親友
あの後、由は僕の自転車の籠から鞄をひったくるように取って、畦道の中を走っていった。
自転車で走れば絶対に追いつけたのに、僕が馬鹿みたいにボーっと突っ立っていたせいで、由を見失ってしまった。
その次の日、由は学校を休んだ。
僕が一人で登校したことで、久しぶりにクラスの人たちのひそひそ話をする姿を見ることが出来た。
そんな風に感じれたということは、僕はもうこの頃には噂をされることにも慣れていたんだろう。
「よう、大将。元気なさそうじゃねぇか」
頬杖を突いて外を眺めている僕に、飯塚がいつも通りの軽いノリで話しかけてきた。
「……別に」
「うわ、こりゃ本当に百瀬由と何かあったんだな」
「何で知ってるんだよ」
「そりゃそうさ、噂になってんだよ。百瀬由が登校してきてない上に、お前がこんなけ不機嫌だからさ」
ニヤニヤした顔で、飯塚が僕の机に寄りかかる。正直、ちょっと鬱陶しかった。
「で、何があったんだよ?」
飯塚が顔を寄せて、小声で僕に耳打ちしてきた。
「だから、話すようなことは何もないってば」
「お前、わっかりやすい嘘つくなよ」
「もともと人を騙せるタイプじゃないんだ。放っといてくれよ」
「何だよ、人が折角相談に乗ってやろうと思ってんのによぉ」
「遠慮しとくよ、飯塚ってこういう経験少なそうだし」
「な、何ぃ?」
図星だったのか、飯塚は一瞬凄い顔をしてから、顔を真っ赤にした。
「お、お前な、俺は……だな。アレだ、女の子と付き合ったりしたことが無いわけじゃ無くだな……」
それから、延々と言い訳を繰り返す飯塚を無視して、僕はまた頬杖を突きなおして、窓の外を見た。
外はやっぱり雲一つない青空で、照りつける太陽を目指して、向日葵が大きく背伸びをしていた。
やる気なんて出るわけがなくて、その日の授業は、上の空だった。
「おいイジケ虫。一緒に帰ろうぜ」
そんな様子を見かねたのか、放課後に飯塚が僕の机のところにやってきた。
飯塚と並んで自転車を走らせ、僕達はゲーセンに寄り道をすることにした。
よく思うと、入学以来、毎日由と一緒に帰っていたため、こんな男子学生らしいことは初めての経験だった。
あんまりゲームとかをしたことがない僕は、飯塚に連れられるまま、画面に向かって銃を撃ってゾンビを倒すゲームだとか、本物の車の座席さながらの作りをしているレースゲームとか、色々な物をやった。
「で、実際何があったんだよ」
ゲーセンで遊んだ後、休憩がてら寄ったコンビニの飲食スペースで、お菓子を広げながら飯塚が突然僕に聞いた。
「何が?」
何を聞きたいかは分かっていたけど、僕は一応とぼけておいた。
「百瀬由だよ。本当に、大丈夫なのか? お前今日学校にいる時、魂でも抜けてんじゃないかって感じだったぞ」
僕は、どう答えるか迷いながら新しいポテトチップの袋を破った。
「……ま、話したくないって言うならこれ以上聞かねぇけどよ」
そのポテトチップに手を伸ばしながら、飯塚はため息をついた。
「飯塚は、百瀬さんのこと、どう思う?」
「どうって?」
急に僕が話を切り出したのが意外だったのか、飯塚は少し驚いた顔をしていた。
「だから、どんな感じの人だと思う?」
「うーん……。まぁ、正直に一文で言うと、取っ付きにくいパンドラの美人。ってな感じか?」
「やっぱり、そうだよね……」
「おいおい、そんな落ち込むなって。別に百瀬由のこと嫌いなわけじゃねぇし、けなしてるわけじゃなくて、端的な特徴っつーかよ……」
僕が少し悲しそうな表情をしたからか、飯塚が慌ててフォローをした。
「いいんだよ、別に。みんな、そうなんだろうし」
僕がそう言うと、少し申し訳なさそうな顔の飯塚が、ポテトチップにまた手を伸ばした。
「パンドラ、なんだよね。百瀬さん」
「それが、どうかしたか? お前がいいならいいじゃねぇか。パンドラだってよ」
「そうじゃないよ。パンドラなのを悪く思ってるんじゃない」
「じゃ、何だよ」
「彼女をパンドラだって目で見てしまう自分が、一番悪いんだ……」
そう言った僕に、なんて声をかければいいか分からない。飯塚の表情から、そんな気持ちが窺えた。
「怒らせたんだ。百瀬さんを。パンドラの力を見せてとか言っちゃってさ」
「そうか」
僕の独白に、飯塚がそれだけ返して頷いた。
「泣いちゃったんだ。百瀬さん。僕のせいで」
「そうか」
一言話すと、堰を切ったように言葉が溢れてきた。
「馬鹿なんだよね。僕。走ってく彼女を追いかけなかった」
「そうか」
飯塚は、ただそう返して頷くのを繰り返した。
「だから、もうどうしていいか……」
「お前さ、悪いことしたと思ってんのか?」
俯く僕に、飯塚は世間話をするように、ポテトチップを摘みながら言った。
「うん」と、僕はそれに頷いた。
「じゃあ、謝ればいいじゃねぇか」
凄くシンプルに、飯塚は答えを出した。
「悪い事したんだろ? なら謝れよ。幼稚園児でも知ってるぞ、そんな常識」
ポテトチップも、もうほとんどなくなっていて、袋を逆さにして飯塚が直接その袋から食べていた。
「走って逃げられても、別にこの世からいなくなったわけじゃねぇ。今から追いかけても、どこかに百瀬由はいるんだよ。事実から逃げてんのは、お前のほうじゃねぇのか?」
僕を指差して言った飯塚の言葉で、僕の頭の中で何かが弾けた。
本当に、こんな簡単なことがなんで分からなかったんだろうって、今では思う。でも、あの時は真剣に悩んでいたから不思議だ。
「……行ってくる」
そして、すぐにリュックを背負い直して、立ち上がった。
「はいよ。青春をエンジョイしてこい。色男」
ひらひらと手を振りながらそう言う飯塚は、やはり親友なんだなと今になって心から思う。
あの時、飯塚一人で食べた僕のポテトチップは、奢りにしておいてやった。