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彼も彼女も着替えたら・43


 生理が遅れていた。特段珍しいことではない。ただ、先月の生理が来なかったので、もう2か月生理が来ていないというだけだ。

 先月無かったのは初体験をしたせいだと美奈子は思っていた。処女膜が破れたら、なにかこう、なんだかそう言うことでもあるのだろうかと勝手に解釈していたのだ。

 でもさすがに2カ月来ないとなると、美奈子でも少々不安になって来ていた。

 調べてみたら、初体験と生理の遅れには何の因果関係も無いらしい。あるとすればそれは単純に、

 妊娠。

 当たり前だが、妊娠すれば当然生理は来ない。

 そして初体験でも妊娠するときはすると書いてあった。

 だが、美奈子と一輝は一貫して避妊を怠らない。将来の確約も無しに無責任な妊娠など避けて当然なのが男女間のマナーなのだ。その辺ふたりは抜かりはない。

 だから妊娠だけはないと美奈子は踏んでいたのだが、逆にそうなると病気かなにかなのかとも不安になって来る。

 病気と妊娠どっちがいいかと聞かれれば、そりゃあ妊娠の方が安心だろうと言いたいところだが、一輝に断りもなく妊娠するわけにも、というかできるわけもなく、ましてやしたくもなく。

 とりあえず妊娠したのかそうでないのかひとりヤキモキするのも大人げない話なので、美奈子はさっそく妊娠検査薬を買ってきた。病院に行ったにしろ生理の問題ともなれば必ず「妊娠の可能性は?」と聞かれる。自分で確認できるものはさっさと確認しておくに限るだろう。

 初めて見るその棒状の物に美奈子のテンションは上がる。体温計みたいな殻を纏ったリトマス試験紙のようなものに、おしっこをかけるだけで妊娠か否かがわかるとは人体と医学の不思議につくづく感心してしまう。

 しかし、くっきりと表れた2本のラインに美奈子の思考は停止した。


 避妊はしっかりとしていた。一輝は毎回コンドームを間違いなく着けていたはずだ。

 美奈子は呆然として2本のラインの表れた2本の妊娠検査薬をみつめていた。1本目の検査だけでは信じられなくて、次の日もう1本購入して来たのだ。だが結果は同じであった。


 妊娠している。


 紛れもない事実なのであろうが、美奈子にはまだ信じられなかった。


 美奈子はお腹に手をあてる。日頃怠らない体調管理とジム通いのおかげで美奈子のお腹はぺったんこである。赤ん坊が入っているお腹というのはもっとこう、ぽっこりと母親が幸せそうにかかえるほど丸く大きなものではないのか。やはりこの中には何も入っていないのではないのか。

 美奈子は頭を抱える。

 妊娠するはずがないのだ。お腹はこの通りぺったんこだし、コンドームはちゃんと着けてたし……。

 たしかにコンドームを着けていても妊娠する可能性もあるとはいう。コンドームから精液が漏れたり、途中で外れたり、着けるタイミングが悪かったり。だが、思い返しても不安になるほどの失敗をした覚えがない。覚えはないはずだが……。美奈子が気づかなかっただけで、一輝がコンドームを着けずに挿入したのだろうか?

 いやいや、と美奈子はその可能性だけは否定できる。薬とか盛られたのならばともかく、いくらなんでも身体を好きにされようとしたら美奈子は気づくし、そもそも一輝はそんなことはしない。セックスは絶対に合意の下でしか彼はしない。

 では一体いつ?どうして?

 美奈子はふと思い出す。まったくもって挿入できなかった初めての夜。痛くて痛くて途中で止めた、正真正銘初めての夜。あの夜、一輝はコンドームを着けていなかった。

 まさか、あれで……?

『処女膜』と言っても薄い皮膚のようなものではなく、経穴か通る穴の開いた狭い襞状の粘膜である。もしかしたら陰茎が完全な挿入を果たさなかったとしても、そこから精液が子宮まで通って行く可能性はあるのかもしれない。

 どうしよう……、と美奈子は身体を丸める。膝に頭をうずめる。

 まさか妊娠するとは思わなかった。

 そりゃあ、セックスの先に妊娠があることぐらいは知識として知っていたが、まさかきちんと避妊していたつもりの自分が妊娠するとは思わなかった。

 いつか妊娠するとか、子供を産むとか、そんなこと考えたこともなかった。

 正直、一輝とこんな関係になるまで、恋人ができるとも思っていなかったのだ。

 ましてや結婚など。

 日々『ハレ禁』が生活の中心だった。好きなアニメや漫画やゲームが脳みその中を占めていた。

 最近では一輝の存在もそれなりに大きくはなったが、それも『とらせん』やいろんなオタク文化の共通の話題があってこその縁だ。そこに『結婚』だの『子供』だのの存在は皆無だった。

 毎月の楽しみはBL本の新刊で、ゴールデンウィークには『ハレ禁』仲間と集まって、夏の大きなイベント時には友人たちが泊まりで遠征に来て、秋にもお茶会、冬にもイベント、思い出せないほど小さな楽しみも毎日詰まっている。

 稼ぐために、必死の思いで勉強して就職した今の会社。おかげで仕事も充実している。長期プロジェクトにも参加できて順風満帆な今なのに?なのに、今、妊娠……?育休産休が取れるとかそんな問題ではない。そんな問題じゃないのだ。

 産んだら子供はそこからが始まりなのだ。そんなこと、未婚の美奈子でもわかる。大切に育ててもらったからこそ、わかる。時間も、お金も、手間も暇も、親は身を粉にして自分を育ててくれたから想像できる。子供を生んだら、今の自分でいられなくなることを。

 美奈子はスマホを掴んで検索する。

『中絶 いつまで』

 21週と6日。もし本当に、あのときに妊娠したのだとすればあと12週ある。それまでに……。

 それまでに何をするというのだろう。美奈子は中絶を請け負ってくれる産婦人科を探す。

 パートナーがいる人であれば中絶手術の同意書にサインが必要らしいが、未婚であれば必ずしも必要ではない。

『恋人』ではあるが、結婚はしていない。同意は……。一瞬悩んで美奈子は必要はないだろうと断定する。何も言わなければ一輝はきっと気づかない。言ったところで困るだけだろう。一輝とて美奈子同様、まだ結婚など考えてはいないはずだ。妊娠したなどと言われては、ただ困惑するか、誰の子供かと憤るか、それとも変な責任感を発揮して結婚しようなどと言い出すか。

『実質プロポーズじゃないですか』と真木に言われたときの一輝を思い出す。

「前も後ろも美奈子殿だけ」と堂々と言い放った時の一輝を思い出す。

 美奈子はぎゅっと目を瞑る。座り込む。膝を抱える。

 期待してはいけない。ちょっと浮かれていただけなのだ。付き合い始めて、やっと想いが通じ合って、浮かれているだけなのだ。

 オタクには命より大事な推しがある。人生をかけて応援する推しがいる。

 家庭なんて持っている場合ではない。子供なんて産んで育ててる場合ではない。

 そう思っていたのに……。

 泣く暇があったら行動するのが信条だったはずなのに。それが身についていたはずなのに。

 美奈子は膝に顔を埋めたまま、肩を震わせた。

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