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 と言うわけでデートである。

 外村君が指定した待ち合わせ場所は、都内の、なんだかオシャレで聞いたことがある駅名だった。どうやら外村君の大学が近くにあるらしく、勝手知ったる土地なのだとか。リアルが充実している人間と言うのは、こうして普段から洗練されているのだ。

 と思うと途端に尻込みして、純引きこもりの私は憂鬱になる。言わずもがなと思うが、私とオシャレとは一度も良い仲を築いたことがない。道を歩く服を着た犬の方が、おそらく洒落ていると思われる。

 おかげでオシャレに気を取られ、私はすっかり忘れていた。

 外村くんもあれでかなり、問題の多い人間であるということを。


 平日昼間の駅通りは、長い夏休みのために暇な大学生で埋まっていた。待ち合わせの駅から続くのは、背の高いビルよりも、小ぶりで可愛らしい店が多く立ち並ぶ通りであり、店を覗くと客もバイトも冷やかしも、みんな学生というありさまだった。たまに足早に通り過ぎるスーツ姿のサラリーマンに、なんだか申し訳なくなる。

 そんな通りを、私は普段は穿かないスカートなんぞを身にまとい、半袖なんだか長袖なんだかよく分からないブラウスを着て、澄まして歩いていた。こうしていれば、私も街に馴染んでいるような気がする。とても普段は、部屋でジャージ、下手をすれば下着のままで半引きこもり的にテレビばかり見るような女とは思えないだろう。思えないと言ってほしい。

「成瀬さん、普段は家でなにしているんですか?」

 私と並んで歩く、外村君が言った。並ぶと言っても、私は周辺地理に詳しくないので、外村君の少し後ろをついて歩くだけだ。どこに向かうかも知らない。

「映画見たり、テレビ見たり」

「あー、なんとなくそんな感じですね」

 私の顔を見て、納得したように外村君は頷いた。残念、服装は変えられても、顔からにじみ出る引きこもりの空気は変わらないようだ。

 そんな外村君は、なんの変哲もないTシャツにジーンズと言う出で立ちでありながら、ずいぶんと様になっていた。普段から、中身はさておき顔はなかなか、と思っていたのだが、外に出るとそれを更に実感できた。比較対象が店長だけのバイト先ではなく、こうした小洒落た街を歩いていても、外村君はなに劣ることなく、やはりイケメンだった。

「じゃあ、映画でも見に行きましょうか。たしか俺の友達がバイトしているんですけど、安くはしてくれないでしょうねー」

 外村君は鮮やかな笑顔を見せると、迷わない足取りで駅通りを下って行った。映画を見る分には、私になんら異論はない。今はどんな映画が公開されていただろうか、などと少し心弾んだほどである。

 ちょっと浮かれた私は、なんと愚かであっただろうか。恐らく賢明な人間であれば、外村君の言う「友達」でなんとなく察しがついたはずだ。


 ○


 チケットを買う時に、その友達という人物と顔を合わせた。

 大人びた、眼鏡の良く似合う綺麗な女性だった。黒髪に薄めの化粧が、大和撫子を連想させる。彼女はチケット売り場に並ぶ外村君の姿を見つけ、驚いたように目を丸くした。

「あれ、光一? 珍しいね、ここに来るなんて」

 街角で立ち入った小さな映画館は、平日のせいもあってかずいぶんと人が少なかった。チケットを買う客も、私たちの前に二、三組いた程度で、受付のスタッフも誘導のスタッフも、いかにも暇そうな、気怠い様子だった。

 だから、その中で眼鏡の彼女が外村君に話しかけても、見咎める人間はいなかった。

「光一って、映画とか普段見ないのに。どうしたの?」

「どうした、って、俺だって映画くらい見るときもあるよ」

 外村君は笑いながら答えた。それから二言三言、彼女と言葉を交わす様子を、私は外村君の少し後ろから見ていた。おかげで、彼女はしばらく私の存在に気が付かなかったらしい。

