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七月/霧より希薄な貞操観念 1

 さて、改めて言う必要などまったくないと思うが、私は一切色恋というものに関わりを持ったことがない。

 見た目や中身が伴っていないのももちろんなのだが、そう言う問題ではない。たとえば修学旅行の夜、みんなで布団の中で恋バナをしたとして、「あ、成瀬はいいよ」そう言われてしまう人種である。なぜだ。私にも好きな人くらい居――居たことない。女子の恋愛に関する嗅覚は優秀である。

 そんな感じで、純潔まっしぐら。ユニコーンがそろそろ求婚に来てもおかしくないと思う。

 対して劉生はアレだ。母よ、どうしてこうも器用に産み分けたのだ、と言うくらい華やいでいる。リアルが充実略してリア充。その友達もまた、くっついたり別れたり噂になったり爆発してほしくなるような面々だった。

 リア充対非リア充。勝敗は戦う前から決している。私と劉生は仲のいい姉弟だったが、実を言えば、劉生の友人たちは結構苦手だった。


 ○


 今日からバイト先に新人君が入るらしい。

 わーい、これで鬼畜な労働条件から解放される。

 私もバイト仲間の面々も、大いに喜んだ。店長といえば年中バイト募集を出しているのに、適当に理由をつけては断りまくり。なぜかと聞いたら「知らない人怖い」ってちょ、おま……。などと言う人なのだ。

 まあ、そんな愚痴は右隣に置いておいて。

 その新人君というのが、溌剌とした好青年だそうだ。今年から大学生。週五で入れます! という猛者らしい。大歓迎だ。

 そう言うわけで、私とバイト仲間は、わくわくしながら待っていた。


 まだ客の入りも少ない時間帯、シャツとベストの制服に着替えた青年が、店長に連れられてやってきた。場所は店の隅、キッチンにほど近い店員たちの待機所だ。よくファミレスでバイトがたむろしているような場所を想像していただければわかりやすいかと思う。

「よろしくお願いします」

 新人君は私と先輩の顔を見て、礼儀正しく頭を下げる。短い髪は染めた形跡もなく、声ははきはきとしている。背はすらりと高く細身であるが、半袖のシャツから覗く腕は意外に筋肉質。スポーツでもやっているだろうか。やっているならバスケに違いないと偏見を抱かせるような、噂に違わぬ好青年だ。おまけになかなかイケメンでもある。隣の先輩(女)もきらりと目を光らせた。獲物を狙う瞳である。ううむ、一波乱ありそうな予感。

「外村光一君だ。とりあえず今日は一日、店のことに慣れさせてやってくれ」

 店長はそう言い残すと、そそくさと離れて行った。何をしに行くかといえば、裏でタバコを吸いに行くのだ。そのまま丸一日閉店の時間まで帰ってこないこともある。あの店長が原因でいったい何人のバイトが辞めたことか。

 とまあ再び正面にもってきてしまった愚痴は、今度は左にでも格納。

「じゃ、店のこと教えるから」

 そう言って、先輩は外村君を手招きした。

「成瀬は店の様子見ててね。暇だし一人で大丈夫でしょ?」

「はい」

 先輩の恋路を邪魔するつもりは毛頭ありません。

「……成瀬?」

 と思っていたのに。

「成瀬って、もしかしてあの成瀬さんですか? 劉生のお姉さんの」

 好青年外村君が、突然私に人懐っこい笑みを向けたのだ。

 先輩、不可抗力です。睨まないでください。


 予期せぬ外村君の反応に、先輩を交えてなぜか劉生の話をすることになった。

 外村君曰く。

「成瀬さんの弟って、すっげえイケメンのシスコンなんですよ」

 的確だ。

 外村君は続ける。

「俺、成瀬さんの弟――劉生と友達なんです。そいつ、性格もいいし顔もいいし運動もできるしで、高校時代はマジもてたんですよ」

「ほう……」

 先輩が興味深そうに相槌を打つ。目の色が怖いです先輩。あぶはち取らずということわざ知っていますか? もしくは二兎を追うものは一兎を得ずとも。

「それなのに、告白されても全然彼女を作らなくて、なんでかって聞いたら『ねーちゃんといる時間が無くなる』って言ったんですよ。それで、成瀬さんも俺たちの間で有名だったんです。『噂の劉生のねーちゃん』ということで」

