彼も彼女も着替えたら・24
正直、こんなに素直に一輝がBLを受け入れてくれるとは美奈子は思っていなかった。
口ではああ言うものの、何冊か読めばすぐに飽きるなり嫌気がさすなりに違いないと思っていたのだ。
だが会うたびに、あれは面白かっただのこれは展開が素晴らしいだの、こっちはキャラ設定が意外だの詳しく感想を述べ、さらには次は?続きは?と催促されるに及び、一輝は案外本気で楽しんでいることがわかり、美奈子としてはますます一輝に信用を置く一端となった。
そして美奈子はもうひとつ気がついたことがある。
一輝はあまり性的なコンテンツに触れていないようなのだ。
『とらせん』をはじめ、あまたあるアニメの猥雑な二次創作にすら手を出していないことは薄々知ってはいたが、どうやら商業エロ漫画すら読んだことが無いらしい。
「いやいや。小生も男ですぞ」
そこのところをつつくと、焦って言い訳じみたことを言ったりもするが、ネットで頼みもしないのに出てくる成人向け漫画のCMすら、
「誠にいかがわしい!なぜこのようなところに突然!」
と、怒り方が完全に小さな子供を持つ母親なのだ。
とはいえこっそり読んだことはあるだろうと思ったが、そのCMで使われている画像ですでにトラウマになっているらしく、
「小生あまり人が乱暴に扱われているのは……」
と、青くなるばかりで話は続かなかった。
だがBLは平気で読んでいる。
「いやはや、白抜きや黒ラインといった隠し技や体液の擬音など、苦肉の策にも溺れぬ匂い立つような官能表現の数々、BLからは文学を感じますな」
むしろ楽しんでいる。
同じ男性の身体を『性的』エンターテイメントとして消費されていることに抵抗はないのかと問えば、
「こんな綺麗な男性、この世におりますまい。まったくの二次元でござる」
レイプや触手といった、男女間のエロ漫画にも共通するテーマについては、
「女性相手のエロ漫画からは『暴力』を感じるのですよ……」
青い顔をして一輝は答えた。
いわゆる『腐男子』なのか『草食系』なのか。
だが一輝は美奈子を『性的』に感じるという。完全な『草食系』ではないと思う。
たまに美奈子は一輝が同じ女性ではないかと思うことがある。あまりにも『性的』なものを感じないのだ。『性的』に見るためにここのところ頑張って付き合っていたというのに、まったくもってますます『性的』な魅力を感じない。
むしろどちらかというと可愛いとすら思ってしまう。一緒にコラボカフェに行き、料理を前にふたりで写真を撮って美味しいものをシェアする。お目当てのグッズを探して喜んだり、同じアニメを観て感想を言い合ったり。
一緒にいると時間を忘れるほど楽しくて、好きなものに一途な一輝にはむしろ庇護欲のようなものすら感じる。困っているのならば助けてやりたい。もしかしたらその想いで『性的』に一輝を見れるよう努力しているのかもしれない。果たしてそれが一輝の想いに応えていることになるのか甚だ疑問ではあったが、美奈子は一輝との関係を今さらなかったことにすることはできなかった。
既読がつかないと不安になるくらいには、美奈子は一輝のことが好きだった。
性的快感を伴う身体的接触を、美奈子は他人に望んだことはない。家族や親しい友人と腕を組んだり抱き合ったりはするが、そこに『性的』なものはまるで介在しない。あるのは『情愛』だ。
一輝に感じるのも『情愛』である。
一輝も『情愛』を持って接してくれていると思っていた。
だが一輝は『性愛』を美奈子に望んでいるという。
『情愛』から『性愛』への移行をどうしたらいいのか、美奈子は考えあぐねていた。
一輝は体温が高い。傍にいると冬は暖かいし、夏はちょっと暑い。汗もよくかく。大きめのタオルハンカチでかいては拭きかいては拭きしているが、たまに席を外した時に、お手洗いで汗拭きシートで拭いているらしい。戻って来てからの一輝からは、ほんのりと良い香りがする。香水はつけないらしい。自分の体温や体臭と混ざったときにどんな香りに変化するか怖くてつけられないそうだ。とか言っているが、『香水』という響きがハードルを上げているだけではないかと美奈子は踏んでいる。
一輝は汗もかくし体温も高いが、あまり体臭が濃ゆくない。こまめに気をつけているせいかもしれないが、少なくとも美奈子は不愉快に感じたことは一度もなかった。
稀有な人だと美奈子は思う。
一緒にいてずっと楽しくて、全然不愉快なところがない。むしろ庇護欲すらかき立てる。
ただ、どう、その一輝の『性的』な期待に応えればいいのかわからない。このままでは一生答えられないような気がする。もう一生答えなくてもいいのか。答えなくても、このまま仲の良い同志の関係を続けられるのか。
だが、それが、ふいに美奈子の心の扉をノックした。
かたくなに閉ざされていたのは美奈子の凝り固まった『情愛』の扉だったのかもしれない。
思いがけず触れてしまえば、めくられるのは数々読んできた指南書の名場面。
悩むより先に直に見てしまえば、直に触れてしまえば、答えはおのずと先へ進むのかもしれない。
それはただの好奇心だったのかもしれないし、一途な愛情を寄せてくれる一輝への感謝だったのかもしれない。
あるいは本当にその時芽生えた美奈子の『性愛』だったのかもしれない。
難しく考えるのを美奈子はやめた。細かく分類しようとしたところで、結局はやってみなければわからないのだ。
男性との『性愛』は恐ろしいものだと美奈子は思っている。
秘め事はふたりきりの密室で行われるので、どんな暴力が振るわれるかわからない。
妊娠や性病のリスクもある。
なにより、身体を許してしまうと、女性の所有権を握ったと勘違いした男性は、愚かしいほど尊大になる。
そんな男性ばかりではないとわかってはいるが、『性愛』をちらつかせる男性を、美奈子はことごとく信用していなかった。
一輝に対しても、知らぬ間に警戒していたのかもしれない。
信用しているつもりでいながら、やはり心の奥底で、この男も身体を許した途端に変わってしまうのだろうと疑っていたのかもしれない。
だが。抱き合って。
渚ちゃんを間に挟んだつもりで抱き合って。
でも、そのうちだんだん、なんだかふたりの間の雲行きが怪しくなって。
挟んでいいたはずの渚ちゃんがするりとどこかへ消えていって。
むくりと。
一輝の『性愛』が角ぐみ。
そして美奈子の『性愛』も萌芽を迎えたのかもしれない。
結局のところ、その日は小さく萌芽しただけで終えてしまったが、美奈子はその芽に大事に水を撒くことにした。
「クリスマスは私の家に来ませんか?」




