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 ハルちゃんの怒りが有頂天。

 私に向けて怒っていることは確定的に明らかである。

 ハルちゃんが怒るなんて滅多にないことで、私はフォークでスパゲティをくるくる巻き取りながらも、かなり困惑していた。

「お姉さん、ひどいです! ずるいです!」

 立ち去った美女の代わりに、ハルちゃんが私の正面に座った。小柄な体が怒りにぷるぷると打ち震えている。

「あたしには、劉生さんのことで協力なんてしてくれたことないのにっ!」

「いやストーカーに協力するのはちょっと……」

 勝手に人の使用済み歯ブラシとかパンツとか持って行くような人間には、いくら劉生とはいえ引き渡すことはできない。

「ストーカーが何です!」

 ハルちゃんは引き下がらない。

「あたしほど劉生さんにふさわしい女はいませんよ。劉生さんのことなら何でもわかっていますし、一途ですし。いつも劉生さんの三歩後ろを歩き、決して出しゃばらない、ちょっと古風な良い女なんです!」

 わあ! 物は言いようだね!

 ところで、その劉生はどうした。辺りを見回す限り、劉生らしき姿は見えない。しかし見えたら見えたで、それも嫌だ。

 訝しむ私に、ハルちゃんはわかったように頷いた。

「劉生さんならいませんよ。あたしとしたことが、見失っちゃって……。だから代わりにお姉さんの三歩後ろを」

「なんで私の後ろ!?」

「だって、お姉さんの後ろにいればいつかは劉生さんが現れますから」

 けろりとハルちゃんは言い放つ。

「劉生さんは用心深いですからねー。お姉さんの五十分の一でも迂闊さがあればいいのに」

 私はどれほど迂闊なのか。いやいや、普通にごく真っ当に生きている。プロストーカーたるハルちゃんが異常なのだ。そしてハルちゃんと対等に渡り歩く劉生、お前はいったい何なのだ。

 私は椅子に深く腰を掛け、しみじみと息を吐いた。対するハルちゃんも少し落ち着いた様子で、うんざりとした声色で呟いた。

「だいたい、劉生さんっていっつもちょっと厄介でしつこい女に好かれるじゃないですか」

「ああ……そうだねえ」

 ハルちゃんを見つつ、私は深々と頷く。

「劉生さんが迷惑がっているのに、自分勝手に追いかけまわすなんて最低ですよ。相手の都合も考えない女なんて、劉生さんには釣り合いません!」

「……ブーメランって知ってる?」

 ハルちゃんが投げたのはまさに言葉のブーメラン。全部自分に返ってきたうえ、さくさくと刺さっている。しかも劉生にできたストーカー達の中でも、ハルちゃんは最も古く最も長い。ハルちゃんのブーメランの威力は倍増しになっているはずだ。痛い。

「知っていますよう。くるくる投げると犬が取ってくるやつ」

 得意顔で応えるハルちゃん、それはフリスビーという。

 私のあきれ顔には気がつかず、ハルちゃんは鋭い瞳を店の入り口に向けた。美女が去っていった方向だ。警戒心をむき出しにしたハルちゃんの横顔に、私はどきりとする。

「嫌な感じがするんですよね、あの女」

 厄介でしつこい感じか。劉生専門で超高性能のセンサーたるハルちゃんが言うのだから間違いない。

 何かが起こる気はしていたのだ。



 でもまあ、なにか起こるとしても劉生に対してだろう。

 どうせ私には関係ない関係ない。たまには劉生も痛い目をみやがれこの野郎。

 という私の最低根性丸出しの考えから、とりあえず劉生と美女こと落居さんをめぐり合わせたのがつい先日。なにをしたかと言えば、ちょっぴり軽い食事会。私は途中で抜け出して、無責任にあとは野となれ山となれ。

 そして野山となった結果がこれである。


「ねーちゃんひどいよ!」

 私の部屋で、劉生が恨めしげにそう言った。この時私は、買い物袋をぶら下げて食料の買い出しから帰ったところだった。ちなみに鍵は、今私が開けた。

 落ち着け……素数を数えて落ち着くんだ……。ドアノブを持ったまま、私は自分に言い聞かせる。鍵は確かに変えたはず。そして出て行くとき、私は紛れもなく新しい鍵で扉を閉めたのだ。それならば、劉生の侵入経路はどこから。

 私の鋭い観察眼が、劉生の背後にあるベランダを捉えた。蒸し暑いこの夏、そう言えば私は、ほとんどベランダを閉めた覚えがない。ベランダのすぐ傍には、おあつらえ向きに街路樹が植わっていて、リア充になろうと生き急ぐ蝉が引っ付いてじわじわ鳴いている。

 まさか、いやまさか。ベランダには礼儀正しく靴が揃えられている。見覚えのない大きな靴は、もちろん私のものではない。でもまさか。さすがの劉生でも。

「……劉生、どこから入ったの」

「ねーちゃん、窓を開けっぱなしにしたら駄目だよ。ねーちゃんに何かあったらどうするの」

 さすが劉生、私にできないことを平気でやってのける!

