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彼も彼女も着替えたら。  作者: 萬田ぷぷっぴどぅ


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彼も彼女も着替えたら・17


「さっ!?榊原さん!?」

 座卓の上に倒れそうになった一輝とビールを支え、焦って美奈子を止めようとしていた菅生に真木は言う。

「来てたんだ」

「ぐ、偶然だな」

 真木は鼻で一蹴し、一輝に座るよう促した。

「及川さんを受け入れるか拒絶するかは私が決めることです。及川さんが決めることではありません」

 突然のことに言葉も出ない一輝を、美奈子は腕を組んで見下ろす。

「人の気持ちを勝手に推測して逃げ回って不安にさせるなんて、どれだけ腰抜けなんですか、情けない」

 どこから話を聞かれていたのかはわからない。盗み聞きされていたことを怒っても良さそうなものだが、それよりも初めて本気で怒っている美奈子を目の当たりにして一輝は震えていた。

「聞いてました?」

「及川さんが私を性的に見ていたということ?」

 真木の問いに、一輝から目を逸らさず美奈子は答える。一輝は震えあがった。

「及川さんが言いたいこと、わかりますよね?」

「ぜひ、及川さんの口から直接お伺いしたいわ」

 美奈子の視線も口調も刺すように冷たい。これでは言う前から答えはわかっているようなものだが、たぶん言わなかったら言わなかったで美奈子は許しはしないだろう。

「榊原殿……」

 一輝は腹を括った。

「小生と、恋人として、お付き合いしていただきたい」

「断る」

 瞬殺だった。



「いや、おまえ、言い方ってもんが……」

 今の今までおとなしく固唾を呑んで見守っていた菅生が、辛抱堪らず口を挟んだ。返す刀で斬られた一輝があまりにも哀れで……。

 打ちひしがれた一輝は座卓の上に並ぶ料理の上に倒れ伏しそうになったが、間一髪、料理は真木の手で端に寄せられた。

「私はずっと及川さんのことを良いお友達だと思ってお付き合いして来たんです。なんなら今この瞬間でさえ良いお友達だと思っています。そんな方からいきなり『恋人になって』と言われても、何言ってんの?としか思えません」

