彼も彼女も着替えたら・26
それは、透明なプラスチックケースに入った『とらせん』ゲームデザインの静香さんフィギュアだった。
「しかもデザインが緻密過ぎてフィギュア化は不可能とまで言われたシーズン4の衣装……!」
わなわなと震える美奈子を見ながら一輝は誇らしげに言う。
「実は小生の友人が造形師をしておりまして。これがまたなかなか腕が良く。いや、なかなかといいますか、小生の知る限りこの世で5本の指に入るのではないかと……」
「一輝さん!」
「は、はい!?」
必死の形相の美奈子に詰め寄られ、一輝は一瞬のけ反った。
「私、この3年以内の中で今一番感動しているかもしれません」
「そ、それはよかった……」
「とても景天ぬいだけではこの喜び、お返しできません」
「いやいや、充分」
言いながら迫ってくる美奈子に、喜んでもらってはいるらしいのだが妙に殺気立ったものを感じて一輝はじりじりと後ろへ下がってしまう。
「もっと何か、私……私……」
「え……え……」
落ち着いて欲しい気持ちと期待が半々でせめぎ合う。一輝は理性で美奈子を押しとどめようと差し出した両手を、そのまま背中に回そうとしてしまった瞬間だった。
美奈子はくるりと向きを変えると隣の部屋へ駈け込んで行ってしまった。両手を広げたまま一輝は立ち尽くし、呆然とする。ややもして戻って来た美奈子の手には古いゲームのディスクが握られていた。
一輝ははっと気づく。
「美奈子殿!?それは!?」
「『ハレ禁』幻の番外編。人気があまりにもなくてすぐに販売中止になった治水工事に絡む陰謀ゲーム」
「展開があまりにも地味過ぎる故、太客である女性ファンが見限ったという陛下や宰相が前面に出たおじさん主体の挑戦的なゲームですな!」
「これを探している男性ファンは未だにいると聞きます。一輝さんにこれを……」
震える手で美奈子はディスクを一輝に押し付けた。
「いけません!美奈子殿!」
一輝はそれを美奈子に押し戻す。
「きっとこれは美奈子殿にとって命にも代えがたい貴重なもののはず!それを『ハレ禁』新参者の小生になど……!」
「持っていていただきたいんです!これは!一輝さんにぜひ!持っていていただきたいの……!」
美奈子は力強く一輝にディスクを握らせた。
「それくらい私、今、感動しているの……!」
美奈子の声は涙で震えているようだった。
「美奈子殿……」
特別なものなのだ。いくらフィギュアに感動してくれたと言っても、このゲームは『ハレ禁』オタクの美奈子にとって特別なものに違いないのだ。それを、それでも忸怩たる思いで彼女は差し出そうとしている。小刻みに震える美奈子の肩を支えながら、一輝は静かに言った。
「でしたら美奈子殿。ぜひ、今晩、小生と……」
美奈子は静かに顔を上げた。その瞳はキラキラとうるみ、飾り付けられたツリーよりも輝いていた。
「美奈子殿……!くっ……!こ、これは……!」
一輝は歯を食いしばり身体を捩る。
「多くの男性が誤解されてるの」
美奈子は一筋の汗をこめかみに流しながら不敵に笑った。
「これはただの陰謀ゲームではない。戦闘シーンが恐ろしいほど複雑な格闘ゲームでもあると!」
コントローラーのボタンを目にも止まらぬ速さで美奈子は連打する。その集中力に置いて行かれまいと一輝も汗を流しながら奮闘していた。
「なんと!この秘密のコマンドを御せなかった者たちが表向きのあらすじに騙されて次々と脱落していったのですね……!」
「ラスボスは武闘派の陛下!しかし陛下を倒せば謀反を問われ即刻凌遅刑!そのジレンマを制する者だけがこのゲームを征するのです!あなたにできて!?一輝さん!」
「くうううう……!命は惜しくも正義のために……!小生の決意は揺るぎませぬぞ……!」
そんなこんなで夜は更けた。
クリスマス明けのジムは盛況だった。浮き足立ちたるジム会員たちはどちらかが現れるのを早くから待っていた。先にジムへ現れたのは美奈子だった。
気のせいだろうか、と会員たちは目を疑った。漆黒の長い黒髪を靡かせる美奈子は、いつも隙のないクールな美しさを放っている。それが今日はなぜか穏やかな柔らかい霞にも似た光を纏っているようなのだ。
そう、それはまるで誰かに愛され包まれてるような穏やかな空気。
