彼も彼女も着替えたら・28
オタクの年末年始は忙しい。
仕事を納めると同時に美奈子の家に押し寄せる仲間たち。そして次の日はイベントへ。イベント終了とともに実家へ帰る者もいれば、もう一泊美奈子の家に泊まる者もいる。夜通し戦利品を堪能し、合間合間に近況報告などもする。
近況と言っても推しの話がほとんどである。『会社』とくれば『行きたくない』、『仕事』とくれば『したくない』は合言葉のように出ては来るが、「彼氏できた?」とか言う、いわゆる一般的な女子がするような話題が出てこないところが美奈子とその仲間たちである。不文律でもマナーでもない。美奈子たちの間柄ではまずリアルな『彼氏』『恋人』といった発想が生まれてこないのだ。
高校生の頃からの仲間もいるし、大学、バイト、コミケで知り合った友達もいる。時代時代に沿った推しで繋がった仲間たちは、今ではそれぞれ違う推しを持っている。全員揃っても、全員違う推しの話をする。
そう。一応それぞれの推しのことは把握はしているのだが、誰一人として推しが被ることが無くなってしまった現在。それでも皆、寄ると触るとそれぞれの推しの話をひたすらしまくる。誰も聞いてなくても、うわの空で、うんうんそうよね~わかるわ~などと適当な相槌を打たれようとも、誰一人めげることなく自分の推しへの愛を滔々と垂れ流しまくる。
推しはキャラクターだけではない。作品そのものでもあり、作家先生でもあり、二次創作の先生も大事な『推し』なのだ。半年に一度の一晩二晩では語りつくせない愛がそこにはあった。
なので、正直誰も誰の私生活にさほど興味はなかった。
だから、美奈子に一輝という恋人ができたことに誰も気づいていなかったし、美奈子もわざわざ言わなかった。言う暇がなかった。美奈子とてこの日『ハレ禁』のタイシンサークルを山ほど巡ったし、他にも昔から好きなカップリングや、創作BLの本をゲットするので忙しかったのだ。なにせ待望の年に一度だけ出る金時しぐれ先生の新刊も決死の思いで手にすることができたのだ。この興奮のなか、どうして一輝に思いを馳せられよう。すっかり失念していたから仲間内に一輝のことが知られることは無かったという事実はおおいにあった。
料理の前や旅館の一室で、静香さんぬいと渚ちゃんぬいを並べた写真をSNSに投稿して、
「『とらせん』友達と行ったの?」
と聞かれたこともあるが、
「そうだよ」
と答えて終わってしまった。
嘘はついていない。たしかにあの時は友達だったのだ。友達の性別も聞かれなかったからわざわざ答えなかっただけで。何ひとつ誤魔化してなどいない。
あの時の『友達』が男性だったところで、聞いた友人たちの反応は「ふ~ん」だったろうと美奈子は思っている。そしてあのときの『友達』が『恋人』に変化したと言ったところで「へー」だろうとも思っている。
恋人が出来ようがなんだろうが、推しを推している限り仲間だし、今現在こうして一緒にイベントへ行き、大量に本を買って、買った本を見せ合って、夜通し推しへの愛を語り合っている。
もしも最愛の『推し』が『恋人』になりました。となったら、そのときはまた仲間との関係性も変わってくるのだろう。そんなことあるとは思えないが。
そう。そんなことあるとは思えないくらい、このイベントに向けての何日か、すっかり一輝のことを忘れていた。
いや、美奈子とてすっかり忘れていたわけではない。たまーーに思い出しては、ああ、そういや一輝さんお元気かしら、とかは思ったりもした。どこそこのサークルの新刊を頼んでもご負担にならないかしら……とか。
大晦日ともなると交通機関もいささか余裕がある。美奈子たちは解散し、それぞれの実家へと戻って行く。そこでようやく美奈子も本気で一輝のことを思い出すのだ。ああ、今日もイベントなのだわ、うらやましい、と。
