人形師編 Ⅰ 奇妙な訪問者
自身唯一のファンタジー物です。いつも推理小説を悩みに悩みながら作っているので、このシリーズは気楽に書けてる気がします。魔法、超能力、武器兵器。なんでもありでテンポの良い作品に仕上がりました。そして、中二病全開でお送りしたいと思いますので、どうかよろしくお願いします。
収集社 社訓
一、人間を見る目を養え
一、人間としての価値を失うな
一、消費期限が切れた人間に価値は無い
一、価値の無い人間に同情は要らない
一、価値の無い人間は回収せよ
俺とアイツの消費期限 人形師編
Ⅰ 奇妙な訪問者
『人の価値とは、その人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる』
これは、ドイツ生まれの天才物理学者アルベルト・アインシュタインが生前に残した名言だ。俺は天才でも物理学者でもないが、この言葉の意味はなんとなくわかる。人の価値は誰かが測るものじゃない。
でもな、世の中には勝手に人の価値を決めつけるゴミクズみたいなヤツもいる。なんなら、そんなヤツらが集まって出来た会社なんてものまで存在する。馬鹿げた話だろ? でも、これは本当の話なんだ。
ヤツらは人の価値の事をこう呼んでる。消費期限ってな。
「これは……消費期限切れか」
と、科車秀久はカレーパンをゴミ箱に捨てた。
秀久は大学生。しかも、頭が良い事で有名な楽都島中央大学に在学している。
「さぁ、今日も始めるか」
と、秀久はパソコンに向かって言った。
「今日の相手はなかなか手強そうだな」
と、秀久は軽やかにキーボードを叩き始める。パソコンのスピーカーから聞こえてくるのは銃声と爆音。俗に言うサバイバルゲームというやつだ。
「よし! ヘッドショットだ!」
ヘッドショットとは、サバイバルゲームにおいて相手の頭を打ち抜き一撃で相手を倒すことである。
ここで、最初に言ったことを訂正しておこう。秀久は大学生だった。今はこうして、昼夜パソコンのサバイバルゲームに明け暮れるニートである。大学四年生の時、就職活動に失敗して人生が嫌になり、自宅からあまり外に出なくなった。段々友達からの連絡もなくなり、何もない日々が続いた。そこで、オンラインゲームに手を付けたのが運のつきだった。
「一度回復して……」
秀久は完全にゲームの世界から戻って来れなくなっていたのである。
「ここで武器を拾って――」
突然耳元で大きな音が鳴り響いた。電話だ。電話が鳴るということは、科車家にとって珍しい事である。親にも見放され、もちろん友達もいない。時々掛かってくるのは新聞の勧誘ぐらいだ。しかも、夜中に電話が掛かってきたのは初めてだ。秀久は舌打ちして、
「折角いいところだったのに」
と、渋々受話器を取った。
「もしもし?」
「貴方の消費期限は切れてしまいました」
「……は?」
「後程回収に参りますので、やり残したことがあるのならばお早めに……」
と、電話が切れる。いたずら電話だろうか?
