彼も彼女も着替えたら・20
以前のように週末に会うようになったからか、落ち着きを取り戻した美奈子は毎日ジムに来ることもなくなった。結局一輝も辞めることはなく、週に2~3回通っている。今日行くの行かないの、何曜日に行くの行かないのと連絡を取り合うこともなく、ジムで会えば親しく話すぐらいのものである。
結局付き合ってるのかいないのかとヤキモキするジム会員たちにこっそり聞かれた真木は、「仮免中です」と答えていた。
「乗ってもないなら学科だろ、まだ」
「謹んでください、菅生トレーナー」
レッグプレスのせいか菅生のせいか、真っ赤になってふうふう言っている一輝の横で真木が軽蔑のまなざしを菅生に向ける。
「どうなの。技能教習ぐらいやったの」
「及川さん。相手にすることないですからね」
「手、手は繋ぎました……」
「おうおう。それから?」
「それからって……、それだけです……」
「それだけ~!?」
菅生は大げさに驚く。
「おいおい、もう1か月は経つぜ。キスぐらい済んでんのかと思った」
「菅生」
爆発しそうなくらい真っ赤になった一輝を見かねて、眉間の皺深く真木が窘める。
「会員さんのプライベートに土足で踏み込まない」
「いい大人が何、いつまでぐずぐずしてんの。デートなんて行きつくしたでしょう。なんのための筋トレよ、及川さん。もう押し倒せるぐらい筋力ついたでしょうに」
「菅生!」
「さすがお尻の軽い菅生トレーナー。おっしゃることがAVで性教育を受けてるおサルさん並ですわね」
「俺が軽いのは尻じゃないんだ。フットワークなんだよ」
ラスボスよろしく現れた美奈子を振り返りながら、菅生は堂々と言い放つ。美奈子はフンと鼻で嗤った。
「フットワーク?3本目の足のことかしら」
「美奈子殿!」
「榊原さん!」
赤くなったり青くなったりして慌てる一輝と真木を一顧だにせず、美奈子はツンと上げた顎で自分より背の高い菅生を見下ろす。
「真木先生がどんな顔してあなたを見てるかご覧になったら?」
「おまえの下ネタに引いてんだ、バーカ!」
たしかに真木への焦りもあってくじけそうになった心を奮い立たせ、なんとか菅生は踏みとどまる。
「及川さん!こんな下品な女のどこに遠慮してるんですか!さっさと一発かまして既成事実作っちまいなさいよ!」
「菅生!!」
わー、菅生トレーナーサイテー、などという囁きがジムのあちこちから洩れ聞こえてくる。
「いや、菅生先生、小生はあくまで美奈子殿と誠実なお付き合いをしたいのであって……」
「既成事実!一発を既成事実というのなら、セフレは全員既成事実のなれの果て。そんな考えだから真木先生にも愛想を尽かされるんではありませんの?」
「いや、美奈子殿、アウティングはよくないでござるよ、アウティングは……」
「それとこれとは話が違うだろうが!もったいぶるだけもったいぶってる女なんて一回抱けばあとはなんとでも」
「サイテー!」
美奈子の人差し指に重ねるようにあちこちからサイテーサイテーと小さく聞こえる。
「どんな教科書読んでたらそんな考えに行きつくのよ!まさにエロ漫画とAV教育の賜物だわね!亀頭に脳みそ詰まってんじゃないの!?」
「いや、美奈子殿、ちょっとその、表現が直截すぎるというかなんというか……」
「及川さん!こんな下品な女のどこがいいんですか!?今ならまだ間に合いますよ!考え直した方がいいですって!」
敵わないと思ったのか、菅生は一輝を説得する方にシフトした。そうくれば美奈子もこうである。
「真木先生!やはりこの男とは付き合わなくて正解ですよ!こんな貞操観念の緩い男と付き合ったらすぐにでも3……」
すかさず一輝が美奈子の口を塞ぐ。一輝の指の隙間から「ぴ~」っと小鳥の鳴き声のような音が漏れ聞こえてきたが、一輝は決して手のひらを離しはしなかった。
真木は額を押さえながらこれ以上はないくらい眉間を寄せていた。
「いらしたばかりですけど、榊原さん。今日はいったんおかえりいただいた方が。それと菅生トレーナー。お客様にあのような態度は感心できません。今日はもう帰って頭を冷やしてください」
真木はごく冷静を装って言ったが、美奈子の剣幕は収まらず、菅生はそれに焦燥もプラスしてハモった。
「イヤです!!」
真木は深~~くため息をついた。
居酒屋で反省会である。
座卓を挟んで真木と一輝の前に正座させられた美奈子と菅生は、神妙に姿勢を正し、かつ頭を垂れていた。
