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 あまりの人手不足でハイになった店長が、ついに泣きながら電話をかけて来た。

 ので、私は久しぶりに喫茶店のバイトに復帰することとなった。

 九月も間もなく終わり、長い夏休みで忘れかけていた現実の足音が、ひたひたと聞こえてくる頃のことだった。


「成瀬、光一と付き合い始めたって本当!?」

「誰が言ったんですかそんなこと!?」

「光一が、自分で!」

 ちくしょう外村の野郎。

 客の入りもまずまずな昼下がり、入店早々に先輩が飛びついて来て叫んだ。店員の突然の乱心に、客の目がいっせいに向く。

 先輩は人目もはばからず、私の肩を強く揺さぶった。瞳には鬼気迫るものがある。

「あんたバイトに入ってない間、なにやってたの? いったいなにがあったのよ!?」

 先輩の声には、嫉妬と憎しみと好奇心、そして一抹の寂しさが入り乱れ。どうやらまだ彼氏はできていないらしい。先輩の必死さは哀れを誘うが、復帰早々この扱いはたまったものではない。

「誤解です先輩。とんでもない誤解です」

「本人が言ったのに誤解もなにもあるもんか!」

「その本人が誤解だって言ってるんです!」

「じゃあ光一が嘘をつくって言うの!?」

 先輩はさっぱり私のことを信用してくれていないらしい。噛みつきそうな先輩の勢いに、私は体を縮ませるばかりだった。どうしてこうなった。私がいない間、なにがあったというのだ。

 状況が飲み込めず、さらに人の目もあって、私は眩暈がするような心地だった。店の奥を見れば、注文を受けつつコーヒーを運ぶ、世にも珍しい働く店長の姿が見える。手が足りていないのは明らかで、たまに救いを求めるようにちらちらと私たちの方向へ視線を寄こすが、救いを求めているのは私も同様だ。

「いつの間に付き合い始めたの。正直に答えなさい」

 先輩には忙しい店内の様子も見えていないらしい。バイトのくせに仕事を放り出すなんて、さすが先輩、凡百のバイトにはできないことを平然とやってのける! だけど少しは時と場所を選んでほしい。せめて、奥の更衣室だったなら人目も浴びずに済んだだろうに。

「付き合ってないですって。本当に!」

 とにかくこの状況から逃げ出そうと、私は先輩を引きはがそうとした。しかし肩に食い込む先輩の手は、そう簡単に離れてはくれない。

「往生際が悪い! あたしから隠し通せると思ってるの?」

「隠すもなにも本当のことしか言ってませんよ!」

「いいから言え! ありのまま事実を話せー!」

 これ以上なにを言えというのだろう。私は半ば泣きの様相を呈し、吐き出しても無意味な言葉を飲み込んだ。

「本当ですよ」

 ふと、私の肩を握る先輩の手が離れた。離れたのではなく、離されたのだということに、私は一拍置いて気が付いた。

「付き合ってないですよ。俺が成瀬さんに告白しただけです」

 先輩が呆けたように視線を上げた。彼女の腕は、少し大きい男性の手に掴まれていた。

 その手は、私の背後から伸びている。はっとするほど近い場所に、他人の気配がある。

「ねえ、成瀬さん?」

 誘うような声に促されて、振り返る。そこにはやはり、外村君がいた。私を脅していた先輩の腕を取り、少し困ったように私を覗き見ている。

 私は反射的に顔を逸らした。「おはよう」の挨拶も出てこない。平然と声を掛けられる外村君が信じられなかった。彼も制服を着ているところを見ると、もしかして、よりによって今日のシフトは外村君と一緒なのだろうか。

「告白されたんなら付き合ってんのと同じことでしょ」

 そしてもちろん先輩は、そんな私の微妙な心理は読まない。空気も読まない。外村君の手を振り払い、先ほどよりは少し落ち着いた様子でそんなことを言い放った。どんな理屈だ。

「イケメンに告白されて断るはずがないでしょ」

 そういう理屈らしい。

「い、いくら顔が良くても、好きな人じゃないと付き合えないですよ」

「顔が良けりゃ、好きにもなるでしょ」

「性格とか、相性とかは!?」

「顔より大事なものがあると思ってるの?」

 なんとも竹を割ったような先輩の言い分である。しかしその竹自体は世間様から斜め四十五度に生えている。

 先輩の中で、私と外村君が付き合うことは確定してしまっているらしい。そのことに冷や汗をかきつつ外村君を見やれば、まんざらでもなさそうな顔をしていた。「なるほど、外堀から埋めるのも悪くない」と言うように、あごに手を当て何度か頷いている。周りは敵ばかりだ。

「とにかく、どうして付き合うことになったのか、洗いざらい話しなさい。あたし、これからバイト上がりだけど、店でコーヒー飲んでくから。あ、店長、あたしにコーヒーちょうだい」

 そう言って先輩は、忙しなく店を駆ける店長に手を上げた。注文と会計と客の来店が重なり、店長はしなびた茄子のような顔になっていた。顔色も青ざめるを通り越し、半ば紫になっている。

「先輩、あの、私たち店を手伝わないといけないので」

「店なんていいのいいの」

 これがバイトの発言とは思えない。先輩はバイトの制服のまま、近くの席に腰を下ろし、同じ席に座るように促した。さすがの先輩命令だとしても、従うわけにはいかない。

「そういうわけにはいきませんよ。ほら、今は店長ひとりですし」

「あたしよりも店長を優先するって言うの?」

 先輩がはっきりと言い切った横を、泣きそうな店長が駆け抜ける。会計待ちの客が苛立たしそうにこちらを睨んでいた。だけどそんなこと、先輩はお構いなしだ。

 こんな面倒なアルバイト、クビにしてしまえと思われるかもしれないが、ところがどっこい彼女は仕事ができるのだ。しかもフリーターでシフトには正社員である店長より多く入るという始末。彼女が居なければ、この店は成り立たない。先輩は店の女王であった。私の言葉など愚民のざれ言に等しい。

 小さくなって、先輩の気が変わるのを待つしかない。そんな私をかばうように、外村君が前に出た。

「まあまあ先輩、成瀬さんはまだ制服に着替えてもないんですから」

「着替えなんていいでしょー?」

「タイムカードだって押してないんですよ。これじゃ、今日のバイト代が入らないですよ」

「それがどうしたのよ、あたしよりも金が大事?」

「大事ですよ。だって俺たち、金ないですもん」

 胸を張って言えることではない。

 先輩は口元を思い切り歪めて、外村君を睨んだ。が、それも一瞬のことで、不機嫌さは変わらないままに肩をすくめる。

「ま、わかったわよ。着替えくらいしてらっしゃい。戻ってきたら洗いざらい話すのよ」

「ですって、成瀬さん」

 外村君は安堵を滲ませ、背後に立つ私に破顔して見せた。そして私の肩を軽く叩いた。このまま押し出すのかと思ったが逆に引っ張られ、私はよろめいた。

「ゆっくり着替えてきてくださいね」

 耳元で、先輩から隠れるようにそう囁いた。その表情は、どことなく満足げだ。

 ああ、と私は少し遅れて気がつく。私を逃がしてくれたのだ。さりげなく、いつもと変わらない会話をするように。

 くそう、と声には出さずに唸る。悔しいけど今の外村君は、顔だけではないイケメンだった。


「……あーあ、前はあたしに優しくしてくれたのにさ」

 あてつけがましい先輩の声を背に、私は彼女の座る席を離れた。店内では、相変わらず忙しそうに店長が駆けまわっている。外村君の優しさが、店長にも向かいますように。


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