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彼も彼女も着替えたら・45


 一輝の時が止まった。

「はい?」

「妊娠したんです」

 美奈子のまっすぐな背筋と目線に、一輝は首を傾げた。

「あの、ニンシンって、こういう?」

 拳を重ねて横から振る。

「それは三振」

「北海道でよく獲れる」

「それはニシン」

「カップ麺が美味い」

「それは日清」

 粛々とツッコんでくる美奈子をしばし見つめ、ボケがなくなったのか一輝は黙り込んだ。

 そしておもむろに立ち上がると美奈子の横に跪き、その手を取った。

「結婚してください」

 隣の席から拍手が起こった。



 告白とはこんなにも勇気がいるものなのかと美奈子は思った。

 どう切り出そうと。ただ「妊娠した」と言えばいいだけの話なのに。ただ「中絶します」と報告すればいいだけなのに。何をそんなに恐れていたのか。

 せいぜい「え~?」って嫌な顔をされるか、「誰の子ですか~?」などと侮辱されるかくらいのことだろう。だったらその場で別れればいい。

 一輝にだって人生設計はあるのだ。若いから、オタクだから、そう簡単には結婚なんて考えていないはずだ。ましてや子供など。

 困惑されて、侮辱されて、別れを切り出される前に自分から別れを切り出して。

 そのつもりだったのに。


「結婚してください」


 迷いのない瞳で当然とばかりに跪く一輝は、育ちの良い王子様そのものだった。


「な……!?」

 軽く考えないで欲しいと美奈子は憤った。結婚など!そんなたやすくOKできるものではない!しかもこちとら妊娠しているのだ!赤ん坊を!出産を!子育てを!なんだと思っているのだ!

 美奈子は憤慨した。憤慨のあまり言葉が出ない。

「不安だったでござろう?妊娠しているとわかってから」

 一輝は取った美奈子の手に手を重ねた。

「怖かったでござろう?どうにかせねばならぬとひとりで考えて」

 一輝は美奈子の目を見たままにっこりとほほ笑んだ。

「これからは小生も一緒でござる。一緒に未来のことを考えるでござるよ」

 美奈子はわなわなと震える。震えながら眉を寄せた。

「簡単におっしゃらないで……!子供を育てるって……!」

「家族になるということでござるねえ」

 一輝は蕩けるようにはにかむ。

「いやあ~、これはこれは。なんだかプロポーズの手間を省かせていただいて恐悦至極でござるよ。思いがけず一番くじの一等が当たったような……。あ、これは失敬。ベイビーをくじの景品のように……」

「バカ言わないで!簡単に考えないで!」

「簡単なことでござるよ。結婚すればいいのでござる」

 一輝は飄々と言う。

「産休も育休も二人分あればなんとかなるでござろう。育児は母上たちの手を借りればよいし、オタク活動は、まあまあ、しばらくは合間合間にやるしかないでござるな。それもまた人生でござるよ」

「なんで……」

 想像と違う展開に張っていた肩を美奈子は落とす。

「仕事もまあ、周りと調整しながらやっていくでござるよ。会社なんてそんなものでござろう。なにも心配はござらんて」

「疑わないんですか……?」

 上目づかいで見てくる美奈子に一輝はきょとんとする。

「何を?」

「誰の子だって……」

「美奈子殿、それ、ドラマの見過ぎでござるよ。間違いなく小生の子でござろう」

 いささかうんざりした顔をする一輝に、美奈子ははっとする。

「まさか……、意図して……」

「とんでもない!!」

 一輝は慌てて両手を振った。

「小生たち、きちんと対策してたであろう。だから不思議だな~とは思ったのですが、まあ100%大丈夫という話でもありませんでしたしな」

 一輝は照れたように笑う。

「まさか本当にこうなるとは思ってもおりませなんだが」

「なんで……」

 美奈子は繰り返す。ただ、繰り返すしかできない。なぜ一輝が受け入れたのか到底信じられない。

「身体に負担がかかるのは美奈子殿だけなので、小生からはどうしても生んで欲しいとは正直申せませぬ。でも、できるのなら、産んでいただきたい。そして共に育てていただきたい。美奈子殿の赤子なら可愛らしいに間違いないのでな」

「なんで……」

「美奈子殿。どんなに避妊に気をつけていても、性交をすれば子供が出来る可能性はゼロではありませぬ。だからこそ性交は真実愛する人と、将来を共にできる人とでなければできない行為ではありますまいか。だから小生は美奈子殿を選んだし、美奈子殿もそうだったのでありましょうぞ」

 さっきまでフラれることを覚悟していた男とは思えない余裕を一輝はかます。そんなこととは知らない美奈子はじっと聞き入っている。

「言ったでござろう?小生には美奈子殿だけでござるよ。前も後ろも」

「お待たせしましたー!」

 注文していた料理が運ばれて来た。

「過去も未来もってことでござるよ」

 一輝は早口で付け加えた。



 プロジェクトから美奈子が外されることはなかった。

「いつでも引き継げるように良い資料作っといてね~」

 セクハラ部長が軽く言う。こんな時のために上役は暇にしてるんだよ~、結婚式は早めにね~、ハラボテになったらドレス入んなくなるよ~、とあいかわらずなことをご機嫌にのたまって、美奈子を鼻白ませていた。



 ジムには妊娠初期でも行えるメニューを組んでもらった。

「おめでとうございます」

 妊娠と結婚の報告をすると、真木はにこやかに言った。

「良いですね、女性は。結局責任取ってもらえるから」

 らしくない嫌味に、真っ向から一輝は答える。

「責任を伴わない性交の方が不思議ですぞ、真木先生。異性間では妊娠の覚悟、その責任を取る覚悟が必須です。だからこそ同性間では形にならない愛が重要なのではござらんか?愛は重いですぞ。重ねる身体より重い。気持ちより重い。思いやりより重い。そんな重ーい愛を受け止められる間柄でしか繋がってはならない行為ではありますまいか」

 真木は諦めたようにため息をつく。

「ふたりで育てる『赤ん坊』という『愛の形』に敵うものはありませんよ……」

「赤ん坊以外のものをたくさん育てていらっしゃるではありませぬか」

 真木は怪訝な顔をする。

「我々ジム会員の健康です」

「筋肉です」

「魅惑のボディラインです」

「下がったコレステロール値です」

 そこら辺のジム会員たちが思い思いのポーズで一輝に続く。

「菅生先生とこれからもぜひご一緒に」

 珍しい美奈子のナイスパスに菅生が涙目になって喜んだ。

「真木!」

 抱きついて来ようとする菅生の顔をまっすぐ押しのけて、真木は渋い顔をした。



「私が、ただ好奇心だけで一輝さんとセックスをしたとは思わないんですか?ただのBLの読み過ぎで、誰でもいいから男性の身体を知りたかっただけとは思わなかったんですの?」

 一輝の物分かりの良さが美奈子には信じられない。妊娠させたという重大な現実をどうしてそう簡単に受け入れられるのか。どうしてそうすぐ結婚しようなどと言えるのか。責任感だけで、自分が相手を好きだというだけで、結婚生活が続くなどと思っているのか。

「だったらなおさら小生がうってつけの相手でござろう。ヘキも好みも充分理解しているゆえ」

 いけしゃあしゃあと一輝は言う。

「それに」

 一輝は神妙な顔をして人差し指を立てる。そしてにっこりと笑った。

「実生活でもオタク生活でも美奈子殿を満足させられるのは、きっと小生だけでござる」


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