彼も彼女も着替えたら・19
「そもそも小生は美奈子殿のことが『好き』なのであって、『性的』に見ていることが先走りしているこの状況はいささか本意ではなく……」
憮然としながらも早口でまくし立てる一輝を美奈子は不思議に思う。
「私も一輝さんのこと以前から『好き』ですけど?」
「いや、それはそうなのかも知れませぬが、その『好き』とはいささか趣を異としますか、なんというか……」
一輝は眼鏡を中指で上げると、息を吸って、吐いた。
「一緒に居て心休まり離れがたく、ずっと手を握っていたいというか、できれば抱き締めさせていただきたいというか、許されるものならば、その、その、そのく……」
美奈子はテーブルの上の一輝の手に、さっと手を重ねた。
「ひっ!?」
思わず引こうとした一輝の手を、美奈子は逃がさなかった。
「さっき握ってくれたじゃないですか。こうやって」
「あれは!早く暖かい場所へ!お連れせねばならぬと!焦ったからで!」
今も焦っている。
「つまり、一輝さんは私のことが『お好き』なのですね?」
「当り前です!好きでもない相手を『性的』になど、見られるわけないではありませぬか!!」
重なる美奈子の手をもう一方の手で剥がそうと焦る一輝の手に、さらに美奈子はもう片方の手を重ねて言った。
「なるほど」
そしてもう一度ゆっくりと頷きながら「なるほど」と呟いた。
男は女のことを『おっぱい』か『穴』が喋ってるぐらいの気持ちで見ているのだろうと美奈子は思っていた。男が「可愛い」というのは『おっぱい』のことで、「好きだ」と告白する相手は『穴』のことなのだろうと。惚れた腫れたの言ったところで所詮男の最終目的はセックスなのだ。
一輝だけはそんな男どもと一線を画す存在だと思っていたのだが、そうでもなかったのかもしれない。
いや。本来ならば一輝もそんな男どもと同じ生き物ではなかったのだろう。だが、美奈子が渚攻だの静香メイメイだの余計なことを言ったのものだから、変にハートに火をつけてしまったのかもしれない。ならばわずかなりとも責任を取るべくコスプレっぽいこともしてみたが、そうではないと一輝は拒否をする。
それもそうだろうと美奈子は内心大きく頷いた。
渚ちゃんの二次創作に焼かれた脳裏に、渚ちゃんのコスプレに身を包んだ生身の女体を重ねてみれば拒否反応が出るのは致し方ないこと。むしろ出ない方が『コスプレした穴』を見ているということで、そちらの方が信用できない。コスプレしておきながらこんなことを言うのはどうかとも思うが、好きな女にコスプレさせる奴は信用できないと美奈子は確信している。そんなところでも、なんだかんだ言いつつ一輝はひとつまた美奈子の信用を勝ち取っていた。美奈子のことを『性的』には見ているけれど。
なんだかんだ『BL』は簡単でいいと美奈子はつくづく思う。
身体に付いているモノが同じモノ同士なので、戦場であっても学園であっても、はたまた会社であっても異世界であっても、ナニをどうしてどうやりたいのかツーカーで話が進む。
そもそもフィクションなのできっかけがレイプであってもラブレターであっても、最終的には心が通じ合って幸せになる。美奈子とは全く関係のない男体同士なので、痛かろうが何だろうが壊れることもない。『性的』な関係を男同士で解決してくれるので、安心して見ていられる。
これがヘテロの恋愛モノだと、辛かったり不愉快だったり、そんなわけないじゃんという『シラケ』だったりが発生して、美奈子的には全然楽しめない。
『BL』は蚊帳の外から楽しめる、美奈子にとっては安心安全な『性的』エンターテイメントなのだ。
そう。美奈子とて『性的』なものに全然興味が無いわけではないのだ。
だが、あまりにも自分自身から『性愛』的なものが乖離していた。
ホテルに連れ込まれそうになったり、痴漢されたりするたびに、『性愛』というものは美奈子の心からどんどん削がれて行った。
BL好きを揶揄されたり、オタクであることを否定されたりするたび、男性に対する『情愛』は湧かなくなった。
美しくあることは、美奈子にとって『誰かへの媚び』ではなかった。あくまで『美少女騎士ファムファタル』のオディールになって、世界を守るために過ぎなかった。なのに勝手に『媚びてる穴』だと思い込んだ虫たちが寄って来ては、美奈子の『性愛』を、『情愛』を、ゴリゴリと削っていった。
一輝も自分の心を削るのであろうか、と美奈子は思った。
