プロローグ
俺の名前は佐藤翔。
中高一貫校に通う4年生の普通の学生として毎日を過ごしている。
これはそんなごく普通だった俺の、最低で惨憺たる英雄譚だ。
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「ほら、早く起きなさい!」
「あと…10…分……」
俺は寝起きで、意識もはっきりしないうちにベッドから出ることを避けるために、いつもの決まり文句を言った。
「もう!遅れても知らんで!」
母さんは俺に少し不機嫌そうで呆れたようにそう言った。
俺は二度寝するか起きるかでしばらく葛藤した。そんな心の葛藤をしている間に、段々と眠気が覚めていってしまったせいで、俺は結局ベットから起き上がることになり、一階の食卓に向かった。
食卓には味噌汁とご飯が置かれてあった。
質素だが朝はこれくらいが丁度いい。
「今日は7月11日金曜日、天気は晴れ。ただ……」
テレビのニュースが流れていた。母さんが流しているのだろう。
俺はテレビよりもスマホ派なので、今日の日付くらいしか頭には入らなかった。
俺は朝ごはんを食べて「いただきます」を忘れたことに気づき、「ご馳走様」を言うと俺はトイレに向かった。この「ご馳走様」や「いただきます」という言葉には失礼ながら日常茶飯事過ぎて、時たまに忘れるほど感謝の感情はこもっていない。
家を出るまであと30分ある。
学校開始は朝の8時40分であるが、それまでには自分の席に座っておかないといけないので、俺が自転車通学でドタバタするのも見越してのこの時間だ。
トイレの後、鏡を見て適当に寝癖を直した。と言っても俺は相当な癖毛だし、ほとんど直らないのでほぼ放置する。そして俺は歯磨きをして、消毒液ですすぐ、これで一日中はお口スッキリだ。
制服に着替え、母さんが買ってくれた腕時計を身に着けて玄関に立った。
「行ってきます!」
家のどこかにいる母さんに向かってそう言った。
「いってらっしゃい」
そうとだけ返事が返ってきた。
俺は扉を開け、玄関横のサークルポートの下にある、ギラつく太陽を反射する使用歴4年の横ハンシルバー自転車の鍵を解き、スタンドを倒し、走らせた。
今は真夏、それも最近は30を軽く超えてくる温度が続いていて、とても暑い。殺人的な暑さだ。しかも風すらもカラッとしてない、ジメジメした風だ。地球温暖化というやつをしみじみと感じる。
左には少し濁った緩流の支川があり、右に時折鼻につく匂いを排出するガソリン車が幹線道路を行き交っている。
川の向こう側には山に家が点在しており、蝉声がこちら側にも弱く聞こえてくる。
そのいつもの通学の風景に飽き飽きしている。まあ、あくまで風景にであり、今のところの過ごし方には不満はない。ただ、最近は頭のどこかで日常に変化を求めてしまっている節があるのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、もう学校の正門に続く坂を他の人と列になって自転車を押して上がっていた。
横を自転車に乗ったまま駆け上がって行く人もいれば、今の俺と同じように列になって押して行く人もいる。その光景はさながら大名行列のようだ。
学校に入った俺は、いつも通り自転車を駐輪場に停めに行った。
朝のこの時間の学校はとても人が多く、各自の駐輪場に向かう人と学校の教室に向かう人とで、とても混み合っている。
当然その中には友達もいれば、部活の気まずい先輩だっている。
自転車を停めて、タオルで汗を拭かながら次は教室に向かった。
「おはよう」
俺は向こうから自転車を押してこっちに向かってくる同じクラスの櫻井に挨拶をした。
「おはよう」
なんとなく眠たそうなその挨拶もいつも通りだった。
俺は朝、友達と通りすがったらほぼ必ず挨拶をする。仲が良くても悪くても、挨拶はしたほうがいいし、しないまま通り過ぎるのもなんか気まずい。これも俺の日常だ。
「7時38分だぞー!。急げよー!」
どこからか、聞き馴染みのある声だが、挨拶程度の面識しかない生徒指導教員の声がする。
その声の威圧感のある声と時間の無さに駆り立てられて、走って向かった。
(そいやー櫻井大丈夫なんやろか)
そんなことを思いつつ俺は人混みを縫って進んで、靴箱で上履きに履き替えた。
