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朝靄の晴れきらない明け方早く、一台のジープが大きなタイヤで砂埃を巻き上げながら第4基地へと向かっていた。

やがて霧の向こうに高いフェンスと重厚な門が見えてくるとその脇にある詰所から、アサルトライフルを装備した見張りの兵士が一人出てきた。

兵士が左手を上げてジープに止まるように指示するとジープは素直にそれに従い、運転手が窓を開けて少し冷える外に顔を出した。


「よぉヒューゴ、今朝はお前が当番か。」


「ああ、忌々しい夜勤明けだよ。あと10分で愛しの我が家に帰れる。」


「そうか。ならお前の仕事がスムーズにいくようちゃっちゃと行くよ。」


「そうしてくれ。」


ヒューゴと呼ばれた兵士はマイクからIDを受け取ると、詰所の中にいたもう一人の兵士にそれを渡した。

おざなりにIDを確認し終えるとすぐに返して門の開閉レバーを引く。

機械仕掛けの重い音とともに門はゆっくりと開いていった。


「しかし何だって今日はこんなに早いんだ?さっきからほかの整備士連中も立て続けに出勤してきたぞ。」


門が開いていく間にヒューゴがあくびを噛み殺しながら聞いた。

普段こんな朝早くに誰かが門を通ることは滅多に無い。

しかも整備士ばかりがぞろぞろと。

いつもなら夜勤の終了間際なんていうのは訪問者もなくヒマで、ただただ睡魔の誘惑と戦うばかりの時間のはずなのに。

おかげで半端に目が冴えてしまった。

そんなヒューゴにマイクは悪いなとばかりに苦笑を漏らす。


「朝一でフライトテストがあるんだ。新型の期待だからな。念には念を入れて調整しておきたいのさ。」


「フライトテストねぇ…そんなんあったか?」


「おいおいしっかりしろよ。ちゃんと予定表は確認してるか?お前らしくもない。」


よっぽど疲れてんだな、と笑われればヒューゴは半分寝ぼけた頭でそうかもしれないとぼんやり思った。

やがて門は完全に開き、止まった。

マイクは軽く手をあげてヒューゴに礼を言いジープを走らせて門を通り過ぎて行った。

ヒューゴは走り去る車を見送りもせず、すぐにまた門を閉め詰所に戻った。

その日の予定表にはやはり早朝のフライトテストなどありはしなかったが、ヒューゴの頭にはすでにそんなものは無く、確認もせずに残りの勤務時間をただ眠気との戦いに費やしてしまった。