 顎をツンと上げ、美奈子は昂然と一輝を見下ろす。

「ですから」

 美奈子は一輝の前に腰を下ろして正座した。

「今から『恋人になるためのお付き合い』を始めようと思います」

「は?」

 真木も菅生も、そして伏していた一輝も起き上がって美奈子を見て変な声を出した。

「『恋人になるため』って?」

「今までさんざんデート重ねて来たのに?そのためのデートじゃなかったんですか?」

 本気で訝しむ菅生と真木に、美奈子は顔色も変えずに言う。

「今までのはお友達としてのお付き合いですし、これからのお付き合いも私はそのつもりでした」

 そして一輝に改めて向き合い、美奈子は言った。

「ですが、及川さんが私と『恋人』になりたいとおっしゃるのでしたら、私もそのご期待に添えるかどうかの努力はしてみたいと思います」

「期待……」

「努力……」

 美奈子は美人ではあるが、ちょっと変わっているなとうすうす感じてはいた。菅生と真木は自分たちの勘が外れていなかったことを確信する。

「私が及川さんのことを『性的』に見られるようになったら恋人になりましょう」

「さ、さ、さ、榊原さん!?」

 なんてことを……!と慌てる一輝の横で、菅生と真木は「性的って……」と薄目になっている。

「もし、どんなに頑張っても『性的』に見られなかったら、そのときはまた、お友達になってくださいね」

 小首を傾げて花が綻ぶようにほほ笑む美奈子に、一輝も菅生も真木も無意識の悪魔を見た。



 混んできたから一緒でいーい?と菅生と真木の共通の友達だという板前姿の若い男に言われ、一輝たちの座卓にまとまることになった。

「『恋人になるため』の練習って、まずは何から始めたらよろしいんでしょう?」

 ごく真面目に問う美奈子に、3人の男たちは内心「しらねーよ」と答える。『性的に見る』っつーてたのはおまえだろう、と。

「まずは名前からではありませんか?」

 一応真木が提案すると、一輝と美奈子はきょとんとした。

「名前?」

「なんて呼び合ってます?」

 真木が一輝と美奈子を交互に見ると、ふたりは目を合わせた。

「及川さん」

「榊原さん」

「硬いですね。まだ会社の同僚です」

「友達でももうちょっと、愛称とかで呼ぶよな?ヨッシー」

 肩を抱いてくる菅生の手を払いのけ、真木は一輝と美奈子を見たまま続けた。一輝と美奈子は少し驚いたが、すぐに真木に集中した。

「下のお名前で呼び合ってみてはどうですか?」

「下の名前……」

 一輝も美奈子も呟くと、そそくさとバッグの中から名刺入れを取り出した。

「わたくし、『及川一輝(おいかわかずてる)』と申します」

「わたくし、『榊原美奈子』(さかきばらみなこ)と申します」

「改めまして、どうぞよろしくお願いいたします」

 名刺入れに名刺を重ね、丁寧に交換しながらお辞儀を交わす。

「硬い硬い硬い」

 真木も菅生も呆れるが、これがこのふたりの当たり前なのだろうと深くは注意しないことにした。

「かずてるさん」

 名刺を見ながら美奈子が口の中で反芻する。

「み、み、み、み、み、……みなこさん……」

 呼ばれたと思った一輝は慌てて美奈子の方を向き、どもりながらも答える。

 美奈子は満面の笑みで一輝を見た。

「二次元以外の男性を下のお名前で呼ぶなんて、初めての事かもしれません」

「きょ、恐縮です……!」

「一輝さんは?保育園や小学校でお呼びになった経験はあります?私、小さいときから人の名前はだいたい苗字で呼んでいたので」

「いや、あの、」

 近所の女の子や幼稚園の同級生は下の名前で呼んでいたような気がするが、ここで正直に言ってしまうと美奈子をがっかりさせるのではと一輝は余計な気を回し始めた。下の名前を呼ぶ女性は、美奈子さん、貴女が初めてですと言った方が……。

「珍しいね。保育園なんて先生が『タカシくーん』とか『マナブくーん』とか呼ぶからそれ真似して呼ばない?」

 すっかり冷めたきびなごの唐揚げを摘まみながら菅生が口を挟んだ。横にいた真木がすかさず菅生の脇腹に肘を入れたが、気づかず美奈子は答える。

「私が通っていた保育園では苗字に『さん』付けで先生方は呼んでいらっしゃいました。小学校でもそうでしたよ」

「しょ、小生のところもそんな感じでしたね。あだ名は冷やかしや揶揄いにつながって良くないと……」

 果たして女性の下の名前を呼んだことがあるか無いかはうまいこと誤魔化せたと、一輝は勝手にかいた額の汗をぬぐう。

「小学校の話は聞いたことがありますけど、保育園からっていうのは珍しいですね」

 真木は感心する。実は美奈子の記憶違いで、保育園のときは下の名前に『くん』や『ちゃん』付けで呼ばれていた。美奈子ひとりが堅かっただけだ。2歳の頃から美奈子は堅物だったし、水商売のバイトをしていても美奈子は堅かった。

「あだ名が良くないなら、俺たちもこれから名前で呼び合った方がいいかもな。な?吉嗣(よしつぐ)

 気安く肩に手をかけてくる菅生の顔を押しやりながら、真木はごく冷静に返した。

「今まで通り、苗字で構いませんよ、菅生トレーナー」

「いや、ここはもう職場じゃないんだから吉嗣」

「職場じゃなくても苗字以外でお呼びしたことはありませんよ、菅生トレーナー」

 めげない菅生をなおも力を込めて真木は推し剥がそうとするが、なかなか菅生は諦めない。

「真木先生と菅生先生は仲がよろしかったんですね」

 ジムのトレーナーは何人かいるが、皆満遍なくトレーナー同士交流しているように見える。一部の人間が特別親しくしている様子など見たことが無かったので、美奈子は意外だった。

 菅生が笑顔で何か言いかけたが、すかさず真木が答えた。

「いいえ。同じ職場の同僚と言うだけです」

 冷ややかな真木の声音に一輝はなんとなく何かを気づきかけていた。むしろこちら方面にプロであろう美奈子の鼻が効いていないことが不思議だった。

「真木……」

 菅生は責めるような目で真木を見る。

「俺は」

「ごめんなさい」

 すかさず真木は菅生に頭を下げた。

「自分の尻は軽いくせに、浮気をしてもいない相手の貞節を疑うような束縛の強い男は僕は嫌いなんです。他を当たってください」

 一輝も美奈子も、え、と目を見開いた。

「尻が軽い?」

「お待たせ~。ゲソの天ぷらだよ~」

 ちょうどイカの刺身の残りを天ぷらにして持ってきた、真木と菅生の共通の友人だという若い板前を真木が指さす。

「元カレ?」

 美奈子が菅生と板前を交互に指しながら真木に訊くと、板前はきゃらきゃらと笑って言った。

「やーだ、元カレじゃないわよ、ただのセフレ。気にしないの、マキちゃん、ただのセフレだってば」

 安心させるように真木の肩をポンポンと叩き去って行ったが、あとには不愉快を隠しもしない真木とその横でエサを待つ鯉のようにパクパクしている菅生が残された。

 どう声をかけたらよいものかと一輝は悩んだが、一瞬のうちに自分を取り戻した美奈子に「揚げたてですよ」とイカの天ぷらを勧められ、放っておくことにした。

「あつっ。揚げたてはやはり美味しいですね、一輝さん」

 にっこりとほほ笑む美奈子に、一輝もぎこちなくもにっこりとほほ笑み返した。

「あっつぁ!ほ、ほいひいへふふぇ、み、美奈子、さん……」


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