彼も彼女も着替えたら・12
美奈子は菅生が好きではない。
柔らかい言い方をしているが、どちらかというと近寄るなとすら思っている。
人の好き嫌いはあるものの、美奈子もいい大人なのでビジネスライクな人間関係はそれなりに築ける方なのだが、いかんせん菅生は距離が近い。同じ会社の人間が入って来たのがそんなに珍しいのか、初日から一輝のことについて根ほり葉ほり訊いてくる。
「同期ってことは仲が良いんですか?」
「ええ、同期は皆」
あながち嘘ではない。たしかに一緒に旅行に行くほど仲が良いのは一輝だけだが、同期全員でそれなりに飲み会はあったりしている。
「及川さんが通われてるからここに?」
「いえ。駅に近いので」
嘘である。一輝が通ってるから来たに過ぎない。筋トレなど、美奈子は自宅で毎日軽くヨガをやっているので、実はジムなど必要ない。
「でもこのあいだとても親しそうに声かけていらっしゃいましたよね、及川さんに」
「親しくさせていただいてますから。ご挨拶はきちんとしないと」
「親しくても、及川さんに特別な感情があるわけじゃないと?」
「はあ?」
美奈子は思い切り眉をひそめて菅生を見た。
「同じ会社の同期の男女がたまたま同じトレーニングジムに来たら、恋愛関係を疑われてしまうんですか?」
「ジムじゃなくても、まずそう思いますよ。ああ、好きで追いかけて来たんだなって」
ほら来た、と美奈子は吐き出した。
「どんな恋愛脳ですか。面倒くさい」
ちょっと親しい男女を見れば、すぐに色恋に結び付けるおめでたい脳みそ。美奈子が一番嫌悪する人種である。
「じゃあ、榊原さんは今フリー?」
「答える必要ありません」
つんとうそぶきチェストプレスに座ろうとした美奈子の横に手をついて、菅生は低く囁いた。
「じゃあ俺にもチャンスは」
「無いです」
鼻も付きそうな至近距離で美奈子は一刀両断した。勝手な妄想で結び付けたカップルを、勝手な妄想でさらにひっかきまわして遊んでやろうという魂胆の自称・モテ男。野良猫にも劣る畜生根性に反吐が出そうな美奈子である。
菅生はしばらく美奈子の目をみつめていたが、一度目を閉じため息のように笑うと、もう一度美奈子の目を見た。
「及川さんが良くて俺がダメな理由教えて?」
「何度も言ってますけれど、及川さんとはただのお友達ですし、菅生トレーナーがお断りな理由は私のことを好きでもないのに揶揄ってるからです」
ぴしゃりと言う美奈子に菅生はとうとう目を座らせる。
「こんな至近距離で粉かけてくる男が、どうして自分に気が無いと思うの?」
「こんな衆人環視の中で恥をかかせる人間が、どうして自分のことを好きだなんて思えるんです?」
気がつけばジム内の視線がすべて美奈子と菅生に集中していた。
「皆さーん。菅生トレーナーは私をダシにして誰かの気を引こうとしてますよー。今、ここにいる誰かさんに、菅生トレーナーはヤキモチ焼かせようとしてまーす」
美奈子は左手を口元に添えると、まんべんなくジム内に宣言した。そっちが勝手な妄想で一輝と自分の仲をかき回すつもりなら、こっちだって居もしない菅生の片恋相手を創りだしてやる。せいぜいそこら辺の女子に無駄な期待をされて困るがいい。
菅生は慌てて美奈子の口を塞ぎ、「冗談ですよ。榊原さんの悪い冗談です」と言い訳したが、ある者たちは固唾を呑み、ある者たちはさざめきながらも各々またトレーニングに戻った。
離れたところでストレッチをしていた一輝は呆然と美奈子と菅生をみつめ、それをサポートしていた真木もただふたりをみつめていた。
「及川さんはいいんですか?あのまま菅生と榊原さんがお付き合いすることになっても」
トレーニング終了後、真木に誘われるまま一輝は居酒屋へやって来た。仕事関係でもなくオタク関係でもない人間と酒を飲むのは初めてだった。えーと、外食は……などと戸惑う一輝に、「どうせ栄養管理ちゃんとやってないんでしょ?」と真木はすっかり見抜いていた。それでも揚げ物は避けて、焼き鳥中心の料理を注文した。