******



東端の飛行場に着くと、すでに格納庫の中ではアンリや他の整備士たちが一機の偵察機を飛ばす準備をしていた。

準備と言ってもいつも整備士たちによって完璧に整備されている機体にすることと言えば、いくつかのチェックと燃料を積むことくらいだ。

事前にすべきことのほとんどは、前日のうちにこの飛行機に目をつけていたギィによってすでに為されていた。

マイクは整備士たちの中に混じって機体の準備をするアンリの姿を見つけた。

声をかければ立ち止まり、にやりと相変わらずの悪ガキらしい笑みを向ける。


「遅かったな。マイクがビリだ。」


「うるせぇ、見りゃ分かる。」


一番最後に来たことをからかわれ、マイクは苦々しげに顔をしかめた。

別にマイクが遅かったのではない。他が早かったのだ。

皆気が逸りじっとしていられず、大部分が集合時間よりずっと早く基地に来た。

マイペースなマイクだけがしっかり時間を守ってきたのだ。

とは言え、皆がせっかちだったおかげで出発はかなり早まりそうだ。

マイクは仲間たちが整備を進める機体をプロペラから尾翼までざっと眺めた。

この機体は偵察機。その名の通り敵勢力の偵察を目的として作られた機体で、装備は少ないがスピードと小回りの良さは断トツだ。

もう準備はほぼ終わり、あと数十分のうちには飛び立てるだろう。

そう、あと数十分のうちにこの若いパイロットは行かなければならない。

たった一人で…


「おう、アンリ、サボんな!さっさとそれこっちに持って来い!」


「ああ、今行く!じゃあな、マイク。」


トムに呼ばれてアンリは機材を担ぎ直し走っていった。

その背中を目を細めて見送るマイクの肩をギィがぽんと叩く。


「…ギィ、本当に大丈夫だと思うか?」


アンリの背中を見つめたままマイクが問う。


「正直、あとはあいつの運次第だ。」


タバコをふかしながらギィが言った。

トムの合図で格納庫のシャッターが開いていく。

いつの間にか上っていた朝日が待ち構えていたようにそこから差し込み、格納庫の中を照らした。

アンリは眩しそうに眼を細めながら、皆と力を合わせて飛行機を外へと押していく。

運次第、その言葉にマイクは呻くように「そうか」と一言だけこぼした。

昨晩、ギィがアンリに提案したのは、アンリが見てしまった国家機密とやらを衆目に暴露すること。

しかしそれはアンリ一人の力では到底成しえない。

かと言って整備士連中が力を貸したとしてもまだ荷が勝ちすぎている。

もっと大きな“組織”の力が必要だ。

そこでギィはドールと呼ばれる人物の名を挙げた。

ドールというのは十数年前からアルトソラリナに出没し始めた空賊の頭だ。

帝国の治安を乱す者として国から指名手配され多額の懸賞金までかけられているが、彼が具体的に何をしたのかはあまり知られていない。

噂で聞くのは反乱分子を煽り内紛を起こしただとか、とある有力政治家を暗殺したのだとかいう話だが、真偽は定かではない。

ただ、国が彼を危険と見なしていることと、彼の率いる空賊の規模は相当なものであるということだけは確かだ。

反政府勢力なら国の痛い腹を暴こうというアンリに力を貸してくれるだろうと考えての案だった。

しかしこれには一つ大きな問題がある。

ドールは極めて神出鬼没で、いつどこに現れるのか全く予想がつかない。

協力を仰ごうにもどこへ行けば接触できるのか分からないのだ。

そんなものを作戦の要として頼ろうというのだから、如何にこの計画が危ういかは誰もが分かっていた。

さきほどギィが言った運次第という言葉も、まさにその通りだ。

アンリは少ない手がかりを頼りに一人でドールを探さなくてはならない。

しかも国の追跡を逃れながらだ。

やがて、偵察機は完全に格納庫から朝日の下へとその身を出した。

いよいよ出発だ。

ギィもマイクも話を切り上げ最後の作業に加わった。

必要最低限の荷物を収納スペースに投げ入れ、皆の激励を受けながらアンリはコクピットに乗り込む。

操縦席に座り飛行帽の顎のベルトをきっちり締め、防眩ゴーグルをかけ、体をシートベルトで固定すれば、あとはもうやることはない。

爆音とともにエンジンがかかりプロペラが回る。


「アンリ!」


その音にかき消されないようにギィがコクピットの下から声を張り上げた。


「しっかりやれよ!」


アンリが力強く頷くのを見てから、ギィは飛行機を離れた。

プロペラの回転数が十分な数値に達し車輪止めが外されると、機体は動き出し徐々にスピードを上げていく。

がんばれよ!捕まんな!と整備士たちの声援を背中に受けながら、アンリは機体を走らせた。

格納庫の反対側から銃を構えた軍人たちが飛び込んできたのはその時だった。

ようやく異変を察知してやって来たのは大尉と数人の一兵卒だ。


「何をしている!あの偵察機を今すぐ止めろ!」


「ああ、よかった!大尉殿!来てくれたんですね!」


「俺ら脅されて!」


軍人が走り出すのと同時に、整備士たちは予め決めてあった通りに口々に脅されて仕方なくと喚きながら彼らに助けを求めるふりをして足止めした。

そうこうしているうちにアンリの乗った機はどんどん遠くなって、ついには離陸した。

みすみす飛行機を目の前で奪われた大尉は焦って整備士たちを押しのけ手近にあった飛行機に乗り込もうとしたが、それも整備士たちに止められた。


「大尉殿!そりゃあダメだ。まだ飛べる状態じゃねえ!」


「ならどれならいいんだ!」


大尉は苛立たしげに怒鳴った。


「ここにあるのはどれもまだ整備中でさぁ。すぐ飛べるのは西の格納庫のやつくらいしか…」


「西だと!?」


西の格納庫はここから一番遠い上に、そこにあるのは輸送機ばかりだ。

鈍重な輸送機ではすばしっこい偵察機に到底追いつけない。

しかしここにある飛行機を今から整備していたのでは、やはり逃げられてしまう。

大尉はアンリの飛んでいった東の空と格納庫の飛行機を交互に見やり逡巡した。


「ええい!何をしている!西の格納庫へ急げ!」


「は、はっ!」


一瞬の葛藤の後、大尉はすぐに部下を連れて西の格納庫へと向かった。

その後ろ姿に向かって整備士たちは各々中指を立てたり口の動きだけで悪態をついたりと好き放題する中、ギィはどんどん小さくなる機影を眺めていた。

陽の下を堂々と飛び行く教え子を、見えなくなるまで眺めていた。



******



第4基地はあっという間に見えなくなった。

一人になった途端にギィたちは本当に大丈夫だろうか、自分を助けたことで罪に問われないだろうかと心配になったが、もはや後戻りはできない以上彼らが上手くやることを信じるしかない。