「大勢が見ている前で……。反省してください」
「……はい」
「菅生に至っては職場だぞ。上が知ったらなんて言うか……」
頭を抱える真木に、美奈子はしおしおと言った。
「本当に申し訳ありません……。真木先生まで巻き込んでしまって……」
アウティングのことだと真木は気づき、表情を緩めた。
「それは大丈夫ですよ。僕は別に隠してないんで」
美奈子はますます小さく「ごめんなさい……」と言った。
「それより、浮かれている榊原さんに巻き込まれる形で、ジム内の空気が落ち着かなくなってるところが困ってるんです」
「浮かれてる?私が?」
きょとんとする美奈子に、また小さく真木はため息を漏らした。
「やっぱり自覚ないんですね」
「浮かれてます?私?」
一輝を見て自分を指さす美奈子に、一輝は少々冷や汗をかきながらほほ笑む。
「天使ぐらいには」
「まあ」
両手のひらをひらひらとはばたかせる美奈子に、菅生は吐き捨てる。
「バカップルが」
「おまえが火に油を注ぐから、ますます会員さんたちが野次馬化するんだよ」
真木は険しい顔で菅生を睨みつけた。
「こいつらがさっさと進展すればいいだけの話だろうが!そうすりゃ会員さんたちだって落ち着くんだから!」
「私たちがどうなろうと菅生先生には関係ないでしょう!?」
「俺にはなくても、会員さんたちが日々落ち着いてトレーニングするために!」
「菅生先生がウザがらみしてこなければ、誰も私たちのことなんか見ていませんでした!」
「榊原さんの言うとおりだよ」
「真木!?」
「小生も菅生先生のことはいささか負担に感じております」
「及川さんまで!?あんなに応援してあげてるのに!?」
「どこが?」
くいと眼鏡を上げる一輝に、菅生は心外だという声を上げた。
「そこでおふたりには大変申し訳ないのですが、しばらくの間、ジムには別々の日に来ていただけないかと」
真木の言葉に、美奈子は眉を下げて一輝を見、一輝はにっこりとほほ笑んで美奈子を見返した。
「そうしましょう。せっかくジムでお会いしても毎度このような騒ぎになれば、小生たちも周りの方たちも落ち着いてトレーニングもできませぬ。さすがに皆様にご迷惑をおかけするわけにはいきませぬものな」
「わかりました。一輝さんには週末お会いできますし、トレーニングはどうせ黙々とやるものですから」
美奈子も眉尻のこわばりを解き、にこりとほほ笑む。
「……おまえら本当に何もヤッてないの?」
座卓に肘をついてふたりを見ていた菅生が、面白くなさそうに言う。真木がすかさず「菅生!」と窘めた。
「そんっなにヤッたかヤッてないかって大事なんですか?」
キレ気味に美奈子は振り向いて、軽蔑のまなざしで菅生を見る。
「当り前だろ。そこから関係性って深まるんだから」
「さすが、セフレのいる方のおっしゃることは深いわ」
菅生は舌打ちするが、美奈子は軽蔑のまなざしを引っ込めない。
真木はふと考えるように、ふむと唸って顎に手を置いた。
「セックスはともかく、確かに抱き合ったときに、ああ、今までとは違う関係が始まるんだな、とは思いますよね」
菅生の動きが驚愕でぴたりと止まった。
「え。真木……?」
「えっと、でも、真木先生、その……」
言い辛そうに言葉を探している一輝を、真木が気づいて自ら助け舟を出す。
「ああ。やっぱり違うんですよ、友達と彼氏って。やっぱりその、抱き合うまでに積み重ねた時間が違うからかなぁ……」
言いながら考える真木と一緒に一輝も想像する。
「そうですな。体育祭や卒業式で盛り上がって同級生たちと抱き合っても、年2回のイベントで久しぶりに再会した友と抱き合っても、なんとも思いませんものな」
「案外同意してくれるのは、榊原さん以外の女性に興味のない及川さんぐらいかもしれませんけど」
くすくすと笑う真木に一輝は赤くなる。
「そ、そうですかな」
「だって『性的』に見る対象って限定的なものですから、普通はそうですよね」
刺身を食べながらさらりと言う美奈子の言葉に、真木も一輝も菅生を見た。
「おいおいおいおい、なんでそんな目で見る。何か誤解してるぞ、おまえら。あれはセフレとかじゃなくって、あいつの冗談で……」
「ということは、本気だったんですね。だそうですよ、真木先生」
もうひとつ刺身を口に運びながら目を見てくる美奈子に、真木は頷いた。
「みたいですね」
「真木!?」
焦る菅生をみんな無視した。