「いや、小生は、あの……」
「もう、そういうのいいですから」
真木は優しく笑う。ジムで見るのとは違う、力の抜けた笑顔だった。
「……小生は……、榊原殿が幸せならそれで」
「榊原さんに彼氏ができたら、今までみたいに一緒にどこかへ行ったりとかできなくなるんですよ?」
「……それも、仕方のないことです。榊原殿が小生といるより楽しいのであれば……」
「こんなに一生懸命身体づくりに励んでるのに?」
「いや、まあ、それは小生の勝手な努力で……」
はははと力なく笑いながら一輝はねぎまを頬張る。
「なんだかんだ好きなもの食べてますし……」
言いながらビールに口をつけるがあまり飲めていない。
「でも榊原さん、菅生にダシにされてるだけだって言ってましたし、今のうちに告白した方が良いんじゃないんですか?菅生が本気出す前に」
「いやあ~、菅生先生に本気を出されたら小生など……」
「及川さん」
窘めるように語尾を強くする真木に、一輝は優しく微笑む。
「真木先生は勘違いをなされている」
「勘違い?」
「小生は、榊原殿と、いわゆる男女の『お付き合い』をしたいとか、そういった希望はないのです。ただ榊原殿が毎日健やかで幸せでいてくだされば、それが小生の幸せなのです」
真木は悲しいながらも眉間を寄せて言った。
「それもう、親じゃないですか」
一輝ははははと笑う。
「守護霊と言っていただきたい」
一輝はリュックにつけていた渚ちゃんのラバーキーホルダーをみつめた。美奈子と旅行に行ったあの海で買った、地域限定の渚ちゃんのラバーキーホルダー。
「『推し』なのかもしれませんな、榊原殿は。小生にとって。凛として美しく、比類なきキャラクター」
一輝は真木を見て笑った。
「現実のアイドルを推しているようなものかもしれませんな。同僚などと距離が近すぎる分、小生もいささか勘違いしかけたのかもしれません」
「ほら、勘違いしかけたって言った」
すかさず人差し指を向ける真木を叩き落とす。
「『しかけた』だけです」
「『好き』になったんでしょ?」
「……推しへの『好き』と……」
「及川さん!」
真木はイライラと遮った。
「好きになんでしょ!?」
一輝は両手を揃えて膝の上で握りこんだ。
「『好き』とは……」
「また一緒にどこかへ行きたいなと思ってるんでしょ!?」
「それは……」
「もっと一緒にいたいと思ってるんでしょ!?」
「そ、そりゃあ……」
「手を繋いでみたいなーとか思ってるんでしょ!?」
「いや、そ、そこまで、は……」
「あわよくばキスも!」
一輝は慌てた。
「なっ!なにをおっしゃる!?」
「そして最終的にはエッ……!?」
「いけません!真木先生!!」
一輝は真正面から真木の口をおしぼりで塞いだ。真っ赤と真っ青がないまぜになったその顔は、怒りとも取れる表情で唇を震わせていた。
「な、なんということを……」
真木は一輝を落ち着いて押し戻した。
「いいですか、及川さん。当たり前のことなんですよ」
「な、なにが当たり前ですか……!」
怒りではなく恐怖の方でわなわなと震えながら一輝は繰り返す。
「好きな相手に触れたいと思うことは、ごく当たり前のことなんです」
噛んで含めるように言う真木の言葉が一輝は信じられない。
「触れたいことが当たり前などと……!」
真木は組んだ腕をテーブルに乗せ身を乗り出した。
「好きな人の柔らかい部分に触れて、自分のことも触って欲しいと思うのは、恋をした人間なら当たり前に持つ欲望なんです」
「そんな……、そんなふしだらな……。相手を好きになったくらいでそんな欲望を持つなどと……!こちらの気持ちなど露ほども知らないお相手の方に失礼ではありませんか……!!」
「言わなきゃいいんです!『あなたのことが好きなんでエッチしたいです』とか!」
「うわあああああああああ!」
耳を塞いで雄たけびを上げる一輝を、今夜の食材を釣るつもりが厄介な天然記念物を釣り上げた釣り人の気持ちで真木は見ていた。