教室に向かいながら、廊下側から見える他教室の時計を見て、登校時間まであまり時間が無いことを知りつつ、俺は階段を二段飛ばしで、駆け上がっていっていた。
三階まで上がり、2つある内の後方側のドアから自分の教室に駆け込んだ。
「キーンコーンカーンコーン、キーンコーンカーンコーン」
俺が教室に入ると同時にチャイムが鳴り始めた。
「おっしゃ、セーフ」
まだザワザワしている教室に独り言を呟いた。
「いや、ギリアウトやろ」
そうやって、少し笑いながら話しかけてきたのは啓介だった。
啓介とは中学一年生からの仲であり、部活も同じで、かなり仲がいい。
「いやいや、俺が入ってから鳴ったんでセーフなんです」
「どうせなら遅れろや、お前ー」
「いや、なんで遅れなアカンねん」
「まぁな」
啓介は笑った。
「おはようございます〜」
ドアをガラガラと鳴らして、前の方から挨拶をしながら入ってきたのは先生だった。
入ってくるのを見ると、教室は段々と静かになっていき、俺はドアを入ってすぐの隅っこの自分の席に座った。
「はい、じゃあ、号令をお願いしますか」
その特徴的な声で先生はそう言った。
「起立。姿勢を正して、礼」
クラス委員長が号令をかけると、みんなが椅子をガタガタと鳴らしながら立つ。
「お願いします」
その声は、37人と言う人数にしては、小さ過ぎる。
半数以上が声を出していないが、号令なんてこんなものだ。
時々、あまりに声が小さ過ぎると、注意されるくらいであり、挨拶はすでに形骸化してしまっているのかもしれない。
「今日は4限目に総合の時間があるのでその時に……」
先生は今日の要点をまとめて教えてくれるが、俺は自分に関係あることだけを聞き取って、あとは適当に受け流していた。
「……じゃあ、夏休みも近いだからこそね、気を引き締めていましょう。号令。」
「起立。姿勢を正して礼」
いつも通り、終わりの号令を副委員長がする。
「ありがとうございました」
号令が終わるとみんなは、一限目の授業準備をしだしたり、話したりしだす。
そんな中、俺はボーっとしながら、ノートの下敷きで自分を扇いでいた。
「今日はえらく遅かったな。ギリギリやったやん」
そう話しかけてきたのは、啓介だった。
啓介は俺の前の空いた席にこっちを向いて座った。
「めっちゃ信号引っ掛かったねん。今日マジでついてないわ」
「そいやー、櫻井も遅れそうやったな」
「あー、駐輪場であったわ。間に合っとったんか。」
「呼んだー?」
何処からともなく現れた櫻井は啓介の肩に手を置いた。
「いやな、今日遅れそうだったな、って話をしとったんよ。てかなんで俺よりはよ着いてるん?」
「まあ、走ったからな」
「なになに、混ぜてよー」
そう言いながら俺の膝の上に乗ってきたのは渡辺だった。
渡辺はボディタッチが多くて、少しホモ臭いが、気にはしてはいない。
俺達は、よくこの四人で集まる。時にはもっと集まる時もあるが、大体この四人で話していることが多いだたろう。
三人とはいざこざも起きたことがなく、一緒にいると安心できる。
「別にそんな大した話じゃあないんやけどな」
「ああ、そうなん」
「てかさ、今日ゲーセン行かん?」
随分と楽しげに啓介が誘って来た。
「いや、それはマジであり。ちょうど競馬のやつしたかったんよ。なべちゃんと、櫻井は?」
なべちゃんとは、渡辺のあだ名で、そのままの単純なあだ名だ。
俺達がよく行くゲームセンターには、競馬のゲームがあり、よく俺達はそれ目当てで遊びに行くことがある。
「えっと、今日部活あったっけ?」
櫻井は渡辺を見て言った。
櫻井と渡辺は同じテニス部で、普段から部活にはよく行っている。
ちなみに、俺と啓介は同じバレーボール部だったが、この日は練習はなかった。
「なかったと思うよ。うん、無かった。無かった」
「なら俺も行くわ」
「んじゃあ、俺も。馬さんのやつって6人まで参加できたはずじゃけぇ、あと2人誘おうや」
「そうするか、なら啓介誘っといてや」
「なら誰がいいかな…」
「あ、やべ。準備せな」
そう言って櫻井が離れていくと、俺たちも自然と散らばって、一限目の準備をしだした。
「キーンコーンカーンコーン、キーンコーンカーンコーン」
1限目が始まってから7限目まで終わるのはすぐだった。
50分を7回に、10分休憩を5回、40分の昼休憩が一度ある。
