3・担がれました。
……どこに、連れて行かれるんだろう。
勝手に流れる上にどうしても止まってくれない涙にほとほと呆れながら、佳津子は目をしばたいた。
今、見たのが何かの間違いじゃなかったらこの人、玄関がすぐ横にあるのにわざわざ隣室に向かったあげくにこの行き止まりの部屋で手を振った、んだけど。
苛々したように振られた手のタイミングで、床が光ったとか。ナニこのファンタジー。
佳津子が呆然としている間に、男は淡く発光している床の同心円の中に――個人用エレベーターくらいの、ささやかな円だった――佳津子を抱えたままで入り、また無造作に手を振った。彼の言葉で淡い緑がまたたいて、視界というか脳自体が揺れるような、そんな衝撃を受ける。
次に佳津子が目を開けたときにはどこかの会議室にいた。佳津子の知識の中にある中でそれっぽいという意味での会議室だ。知ってるそれとは段違いの広さだけれども。
たくさんの椅子、キッチリと角を合わせて配置された長いテーブル。
長方形に並べられている、その閉じられてる中のスペースときたら佳津子のベッドよりも余裕で広い。
佳津子を肩に担ぎあげている彼は丁寧とは言いがたい仕草で無言のまま彼女を床におろし、何事かを周りの人に言い置いた。同時に足を翻して上座へ進む。
前振りなく置いて行かれたことで、けく、と喉が鳴った。かわいくない悲鳴だと自分に突っ込む。……悲鳴だって、気がつかれなきゃいいけど。
とにもかくにも、重たいだろう自分の体をようやくおろしてもらえて、やれやれとばかりにぐしゃりと手の甲で涙を頬になすりつけた佳津子は、しかし、次の瞬間にフリーズした。
ちきり、と音を立てて突きつけられた……何本もの剣先、そして槍先を見たからだ。
とっさに目の前のコレが現実だと認識できず、ぐるりを見回す。座り込んだ佳津子のはるか上の位置に、四つの顔が見えた。正確に言うと、四つの鎧でもある。
……つまりなんだ、今、私の周りには、四人の鎧姿の人がいる、と。
ひぅ、という細い息は吸ったものだろうか飲み込みきれなかった悲鳴だろうか。硬直したまま佳津子の体は、当然のように動かない。
正しく言葉通りの意味で、状況が、把握できない。
どうして、なんで、と言葉がこぼれる。話すなと言いたいのか一本の剣先がすべり、軽い音を立てて顔横の髪の毛が束になって落ちた。びくりとしたのはきっと、向こうも佳津子も同じくらいだったろう。
動いた拍子にちくりと、今度は背中に小さな痛みが走った。
呆然としたままお互いに見つめ合っている間に、上座ではなんだか大きな声でさっきの男の人が怒鳴ってるようだった。流れから行けばもしかして、佳津子のことを報告しているのだろうか。
唐突にその怒鳴り声が止んだようなので、目の端でさっきの彼をうかがう。あからさまに佳津子の方を向いて、びっくりした顔をしていた。けれどもすぐにハッとした様子で隣に立ってる人に指を突きつけ、その指を滑らせてこちらに向けて同じように大きな声を出した。
そのことで佳津子が怯えるように身体を揺らしたことに気がつかれたようだ。
彼は鋭い声のレベルまで声量を落としながら手を振り回しつつ器用にも頭をかきむしった。唸り、それから何かを思いついたように顔を上げ、短い言葉を佳津子の肩越しに鎧たちに発する。無色のもやが彼の肩の周りに発生し、するりと揺らいで空気に溶けた。
……ああ、どうしよう。
佳津子はただただ混乱する。つうっと背中を水の玉が伝うのがわかった。汗だと思いたいけれど、この痛みからしてきっと血のほうだと思う。さっき刃物の先で突つかれたから、そのせいだろう。
それで、それで。
せっかくいつの間にか止まった涙なのに、佳津子が瞬きを忘れているせいでまたもぼんやりとした膜を作ってしまって視界が悪い。
深く考えることなく、自分のぐるりをまた見回した。佳津子の動きに合わせて、ちゃきりと突きつけられている切っ先が動く。つられて、きしりと鎧も動いた。
……楽に殺されたい場合、兵士の人と偉い人と、どっちに切りかかるものなの?