「意味がわからん。まぁいいや、続き続き」
と、秀久はさっさと椅子に座り直す。そして、何事もなかったかのようにゲームを続ける。
「やった! 勝ったぞ」
そろそろ一日が終わる。パソコンのディスプレイに映し出された時計の数字が一斉にゼロになる。日付が変わった。その時――玄関のチャイムが鳴った。
「こんな夜中に誰だ?」
と、秀久は重い腰を上げて玄関へと向かった。
「非常識な奴だな……」
と、秀久は文句を言いながら扉を開けた。
「こんばんは。私、収集社の黒沼と申します。隣にいるのは研修生の遊女です」
「…………」
来客は二人だった。まず、目に入ってきたのは右側にいる長身の女。全身黒いスーツに黒い髪。キャリアウーマンのような格好をした女性だ。だが、その女性の充血した左目からは何とも言えない恐怖感を感じた。
対して、左側に立っている白い髪の少女には別の怖さがあった。白いパーカーを目深に被り、目を伏せ、黙りこくっている。まるで、事が済むのを監視する為だけに着いてきているかのような印象を受けた。
「ちょっとしたアンケートに答えて頂きたいのですが……」
と、黒沼は言った。怪しい。
「アンケート?」
「ええ。弊社の商品に関するアンケートを実施していまして、ランダムに家々を訪問しているんですよ。協力して頂けましたら、弊社の商品を無料で差し上げます」
と、黒沼は鞄から書類を取り出して言った。
「……こんな夜中にですか?」
と、秀久は言った。確かに、深夜十二時にアンケートなんてそうそうない。
「今回お客様にお試し頂く商品は夜中にしか使えないんですよ」
「はぁ……まぁいいですけど」
と、秀久は仕方なくアンケートに協力した。どうせ断ってもしつこく喰い付いてくるだろうし、どうせオンラインゲームしかやること無いし。まぁ、商品も貰えるし、息抜きにはなるかな。
「ありがとうございます。では、お邪魔しますね」
と、黒沼は軽く会釈して室内に入った。遊女はというと……黙ったままだ。
「あのー。それでその商品と言うのは……」
と、秀久はパソコンの前の椅子に座って言った。
「少々お待ち頂いてよろしいですか。いろいろと準備をしないといけないので」
と言って、黒沼は秀久の家の中を物色し始めた。時々、写真を撮ったりメモをとったりもしている。
「何してるんですか?」
と、秀久は黒沼に質問する。ニートの秀久もさすがに怪しい行動だと思ったのだろう。
「回答者の住まいが重要になって来るんですよ。決して悪用はしないのでご安心を」
と、写真を一枚パシャリ。
「不動産会社か何かですか?」
「まぁ……そんなところです」
と、黒沼は少し笑って言った。秀久はパソコンで音楽を聴くことにした。
「……順調」
微かに遊女の嬉しそうな声が聞こえた気がした。
「調査が終わりましたので、本題に移らせて貰ってもよろしいですか?」
と、黒沼が訊いてきたので、秀久は、
「分かりました」
と答えた。部屋にある机を三人で囲むようにして座った。一息ついた後、黒沼が話を切り出した。
「今回、科車様をアンケートのモニターに選ばせて頂いた理由は――」
ピンポーン。絶妙なタイミングで本日二回目のチャイムが鳴る。
「あら」
誰かが訪ねてくる事だけでも珍しいのに、二回も玄関のチャイムが鳴るのは奇跡に近い。
「……また誰か訪ねてきたのか?」
なおもチャイムは鳴り続ける。少し近所迷惑なぐらいに。
「随分乱暴に押しているみたいですが……」
と、黒沼は言った。
「すいません。ちょっと見てきますね」
と、秀久は席を外す。急いで玄関まで行くと、そのまま扉を開け放った。
「どなたですか?」
「お主の結婚相手だ」
秀久は思わずひっくり返りそうになった。
とりあえず……訪問者の容姿を確認してみる。――少女だ。なかなか綺麗な顔立ちをしている。しかし、身に纏っているのは占い師や魔術師が着ているような黒装束のようなものだった。薄緑色の髪が、彼女の幻想的な雰囲気を一層妖しく引き立たせている。
「えーっと……今なんて?」
「結婚相手と言ったのだ。お主、難聴か?」
と、その少女は眉をひそめて言った。