こうしてまとめてみると、結構長い気がするが、過ぎてしまうと短く感じてしまうものだ。
掃除が終わり、帰りの号令も終わった所で俺はロッカーで土日の宿題の準備をしている啓介のもとに行った。
「2人、誘った?」
「ん?。あった、あった、やっと見つけた」
そう言って啓介は散らばって整理の全くされていないロッカーから数学の教材を引っこ抜いた。
「あ、そいやー誘うの忘れとったわ。わりぃ、代わりに誘っといてや」
「はあー、何やってんねん」
啓介は、そういうところがある。宿題とかはちゃんとやるくせに、こういうことを忘れたりすることが多々ある。
しっかりしているかしっかりしてないのかわからん。
もうクラスには部活に行く人くらいしかいなかったので、俺はすぐに隣のクラスに行った。
四年同じ学年で過ごしてきているので、遊びに誘えるような仲の友達は点在している。
隣のクラスに行ってみると、ちょうど先生に提出物を出し終わって帰ろうとしている朝日が居た。
「ちょ、ゲーセンいかん?」
「う〜ん、中嶋が行くなら行くかな。もう中嶋と帰る約束したんよ」
「なら、まあ確認してみるわ」
「朝日、はよしろや」
ちょうど中嶋がやってきて、そう朝日に話しかけてた。
「お前、今日ゲーセン行く?」
「ああ、まあいいけど。今日明日部活オフやし」
「なら決まりやな」
俺は自分の教室に戻った。
朝日は俺や啓介と同じバレーボール部で、中嶋は野球部に所属している。
中嶋は野球部でキャッチーをしてをり、坊主でデブと筋骨隆々の中間くらいの体型をしている。
朝日は、センター分けをしたりと、色気づいていて、最近彼女もできたらしい……。
教室に戻ると、啓介たちはカバンを背負って、準備万端の状況で、話していた。
俺もカバンを背負って
「行こうや」
とそう言った。
「んー。わかった」
そう啓介が言うと、三人は喋りながらノロノロと俺の所に来ていた。
「誰誘ったん?」
櫻井が俺に聞く。
「朝日と中嶋」
「ほーん」
みんなで隣のクラスに行こうと、廊下に出ると、ちょうどこちらのクラスに来ようとしている、朝日と中嶋に会った。
「どこのゲーセン行くん?」
中嶋が俺の肩に手を置いた。
「近くの!?」
俺が答えようとした瞬間、鞭のようにしならせた中嶋の手が、俺の金玉を直撃した。
直後、俺はすぐに金玉を押さえた。と同時に腹痛のような痛みに襲われる。
「あかん、マジヤバイ、あかんあかん」
俺が苦しむのを見て朝日の甲高い笑い声と中嶋の控えめな笑い声が聞こえる。
俺は膝から崩れ込み、廊下に金玉を押さえながらうつ伏せになって伸びた。
それを見て、さらに笑い声は加速する。
「どしたんこいつ」
啓介が朝日に少し笑いながら聞く。
「金玉殴ってこうなっとる」
朝日が腹を抱えて笑いながらそう答えると、啓介の鼻で笑っているような笑い声と櫻井の変な引き笑いが聞こえてくる。渡辺は優しい性格からか、含み笑いをしていた。
「大丈夫か、おい」
櫻井が笑いながら、俺の体を手で揺らす。 明らかに心配してないのが伝わってくる。
「やばい先生来た」
笑いを押さえながら櫻井が言ったそれを聞いた俺は治まりかけていた痛みを抑えて、すぐさま立ち上がった。
俺は櫻井の嘘かとも思ったが、本当に先生は来ていた。
「先生、さようなら」
なんとも白々しく言った。
みんなは、笑いを堪えるので精一杯のようだった。
「廊下で寝転がるなよ〜」
先生は朝日や中嶋のクラスの担任の男子教員で、ノリが良いので、なんとか笑って見過ごしてくれた。
先生が通り過ぎると、俺達は盛大に笑った。こんな感じの笑ってはいけないとこでの笑いが一番面白い。
「中嶋覚えとけよ。お前」
俺は笑いながらそう言った。
「わかった、わかった、覚えとくわ」
中嶋も笑いながら分かりやすく受け流した。
金玉を殴るのは中1のときからの古き悪しき俺達の慣習で、未だ高1になったのに時々やっている。俺がやることはまず無いが、俺はイジられ安いので、朝日や中嶋にやられることは多々ある。もうやられ慣れてしまったせいで、たいしてムカついたりはしない。
そんなくだらない事をし終わった俺達は、駐輪場に向かった。
ゲームの話をしたりだとか、プロ野球の話をしたりだとかしていたら、いつの間にか駐輪場についていた。
駐輪場に着いたら適当に話しながら自転車を押して行った。