美奈子は実家には戻らず、そのまま温泉旅館へと向かう。
美奈子の両親及び親戚は年越しを温泉旅館で過ごす。集まる親戚のために毎年準備が大変だった祖母やその家族を慮って、ここ何年かは旅館で年を越しているのだ。
コレクション部屋と化している実家の美奈子の部屋の大掃除は、年が明けてからなされることとなっていた。
宴会を抜け出し、両親と同じ部屋の障子窓から外を見て、美奈子は一輝に新年最初のメッセージを送った。一輝も仲間たちと楽しくやっている時間のはずだ。邪魔をしては悪いと思いつつも、やはり最初のメッセージは一輝に送りたいと美奈子は思った。
しばらくすると返事が来た。お仲間は美奈子の顔を見たいらしい。
美奈子はくすりと笑う。たぶん、このメッセージを送ってくるのに一輝は相当悩んだはずだ。送った後も後悔しているかもしれない。気遣いのできる一輝が、こんな夜中に女性に顔を見せろなど、本当なら言えるはずもない。よほどお仲間の圧が強いのか。
美奈子はいったんカメラモードにして、前髪を整える。浴衣の襟の乱れも直す。
おおかた一輝が悪い女に騙されているのではなどと疑われているのであろう。ならば迎え撃つしかあるまい。
舐めるなよ、と美奈子は顔の角度を変えて確認する。すっぴんでも深夜でも、それなりの美貌を保つお手入れは日々欠かせてはいないのだ。これほどの美女に愛されている友を誇りに思うか嫉妬で狂うか、己の心に訊くがいい。
かくして満面の笑みでビデオ通話に臨んだ美奈子であった。
「……やはり騙されているのではないのか、及川氏……」
「……あの女性は美しすぎるぞ、及川氏……」
「……美しすぎるゆえ、企みが隠せていない笑顔だったぞ、及川氏……」
「目を覚ませ、及川氏!」
不安が的中したとばかりに4人は一輝に詰め寄った。
「いや、だから、美奈子殿はそのような方ではないと……!」
4人の圧を押し戻そうと一輝は両手を前に出す。
「まだ、一線は越えてないのよな?及川氏」
「な、なにを恥知らずな……!?」
真っ赤になる一輝に築山は神妙な顔で言う。
「いやはや大事なことでござるよ、及川氏。もしかしたら、一線を越えようとしたときこそ、性暴力を訴えられて金銭を要求されるかもしれないでござるよ」
「いや、それは……、ないかな……」
一輝の脳裏にはラブホテルで押し倒された例の一件が浮かび上がる。浮かび上がって少し赤くなる。
「よしんば一線を越えられたとて、もしかしたら誰の子かもわからぬ子供の父親疑惑を被せられ、その子供のために一生養育費を払い続けなければならなくなるしれませぬぞ!」
「いやいや、そんなことは……」
さすがに一輝が苦笑すると、ぽつりともうひとりのメガネが言った。
「そもそも及川氏は女性と性交できるのであるか?」
「は?」
その場にいた全員が虚を突かれたようにメガネを振り返った。
「女性との性交が成功した経験はおありなのであるか?及川氏。いや、シャレなどではなく」
いたって真面目に言うメガネに、全員が言葉を失った。
「そもそも性交とは最初から成功するものなのであるか?練習も無しに。いや、シャレなどではなく」
「に、新垣氏……、いきなり何を……」
もはや青くなっている築山が震える声で言うと、新垣と呼ばれたメガネは、メガネをくいと持ち上げた。
「自慢ではないが、小生。何事にも練習、および脳内シミュレーションを繰り返してから挑むたちでありましてな。そんな小生でもってしても性交は」
新垣はメガネをきらりと光らせた。
「成功しませなんだ」
いや、シャレではなく、という新垣の言葉は4人の叫びにかき消された。
「童貞ではなかったのか!?新垣氏!?」
新垣はとても心外だという風に眉をひそめた。
「そういうわけで童貞なのだよ」




