15・混乱に次ぐ困難。
っつかなぁ、そろそろまとめて考える時間が欲しいですよインジャどの。なんなのインジャ。忍者の聞き間違い? タロットで言うところの隠者なの? 役職?
答えたまま、ぼうっとしているのが悪かったのだろう。ディノが二拍ほど待ってから小首をかしげる。
なに? とばかりに、こちらも無言で首をかしげる。口角をゆっくりと上げたディノが前触れもなく動いた。……ああ、カップをあげなくちゃいけなかったんだ、と佳津子が思いついた時にはもう遅い。左手に座っているディノが、佳津子の右手側に置いてある茶器に手を伸ばそうとすればどうなるかを、佳津子は身をもって知ることになった。
ふわり、と目の端を黒髪がよぎる。男らしい体臭と、なんというか……整髪剤? めいた香料。香水だろうか。石鹸?
あまりにも近い距離を横切られるときは身動きしてはならない。佳津子は経験からそれを知っていた。祖母、母、女友達。あと、例外で幼馴染の男も入る。こちらが挙動不審で動けばかなりの確率で何かがこぼれる羽目になるのだ。お茶しかり、おかずのお皿しかり、弁当やペットボトルしかり。
ついでとばかりに息も止める。横目で、『失礼』と流し目をかけてきたディノが……その瞬間、ぐっと後ろに引かれた。……うん?
「女性に近づきすぎだろう、お前」
「カジュークには、こちらを。私の分にはまだ手を付けておりませんので。……おいやですか?」
「い、やいや、シグネベアさま」
「さまではなく、『ベア』と」
間髪を入れない訂正に、ついに佳津子の口端が引くついた。踏み込まれるスピードが半端なくねぇ? こいつら。これがこっちの人間の距離なの? ねぇねぇねぇ。
「………………ベア。ありがたく、いただきます」
「佳津子は、昨日も思ったけどすこーしだけおっとりしてるのかな?」
「っつーかボケっとすんな。男をその距離に入れるんじゃない」
…………なんだろうか。この空気。私が悪いことになってる? は?
なんで?
意味がわからない。佳津子の首が、意識してのことではなく勝手にディノに対してとは反対側に倒れた。
うん? 距離が何?
「……おっとりしてる、で正解か……。これは……確かに目が離せそうにない」
「だが昨日は、今もだ、ボクらをすごく警戒してるじゃないか。緊張してるってことはある程度、慣れてるんじゃないのか?」
「佳津子? ね、どうして今のディノの距離は嫌がらなかったの?」
「隠者さま? あの、わた」
「リオウ。リオウはリオウだよ佳津子。次に間違えたらお仕置きするよ?」
ちかりと光った隠者、リオウの眼に佳津子はしゃんと背筋を伸ばした。そう、そうだ。この子は逆らっちゃダメな子。
「リオウ、あの、ディノ……さまは」
佳津子は言いさして、ふと思いついてぐるりを見回してみた。彼女のがっかりレベルが最大だ。どうみてもこの面々、佳津子が敬称を付けて呼ぶのを歓迎していない。ゆるりと持ち上がったそれぞれの口角が怖い。
「ディノは、お茶を取ってくれようとした。だから、私も邪魔をしないように動いてない」
「……ん。……アンタ、この手のことはよくあるのか? つまりその、誰かがアンタの前で手を横切らせて給仕する、みたいな」
「きゅうじ? や、コーリーン? 飲み物のお世話なんて基本的に同等な立場ならされるしするものでしょ? 専門的な人のお世話にはなったことがないよ? んでも、そんなんじゃなくても、もしも私が動いてこぼれたら大変でしょう?」
「…………カジューク。女性の体に触れんばかりにして物を取るのは、礼儀上たいへんに不作法なのですよ。無いとは思いますが万が一、もしも、次回も同様のことがあれば、すぐに私たちに報告してくださいますか?」
なんだこの念の入れよう。そこまでダメなことなの? 行儀悪い?