校門まで行くと、緑々しい木の下の下り坂を自転車に乗って駆け下りて行った。
下りたら、自然と俺達は三人と三人に分かれて話しながら自転車を漕いだ。
川沿いの細い堤防の道を左側通行しながら
いつもの帰路についた。普段ならすぐに別れて帰るが、今日は違った。
自分の家をとっくに通り過ぎ、大路に出た俺達は横断歩道を渡ろうとしたのだが、その横断歩道に1台の白の高級車があたかも私は正義です。みたいに位置していた。
その車を(邪魔やな)と思っていたところ、中嶋が突然大きな声で
「よん、よん、よん、よん邪魔やなー」
とその車のナンバーを叫んだ。
それを聞いた俺と朝日は、軽く笑った。
「言ってやんなよー、中嶋」
すぐ後ろを啓介達と走っている櫻井が大声で言い放ってきた。
どうやら後ろにも聞こえていたらしい。
こういう非常識な車がいたら、中嶋はよく大声でその車のナンバーを叫ぶという悪うふざけをよくする。
意趣返し、という中嶋なりの信念があるらしい。同じことをやり返したらそいつと同格になってしまう気もするが…。
「てか、44-44とか、縁起悪ない」
「死、死、死、死ってこと」
朝日が反応する。
「これまた、肝の座ったナンバーやな」
俺は嘲笑した。
そんな会話をしながら進んでいると、またすぐに二車線ある十字路の信号に引っ掛かった。
「・・・おれは絶対車のナンバー7777にするからな」
さっきの縁起の悪い車つながりでの話が盛り上がっているとき、急に後ろから小突かれる衝撃が伝わってきた。おかげでバランスを崩し、隣にあるブロック塀に手をついた。
「ビックリした!」
体勢を立て直し後ろを向くと、俺の自転車に渡辺が突っ込んでいた。故意でぶつかってきたのだろう。
「自転車壊れてまうやろ。やっすい自転車なんやから」
「は〜い」
雑な返事に少し腹が立ったが、渡辺の後ろにさっきの道をふさいでいた車の姿が見えたことでその車の方に俺の関心が向かった。
車は段々とスピードを上げて来ている様子だった。信号が噛み合っていたのか、その車が走っている車線には車が1台もなく、その白い車を陽炎が揺らしているのがよく見えた。
それを見た俺は前を向いて中嶋と朝日に話しかけた。
「後ろのあれ、デスカーやない。しかもめっちゃスピード上げとるし」
俺は車を指差した。
「デスカー?。ああ、4444だからか」
朝日が笑いながら言った。
俺は前を向き直した。
「Deathカーな」
中嶋が無駄に発音良く言い捨てた。
「お、おう」
別に面白くもないし、反応にも困るので適当にこたえた。
「むかつくなぁ。しばくぞ」
俺はよくしょうもないことにはその返しで答えていて、中嶋にこの返しをするとよく怒る。
「てかあの車ブチギレてね。突っ込んでくるちゃうん」
朝日が軽口をたたいた。
「そしたら、死ぬだけやな」
中嶋はそう言った。
「いや、軽」
俺は食い気味にツッコむ。
俺は何となく再びあの車が気になって後ろをまた向こうとした。
その瞬間、俺達の横を例の車は轟音を鳴らしながら通り過ぎた。
車を目で見た感じ、100キロは出ていたかもしれない。
すかさず俺は上を見上げて信号を見たが、信号はまだ赤のままだった。
「これやばく…」
目の前光景を見た俺は、言いかけた言葉が思わず言いよどんだ。
なんとも丁度よく、俺達のすぐ前から青信号を渡ろうとしてる大型トラックが右折をしたのだ。
白の車の方は耳を覆いたくなるような音をだしなが、咄嗟にブレーキをして右に曲がっていった。
すぐに車は電柱にぶつかり大きな衝撃音が街中に轟いた。
大型トラックは、突っ込んでくる車との衝突を避けようとして、ひたすらにハンドルを右にまわした。車とは奇跡的に掠る程度で済んだが、トラックは急ブレーキと急カーブのせいで横転し、鳴動とともに制御を失った。
そして、その先にいるのは俺達6人だった。
俺はトラックがただこちらに向かって来ているという事柄を認識することしかできない。
状況を理解しようとすることすらままならないのに、避けるなんて体が反応せず、できるわけなかった。
トラックの影に飲み込まれ、俺の目の前全てが車の表面で覆い隠されるのはすぐのことだった。
形容しがたい[痛み]、圧倒的な[絶望]を瞬間感じて、たちまち俺の意識は消えた。
7月11日、俺は、俺達は死んだのだ。