「それで、今日はなんの映画見に来たの?」

 ええっと、と言いつつ、外村君は慣れない口振りで、最新映画のタイトルを言った。巨乳の金髪美女が凶悪犯と心理戦を繰り広げるサスペンスミステリーだそうだ。館内に張ってある上演中のポスターの中から、外村君が見た目で判断した。

「ああ、いえ、別に成瀬さんへのあてつけと言うわけではなく――」

「うるさいだまれ」

 などという会話があったことは、私の中ではすでになかったことになっている。

 そんな観賞する映画決定の由来は知らず、眼鏡の彼女は外村君に微笑みかける。

「あとで感想聞かせてね。はい、二千円」

 そう言って、チケットを一枚、外村君に渡そうとした。しかし外村君は、それを受け取るのをためらう。

「あ、いや、二枚」

「二枚?」

 外村君が、背後の私を一瞥した。つられて私に視線を寄こした彼女の、実に曖昧な表情。笑顔はすっと引き、驚きでも怒りでもなく、少し眉尻を下げるだけ。私はなんとも言えず、黙って会釈をした。

「か……彼女?」

「いや」

 外村君は軽く首を振って否定した。

「バイト先の先輩」

 そう聞いたときの、彼女の表情もまた、なんとも言い難かった。下がった眉尻をさらに下げ、浅く長い息を吐く。いたたまれない。

「……じゃあ、二枚。もうすぐ上映時間になるからね」

 彼女はためらいがちに、二枚のチケットを外村君に手渡した。そしてもう一度だけ、私の方を窺い見た。違うんです、疑われるようなことは何もないんです。お金だって後でちゃんと、外村君に払うんです。今日のこれだってそもそもは不可抗力で……。

「成瀬さん、行きましょう」

 そこを平然と言ってのけるのが外村くんである。眼鏡の彼女の、気を揉むような態度など一切合財気にした様子はなく、外村君は私を奥のスクリーンへ促した。


 ○


 映画の内容は、意外にもドロドロとした恋愛ものだった。

 事件はそっちのけで主人公含むメインキャラクターが多角関係を築き上げ、犯人との心理戦と見せかけて、一人の男を巡り激しい肉弾戦まで繰り広げられていた。

 ヒーロー役の浮気男は最低だ、もげろ! と思っていたら実際に犯人との銃撃戦の末にもげてしまった。隣の席に座る外村君を見たら、うす暗がりの中でもわかるほどに身を竦ませていた。これがいわゆるザマァというやつだ。ねえどんな気持ち、ねえねえ今どんな気持ち?


 ○


「最低な男でしたね」

 と第一声、感想を漏らしたのは外村君だった。

 映画館を逃げ帰り、摩耗した精神を抱えて入った喫茶店で、ようやく腰を落ち着けたときのことだ。外村君おすすめと言うことで、少し不安を覚えつつ入った店だが、落ち着いた雰囲気が感じ良い。お値段のほども良心的なのが特に気に入った。窓際の席に案内され、やっと一息つけると思ったら、注文を受けにきた女性がまた外村君の「友達」で、口にしがたい空気になったのはひとまず置いておく。

「浮気する男って、俺、嫌いなんですよ。主人公が可愛そうしたね」

 主人公と言うのは、例の金髪美女だ。映画の設定上では、浮気男の本命彼女であるらしいが、実際は八股かけられたうちの一人に過ぎない。あんまりだ。

「最後はスッとしましたね。ざまあみろ、って感じ。映画もたまには面白いもんですね。成瀬さんは、どうでした?」

「……だいたい同意見だけど」

 お前が言うなとはまさにこのこと。浮気なんてしたことありません、と言いたげな外村君の口調に、私はいったいなんと反応すればいいのだろう。それともまさか、この発言は外村君渾身の自虐ネタなのだろうか。つっこみ待ちなのだろうか。

 悶々とする私の前に、微かな音を立ててコーヒーのカップが置かれた。見れば、外村君の「友達」であるところのウェイトレスだ。薄く染めた髪をした、ごくごく普通のちょっとかわいい少女である。私と同じか、一つ二つ年下くらいだろうか。