アンリは振り返ることなくただ真っ直ぐ、高く機体を飛ばした。

しかし、いくらも飛ばないうちにアンリは振り返らざるをえなくなった。

チィンと金属がぶつかる高い音。

撃たれた、右の翼に弾が掠ったのだとアンリは脊髄で悟った。

そして次の瞬間に突風のような弾幕がアンリを襲う。


「うわっ!」


弾丸が光の線になってアンリのすぐ横を通過していく。

アンリは機体を傾けながら後ろを見やった。

追ってくるのは軍の戦闘機。

連絡を受けた他の基地から来たのだろう。

凶悪な二口の銃口はまっすぐアンリを捉えている。

狙いを定めて発射ボタンを押そうとしているパイロットも見えた。

アンリの乗る機にも申し訳程度の装備はついているが、所詮は偵察機。

戦闘になれば敵を撃ち落とすことを目的として作られた戦闘機相手では分が悪すぎる。

幸い、スピードはおそらくこちらが上だ。

じわりと操縦桿を握る手に汗が滲む。

このまま弾丸を避けながら逃げ切るしかない。

そう腹を括った途端、襲い来る弾丸が倍になった。

アンリはそこでやっと、戦闘機は普通2機以上の編隊で飛ぶというごく初歩的なことを今更思い出し、そんなことすら失念していた自分を殴りたくなった。

案の定左後方からももう一機同じ機体が飛んでくるのが見えた。

ここは旋回なり宙返りなりして相手の後ろを取るのが定石だが、一歩間違えばいたずらに的を大きくするだけだ。

それにここで2機相手に乱戦になったとして、どう考えても弾が尽きるのはアンリの方が先。

ならばここは逃げることにだけ、相手との距離をできるだけ空けることにだけ集中するのが得策だ。

アンリは操縦桿を引いて高度を上げていった。

空気の薄い上空へ行けばそれだけ空気抵抗も少なくなり速度も出るのだ。

もちろん上昇しつつも敵の狙いをずらすために、真っ直ぐでなくほんの少し斜めに飛ぶことも忘れない。

弾をかわし、遠くに飛べば飛ぶだけ相手を引き離せるはず。

アンリはただ前を睨み飛び続けた。

しかしどれだけ飛んでも敵はぴったりと後ろに付いてくる。

5分ほど飛び続け、アンリは作戦が失敗であることを悟った。

敵機のエンジンがこちらより高性能なのか、あるいはパイロットの腕か。

とにかくこのまま振り切ることは不可能だ。

それどころか敵はじりじりとアンリとの距離を詰めてくる。

1発、2発と弾が掠り、アンリの機体に傷跡を創っていく。

まるで次は外さないとばかりに徐々に弾の当たる数は増え、際どくなっていく。


(イチかバチか、応戦するか…!?)


このままではいずれ撃墜される。

それならいっそ反撃という賭けに出るべきだろうか。

たとえ、望みは薄くても生き延びるために……

気を抜けば雲のように霧散しそうな平常心を手放さないよう、アンリは細く息を吐いた。

少しずつ、少しずつ速度を落とす。

弾の掠る甲高い音が何度もコクピットに響く。

その1つがいつアンリの命を奪ってもおかしくはない。

充分にアンリと敵機の距離が近くなり、敵のパイロットはついにアンリの乗る偵察機のエンジンを照準に捉えた。

そしてその親指が発射ボタンにかかったその瞬間、耳をつんざく爆音とすぐ隣で起こった爆風に押され、アンリの機は照準から消えた。


「!?」


パイロットが驚いてその爆発音のした方、今や遥か後方を振り向くと、仲間の機体がエンジンから煙を上げてくるくると落ちていくのが見えた。

何が起こったのか把握する前に燃料が引火した機体は空中でまた爆発し、形を残さずバラバラになった。

驚いたのはアンリも同じだった。

ドンという音と共に後方から背を押すような衝撃を感じたと思ったら敵方の一機が撃墜されていた。

そしてその期待が空中で四散する直前に、聞き覚えのある声が通信機から割り込むように流れてきた。


「よぉ、脱走兵クン。生きてるかー?」


この場に不釣り合いな間の抜けた声。

それが誰かを瞬時に理解したアンリは通信の発信源を探した。

そしてそれはすぐに見つかった。

真上から垂直に降下してくる機体。

豆粒ほどだったそれはあっという間に敵機に接近し、すれ違い様に左主翼に数発の銃弾を浴びせた。

エンジンから火を噴いた敵機は揚力を保てず徐々に落下し、数秒の後もう一機と同じ運命を辿った。


「すげぇ…」


ほんの一瞬の、針の穴を通すように正確な飛行だった。

見ていたアンリは呆然と感嘆の声を漏らす。

2機を撃墜した戦闘機は空中で遊ぶようにアクロバティックな宙返りをするとアンリの傍に近寄ってきた。

再び通信が入る。


「よし、生きてるな。」


「お陰様でって言ってほしいのか?」


「言っとけよ。俺のおかげだろー?」


コクピット越しに戦闘機のパイロットがニヤリと笑った。

その顔の半分を飛行帽と防眩ゴーグルが隠しているが、それは紛れもなく第5基地の拘留室からアンリを連れ出そうとした男、ラルだった。


「で、今度はついてくるだろ?」


ラルは当然のことを確認するように聞いた。

拘留室でラルが言ったことは結局、全部本当になった。

こいつが何者なのかはまだ分からないが、何かを知っているのは明らかだ。

対してアンリの持っている手がかりはあまりに少ない。

一瞬迷った後、アンリは通信ボタンを押した。




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