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六月/成瀬先生の補習 1

 藤野が泣きついてきた。

「成瀬、成瀬ちゃん、成瀬さま、お願い! 勉強教えてえ!!」

「は?」

 何事?

 時刻は深夜二時。私は下宿先の布団の中で、今まさに眠ろうとしていたところだった。なにせ明日も授業がある。もちろん藤野もだ。いい加減に眠らないと午前の講義に間に合わなくなる。

「明日にしてよ」

「わー、待って、待て待て!」

 電話を切ろうとした私を、藤野のやかましい声が止める。眠たい頭に藤野の高い声は響く。少しくらっとして意識を飛ばしかけた。そのまま飛んで行ってくれれば、藤野を無視して眠れたのに。惜しい。

「明日じゃ間に合わないの。お願い成瀬、一生のお願い!」

「どうしたの」

 必死な藤野に折れて、私は不機嫌ながらも尋ねた。電話の向こうで、藤野がほっとしたように息を吐く。

「明日提出のレポート、全然分かんないの。これ再履修だから、落としたらヤバいの。成瀬は単位取れてたでしょ? 教えて!」

 必修、しかも再履修のレポートを、この時間にやっている事の方がやばい気がするのだが。

「お断りします」

「ちょ、成瀬!」

 眠いし面倒だし、藤野の単位なんてもうすでに穴あきポケットの如くぽろぽろと落ちているのだから、今さらである。

「これ落とすと留年だよ! 成瀬のせいで留年するんだよ! 私が勉強できないのも成瀬のせいだよ!」

 知らんがな。

 断るといつまでもこの調子で喚いていそうだった。私は盛大にため息をつくと、仕方なくうなずいた。

「………………わかったよ」

「やったあ! ありがと、今行く!」


 そうして電話を切ったのがついさっき。

「来ちゃった」

 まだ「通話終了」の画面が携帯電話に移っているうちに、部屋のインターホンが鳴った。あれ、どういうこと? 藤野は今までどこにいたの? 部屋の入口に立って電話していたわけ?

 考えるのもアホらしくなった私は、重たい腰を持ち上げ、玄関の扉を開けた。

「成瀬、悪いね。私たちじゃどうしようもなくてさ」

 よ、と藤野は悪びれる様子もなく片手を上げた。

 うん、私「たち」?

「劉生くんも来たけどいいよね」

「…………は」

 涼しげな初夏の風が吹く。町の灯りも消える深夜。藤野の後ろに、腹が立つほど爽やかな笑顔の劉生が立っていた。



 私のアパートは、大通りから中ほどに入り込んだ住宅街にある。大学まで徒歩十分。アパート内はみんな同じ学生ばかりだ。天井からは麻雀牌をかき回す音がして、隣からは宅飲みの騒ぎ声がする。

 さすがに明日も学校となれば、多少は静かなものだが――。

「なんで劉生までいんの!?」

「だって、同じ講義うけてるしねー」

「ねー」

 テーブルを挟んで正面に座り、藤野と劉生が顔を見合わせて笑う。なんだ、いつの間にこんな仲良くなっている?

「珍しいよね、他学部なのにうちの講義うけるなんて」

「そうですかねえ。いやー、でも藤野さんを見つけたときはびっくりしましたよ」

「私も声かけられたときはビビったー。成瀬の弟なのにイケメンなんだもん」

 藤野が私と劉生を見比べる。どういう意味だ。

「あ、それでレポートなんだけど」

 私の不満のこもった視線は気にせず、藤野は持ってきていた鞄をあさりだした。教科書が入るくらいのビッグサイズ鞄である。しかし取り出したのは一枚のレポート問題用紙のみ。残りはなにが入っているのかというと。

「お菓子食べる?」

「唐突過ぎて意味が分かんない」

 鞄からはスナック菓子の袋が次々に出てくる。

「いやー、教えてもらうのに悪いかなと思って、劉生くんとコンビニに寄ってきたんだよ。飲み物も買ったけどコップある?」

「あ、ありますよ。こっち」

 劉生が立ち上がり、キッチンに向かう。勝手知った様子でシンク下の戸棚を開けて、不揃いなコップを三つ取り出す。ほとんど部屋に入れたことがないはずなのに、なぜコップの場所を知っているのか。そのことはとりあえずおいておこう。目の前でお菓子を広げる藤野と人数分ジュースを注ぐ劉生に、私は戸惑いを隠せない。

「お前ら何しに来たの」

「え……勉強。あ、成瀬ゲームしていい?」

 藤野、自分で何を言っているのかわかっているのか?

 すっかりパーティーの様相を呈したテーブルの上。レポート問題は邪魔そうに端に避けられている。藤野はゲーム機に電源を入れて、持参していたソフトを入れているという体たらく。しかも一人プレイ用。

 え、なんなの? 深夜からなんなの? ゲームしに来たの?

「レポートしようや」

「え?」

 え? とはこちらの反応である。藤野はきょとんとした顔で、不思議そうに私を見ている。おかしい、電話をもらった時の藤野は、必死な様子で明日のレポートについて訴えていたはずなのに。

「終わるまでゲームは禁止だからね」

 私は除けられた哀れなレポート問題を拾って、藤野の正面に置いた。ついでにゲームの電源も切る。

 藤野は何度か瞬きをして、おそるおそる尋ねた。

「成瀬……怒ってる」

「うん、まあそれなりに」

「一人プレイは駄目だった?」

「そう言う問題じゃないよね!?」

 思わず声を荒げると、藤野と劉生が同時に人差し指を口に当てる。

「ねーちゃん、時間、時間考えて」

「夜に騒いだら近所迷惑だよ、成瀬」

 ぐ……!

 すごく苛々する……!

「まあまあ、ねーちゃんこれ飲んで落ち着いて」

 怒鳴るに怒鳴れず唇を噛む私の前に、劉生がオレンジジュースを差し出した。

「藤野さんに悪気があったわけじゃないしさ。せっかく遊びに来たのに、怒っちゃ損だよ」

 遊びに来たって言っちゃったし!

「真面目なのもいいけど、楽しもうよ成瀬」

 お前が言うな! と叫びたい叫べない深夜二時――を少し過ぎたところ。

 一人怒る私を、藤野と劉生がなだめるという構図。気にくわない。圧倒的に間違っている。

 いや、もうお前ら。

 ――レポートはどうした!!

 苛立ちをすべてこめて、私は近くにあったクッションを壁に投げつける。柔らか綿入りクッションが壁に激突、撃沈。その様子を見て、藤野と劉生の表情が固まった。

「…………勉強しようね……!」

 自分でも驚くほどに低く、静かな声が出た。

 二人は強張ったまま、こくこくと何度も頷いた。


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