「非常識!」

「違うよ! ちゃんと靴は脱いだよ!」

 劉生は背後の靴を指差して、心外とばかりに言い返す。そう言う問題ではない!

「人の家に勝手に上り込むんじゃない!」

「だって、こうでもしないとねーちゃんは俺に会ってくれないだろ。……そのくせ、自分では勝手に俺を呼び出して」

 ふと、劉生が声を低くする。先日の、落居さんと劉生の見合いのことを言っているのだ。メールで劉生に「今度会おう」と送ったら、ものすごい勢いで食いつかれた。……うん、まあ騙したみたいで少し申し訳ない気持ちはある。

 ちなみに劉生からのメールは全部スパムフォルダに突っこんであることを、本人は知らない。毎日何十件もメールが送ってくるような奴は、弟と言えどもこういう仕打ちにあうのだ。

「ねーちゃん、ひどいよ」

 はじめの言葉を繰り返し、劉生はいまだドアの前に立つ私に近づいてきた。その静かな声に、なにか嫌な予感がする。

「……落居さんと、どうかしたの?」

 買い物袋を玄関に置き、ドアを閉める。大事な話ならゆっくり聞かなくては。いくら私でも、ごく僅かばかりは責任と言う言葉を知っているのだ。

「ねーちゃん……」

 劉生は言いにくそうに目を伏せる。そのまま訪れた沈黙は、永遠かと思うほどに長い。蝉の声が遠く聞こえ、蒸し暑さも一瞬忘れた。

「……あいつ、俺に弁当作って来るんだ」

 私は額に手を当てた。

「?」

 ? としか言いようがない。発音できているかどうかは知らないが、私が劉生に向かって発しているのは全身からの「?」だ。

 お弁当。それは外出の際に食べるための持ち歩き用ご飯のこと。女の子にとってみれば恋愛のためのマストアイテム。これを作ってあげれば意中のあの人もメロメロよ!

 しかし劉生は小さく肩を震わせて、らしくない怯えた声を出す。

「しかもその弁当、必ず卵焼きが入ってるんだよ」

「へ、へえ……」

「一回だけ受け取って食べてみたけど、はちみつ入りで味も見た目もすげえ美味いんだよ」

 頭を抱えて嘆く劉生。私も混乱してきた。なにこれ惚気?

「――それを、どこにいても持ってくるんだよ。俺がねーちゃんの部屋の前にいるときも、ねーちゃんを追いかけて駅まで出たときも。ああ、ねーちゃんがうっかり乗り過ごして終点の車庫まで行ったときも」

 劉生、自分の首絞めてる、首。

「お似合いなんじゃないの?」

「嫌だよ、あんなストーカー!」

 ナイスブーメラン! ハルちゃんと言い劉生と言い、どうやらストーカーにとって言葉のブーメランは必須の技術らしい。

「なんでそんなこと言うの。ねーちゃん、俺はねーちゃんから会おうって言われて、すごく嬉しかったのに」

 目の前に立つ劉生は、不意に腰をかがめて私に顔を近づけた。涼しげに整った顔に、不満の瞳が二つ、私の姿を映している。

「俺の気持ち知ってるくせに。なんでお似合いだなんて言うんだよ」

 私は一歩後ずさる。背中に扉。前には劉生。

「俺は、ねーちゃんがす――」

「ストップ!」

 劉生の言葉を遮って、私は勢いよく扉を開けた。びっくりした劉生をそのまま外に追い出す。さすがにこのパターンは学習した。

 劉生は外で喚いている。知ったこっちゃない。落居さんの件について、針の先ほどだけ感じていた責任も放り出し、私はやれやれと息を吐いた。

 どうせ劉生だから、自力でなんとかできるだろう。

 私は買い物袋を拾い上げ、緩慢に部屋に上がっていった。置きっぱなしだった劉生の靴は、ベランダから放り投げておいた。

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