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オタマジャクシ

作者: 日下部良介

 あの年の夏は異常に暑かった。

 僕が子供の頃を過ごしたのは九州の山間部にある田舎町だった。盆地で夏は暑く、冬は寒いところだ。

 暑くはあったが、当時、家にクーラーがついているところは稀であった。夏は暑いのが当たり前。冬は寒いのが当たり前。そう思っていた。

 しかし、あの年の夏だけは特別だった。



 それは梅雨が明けたあたりから始まった。

「参ったな。今年の梅雨は空梅雨だった。おかげで田んぼが干上がってしまう」

 愚痴を言っているのは僕の叔父にあたる人だ。父の兄で、本家の長男にあたる。その叔父は先代から田畑と家を譲り受けた。次男だった僕の父は農家が嫌で財産の相続は一切受けないという条件で福岡の医大に通わせてもらい、今では地元に戻って開業している。そんな父に叔父が愚痴を言っているのだ。

「だけど不思議な話だよな」

 父が首をかしげて話し出した。

 空梅雨だったとはいえ、この地域には大きな川がある。農業用の水はその川から引いている。そして、川はいつもと変わらず豊富な水量を保ちながら悠々と流れているのだから。

「だけど、水路の水は枯れて田んぼに入ってこねえ」

「市役所の役人も何度か調査に来たが水路そのものには何も悪いところがないと首をかしげるばかりだし」

「まさか、吉松ンとこの…」

「バカ言え!」

 父は叔父の言葉を打ち消すように強い口調で言うと、腕組みをして恨めしそうに空を見上げた。


 その一月ほど前のことだった。

水路で子供の死体が見つかった。死体はほぼ原形をとどめていなかったのだが、身に着けている衣服から吉松喜助と和代夫妻の子供だと判明した。

喜助は半年前に若い女と町を出て行った。残された和代は生まれたばかりの子供を抱え、近所の田んぼや畑仕事を手伝いながら、何とか生活をしていた。それが、しばらく姿を見せなくなった。巷では隣町の実家へでも戻ったのではないかとも噂されていた。

そこに、子供の死体が見つかった。駐在や町会長たちが和代の家を訪ねたところ、和代は首をくくって死んでいた。吉松家は、電気も水道も止められていたそうだ。

 二人の死の真相についてはいろんな噂が飛び交ったが、結局のところ何もわからないままになっている。


 水路の水が干上がってしまうことについては原因不明のまま。死んだ吉松親子の祟りだという者も現れた。

それでも農家の者はこのまま作物を台無しにするわけにはいかないと、土木作業などで使う水中ポンプを使って直接川から水を引いた。田んぼや畑のいたるところにこういったポンプのホースが何本も引かれていた。

 そんな奇妙な風景の中、僕はある日、不思議な女の子と出会った。

 小学校に上がったばかりの僕は干上がった水路に取り残されたオタマジャクシをすくっては缶詰の空き缶に移して歩いた。あちこちですくって集めたオタマジャクシは空き缶の中にいっぱいになった。

 僕が空き缶の中のオタマジャクシを数えていると背後から声がした。振り向くと、小さな女の子が立っていた。

「見せて」

 女の子は僕に、オタマジャクシを見せてと言っている。

「いいよ」

 僕は空き缶を女の子に手渡した。

「ちょうだい」

 女の子は大事そうに空き缶を抱えたまま僕に言った。特に何をするわけでもなく、ただの暇つぶしに集めたオタマジャクシだ。くれと言われて嫌だという理由もなかったのであっさり答えた。

「いいよ」

 すると、女の子は嬉しそうに笑って、空き缶を抱えて帰って行った。

 その次の日、僕が田んぼに引かれたホースで遊んでいると、昨日の女の子がやってきた。

「ちょうだい」

女の子はそう言って僕が昨日渡した空き缶を差し出した。

「オタマジャクシが欲しいの?」

「うん」

「昨日のオタマジャクシはどうしたの?」

「居なくなっちゃった」

「しょうがないなあ」

 僕は田んぼの中を探してみた。オタマジャクシはすぐに見つかった。僕がそっと手ですくおうとすると、女の子が僕の服を引っ張った。

「ちがう。それじゃない。あっちのがいい」

 女の子はそう言って水路の方を指差した。僕は仕方なく、昨日と同じように水路の中を探した。女の子は僕の後ろをついて来る。

水路のオタマジャクシは昨日みんなすくってしまったはずだった。ところが、不思議なことに昨日と同じ場所に同じようにオタマジャクシが居る。僕はそれをすくっては、女の子が持っている空き缶に入れた。空き缶がいっぱいになると女の子は満足そうに笑った。そして言った。

「ちょうだい」

「いいよ」

 僕がそう言うと、女の子は大事そうに空き缶を抱えて帰って行った。

 次の日も、その次の日も女の子はやってきた。

「ちょうだい」

 そう言って同じ空き缶を差し出すのだ。他にすることもないので僕は毎日女の子に付き合った。そうしているうちに、僕は女の子が少しずつ大きくなっているような気がした。そう感じた次の日から女の子は来なくなった。僕はひとりで水路を見て歩いたけれど、そこには一匹のオタマジャクシもいなかった。

そうして、夏休み最後の日。いつものように一人でホースで遊んでいると、大人の女の人が僕に声をかけてきた。

「ありがとう」

 その人の顔を見て僕は驚いた。あの女の子だ。間違いない。この人はあの女の子だ。

「あなたのおかげで大きくなることが出来ました」

 女の人はそう言って頭を下げるといつも女の子が帰っていく方に歩いて行った。


 夏休みが終わると、大雨の日が数日続いた。水路にも水が戻って来た。また、叔父が訪ねてきて父と話していた。

「聞いたか?」

「吉松ンとこのかみさんと子供の話だろう?」

「そうだ。かわいそうなことを…」

 聞くところによると、母親が病気で働けなくなって、子供は腹を空かせて水路のオタマジャクシをとって食べようとしたらしい。ところが水路に落ちて溺れたのだという。自分のせいで子供を死なせたことを悔いて母親は首を吊ったのだという。

 あくまでも噂話で、真相は誰にもわからない。でも、僕は噂ではないと思う。後で、新聞に載っていた親子の写真を見たとき、僕は知った。あの時の女の子と大きくなった大人の女の人の顔がそこには写っていたのだから。






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― 新着の感想 ―
[一言] おやまあ、日下部先生がこのようなお話を書かれるとは。 夏にぴったり。 モノトーンで描かれてるようで、それが懐かしいような気味悪いような雰囲気が出ていると思いました。
[一言] 死んだ筈の女の子が、オタマジャクシを食べて少しずつ成長していたということなのでしょうか? 夏の終わりに相応しい、気味の悪いお話ですね。 お話の舞台が都会ではなく、田舎というのが、昭和的という…
[一言] はじめまして(・∀・)♪ 読ませていただきました* とても面白かったです\(^O^)/ これからも頑張ってください(*^-^*)
2012/08/23 12:15 退会済み
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