してもいい。世界改革を始めても、お前は俺が死んだらそれを止めるだろう」
「そっ、そんな……」
「だから俺が生きている内に俺があんたの剣となって成さなきゃならないんだ。魔の者も、人間も、お前も幸せに暮らせる世界の主に――お前がなるんだよ」
にやりと、魔王である自分よりも魔王らしく不敵に笑う勇者に魔王は困ったような笑みを浮かべた。
◆
魔王城、某所。
「庇護欲に駆られるって言うか?」
「あー、そうそう、それッスね」
「魔王様って優しいですし、よく泣きますけどいつも誰かの為なんですよね~」
「俺も初めて見た時『なんだこの小動物』って思ったんだよな」
「魔王様あるあるですね~!」
勇者と魔の者が集まって談笑していた。
魔王のカリスマとはすごいもので、魔の者として生まれたものは生前より定められたものとして絶対服従が魂に刻まれている。それは魔王が代わったとしても同じだ。
(人間にもこれが適応されりゃあ、平和なんだけどなー)
勇者は魔王について語り合う魔の者を眺めながらそんな事を考える。いっその事、人を魔の者にする方法を探して、全ての人を魔の者にしてはどうだろうかとさえ思ったこともあった。それは魔王に仕える呪術師によって難しいでしょうと否定された案ではあるが――。
(“難しい”ってことは“不可能”って事じゃないんだよな)
「あ、勇者さん、また不穏な事を考えてますね?」
「ん? 不穏じゃねえよ。俺以上の平和主義者がいるなら連れて来いってんだ」
「それなら魔王様をお連れしますよ~」
「違いないな!」
どっと笑みのこぼれる空間。種族の隔たりを感じさせない彼らを見て、勇者は幸せをかみしめる。
彼らが、魔の者が好きだと。
第一勇者が人の世に戻らない事で、魔の者がとうとう人を殺したという事になっている。王都には世のために散った勇者として第一勇者の像まで建てられており、魔王の知らぬところで既に戦の火蓋は切られていたのだ。魔王城へとやってきた者達は勇者の顔を知っているため、勇者が意図的に消している。今はまだ勇者が生きていると知られるわけにはいかない。
「さて……何年かけるかな――世界改革」
にやりと笑う勇者こそ、仮初の脅威である魔王に隠された真の脅威である。
ふと思いついたネタで書きました。
突発作ですが、問題などございましたらお知らせください。