ジム会員たちは確信した。そして心の底から拍手を送った。
「こんにちは。今日はなんだか雰囲気が違いますね」
真木先生も人が悪い、とジム会員たちは耳をそば立てる。わかってるくせになんて意地悪な鎌。でも、ありがとう。
「やだ……、わかりますか?」
美奈子はポッと頰を染め、目を逸らす。真木は抑えきれない幸せオーラに微笑む。
「幸せが溢れちゃってますよ。良いことあったんですね」
「……はい」
熱い頬を両手で包む美奈子を見ながら、今日は菅生が休みで良かったと思う真木とジム会員たちであった。
そして次の日は、やはり満面の笑みで一輝が現れた。ジム会員たちは心の中でスタンディングオベーションを贈る。
「お。ついにヤッたか」
配慮のない菅生の言葉に女性会員たちは遠慮なくほどに舌打ちをする。
「はい。それはもう一晩かけて」
誇らしげにガッツポーズをする一輝に、皆内心感嘆の声を上げる。
「か〜っ!やるねえ」
まさかそこまで露骨に一輝が自慢してくるとは思っていなかった菅生は驚く。だが面白いのでもう少し突っ込んで聞いてやろうと、一輝の肩を抱いた。
「どうだった?」
「それはもう…」
一輝は興奮に頬を赤く染める。
「なんと言いますか、小生も初めてだったのでいささか手順に戸惑いもありましたが……」
「おうおう」
「とは言え小生もある程度の知識はありましたので、知っている限りのテクニックを尽くし挑戦させて頂いたのですが……」
恥ずかしがると思いきや、意外とノって話始めた一輝に、ジム内の耳が全部大きくなって集中する。代表しているかのように菅生は相槌で先を急かす。
「それでそれで!?」
「なんともやはり慣れないものですから何度もやり直してはまた最初から挑戦し……」
「おおっ!!」
「やっとクリアできたのが明け方で……」
「いやいや。出来たんだからたいしたもんだよ。よかったよかった」
「しかし、あまりの感動にもう一度チャレンジしたく……」
「ええっ!?」
「美奈子殿にお願いしたら快く了解くださり……」
菅生は感動のあまり目を押さえた。
「……よかった……、いや、よかったよ……、相性バッチリだったんじゃん、おまえら……」
「結局、昼までに5回もクリアさせて頂きました」
「初めてなのにすごいな……」
これには菅生も会員たちも目を瞠って驚いた。
「いや、でも1回コツを掴んでしまえば案外早いものでしたよ」
余裕綽々に言う一輝がなんだか生意気なような眩しいようなそんな気がして、菅生も会員たちもちょっとイラっとする。
「余裕っすね、大先輩」
イラつきのあまりちょっと揶揄うように菅生が言うと、一輝はますます頭に乗る。
「いやいやいや。『ハレ禁・番外編』は初めてだったとは言え、ゲーム自体はそこそこいろんなものをやりこんでおりますからな、小生」
はっはっはっと笑う一輝に、ジム内の空気が止まった。
「え?」
「は?」
「なんて?」
「なにがですかな?」
身体も顔も動かさずに問うてくる菅生に、一輝は頭をひねった。
「ゲーム?」
「ゲームが?」
「ゲームの話してたの?」
「厳密に言うと『ハレ禁・番外編』のゲームですな」
「ゲームをやった話してたの?」
「?そうですが、なにか?」
むしろなんの話だと思ってたんだと言わんばかりに一輝は首を傾げる。
「え。なに。クリスマスに、榊原さんとゲームしてたの?夜通し?」
「さようでごさるよ〜。いやはや、美奈子殿があの貴重なゲームを小生にくれると言うので、いや、それは申し訳ないと、受け取れぬとご辞退申し上げたら、いや、それは困ると押し問答になりましてな。よもや大切なゲームを美奈子殿から巻き上げるわけになどいきませぬからな。そこで、だったらここで、この場でふたりでプレイしようとなりまして。いやはやさすが美奈子殿。発売当時からプレイされているだけあってなんとも見事なコントローラー捌きで、小生最初はついて行くだけで精一杯でござりましたよ。その後なんとかコツを掴んで次々クリアできるようにはなりましたが……」
一輝は興奮冷めやらぬ様子で喋り続ける。菅生もジム会員も、その場にいた全員が憤りとやり切れなさで凍りつくなか、その空気を裂いたのは真木だった。
「及川さん」
「え?あ、はい」
振り返った一輝に真木は至極冷静に語りかけた。
「ぶん殴りますよ?」