「ごめんな。もう夜の十二時だから病院はやってないんだ」
「私は至って健康だぞ。何故病院に行く必要がある」
「言ってる事が意味不明なんだよ! お前――頭大丈夫か?」
と、秀久は少し声を張り上げて言った。
「うるさいぞ秀久。もうとっくに近隣の住民は眠っておるのだから静かにしないか」
「ごめん……じゃなくて!」
完全に少女のペースになっていた。秀久はすぐにでも現実逃避したい衝動を必死で押さえて、
「君は誰だ?」
と、その少女に尋ねた。
「私の名は星月イヨ。将来、お主と結ばれるものだ。今宵は秀久の危機を救いに来た」
と、イヨは淡々と答えた。怪しい。怪しすぎる。
「はぁ……どうしたらいいんだよ……」
秀久はここまでの三十分でかなり混乱したが――ある事に気付いた。
「ん? 俺を救いに来た?」
「左様。このカード達が秀久の危機を教えてくれたのだ」
と、イヨは服の中からトランプのようなものを取り出した。そこから一枚のカードを取り出すと、険しい顔をして言った。
「このカードが出たのだ」
イヨは秀久にそのカードを見せた。死神の絵が描いてある。どう見ても不吉なカードにしか見えない。素人の秀久にだってわかる。
「それで? そのカードには俺が死ぬって書いてあるのか?」
「そこまでストレートには教えてくれない。ただ、私の他に来客が来ておらぬか?」
「ああ、確かにいるよ。アンケート調査だとか言ってたけど」
と、秀久は言った。
「そやつらの名前と容姿は?」
「全身黒いスーツで黒い髪。名前は確か黒沼って言ってたっけな」
「なんと! 真っ黒ではないか! 今日のアンラッキーカラーは黒なのだぞ。その来客は悪の元凶だ」
と、イヨはタロットカードを服の中にしまって言った。そして、イヨは何かを察したかのように、
「そやつらは危険だ。お主の命を狙っておる」
と、秀久に忠告した。
「星月……だっけ? お前の方がよっぽど危険だよ。いきなり結婚相手ですなんて怪しすぎる」
と、秀久はため息をついて言った。その時――
「秀久!」
一瞬何が起きたのか分からなかった。黒沼が宙に浮いたゴミ袋をナイフで刺している。よく見ると、ゴミ袋は秀久の背中を守るようにして集まっていた。なんでゴミ袋が浮いているのかは全く分からない。でも、秀久は数多く起きている非日常的な出来事の中で一つだけ理解した事があった。黒沼は俺を殺そうとしている!
「黒沼……さん?」
と、秀久は震える声で言った。
「やはり先手を打ってきおったか!」
と、イヨは何らかの力で黒沼を吹き飛ばす。その力は、黒沼を部屋の奥の壁に叩きつける程の威力だった。
「秀久! ひとまず逃げるぞ!」
「何なんだよこれは!」
と、秀久は訳も分からず部屋を飛び出した。イヨがしっかり後ろについてくる。
「あいつは何者なんだ! 何で俺は狙われてるんだ!」
と叫びながら全力疾走する。イヨも走りながら
「詳しい話は後で話す!」
と返す。マンションの階段までたどり着いた。後ろを振り向いてみると、
「待って下さい! その女の子は貴方を騙そうとしています!」
と、黒沼が説得しながら走って来る。
「え?」
「あの女の言うことを信じるな! お主を殺そうとしたではないか!」
「そ、そうだったな!」
よく考えれば当り前の事だ。自分を殺そうとしている奴の言うことより、自分を守ろうとしている奴の言うことの方が信頼できるに決まってる。
「チッ、邪魔が入ったか……彩ちゃん!」
「承知」
と、黒沼が遊女に合図すると、遊女は巧みに指を動かし始めた。それは、大きな何かを操っている仕草だった。この行動の意味は理解できない。だが、次の瞬間――
「科車秀久! 収集社の規約に則り――貴方を回収するわ!」
黒沼が人間とは思えない速さで追いかけてきた。
「うわっ! 星月! 何とかしてくれよ!」
「慌てるな! 消火器を借りるぞ!」
と、イヨは廊下に置いてある消火器を左手で触っていった。
「もう追い付いちゃうわよ? ほら、捕まえ――」
黒沼の足元に転がっていた消火器が勢いよく破裂した。中の粉末が辺り一面に飛び散る。
「な、目が痛い!」
「煙幕……?」
