訪問
屋上で話し合ったその日も、帰りに由が勝手に自転車の荷台に乗って、籠に鞄を放り込んだので、僕はもう諦めて自転車に鍵を差し込んだ。
「ねぇ」
由が僕に話しかけるのは、決まって人通りの少なくなった商店街の坂道あたりだった。
「君の家、寄っていい?」
下り坂の真ん中で、僕は思いっきりブレーキを握ることになった。
「キャッ! いきなり何するのよ!」
どうやら、ここまで突然だと、由の未来視でも見えないみたいだった。
「今、何て言った?」
多分、振り返った僕の顔は、とんでもない顔になっていたと思う。
「いきなり何するのよ! って」
「違う、その前」
「え? 君の家に行きたいな……って」
「それ、本気?」
「嘘で言ってどうするのよ」
疑る僕に、由は少し頬を膨らませていた。
「今日、両親がいないからちょっと無理かな」
「あら、気兼ねなく遊べて丁度いいじゃない」
僕の言葉の意味を知ってか知らずか、そう答える由は満面の笑みだった。
「いや、若い男女二人だけでっていうのは不味い気が……」
「別にいいじゃない。私は、君のこと好きなんだし」
それが不味い一番の理由なんだ! と、その時喉まで出かけたけど、なんとか飲み込んだ。
「でもさ、道徳的に……」
「道徳的に考えて何か悪いことを私にするつもりなの?」
「いや、そんなことは無いけど……」
「ならいいじゃない」
その笑顔にまんまと乗せられて、僕は由を初めて僕の家に招待することになった。
と、言うよりも、無理やり招待するように仕向けられた。と言ったほうが正しいのかもしれない。
とにかく、僕は掃除もする暇も与えられず、僕の部屋で初めて同年代の女性と二人きりになることになった。
「お邪魔します」と由が言って、僕の部屋のドアが開けられても、まさかこんな事になると思っていたはずも無く、僕は何も用意していないわけで、会話を探そうと必死になって思考を巡らせていた。
そんな僕と対照的に、由は何も喋らないのに、どこか楽しそうな顔で部屋の中を見渡していた。
「やっぱり、私の思ったとおり」
最初に口を開いたのは、由だった。
「君は、センスがいいよ。名前だけじゃなくて、部屋のセンスもいい」
「名前は、僕が決めたわけじゃないけど……」
「でも、その名前を引き寄せたのは君。だから君のセンス」
何だか無理やりな気がするけど、僕は特に反論もせずに頷いた。
「だから、そんな君を選んだ私も、センスがいいのよ」
フフッと無邪気に笑う由は、なんだか年齢よりも幼く見えて、少しドキッとしたのを覚えている。
やっぱり、自分の部屋に男女二人きりっていうのは、ちょっと好きになりやすい補正がかかるんだと僕は思う。
でも、由相手だったら、こんなことが無くても、毎日の好き好き攻撃にいつか押し負けていたと思うけど。
その後も、特に何も無く時は過ぎて行って、僕は会話を探そうと必死になり、由は暇さえあれば部屋の中を見て回っていた。
由は何か見つける度に、それを「センスがいい」と褒め、僕を照れさせた。
彼女からすると、僕の部屋のカーテンの柄も、弾けないのに置いてあるストラートのエレキギターも、夜中に本を読む時のために置いてある小さなキノコの形をしたランプすらも、全部がセンスがいいらしい。
「じゃ、今日はありがとね。桜くん」
少し暗くなってきたので、自転車で送ると言ったのに「それじゃ君が帰りにもっと危ないよ」と笑って返され、結局いつもの分かれ道で由と別れた。
……好きっていつも言ってくるのに、たまに男の子扱いされない事があるのはなぜなのか、今でも分からない。