 彼女は外村君の前にもコーヒーを置くと、そのまま立ち去るでもなく、じっと私を見下ろした。

「…………光一の、新しい彼女さんですか?」

「え、いえ、とんでもない」

「光一は、やめた方がいいですよ」

 静かな声でそれだけ言うと、彼女は無表情のまま、別のテーブルに注文を取りに行った。私たちはただ、呆気にとられるほかにない。


「……なんだったんでしょうね」

 外村君はコーヒーにミルクを入れながら首を傾げた。なんだったも何も、外村君には心当たりがあってしかるべきだろう。それともまさか、本気で分からないと言うのではあるまいな。

「たぶん、外村君は映画の男と似た運命をたどる」

 いずれ街角で刺されるか、地上のもつれの末の無理心中か。きっとろくな死に方をしないだろう。私がそう言うと、心外だ、と言いたげに外村君が顔をしかめた。

「俺、あんな浮気男じゃないですよ」

 な、なんだってー!!

「新しい彼女を作るときは、前の彼女とは別れますよ。俺、好きな子としか付き合いたくないですもん」

 あれ、もしかして笑いを取りに来ているのか? 外村君のギャグは高等すぎて、私にはいまいちピンと来ない。

「好きな子には、誠実でいたいじゃないですか。二人も三人も同時に付き合って、本当に好きな子に嫌われたらどうしようもないでしょう?」

「い、言いたいことはわかるけど」

 外村君が言うと恐ろしいほどに説得力がない。バイト先での複数の修羅場体験。先輩や本人から聞かされた、恋愛関連のトラブル。そして今日、映画館に喫茶店と、連続して居心地の悪い空気を体験しているのだ。

「実践できてないんじゃ……」

 私の言葉に、外村君が眉をしかめた。

「信用ないですね。今日だって、ちゃんと彼女と別れて来たんですから」

 今日ってなんだよ。スパン短すぎるよ!

「別れた相手の方が納得していないんじゃないの?」

 別れ話でこじれるなんて、良くある話だ。そもそも付き合うとか別れる以前に、告白の時点で上手くお断りできないなんて話もある。おかげでストーカーやら何やらが、背中にくっつくはめになるのだ。

 そう考えて、ふと思い浮かんだのが劉生だった。私には告白した経験も、された経験もない。だけど、劉生越しに恋する少女たちを見て、外村君の言うほど簡単にはいかないことを知っている。

「劉生のこと考えています?」

 唐突に外村君が言った。

 声に出していたのだろうか。ぎくりとして、私は自分の口を押さえた。

「あいつは、難しく考えすぎなんですよ。付き合うときも、別れた後も」

 外村君はコーヒーを一口啜った。美味い、と小さく感想を漏らす。同じ喫茶店でも、我がバイト先のようなチェーンとは格が違うのだろう。

 私は黒いまま、砂糖も入っていないコーヒーを見下ろした。どう考えても、私や劉生が難しいのではなく、外村君が軽すぎるのだと思う。ともすれば、軽いを越えて重力に逆らって浮き上がるくらいだ。

「いくら軽く考えても、元カノのいる映画館や喫茶店には行けないと思うよ」

 昼過ぎの喫茶店で、ウェイトレスの彼女は忙しなく働きながら、たまに私たちの方をちらちらと見やる。しかし居心地の悪さを感じているのは私だけで、外村君は涼しい顔だ。

「なんで元カノがいたら駄目なんですか?」

「なんでって」

「別れたから、相手が嫌いになったわけじゃないでしょう? 付き合っているときは、好きで、楽しかったんです。それを別れたってだけで、全部嫌なことにはしたくないじゃないですか」

 私は黙っていた。でも、と口を挟む隙を外村君は与えてくれなかったし、口を挟んだところで、続く言葉は今のところ頭にない。

「元カノがいるから、喫茶店にも行かない。コーヒーも飲まない。映画も見ないし、街も歩けない。誰かを好きになるたびに、行ける場所が少なくなっていく。それじゃ、詰まらないじゃないですか。だって誰が居たって、この店のコーヒーは美味しいんですよ」