マンションの廊下に置いてある消火器が次々に破裂していく。たちまちマンションの四階は白い煙に包まれた。収集社の二人は両目を押さえて立ち止っている。
「星月! お前はマジシャンだったのか!」
「奇術師ではない。消火器の中の重力を通常より重くしただけだ」
「そりゃすごいな!」
と、秀久達は階段を駆け降りる。もう破裂音が聞こえない。四階の消火器が全部破裂しきったようだ。
「他には無いのか! 空を飛んだり瞬間移動したり!」
「私には重力を操ることしか出来ない。秀久! 車は持っておらんのか?」
「持ってるように見えるか? 自転車ならある!」
「でかしたぞ。それを使おうではないか」
「でも、自転車の鍵は家の中――」
「私が壊すから問題ない」
「折角新しい自転車を買ったのに……」
秀久達は駐輪場まで走った。そして、すぐさま秀久の自転車に乗る。さらに、イヨが重力の力(?)を使って自転車の鍵を軽々と破壊する。嗚呼、鍵の部分が有り得ない方向に曲がってねじ切れている。この前買った新品の自転車が台無しだ。
「よし! これで――」
と、秀久は自転車を発進させようとするが、
「逃がさないわよ」
四階から黒沼が飛び降りてくる。もう人間ではない。
「嘘だろ!?」
「しつこいのう!」
イヨは駐輪場の自転車達を宙に浮かせると、それを黒沼に向かって次々に飛ばした。
「こんなものすぐに壊してあげるわ」
と、黒沼は飛んできた自転車を素手で破壊した。しかし、マンションに止めてある自転車の数はとても多い。天気予報が雨だったからだ。
「どんだけ飛んで来るのよ! あ、ちょっと、待って――」
圧倒的な物量の自転車に巻き込まれ、黒沼は自転車の山に埋まってしまった。
「星月! しっかり掴まってろよ!」
と、秀久は思いっきりペダルを漕いだ。黒沼の姿が次第に見えなくなっていった……。
「あの女は?」
十分ぐらい走り続けたところで秀久が言った。
「追って来る気配はない。なんとか振り切ったようだな」
と、イヨが秀久にしがみつきながら答えた。
「はぁ……」
と、秀久は自転車を漕ぐスピードを弱めた。いつまでも疾走しているとタイヤが擦り切れてしまいそうだった。
「どういうことか説明してくれ……」
と、秀久は息を切らしながら言った。
「秀久の消費期限は昨日までだったのだ。だから、収集社の手先が秀久のことを回収しに来たのだ」
「どういう意味だ? 最初から俺にも解かるように説明してくれ」
「よかろう。少々話が長くなる。ちゃんとした椅子に座って話したい」
と、イヨは言った。秀久達は近くの公園に自転車を止めた。すべり台と休憩スペースしかない錆びれた公園だったが、一息つくには十分な広さだった。二人はそこのベンチに並んで座った。
「人間には誰にでも消費期限があるのを知っておるか?」
「初めて聞いたよ」
「消費期限というのは寿命とは違う。寿命が命の期限だとするならば、消費期限というのは存在価値の期限だ」
と、イヨは唐突に上着のボタンを外し始めた。
「お、おい。俺に少女趣味は無いぞ?」
「馬鹿者、ここでストリップを始めようとしているわけではない。私の鎖骨の下の方を見てみろ」
秀久はイヨの胸の上あたりに赤い何かが描かれているのが見えた。それは98.12.15という数字だった。
「これは……何かのアザなのか?」
「これが私の消費期限だ。十五年前の十二月十五日に切れてしまっているがな」
「その……消費期限が切れるとどうなるんだ?」
「収集社と呼ばれる組織に回収される。回収された後の詳細は――私も知らない」
と、イヨはボタンを掛け直した。
「そんな漫画みたいな話があるわけないだろ」
「秀久にも赤い数字が刻印されているはずだが」
「確認してみる」
と、秀久は着ていたTシャツを脱いでみた。見つかって欲しくない模様はいとも簡単に見つかってしまった。
「嘘だろ……」
秀久の左肩には赤い数字が刻印されていた。14.07.07――昨日の日付だ。そういえば昨日は七夕だったな。
「私の話が絵空事ではないということが証明されたな」
「何かの間違いだ」
「とりあえず服を着ろ。夏と言えど夜は冷える。風邪を引くぞ」
