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 結局私は、医務室のベッドの上。

 きっと疲れたんだろう、と学医の先生は笑っていた。元気になるまで、ベッドを使っていいよ、と。

 わかっていない。本当の恐怖というやつが、どこにあるかわかっていないのだ!


 劉生が、横たわる私を心配そうにのぞき見る。その可愛い顔に、お姉さまたちはきゅんとくるのだろう。劉生は、とくに年上の女性にもてる。私も昔は、大好きだったさ。

「ねーちゃん」

 しかし今は、戦慄しか覚えない。私は体を強張らせ、苦笑いを浮かべつつ劉生を見上げた。

「わ、私ひとりで大丈夫だから。次の講義があるだろうし、劉生はもう行って――」

「ねーちゃん、そんなに怯えないで」

 劉生が困ったように、私の髪をなでる。いやいやいや、そういうところがいけないのだと、何度言ったら。

「変なことはしないよ。無理やりなんかしようともしない。大丈夫だよ。あれは若気の至りだった」

「わわあわわわ」

 未だに若いくせに、若気の至りとはどういうことだ。

「思春期! 高校生! 昔のことだよ」

 お前にとっては昔のことでも、私には未だ鮮明な過去だ。いや、現在進行形で、若気で至りまくっている! 体調が悪くて横たわる姉に対し、片手をベッドに押し当てつつ、髪をなでるとはどういう量見だ。

 やめろ、と劉生の手を払おうとすると、そのままその手を握りしめられる。そして、熱っぽい目で見つめてくる。ここここここれはまずい! 久々のピンチだ。

「ねーちゃん……」

 おま、昔のことだとか、舌の根も乾かぬうちに!!

 すっと目を細めた劉生が、私に顔を近づけてくる。弟の分際で、いったいなにをしようとするんだ!


「だめえぇえ!!」


 私じゃない。

 はっと声に目をやれば、隣のベッドの下からはい出る女が一人。長い髪を乱し、可愛らしい顔をほこりで汚し、大きくてキュートな瞳を見開きつつ。

 ストーカー。名札でもついているのではないかと思うほど、正当なストーカーだ。そして救世主だ。

「ハルちゃん!」

 私は思わず上半身を起こし、叫んだ。

「ハル子……!?」

 劉生も叫んだ。

「きゃっ! 劉生さんったら私の名前を! 恥ずかしい!」

 ストーカーもといハルちゃんは、両手で顔をおおって可愛く照れた。おお、その仕草ひとつひとつが、女神さまのように思える。

「ハルちゃん、ありがとう!」

「いえー。劉生さんのお姉さんのためだもの! なんでもしちゃいますよ」

 笑顔を交わす、私たち二人。それを見た劉生は、肩を強張らせ、苦々しい笑みを浮かべている。

「ま、まだ俺のあとをつけてたのか」

「当然です! 永遠の愛! ですから!」

 ガッツポーズを見せるハルちゃん。この頼もしさ。私は思わず拍手を送ってしまう。

「ねーちゃん! あいつストーカーだから」

 知っている。しかしそんなことは関係あるものか。ハルちゃんは言動も愛らしく、危険思考もない。私に襲いかかっても来ない。少なくとも劉生よりは、よほど安全なのだ。

「間違ってるよ。公認のストーカーなんて、絶対に間違ってる!」

「お前よりは間違っていない」

 私は枕を劉生に投げつけると、生きてベッドから抜け出せることを、女神もといハルちゃんに感謝するのだった。


 ○


 たぶん、説明が必要なのではないかと思う。なので、彼女について簡潔に補足をさせていただく。

 要するに、ハルちゃんはストーカーだ。中学時代から劉生にとりついていたから筋金入りである。劉生はハルちゃんが恐ろしいらしい。確かに彼女、気がついたら部屋に入っていたり、劉生のシャーペンを使っていたり、なんだか歯ブラシがなくなっていたりする。

 最初は私も不気味がっていた。ストーカーだなんて恐ろしい、そう思っていた時期が私にもありました。でも、劉生に比べたら全然怖くなかった。そしてなんかいろいろあって仲良くなった。


 ハルちゃんが劉生のそばにぴたりと寄って、至上の笑顔を浮かべている。劉生自身は死んだサバと同じ顔をしていた。口の開け方がそっくり! ざまあああ!

「じゃあ、私は次も講義があるので!」

 私は鞄を肩にかけ、軽やかに医務室を去っていく。ハルちゃんがいる限り、劉生はうかつな行動を取ることができない。なぜなら、一挙手一投足、ハルちゃんのしかけた監視カメラに映っているからだ。想像するだに恐ろしいが、自分のことでないので関係ない。

 なにより、劉生がいない。それだけで、つきものが落ちたように気持ちが軽くなる。

「はーい、お姉さん、行ってらっしゃーい」

「ね、ねーちゃーん……」

 最後に振り返って、明るい笑顔とともに手を振った。劉生に、じゃない。隣に立つハルちゃんのために、だ!


 そして講義。

 後ろの扉からこっそり入ると、教室内は薄暗い。正面ではスライドを回して、教授が話をしていた。時計を見れば、すでに時間は三十分のオーバー。

 私はできるだけ後ろの方の席に座り、ノートとペンを机に広げた。しかしどうにも、やる気が起きない。

 ボールペンを指でもてあそびつつ、肩肘をついてぼんやりとする。ううむ、明日提出のレポートはどうするべきか。

「ねーちゃん」

 不意に、肩を叩かれた。

 振り返れば劉生がいた。

 これはいったいどうしたことだ。劉生はハルちゃんに捕まって、再起不能に陥ったのではなかったのか。どうして劉生が、私の後ろの席に座っているのだ。だめだ、全然理解できない。

「俺、この講義とってるんだよ。他にも、ねーちゃんと一緒にとれるものはだいたい」

 そう言ってから、劉生はさらに後ろを振り返る。途端に苦い顔をする。

 劉生の視線の先には、笑顔のハルちゃんがいた。

「あいつも。俺と同じのばっかり取りやがって。気持ち悪い」

 その言葉、そっくりそのまま返して差し上げたい。ハルちゃんと同じく、劉生もギリギリなのだ。ギリギリ、アウトのストーカー。大学まで追いかけてきて、学部が違うだけでも幸いと思うしかない。

「まあ、でもねーちゃんと一緒だし」

 劉生は私に向けて、この上なく甘ったるい笑顔を見せた。

「勉強、教えてね。ねーちゃん」

「いやだ」

 ああ、いやだ。どうしてこんなことになってしまったんだ。

 今はまだ四月。これから少なくとも二年間、劉生と同じ大学生でいるなんて。

 これは何のいやがらせだ。


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