彼も彼女も着替えたら・30
「まあ!静香さんのレターセット!」
正月休みも終わって最初の週末。年明け最初のデートは、松の内が終わってもまだまだ人の多い初詣へ。そして3年ぶりの新作が待ち遠しいファンで賑わう『とらせん』カフェから、流れるように美奈子の部屋へと行き着いた。
「友人の築山氏が美奈子殿に是非にと」
「まあ」
「友人たちが、あんな夜中にビデオ通話を望んで申し訳なかったと反省しておりました」
「私こそ、お仲間で楽しんでいらっしゃる最中にお邪魔して申し訳なかったと思っておりますのに」
無邪気に喜ぶ美奈子を見ながら、一輝はこれを渡してくれたときの、別れ際の築山を思い出していた。
「新垣氏は一種の解脱状態に入っているのかもしれぬから、あまり深くは考えなさるな及川氏」
真剣な目をする築山も、新垣の話や一輝に恋人ができたことによって、一晩真剣に『性』について考えたのかもしれない。
「解脱とは面白い表現かもしれぬな、築山氏」
聞きつけた新垣が他人事のように入ってくる。
「確かに小生、幼少のみぎりよりとっくに『結婚』や『恋愛』など諦めたつもりにはなっておったが、あれが決定打となって、女性とは金銭の授受が伴うビジネスライクな関係だけにしておこうと割り切れたでござるからな」
「達観してるでござるなあ、新垣氏」
「むしろ尊敬に値する」
小暮と小さなメガネは感嘆の声を上げる。
「小生はこの先もう人間の女性との恋愛関係は結べないと確信しているが、愛する人が出来た及川氏のことはそれはそれで応援しているゆえ」
新垣はうむと笑って親指を立てる。それを横目で見て、築山は視線を一輝に移した。
「及川氏。彼女殿と良いご関係を」
買ってきたつまみやお酒、お総菜などを並べながら一輝は美奈子に尋ねる。
「美奈子殿はひさしぶりにお会いしたお友達から何か……?」
自分のことを聞かれなかったか気になる一輝である。
美奈子はうふふと笑った。
「それが、まだ誰も気づいてないようなんですよ。私に恋人ができたこと」
『恋人』と言われて一輝の頬がポッと頬染まる。
「もしかしたら気づいてても知らん顔してるだけかもしれませんけど」
「なぜです?女性というのは恋バナがお好きなのではありませんか?いや、これは偏見だったら大変申し訳ない」
「う~ん。一般的にはどうかわかりませんが、私たちが好きなのは推しの恋バナであって、自分たちのリアルなんてプライベートなことは、あまり詮索したことありませんね」
顎に指をあてて美奈子は上を見る。一輝は真摯に謝罪した。
「いやはや、これは申し訳なかったですな。悪気は無かったのですが、小生の仲間たちが立ち入ってしまって」
「いいえ。少し意外でしたけど。一輝さんがご自分からおっしゃったんですか?私と付き合ってるって」
「いやいや。勘の良い仲間がSNSのぬいを見て女性の影を感じると騒ぎ出しましてな。最初はもちろんただの友人だと説明していたのですが……」
友人として美奈子のことを語る一輝の口調によどみが無かった。だがそのうち徐々に美奈子の話題を口ごもるようになり、頬は赤く染まるようになり、どもり、冷や汗をかくようになった姿を見て、リモート画面の向こうの築山が指摘したのだった。
「及川氏。恋をしているな」
割と早い段階で仲間内には一輝の恋心はバレていたのだが、美奈子の写真だけは、正式にお付き合いが決まってからでないと見せられないと一輝は死守していた。美しい女性に恋心を抱いているなど、身の程知らずと罵られるのではないかと心配だったし、逆に騙されているのではないかと心配されるのもごめんだった。案の定、ものすごく心配されたのだが。
「すごく仲間思いの皆さんでしたね」
「いやはや仲間思いというか……」
美奈子をとてつもなく疑っていた奴らなのではあるが。
「美奈子殿は……」
「はい?」
椅子に座りながら一輝は言葉を探した。
「やっぱりその、小生をこ、恋人としてお友達に紹介するのは、しょ、少々抵抗がおありなのかと……」
「いいえ。なぜ?」
缶ビールを開けてグラスに注ぎながら美奈子は一輝を見る。