「……そうだな」
と、秀久は素っ気なく返事をして、Tシャツを着た。秀久の心の中では一つの仮説が出来上がっていた。
これは夢なんだ。一回そう思い始めると、何が起きてもたいして驚かなくなってくる。そう、見ず知らずの女の子と夜中に二人乗りをしていた事も。しかも、この子は自分の結婚相手だ。笑ってしまう。
「信じられぬか?」
と、不意にイヨが問い掛ける。
「もちろん」
と、秀久は笑って言った。その時、遠くで何か大きな音が鳴ったのが聞こえた。
「何だ?」
その音は秀久にとって馴染みのある音だった。爆発音だ。ゲームの中ではない、現実の爆発音である。
「恐らく……秀久の部屋が爆破されたのであろう」
「どうやら本当らしいな。俺のマンションが赤く光ってる」
「悲しくないのか?」
「もう、何も怖くない」
と、秀久はまた笑った。
「少し休んだ方がよいな」
と、イヨは少し心配そうな顔をして言った。
「アイツら……追って来ると思うか?」
「収集社はしつこい。必ず秀久を回収しに来るだろうな」
勘弁してくれよ。あの二人にはもう二度と会いたくない。
「星月は占い師なんだよな?」
「夫には下の名前で呼んで欲しいぞ」
「……イヨ、俺達の未来を占えるか?」
「将来的に子供は二人産まれる」
「そういう未来じゃなくて、これから俺はどうしたらいいかを占って欲しい」
「引き受けよう。他でもない愛する夫の頼みだからのう」
と、イヨはベンチに正座して言った。
「頼むよ。神様だけは信じてるからさ」
と、秀久は言った。イヨは服の中からタロットカードを取り出し、山札をシャッフルすると、木で出来た小さな机の上にカードを裏向きにして並べた。そして、そのカードを一枚ずつめくり始める。
「それ、時間かかる?」
「この儀式をあと三回繰り返す」
「じゃあ、ちょっと飲み物買ってくる」
と、秀久は公園を散歩する。嗚呼、まだ燃えてるよ……俺の家が。すべり台の近くに自動販売機を見つける。早速お金を入れると、
「マジで……何が起こってるんだかさっぱりわからねぇ……」
と、呟きながらコーラのボタンを押した。勢いよくコーラが落ちてくる。秀久はそれを手に取ると、一気に中身が半分ぐらいになるまで飲み干した。
「美味い」
思わず声が漏れる。あれ? 美味い……? 夢の中でもコーラは美味しいのだろうか? いや、この喉を通る炭酸の刺激は夢なんかじゃ味わえないだろう。これは現実なんだ。
「そんな馬鹿な……」
秀久の体中を不安という二文字が走り抜けた。堪らず手に持っていたコーラの缶を投げ捨てる。
突然殺されかけて、謎の少女と逃げる羽目になって、その後家が爆破されて……。今までの出来事がダイジェストで脳内にフラッシュバックしていく。何なんだ? 意味が分からない。俺はどうしたら――
「秀久!」
「どうした?」
「水面に映りし満月を身に纏え。さすれば汝は救われん」
「は?」
「占いの結果だ」
「ああ……そういやそんなことも頼んでたな」
「大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
と、イヨの右手が秀久の頬に触れる。温かい血液の温度が秀久の肌に伝わっていく。
「……どうしてお前は……人間のクズみたいなこの俺を……助けてくれるんだ?」
「お主のことを愛しているからに決まっているだろう」
「さっき会ったばかりなんだぞ?」
「私は秀久のことを何年も前から捜していた。収集社から逃げながら、収集社に回収されてしまいそうな人を救いながら。無論、救えなかった人もいる。その悲しみや悔しさを味わうのはいつも私一人だけ」
イヨの目線が秀久の瞳に注がれる。
「私は産まれた時に消費期限が切れた。神様に産まれてくる価値が無いって言われて産まれてきたんだ。私の人生は最初から存在しなかったのだ」
「そんなことって……」
「秀久、産まれてくる価値が無い人間なんて一人もいない。そう思うだろう? でもな、私のように……!」
「当り前だ!」
と、秀久はイヨを抱き締めた。女の子を抱き締めるなんて何年ぶりだろう。いや、そんなことはどうでもいい。