混乱しきったままの思考の中、唐突にその考えは浮かんできた。知らなかったが、パニックもあまりに進んでしまった場合、何かを考えることがとても難しくなるらしい。これは新発見。
……どこで役に立てていいか、わからない無駄知識だけれども。
それでも、どうにか思いついた思考を必死で追いかけたおかげで、ゆっくりとこの状況から逃げ出すための算段が明確になる。
もしかしたらすごく近い将来に後悔するかも知れない。現に今にも後悔しそうだ。行動もしてないのに。
それでも、それでも。
同じ言葉が何度も脳裏をループする。
動かないと。きっと、助けなんて、誰も来ないから。
棺(推定)であるさっきの入れ物をひっかいた指先と体の後ろから感じる、じくじくした痛みに背中を押された。
だって、どう見ても佳津子は不審者だろう。上座で相変わらずブツブツ言ってる人にとっても、この部屋の人、誰にとっても。
私はただ家で眠ってたはずなのに、とか、常識で考えてありえない展開の連続であることとか、もしかして最悪の場合コレが現実なのかを疑う気持ちとか。
全部をぶっとばして考えた時に、不審者、が残って。
ならば、と思考が続く。
どうして佳津子と棺が『あそこ』にいたのか? 目的は? 侵入経路自体も、きっと聞かれると思う。それらの質問に対する答えなんて欠片も持ってないなんて、信じてもらえるだろうか。
えーと、おうちで寝てたはずなんですけど、気がついたら、知らないお棺の中にいました。
……ないないない。どこの誰がそんな馬鹿げた言い分を聞いてくれるだろうか。子供同士の喧嘩ならともかく、事は個人宅(多分だが)への不法侵入だ。
けれども、その辺りのことをたとえ信じてもらえずとも説明する必要はある。そうとも、不法侵入をしちゃった人の義務だ。けれども……状況から考えるにどう贔屓目に見ても相手方に言葉は通じてないし、ボディランゲージも許されてない。
そして、ここが一番大切なところだけれども、この鎧たち、流血を避けてない。
佳津子に突きつけられたままの剣からも、それは明らかで。
……私、拷問とかにはきっと、耐えきれない。
あいまいなうえに膨大な思考の奔流の中で、そこだけははっきりと自覚できた。
どれだけ苦痛を与えられようが、知らないものは答えられない。
ならば拷問の果てに死ねるのだろうかといえば、そこまで手をかけてくれるかが疑問になる。自白剤が効きすぎて死亡、のルートが一番楽に死ねそうだ。連続投与してくれるのか、そもそも自白剤らしきものがあるのかは置いておいて。いやだ、注射ならともかく、もし自白剤とやらが苦かったら飲めないんだけど、と佳津子は思う。
そういう場合じゃないのはわかってるが、しかし、そういう問題だろう。
まさか、周囲もこの年になって自分の意思に反しての飲み食いができない人間がいるとか思わないだろうし、例え何度吐いた場合でも、反射反応で飲めないだとは信じてくれそうにない。
怪我を放置→化膿して死亡、の希望的観測も捨てがたいがそこまでに行く間の苦痛を想像するとぞっとする。
楽観的思考に入れば、佳津子が言うであろうことを信用してくれた場合もあるだろう。
つまり佳津子が、たまたま入り込んだだけの女だった、の結論に達したときの取り扱いだ。無罪放免が最上級に楽観的希望だが、その場合は体ひとつでこの城から追い出されることになる。
……言葉もわからず地理も頭に入っていない町、この部屋にいる面々を見る限り知り合いを作ることすら難しそうな異郷っぷり。
アウェイすぎる。なんだこのぼっち感。
