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彼も彼女も着替えたら・8


 ひさしぶりに夢を見た。

 それは渚ちゃんが能力に目覚めてから改めて描かれた変身シーン。初期までの波しぶきに加えてウニやモズクやチョウチンアンコウが舞い踊る変身シーン。渦巻くイワシの群れの中から現れる白く光るボディライン。まずはすらりと伸びた足先にブーツが装着され……。

「ん?」

 一輝は思わず身を乗り出す。ブーツを履かない素足から、そのまま画面はくびれたウエストへ上がる。ここには渚ちゃんのイメージカラー、ブルーのふりふりのスカートが巻きつくはずだがそれも出てこず、そのまま光り輝くボディはくるりと回転しながら上へと移動する。細い腕に隠されたバストに装着するはずのボディスーツも無いままカメラは上へと移動し、そしてばさりと艶やかな黒髪が翻ったかと思うとそこに映った顔は。

「!?」

 一輝は目を見開いてがばりと起き上がった。自分にこんな腹筋があったのかと驚く間もなく、隣に寝ている美奈子を見る。浴衣からはみ出た長い足を惜しげもなく晒し、掛布団を挟んで抱き込んでくーくーと熟睡している。

 足。この足。渚ちゃんのアニメ特有の少女っぽい足ではなく、間違いなく艶めかしいこの足だった。ぎりぎり浴衣は帯のところで引っ掛かり下着も見えていない。

 一輝はあたりを見回しかけられるものを探したが適当なものが無い。仕方がないので自分の掛布団を上から掛け、朝風呂へ行くことにした。

 朝の5時。充分二度寝できる時間ではある。しかし今はあの、あられもない姿で寝ている美奈子の隣で寝る気にはなれなかった。

 いやいや、大丈夫。一輝は頭からお湯をかぶり自分に言い聞かせた。先ほど眠っている榊原殿のおみ足を見ても、なんとも思わなかったではないか。むしろ風邪をひいてはいけないと、落ち着いて布団さえかけて差し上げることができた。

 一輝は湯に浸かり、ふうと大きく息を吐く。まだ誰もいない大浴場は漫画に描いたような『カポーン』という静寂に包まれ、とても落ち着く。ところであの『カポーン』はなんの音であろうか。

 きっと昨日一日榊原殿に付き合ってもらい、あまつさえ感傷的になってしまったがゆえ、あのような夢を見たのであろう。一輝は心の整理をつけようとしていた。よもや変身シーンに榊原殿が現れるとは思ってもいなかったが、これも渚ちゃん同様、小生も新しいステージに進むべきと言う夢の暗示なのかもしれぬ。

『……新しいステージ……?』

 渚ちゃんとすり替わった榊原殿。それは昨日の旅行の思い出の延長に過ぎない。昨日の出来事を夢にみるのは犬猫だったらよくあることだというではないか。誰が犬猫だ、けしからん。

 光り輝く変身シーンに出てきた足は間違いなく榊原殿の足だったと思う。いや。夕べ寝る前にたまたま榊原殿の足を見たから夢に出てきただけで、あるいは先ほどたまたま榊原殿の足をまた見てしまったから榊原殿の足かなーと思っただけで、ホントに榊原殿の足だったかどうかは……。

 一輝はほうとため息をつく。美しいおみ足だったなあと実は内心思っていた。

 しかし一輝ははたと正気に返ると両手で湯を掬い、顔を3度洗った。そしていかんいかんと頭を振る。

 女体を見るとすぐ美しいだのかわいらしいだの品評してしまうところが男子の嫌われる最たるところ。自分はそんな価値観を持ってはいけないと己を律して生きて来たのではないか。ただでさえオタクは厳しい目で見られがちなのだからこれでもかと言うくらい心頭滅却して生活して来たのに、いくら渚ちゃんへの思いがひと区切りしたからっていきなり女性をそんな性的な目で見るなどと、いや、ただ単に美しいと思っただけで、決して性的にみていたわけでは……。

『渚ちゃんにひと区切り……?』

 一輝は呆然とする。思わず思ってしまったこととはいえ、思わず思ったことほど人間の本音は出てしまうものではないだろうか。

 自分は渚ちゃんにひと区切りしてしまったのか……?いわんや、ひと区切りしてしまったとして、そんなすぐに榊原殿にすり替わってしまうものなのか……?

 すり替わってしまったのか?それはすり替わったと言ってしまっていいものなのか?乗り換えたというのではないか……?

『推し』を『乗り換えた』のか……?榊原殿は『推し』なのか……?