 あ。

 その単語で思い出した。

「外村君、もしかして高校時代に私に話しかけたことなかった?」

「あ、覚えてますか?」

 外村君の顔がぱっと明るくなる。

 私が高三のとき、突然話しかけられたことがあった。『あ、噂の劉生のねーちゃん』と廊下の向かいを歩いてくる外村君に、ぶしつけに指を差されたのである。友達と一緒の時で、恥ずかしい思いをしたものだ。あのときはしみじみと、劉生禿げろと呪った。奴の髪はいまだに豊かだ。父は同じ年には生え際の後退が始まっていたというのに。

「いやー、偶然ですね。まさか成瀬さんと同じ場所でバイトするなんて」

 これが地元の恐怖。どこで誰に会うかわからないのだ。ファミレスに行ったらバイトに昔の同級生がいたり、逆に客として来ていたり。それがあまり仲の良くなかった同窓だったときはもう……「あ、久しぶりー」「だねー」「だね……」「げ、元気だった……?」などという気まずい会話が繰り広げられるであろう。

 しかし外村君は、そんな微妙な空気は一切出さない。さすがは劉生の友達、ビーム光線のように眩い笑顔だった。こりゃあもてるわ。

「俺、成瀬さんに会えて嬉しいです」

 屈託なく外村君は言った。お世辞でもなんでもなく、そう言われると少し照れくさい。

「昔、俺って成瀬さんのこと好きだったんですよー」

 おっとここで爆弾発言。

「えっ」

 舌を出しててへぺろではない、外村君。我が二十年の人生において最大級の爆撃だぞ。いや、まだ幻聴という可能性も。

「劉生に散々成瀬さんの話を聞かされて、ずっと気になってたんです。あ、でも昔の話ですよ、昔」

 耳は正常だった。そして異常事態だ。この私を、好きだと言う人間がいるなんて。全身から冷や汗が流れ出る。初めてもらう言葉に、感動よりもひたすら恐怖が湧きあがる。というのも――やめてください先輩そんな目で見ないでください勘弁してください、外村君だって昔の話だと言っているじゃないですか。

「でも成瀬さん、今も昔とあんまり変わってなくて、俺、ちょっと安心です」

 さらにここでフラグが。

 先輩の持つ丸いお盆が、不思議と凶器に見えてくる。あれで人も殺せる気がする。さっき立ったのは死亡フラグだったか。

 逃げ出したい、そんな私のために救いのベルが鳴った。ピンポン、というドアベルの音だ。お客さんが来た。

 私はその場を飛び出して、一直線にお客様のもとへ。お客様は神様です。そう、これは神の救いの手。私は今、心から叫ぶ。「ようこそいらっしゃいませ」と!


 結局その後は、なんだかんだと忙しくなってくれたおかげでうやむやになった。私は無事にシフトの時間を終え、先輩と外村君を残して先に帰ることができた。

 外村君と、あからさまに彼に矢印を向ける先輩。二人っきりにしてちょっぴりキューピッド気分。先輩の死線――もとい視線から逃れた私は、生き残った喜びから口笛吹きつつ自転車で家路を急いだ。

 それにつけても意外な再会、意外な告白。生まれて初めての経験に、私は少しのぼせていたかもしれない。自然と自転車をこぐ足も軽くなる。そりゃ、イケメンに好かれて悪い気はしないさ。

 それがまさか、あんなことになるなんて。男女というものはわからない。


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