 外村君はそこで言葉を区切った。私は俯きがちに見ていたコーヒーの黒い水面から顔を上げ、外村君に目をやった。

 朗々と喋っていたくせに、外村君の表情は真剣だった。私を見つめたまま、もしかしてずっと目を離していなかったのかもしれない。私と目が合うと、口の端を微かに持ち上げた。だけど瞳は、私を映したまま揺らがない。

「誰かを好きになるのは、本当はすごく楽しくて幸せなことなんです。俺は、それを苦痛の元にはしたくはないです」

 劉生と、たぶん、川崎さんのことを言っているのだろう、と私は思った。もしかしたら外村君は、本当に単純に、恋について私に説いているのかもしれない。しかし、連想するのはやはりあの二人だった。

 付き合って、別れて、あれから一年? 二年? いまだに記憶の底で息をひそめて、ふとした時に顔を出す苦痛の元――しかもそれに縛られているのが、付き合っていた本人ではなく、第三者である私なのだ。

「……そんな簡単にはいかないよ」

 外村君みたいな考えなら、そりゃあ確かに人生バラ色だろう。バラ色と言うか、ちょっと目を覆いたくなるようなピンク色に近い。

「付き合うって、もっと特別なことだと、私は思うよ」

「…………付き合うことが特別なんじゃないです」

 私から目を離さず、外村君は真面目な表情のまま言った。真摯な眼差しの外村君は、他の客も、こちらを窺うウェイトレスも、手元のコーヒーさえ目に入らっていないように思えた。ただまっすぐに、正面の私だけを見据えている。見た目だけは爽やか好青年の外村君は、こんな目つきが良く似合う。

「好きだから付き合うんです。特別なのは、好きと言う気持ちのほう。なのに逆転して考えるから、付き合うことが辛くなるんですよ」

 十日に一度は彼女が変わるような男が言うことではない。

 と笑い飛ばしてやりたかったが、外村君の口調は、そんな思いを飲み込ませる。普段の軽薄さを微塵も見せずに語る外村君の様子から、きっと今の言葉が、彼の本心なのだろうと感じさせられた。

 ――なんで私は、外村君とこんな話をしているのだろう。

 のろけでもなく、茶化すわけでもなく、真面目くさって話すには、私には少し荷が重い話題だ。だけどもしかしたら、こうやって恥ずかしがること自体が、外村君の言うとおり難しく考えているからなのかもしれない。

 私は居心地の悪さをごまかすように、コーヒーに口をつけた。ミルクも砂糖も入れ忘れ、ブラックのままだ。

「美味しいでしょう?」

 うん、と私は素直に頷いた。香りが良くて、苦味は強いが飲みやすい。おすすめというだけのことはある。

「好きな人と一緒に飲むと、もっと美味しいんですよ。恋するってこと自体が、そういう特別なものなんです」

「……ふうん」

 私は息を吐くように、それだけ答えた。外村君の言うことは、わからないではない。好きだから付き合うんだし、そうじゃないから別れるのだ。だけどそれを、誰もが「はいそうですか」と割り切れるわけではない。

「成瀬さん、わかってます?」

 言葉もなくコーヒーを舐めていると、外村君がどこか呆れたような声を出した。

「言わんとすることは理解できるが納得はしていません」

「……そんな難しいことは言っていません」

 はっ、と外村君が困惑交じりに笑った。例えるなら、困った生き物を前に、扱いに悩んでいるときの笑顔だ。そんな表情を向けられても、困った生き物としても困る。

 外村君は頭を掻き、私の飲むコーヒーのカップを指差した。

「俺はね、成瀬さんと飲んでいるから、それを美味いと思っているんですよ」

 外村君の言葉を聞きながら、少しぬるくなったコーヒーが喉の奥を流れる。

 はあ、そうですか、つまり。

 ――――つまり。

 つまり私は、外村君の言葉を理解した瞬間、思い切りむせたわけだ。

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