ま、まぁ次に進もう。佳津子の容姿が女に引っかかってると仮定すれば、凌辱コースは、可能性としては低いだろうけどゼロじゃない。うん、ゼロじゃないにしてもそれにしても、この年じゃ娼館コースも無理で、洗濯もごはん作りも家の切り盛りもいきなりプロ級の腕前とかは無理だ。
佳津子は親と同居している最大のデメリットとして、家事がそんなに得意ではなかった。
つまるところ、現在のこの立場で生き残るために為になりそうな、ひらたく言えばつまり、誰かの役に立ちそうな知識もない。
パソコンがなければ、人間としての何がしかの有益性もなくて、女としての価値は……ええと、自分で決めるわけにいかないからアレだとして。
不審人物であろう私をこの場でどうにかするほど、いきなり誰かにとっての『大切』になれてただとか、そんな奇跡的展開は期待しない。むしろ、できない。
…………生まれてこの方の大体の30年が嫌な地点に着地したな、と他人事のように結論付ける。びっくりするほど、小さくても役に立てる未来ビジョンが欠片も見えない。色々と問い詰められて、しどろもどろになるごくごくの近未来なら簡単に想像できるのに。
ぼんやりとしたまま思考は進んでいく。もはやすでに、どうやって一気に切り殺されるかの方向へと一直線に。
どれだけ楽に、痛みもなく死なせてもらえるか、と。
剣を取るなら、相手の手首を持って離してもらえばいい、のよね? 多分、ね?
だから、尋問、拷問コースから始まる避けたい未来予想から逃げるための具体的手段を思い浮かべようと、思考は暴走する。今まで読んだ小説をいくつか思い浮かべた。
掴んだ手首を上下に振れば、相手の剣は落とせる……ものなのかしら。
えーと、左手で掴んで右手で取ればいいのよ。きっと。
それよりきちんと、楽に、一気に私を殺してくれるかどうかのほうがポイント。
ぱっと見たところ、こちらに来てからお目にかかった顔はすべて北欧系だった。鎧は着ているけれども兜は装着していないのは、ここが彼らのホーム、自分の城だからだろうか。
ただでさえ個人の顔の見分けがつかない佳津子は、どうせ見分けもつかないからと逆に無遠慮に周りにいる四人を見あげる。ちなみにこの四人が剣を持っていて佳津子に突きつけており、槍先はもう一回り向こうから囲まれてる輪からの届け物だ。こっちは二本。槍先って思ってたより大きいものらしい。ほら、私の手の平より確実に長いよ?
……いや、そんなことはいい。
ピカピカと目の前で光ってる金属をじっくりと眺めて、佳津子は脇に逸れていきそうな自分の思考を戻す。重要そうな会議室の護衛なんだし多分ある程度、全員が強いはずだと言い聞かせる。
手順としては、まず、佳津子の斜め左前の人の剣を取って、正面の人に切りかかる。切りかかるのが無理そうなら、剣を構えたまま走って上座に行こうとすれば……どう楽観的に考えてもあっちにいる人の方が重要人物そうだし、途中で切るか刺すかしてくれるでしょう。一刀両断ってヤツで。
きっと、何も考える暇もないくらいに、楽に殺してくれるはず。
目を閉じる。深呼吸は二つ。心臓のドキドキは最高潮。
息を吐きながら立ちあがって半回転、そして。
はははははは。
無事に、左前の彼の手から、剣をもぎ取りました。
残念ながら、佳津子の、やったぜ!的なテンションはそう続かなかった。
むしろ、愕然とした。
「は?! ナニこの重さ!」
左前の君からもぎ取った……というか、どちらかといえば佳津子の手の中に落ちてきた剣を構えようとして、思わず叫ぶ。
っていうか、重い重い重いっっ!
持ち上がらないっっ! むしろ落とさない状態の維持で手一杯ですよ、課長!!