「…………隠者殿。俺、もう世界の説明はいいです。ちょっと不安になって来たのでむしろカジュークともっと深く知り合う方向に時間を使いたいのですが」
「気が合うなディノ。リオウもそう思っていた。ふむ、佳津子。説明を続けよう。どこまで理解している?」
ふぅん? リオウの素の喋り方は、きっとこっちなんだ。
佳津子は給仕と人との距離の問題にいったんけりをつけ、猛スピードでその間も流れていた思考を捕まえようと軽く俯く。指が鼻先を撫でた。とんとんと叩いて、自分の思考の大奔流の中から目的のものを読み取ろうと集中する。何の話だったか。
「……ここにいる人たちは、中央軍の中枢に関われる人たち。大きめの島は五分割で、現況は連邦制。対外勢力も存在する。よってさらなる武力強化を狙いコーリーン達がリオウの嫌がる方向の実験を、武器の実装化目指してしてた。これを引き留めるためにリオウが私を召喚。……なんで?」
「うん?」
「なんで私が召喚されることが暴走を止めることにつながるの? なんで私なのかの条件は理解した。だけど、じゃぁどうしてリオウは暴走を止めたいの?」
おいおい、本当に理解が早いな、というコーリーンの呟きは無視しておいた。佳津子とて理解しているだけで、納得はしていないからだ。
佳津子が扱っているのは理論だけであり、理屈だ。面倒な事態が起こった時にごく簡単に感情を置いてけぼりに出来るのが佳津子の最大の強みでもあり難点でもある。
しかしもちろん、今それを告げる気はなかった。
リオウの話に無理がないか、筋道が通っているのかだけを、佳津子は焦点にして質問を続ける。
「リオウは中央の人間じゃない。北の人間だ。さらに言えば個人的な興味で空間理論も扱っていてね。佳津子はさらりと流してるけど、パラレル構造の層、世界の話なんて、この層じゃ普通は理解されないもんなんだよ。だから、理解できるレベルの人間たちが集まって時々、面白おかしく会議みたいなことをするわけ。いろんな話をね」
「……うん」
それはいわゆる、オタクの集まりみたいなもんなんだろうか。変わった考え方をする人間が集まって、変わった理論を展開させるのか?
「よりにもよって、そうまとめるか? あの組織を」
コーリーンが呻きつつ髪をかきあげるところを見ると、若干リオウとのニュアンスは違っているようだ。佳津子はそれを覚えておくことにする。
「世界と世界のつなぎ目なんて、もちろん誰にも分かりゃしない。層と層の境目もね。中央軍の魔力偏重への暴走は自然派生なのか異常派生なのか、まずはそこから議論を始めた。
だけど彼らの意欲は他人を巻き込み着々と形を成していく。リオウたちの悠長な様子見なんて吹き飛ばす勢いでね。悪いことに、つられて彼らの周囲に魔力をありがたがる動きまで出てきた。いわく、『魔力の強いものこそが人として優れる』。……ねぇ佳津子。こんなバカな話があっていいの? リオウは幸いにして、魔力の保持量ではちょっとしたものを持ってる。けれどね、魔力のないものもこの島には存在するんだ。決して珍しいわけでもない。現に北では機械を魔力で動かそうという共通認識で各種の開発が進んでる。そもそも、全部はバランスの話なんだよ。……リオウは随分と昔に、古い友人と約束したんだ。南のあの後ではどうしても魔力の強いものが多く生まれることになる。ならば北は機械に振ろう、って。西と東でさらに機械に振って、それでちょうど良くなるくらいの魔力の分布図になるんだろう、とか、まぁイロイロ。だけどここへきて中央の馬鹿げた暴走だ。魔力の多寡による差別は、リオウにしてみれば到底、容認できる事態じゃなかったんだよ。……言ってみればリオウの、うん、トラウマのためにね。だからウロボロスとしては魔力なしの彼らを軽んじる輩をなんとかして抑えたかった。特に権力者の中にいる偏見もちを」
美少年の嫌悪、軽蔑の表情と言うものは存外に心を抉ってくる。必死で聞き取ろうと耳を澄ませる佳津子の罪悪感が、なにもしていないのに疼きそうだ。
「リオウは中央の流れを嫌がり、そして忠告を繰り返した。魔力による武力の転嫁を中止しろ。傾倒が急すぎる。けどねぇ、調べた限り、この考え方は誰かの陰謀じゃなさそうなんだよね。他の大陸まで調査したんだけど。意志に干渉の事実なし。それなら」
リオウがにっこりと笑ってお茶を飲む。ピンと一本、指を立て、まっすぐに佳津子を示した。