「『性的』に見ている」と言われても不思議と不愉快な感じはなかった。それこそ一輝と今まで過ごした時間の穏やかさが信用となって積み重なり、抵抗を感じさせないのであろう。ここまで言われているのに、まだ一輝が自分を『性的』な目で見ているということが、今ひとつ信じられないのだ。
しかも『性的』な目で見ているどころか、『恋人』になりたいとか言い出している。『好き』は渚ちゃんへの『好き』ではなく、『恋人』になりたい『好き』なのだと。
美奈子にはピンと来ない。目の前の一輝を『性的』に見ることができない。ていうか、そもそも『性的』に見るってなに。と、振り出しに戻る。
BLは楽でいい、と美奈子は思った。
恋に落ちるきっかけなど些細なことで、いきなりセックスしてもすんなり両想いになったりする。
ふと、美奈子は閃いた。
「一輝さん。このあと私、行きたいところがあるのですけれど」
「はい?」
キョトンとしている一輝の手を引いて美奈子が来たのは、ラブホテルの前だった。
「ちょっちょっちょーー!!」
入り口の前で腕を引っ張られながら、一輝は小声で「美奈子殿!!」と叫んだ。固有名詞をラブホテルの前で大声で叫ぶのは良くないことだと、焦りながらも理性が働いたせいだ。
「どこに入る気ですか!?」
「ラブホテルです」
美奈子は冷静に目の前のラブホテルを指さす。
「な、なにをする気なんです!?」
「セックス……」
咄嗟に美奈子の口を塞いだが、あまり塞いだ意味はなかった。
「そんなこと、外で言ってはいけません!」
「だから中に入りましょうと」
「待て待て待て待て待て」
今度は一輝が美奈子の腕を引っ張って、ようようラブホテルから引き離した。少し離れた場所に移動して、美奈子と向き合う。
「いきなり、どうしたんですか!?」
なるべく怒鳴らないように落ち着いて、それでも握った腕は離さず一輝は言った。
美奈子の方こそ落ち着いていた。
「どうあがいても一輝さんのこと『性的』に見れそうな気がしなかったので、思い切って先にセックスをしてしまおうかと」
「……美奈子殿……」
一輝は美奈子の両肩に手を置き、うなだれた。
「……それでは強姦です……」
「でも、身体を先に繋いでしまえば心は後からついて来ることもあると」
「無いです。それは性依存症者の言い訳です」
「ついて来なかったら恋人関係を諦めればいいわけですし」
「……そういうことではないんです……」
何気に深く傷つけられ、一輝はさらにうなだれる。
「いいですか、美奈子殿。セ、セ、セ、セックスというのはですね」
一輝は赤くなりながらもなんとか冷静さを取り戻す。
「お互いの心が通じ合わないうちはやってはいけない行為なのです」
「それはわかっているのですが、通じ合うのを待っていてはいつまでたっても一輝さんのお気持ちに応えることができないような気がして。だったら順番を変えても差し障りは無いのではないかと」
「あります。充分差し障ります」
一輝は美奈子の目を見て言い含める。
「小生は待ちます。美奈子殿が小生のことを『性的』に見てくれるのを。いや、これが間違いでしたな」
一輝はいったん横を向いて考えると、眼鏡を上げて言い直した。
「美奈子殿と心が通じ合うのを、待ちます。小生は待てます。小生も美奈子殿と通じ合えるよう努力します」
美奈子はわずかに眉を下げた。
「……時間がかかりますよ、たぶん」
「それでもです。それでいいんです」
美奈子はまだ納得はできないようだったが、小さく頷いた。
「それでなのですが」
肩に置いていた手でさりげなく美奈子の手を握りながら、一輝は歩き出す。
「最近読んで面白かった本などありますか?美奈子殿のお気に入りの作家殿の本など、小生もたくさん読んでみたいのです。探しに参りましょう」
美奈子はたちまち明るい顔になった。
「それでしたらちょうど今日発売された新刊が……。あ、でもこれBLですよ?」
「ふっふっふ。舐めていただいては困りますな、美奈子殿。小生これでもオタクの端くれでござるよ。多少のBLなど必須科目として嗜む程度には履修済みでござる。心配無用」
「さすが一輝さん。生まれながらのオタク」
あんまり味のしなかったハレ禁カフェからやっと調子を取り戻し、ふたりは本屋へと足取り軽く歩みを進めた。
放っておいたらヤバい。
美奈子の暴走する『性愛』『情愛』思想に危機感を覚えた一輝は、美奈子の『恋愛観』を形作る一片であろうBLを、片っ端から勉強しなければと固く決意していた。