「いや、小生、あの……、やはり見るからにオタクでありますし、あの、その……、一般的に言うイケメンとは程遠いルックスをしておりますし……、イケメンどころか普通の男としても、その」
「友達に言ってないのは、さっき言ったことが理由で特別深い意味はないんですけど、カンパーイ!」
しどろもどろになる一輝を見ながら、美奈子はビールを注いだグラスを一輝に掲げる。慌てて一輝もグラスを持ち上げ「かんぱーい」と美奈子のグラスにあてる。
「言った方が安心します?」
一輝をみつめながら美奈子はビールをごくごくと飲む。
「いや、あの、安心と言いますか……」
一輝も一口飲んで曖昧に笑う。安心とか不安ではなく。美奈子の気持ちを疑っているわけでもない。ただ、一輝の仲間たちがそうであったように、美奈子の友人たちも自分を見てそんな男ではダメだと評価するのではないかという不安が沸いたのだ。いや、だが、その、他人の評価などどうでもいい。ただ、美奈子が本当に一輝と付き合って幸せでいられるのか。一輝は美奈子を満足させられるのか。いやいや。性交の話だけではない。すべてにおいて、毎日を楽しく、安心して、美奈子は一輝と過ごして行けるのか……。
「わかりました。伝えましょう!」
ビールを呑みほしたグラスをテーブルにトンと置くと、美奈子はおもむろにスマホを掴んだ。
「へ?」
「あ、もしもし、沙織?あけましておめでとー。このあいだはお疲れー」
目が点になっている一輝をそのままに、美奈子はさっさと通話を始めた。
「実はさ、報告があって。ちょっとビデオ通話にしてくれる?」
立ち上がりながら美奈子は一輝の横に来ると、ふたりが映るように腕を伸ばした。
「紹介しまーす。彼氏でーす」
「あ、ども……」
突然のことに間抜けな挨拶しかできな一輝は小さく頭を下げるしかなかった。
「うっそ!マジでーーー!?いつのまにーー!?あんた、こないだそんなことひとっことも言わなかったじゃないの!!」
小さな画面の向こうでぱっちり大きい二重まぶたを見開いて、可愛らしい女性が驚いている。
「というわけで、ご飯が終わったら私たち、姫始めしまーす!正真正銘の初めてでーす!」
「な!?」
画面の向こうの沙織より目を見開き、驚愕のあまり声も出ない一輝は勢いよく美奈子を振り向く。
「うっそ!?キモチ悪い!なにそれ!言わないで!聞きたくない!黙ってヤッて!」
爆笑している沙織に「ばいばーい」と手を振って、美奈子は通話を切る。
「さ。さっさと食べちゃいましょう、一輝さん」
固まっている一輝を気にすることもなく、椅子に座った美奈子は手際よくローストビーフを小皿に取り分ける。
「な、な、な、な、な!み、み、み、み、み!?」
赤くなっていいのか青くなった方がいいのかわからないまま壊れた電化製品のように繰り返す一輝の小皿に、美奈子はローストビーフを乗せてやる。
「これで覚悟はできたでしょう、一輝さん。今年からは恋人らしいこと、しましょうね」
「ど、ど、ど、な、え……?」
「早く食べないと、私、全部食べちゃいますよ?」
「いや、あの……」
なんてこと言うんですか!美奈子さん!?とか、どうしてそんなこと、なんで、え……?とか、一輝にも言いたいことはいろいろとあったものの、あれ美味しいだのこれも美味しいだの、ご機嫌に料理を食べ進める美奈子に言葉が出てこない。仕方なく一輝も箸を持ち上げローストビーフを口に入れるが、味がしない。
「美味しくないですか?」
「いえ……、美味しいです……」
たぶん……、と一輝は付け加える。本気なのか嘘ん気なのか。美奈子が友達に紹介してくれたことはもはやどうでも良くなっていて、それよりあの爆弾発言の真意次第で自分は一体どうなってしまうのか。噛めば噛むほど肉とソースの旨味が口の中で広がったであろうローストビーフはもはやゴムの塊にしか感じられず、流し込むビールは炭酸の刺激すら内側から来る針の筵である。
やっと乗っているものが無くなった一輝の皿に、美奈子はせっせとカキフライを乗せた。
「腹が減っては戦はできぬですよ、一輝さん。全部食べちゃいましょう」
これか……、これなのかと。これが覚悟というものなのかと、一輝はすくみあがった。




