第一話 悪夢
暗く果てしなく何も無い、そんな空間。
いざ、気がつくと俺はそんなところにいた。
夢の中で自分が何者なのか分からないのと同じように、このときの俺は死んだことすら、自分自身のことすら曖昧だった。
ただ俺の意識だけがぼんやりと存在する、それだけは確実であった。
しばらく俺は彷徨った。
不思議と、不安や恐怖は感じず、ただそういうものだとしか見ていなかった。
通常の夢ではすでに当てはめられたかの様なシナリオがあるはずだが、今度にはそれがなかった。指だって、足だって、自分の意思で動かせる。
すると突如、すぐ近くに"何か"が見えた。それに段々と近づいていくうちに何なのかが分かっていった。
おそらく左目。
なぜ、"目"なのか、なぜそれが存在するのか、それは何を示しているのか、俺に知る由もないことだった。
その"目"は、やけに白い部分がでかく、通常は虹彩と瞳孔が一つずつの黒目なのにたいして、それには黒目が複数あった。
普通のものもあれば楕円形のものもあったりと、その在り方は様々であった。
なんとも不気味だが、神々しさも感じ取れる。
それは、ずっと数個の黒い目でこっちをみている。
俺が認識するなり、その目はすぐに口の形に変形した。
さっきの目の形に、唇をつけたような不確定ではっきりとしない、不格好な姿で口角が引き裂けそうなくらい上げて音を立てて笑った。
その笑い声は、歓喜とも、叫びとも、悲しみとも、苦しみともとれるような、入り混じった極めて異様で不快なものだった。
ただ、すごく気持ちが悪い。
俺の心拍数と息遣いはその笑い声と一緒に急加速していく。
あまりの不気味さに俺は、咄嗟に目を逸らした。
そこで俺はハッとして目を覚ました。
目を覚ました俺は額に汗をかいていた。
俺の目の前に広がっていたのは森だった。ひたすらに木がそびえ立っていた。
ブナのような木や、背の低い雑草が青々と生い茂っている。
さっきまでの夏の季節感がなくなり、葉の隙間から入り込む日光が程よく辺りを照らし、幻想的な風景を作っている。吹く風は涼しく、いつからここに座っているか分からない俺のケツは冷たくなっていた。
俺はどこから理解すべきか困り、混乱し、しばらく思考が停止した。
「ここ、どこ?」
啓介が独り言のように言った。
後ろを振り向くと、啓介が上半身を起こした状態で周りを見渡していた。
啓介の周りには渡辺、櫻井、中嶋、朝日が横たわっていた。
それを見た俺は、安堵感に満たされる。
そんなうちに、あの不気味な夢のことは頭から外れていった。
とりあえず俺は、立ち上がって啓介の所に行くことにした。
立とうとしたが、何故か久しぶりに立つかの様な違和感に苛まれ、何度か尻もちをついてしまった。
やっとの思いで立って、ボーとしている啓介の所におぼつかない足でヨロヨロしながらも向かった。
「皆、大丈夫なんか?」
俺は啓介にそう尋ねた。
「起きとるのは俺らだけっぽいな。流石に死んではないと思うけど…」
続けて啓介は言った。
「俺らってさ…轢かれたよな」
聞いた瞬間、轢かれたあの時の事が思い出される。と、同時に轢かれたあの感覚が体中から伝わってくる。
それの気分の悪さはすぐに生理反応となり、猛烈な吐き気に見舞われる。
手で押さえて、少し離れた所で吐いた。
「お〜い!、大丈夫か?お前」
出てきたものは胃酸とよだれだけ。
胃酸が食道を通った時の痛みが、俺に落ち着きを少しずつ取り戻させてくれた。
「……」
俺は反射的に出た涙を震える手で拭った。
冷や汗をかいて、何度も起こる吐き気も押さえながら膝から崩れ落ちた。
「じゃあ、死んだってことか…」
今にも泣きそうな、か細い声で呟いた。
「……」
啓介はあえて俺に声を掛けてこなかった。
「なら、ここはどこや」
もし死んだとするならば、何故意識がある、何故苦しんでいる?
この矛盾した現状に再び混乱した。
そうしているうちに、啓介のそばで寝転がっていた櫻井が突然、スッと起き上がった。
「……どこや?ここ」
起きるなり、櫻井はじっと周囲を眺め回した。
すると、櫻井に続いて渡辺ももぞもぞし始め、身を起こし辺りをうかがい始めた。
「わからん。ただ、事故の巻き添えになったとこまでは覚えとる」
啓介は冷静に現状を伝えた。
「じゃあなんや、ここは天国か?地獄か?」
櫻井は冗談半分のつもりで言ったのだろう。ただ、死んだ時の感覚が残っていて、臨場感のあった俺にはその言葉は、全く冗談に思えなかった。
「病院で緊急オペして、ここに捨てられたとか」
今度は渡辺も冗談めかして言った。
「それは看護師が病院に行くべきちゃう」
啓介が笑いながらツッコんだ。
そんな他愛もない会話に、安心を感じた。けれども、その現状の把握能力の無さがそれ以上に頭に来る。
「お前ら、なんでそんな呑気なんや?」
俺の急な水を差すような質問に皆は言葉が詰まってしまった。
「その…、お前らは痛みとか無かったんか?」
「痛み?」
啓介は困り顔をした。
「ほら、轢かれたときのよ」
「いや、何も感じんかったけど…」
「俺も、俺も」
啓介に続いて、櫻井も言い放った。
「え、俺もなんやけど。ていうか、サトショウにその痛みがあったんなら、やっぱり…」
サトショウとは俺のあだ名のことで、本名からとった単調なあだ名だ。
他にも翔くんと何故かくん付けにするのもあるし、普通に佐藤と言う奴もいる。
渡辺はヨロヨロとしながら立ち上がり、背伸びをした。
「どこなん?ここ」
突然、朝日が会話に割り込んだ。
理解に集中しすぎて気づかなかったが、いつの間にか朝日が起きたらしい。
「さぁ、どこかわからん」
櫻井も渡辺に続いて、よろめきながら立ち上がった。
「皆、ここがどこか聞くよな」
啓介が笑って言った。
朝日はその言葉を聞くとさらに困惑して、言葉を失っていた。
「いや、じゃあなんでここおるの?」
「それも分からん」
「何やそれ」
朝日と櫻井はその後も問答を続けていた。
俺は啓介達のこの明るさに活力を取り戻しつつあった。
なにより、今は意識があり、眼前に広がる景色を見れているという、生きていることの確固たる証拠が、事故のことを一時的に忘れさせてくれていた。
だが、相変わらず手は震えていた。
周りにこんな状態であることを悟られて、変な空気になるのも避けたかったので気を逸らすために未だ起きない中嶋の所に行くことにした。
動機としては幾分かの心配もあったが、結局は自分のためだ。
「おい、起きろ」
俺は中嶋の体を揺さぶった。だが返事どころか、なんの仕草もなかった。
よく見ると、呼吸をしているような様子はなく、横たわったその姿はまるで屍の様
だ。
「ちょ、おいおい」
その言葉は、戸惑いとともに口をついて出た。
「どしたん?」
啓介がそう言って俺の横に立った。
「中嶋死んどんやないん、これ」
風しか吹かない静かなこの森でその声はよく通った。