 すらりとした艶めかしい足。服の上からしか見たことないのに現れた、渚ちゃんとは全然違うくびれたウエスト。細くて長い腕に隠されたたわわであろうバスト。艶やかな髪の間から見えた上気したバラ色の頬に艶やかな唇。そして吸い込まれるような黒い瞳。

「!?」

 カッと血が集まる感覚に一輝はおおいに慌て一瞬湯の中に沈む。溺れそうになってバシャバシャと浮かび上がると這う這うの体で湯から上がり、冷水をくみ上げ頭からかぶる。「ヒョーーーーーーーー!」という器官が細く震えあがったような悲鳴を上げると再び湯に飛び込む。

 いかんいかん!と一輝は湯の中で座禅を組む。榊原殿も褒めてくれていたではないか、小生の良いところは性的な目で女性を見ないところと。

 一輝は目をつぶり、お経を唱える。

 あれはたまたま見た夢である。昨日『とらせん』の聖地に榊原殿と行ったから。たまたまこう、残像が、重なっただけで。

 一輝は湯の中で、ただひたすら心頭滅却に努めた。



 一輝の心は凪いでいた。誰もいない温泉の湯面のように。まだ誰も歩いていない早朝の砂浜のように。

 一輝は脱衣所で全身を鏡に映す。前から。横から。ぶよぶよはしていないが丸っこいぬいぐるみのようななんとも安定感のある身体。BMIはぎりぎり25。肥満ではないが、とてもじゃないがカッコいい男の身体ではない。顔とて平均的日本人男子。アイドルのようなシュッともキリっともした顔立ちではない。

 一輝は自嘲した。何を勘違いしかけていたのだと。

 たしかに素材に秀でたところは無いにしろ、とりあえず清潔感には気を配って来たので、それほど醜い存在ではないと自称していた。つもりだった。

 だがどうだろう。今、この、鏡の前の自分は。

 隣にもうひとり自分が来たり、上からまたひとり自分が落ちてきたら、それとくっついてたちまちぽよんとひとつになってしまいそうな柔和さではないか。

 いかん、と一輝は目を吊り上げた。

 こんな勘違いをしてはいけないし、かといって逃げてもいけない。何かが芽生えそうな自分の感情からも逃げてはいけない。

 未だかつて知らなかった感情。それと向き合うためには座禅でも一人旅でもなく、筋トレだと聞いたことがある。

 一輝はぐっと拳を握りこむと、体重計に乗った。

 懐かしい大きな古い体重計の針の動きに、昨日の夕飯はご馳走でしたからな、とひとり言い訳した。



 部屋に戻ってもまだ美奈子は起きていなかった。一輝は浴衣のままお茶を淹れて一服する。

 雪見障子から見える景色を堪能しながら、帰りの新幹線までにあそことあそことあそこに行かなければ、効率よく動くためにはまずあそこからなどと頭でシミュレーションしていると美奈子がのそりと起き上がった。

「……?」

 しどけないほど寝乱れた浴衣に、ぼそぼそに絡まった長い黒髪の向こうからまだ覚醒しきれてない目で一輝を見ている。

 色っぽい、と表現できる姿なのかもしれない。だが一輝は惑わされない。美奈子は今無防備であり、無防備な姿をさらすのは一輝を信用しきってのことなのだ。その信用を裏切ることはできない。

「おはようございます、榊原殿。今日も良い天気でござりますよ」

 一輝はその日の空にも似た、穏やかな笑顔をたたえた。

「……おはようございます……」

 しばらく薄目で一輝を見ていた美奈子だったが、ふたりで旅館に泊まっていたことを思い出したのか、ゆっくりと頭を下げた。

「早くに目が覚めたので、小生は先に朝風呂を頂いてまいりました。榊原殿も行かれてみてはいかがかな。朝の大浴場はなかなか贅沢でございましたよ」

 いたって平静に、そして優しく一輝は伝える。美奈子は頭を掻きながら「あー」とかなんとか呟くと、よいしょと立ち上がりそのままドアの方へ進みだした。

「待たれよ!榊原殿!」

 一輝は慌てた。立ち上がった美奈子の浴衣は肩からはだけ、腰の紐にようやくしがみついているような状態で、前は大サービスとばかりに御開帳している。色っぽいとかいう問題ではない。もはやこれは『危ない』の域だ。

「大浴場まで少々距離があるゆえ、まずは御髪を整えてから!それから!浴衣!浴衣の前!榊原殿!起きて!せめて袢纏を……!」

 起き抜けの姿のまま廊下に出ようとする美奈子の身体に袢纏を巻き、必死で部屋に引きずり戻しながら「櫛!櫛はどこでござるか!?榊原殿!まず前を!浴衣閉じて!」と叫んでいた。

 

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