「お前は俺を助けてくれたじゃないか! 産まれてきた価値が無いなんて言うなよ!」
秀久は正気を取り戻していた。就活に失敗しただけで人生を捨てた自分が情けなくなってきた。
「俺が悪かった。さっきみたいに現実逃避してる場合じゃないよな」
「おお、私と結婚してくれる気になったか」
「それはまた別の話」
と、秀久はイヨの身体から手を離した。
「連れないのう。まぁ、いずれ結婚する運命だから良いが」
「ずっと前から捜してたって言ってたけど、そもそも、何で俺の名前とか住所を知ってるんだ?」
「今の時代、インターネットという便利な物が存在している。それを使って――」
「マジで?」
「冗談だ。秀久のことも全部このカード達が教えてくれた。お主が私の結婚相手と言うこともな」
「すごいんだな、そのカード。俺の未来のお嫁さんも占ってくれよ」
「何をとんちんかんな事を言っておる。私に決まっておるだろう」
「あ、そうだったな」
と、秀久は優しく微笑んだ。その笑みは心の底から出てきた笑いだった。
「危ない!」
秀久が突然イヨのことを押し倒した。秀久の自転車が二人の頭上を通過する。勢いよく街灯にぶつけられた自転車のベルが無残に響く。誰かが自転車を放り投げたようだ。それも、人間とは思えない力で。
「満月の下で窮地を乗り切った可愛い彼女と熱烈なハグ。とんだバカップルね」
と、黒沼は言った。当然、その隣には遊女がいた。
「捕獲」
「ロマンチックな雰囲気をぶち壊しちゃってごめんなさいね。こっちも仕事だから早く貴方を回収しないと上司がうるさいのよ。だから、大人しく捕まって?」
と、黒沼がゆっくりと二人の元へ近づいてくる。
「イヨ、俺の言う通りに動けるか?」
と、秀久がイヨに耳打ちする。
「よかろう。秀久の方こそしくじるでないぞ」
秀久とイヨが起き上がる。
「イヨ! こっちに逃げるぞ!」
と、秀久はイヨの手を取り河川敷の方へと走り出した。
「待ちなさい!」
黒沼の右手がイヨの左手を掴む。
「馬鹿め。私の左手は月よりも重いぞ?」
と、イヨが黒沼の身体に十倍の重力を掛ける。黒沼の表情がどんどん苦しくなっていく。今、黒沼は二十階建ての高層ビルに押し潰されているのと同じ感覚に襲われている状態だ。
「この……ガキ……」
と、黒沼はその場に座り込んでしまう。今がチャンスだ。
「秀久! どこへ行くつもりだ!」
「あの橋から川に飛び込む!」
「何を言っておるのだ!」
公園から車道を抜けるとその先には大きな河川が広がっている。その川に架かる橋は相当大きな物で、夏休みには紐なしバンジージャンプをする若者達が集まって来るほどだ。そこから飛び降りるなんて正気の沙汰じゃない。
「心中自殺をするつもりはないぞ!」
「違う! 占いの意味が分かったんだ!」
と、二人は橋を渡り始める。
「あそこを見てくれ!」
「あれは……」
満月の夜。神々しく輝く満月が川の真ん中に反射して映っている。水面に映る満月を見に纏え。まさにその通りの神秘的な光景が二人の前に広がっていた。
「橋の真ん中から飛び降りれば、丁度満月が映ってる部分に向かって飛び込めるはずだ!」
と、秀久はイヨのことを抱き抱えた。お姫様だっことも言われる状態である。
「ほう、少しは男らしい所もあるではないか」
「そりゃどうも。それより、本当に救われるんだよな?」
「私が占いを外した事は無い」
と、イヨは断言した。秀久は橋の柵の上に乗った。はたから見ればただのバカップルだ。
「死ぬぐらいだったら回収されなさい!」
黒沼が死に物狂いで追いかけてくる。ハイヒールの音がマシンガンのような速さで近づいてくる。もう迷っている時間は無い。
「イヨ、その言葉信じるぞ!」
と、秀久は高さ二十メートルの橋から飛び降りた。数秒後には大きく水がはねる音。
「逃がすかぁ!」
黒沼の伸ばした手はあと一歩のところで秀久の背中には届かなかった。思わず舌打ち。
「……残念」
「まさか自ら命を絶つなんてねぇ。あーあ、今回の仕事は失敗かぁ。これじゃあただのサービス残業じゃない」
収集社の二人は秀久達の死体が浮いて来るのを待っていたが……一向に死体は上がってこなかった。