どうでもいいが、佳津子のいる会社の部署に課長はいない。ただ単に語呂がいいから絶叫に入れてみたわけだが……。この鉄の塊、シャレにならないくらいに重かった。
『 』
そんな佳津子を見かねたのか、思わず、といった感じでぼそりと右前が呟く。応えるように右後ろが反論。声からすると、なんとなく呆れられているようだ。
その様子なぞ目に入らないままに佳津子はぐっと両手に力を入れる。せめて剣先を上向きにしたいと格闘するもすぐに力尽きた。
ごとりと剣が滑り落ちそうになったので慌てて刀身を掴んで止めようとし……ぐいっとひじを引かれる。左前からの真顔付き怒鳴り声が降ってきた。
っ、!!
怒鳴られたことで反射的に体が竦む。悲鳴は何とか飲み込んだ。
ううう、普通に怖いよ。年が年だろうとも、どうみても彼らのほうが年下だろうとも、男の人の声で怒鳴られれば怖いよぅ。
体ごとわかりやすく縮こまらせた佳津子に、唐突に止んだ怒鳴り声はそれ以上降ってこなかった。代わりに右後ろからのため息、そして。
…………なんだろう。剣を、交換、されました。
佳津子は呆然と右手の中の細い剣を見る。……ああなるほど、確かにこっちのほうが軽いよね。うん。
私に合わせるなら、まだ、こっちってことか。
よし、と意気込んで、今度は軽く腰を落として両手で剣を構えた。うつむいていた視線を上に上げ……またもや硬直する。
問い:なぁ、私が、今、持ってるのって、ナンだと思う?
答え:包丁よりも長い刃物で、先がとがってて、きっと当たれば怪我をするもの。
更にQ:私が、これをもって、人を、誰かを、傷つける。……できる、の?
うんざりしながらA:無理。
無理。……そう、現代人にいきなり剣を構えて戦えって、そりゃ無理だよ。はははは、無茶だよ。
大体、これだけ重たかったらアンタ、上座まで走っていけないじゃん。根本の仮定がダメじゃん。
気を抜けば笑ってしまいそうな中、佳津子は手の中のソレを持て余す。さっきのアレと比べてどれだけ軽かろうとも、まだこの剣だって重すぎる。がくがくと手が震えてきたので、そうっとそれを横向きにして床に置いた。
心のどこかが、この状況の全てに悔しいのだろう、許した覚えもないのにまたもや勝手にぼたぼたと液体を零す。
せめて、刀身に涙がかからないようにネグリジェでかばっておいた。
「……もぉ、やだぁ」
そうして、日常的なそんな思いやりと佳津子が感じている非日常のギャップに、とうとう佳津子の心が耐えてくれなくなったらしい。
ぐわぁっと、棺の中にいた時からの記憶がフラッシュバックした。ひぃっっく、と、いい年をした女とは思えないようなしゃくり上げを、その気もないのに披露する羽目になる。
もう、剣をもぎ取るときに立ち上がったときに比べると当社比で400%ほどパニックの度合いが増していた。
頭の中は、どうして、と、助けて、と、どうして、しか回ってない。
ああ本当にパニックしきってるんだとそこだけ冷静に判断して、佳津子は目を閉じた。
凶暴なまでに叫び、泣き喚きたくなって、いやだ、この上、ヒステリーまで起こすのかと自分で自分におびえる。
そう、おびえたのだ。
……しょうがない、と佳津子の心のどこかで声がする。よくがんばった。もう、これで反応が女らしくないとか言われないはず。
ココまで私ががんばっても無理なんだし、そろそろあの子に交代しよう?と。
今までに女の人を見なかったし。ごつい男の人しかいないし。ねぇきっと、私のままじゃ無理。だから。
最後の確認に目を開ける。何度目かのぐるり。そうして、自分がその部屋にいた全員に凝視されてる事実に震え上がった。怖い怖い怖い。
ああ、もう、だめ。
意気地なしにも目を閉じて口からこぼれたのは、こんなときの為の取って置きの呪文。
「ねぇ、かずお。出てきて、交代」
閉じた目からはまだしつこく、涙がこぼれた。




