彼も彼女も着替えたら・10
「もしかして、あの方が意中の方ですか?」
寝転がって片膝を抱え大殿筋を伸ばしている一輝の耳元で、こっそりと小柄なトレーナーは囁く。
「え!?いや!あのっ!」
慌てて起き上がろうとした一輝を押し倒し、「はい、次こっち」ともう片方の膝を折りたたませる。
「だいぶ面食いですね、及川さん」
美奈子を盗み見ながら小柄なトレーナーはつくづく感心する。
「いや、あの、小生は榊原殿の見てくれが好きになったわけではなく、中身といいますか性格といいますかその……」
焦る一輝の言葉が耳に入っているのかいないのか、小柄なトレーナーは唸る。
「こーれはハードル高そうですよ、及川さん。もうちょっと頑張らないといつ告白できるやら」
「いや、だからあの、告白とかそんな大それたことを考えているわけではなく、ただ、これからも一緒にどこかへ行くときに小生のような少々小太りめな男が並んでいてはせっかくの榊原殿の美しさが絵にならぬと……」
「もうそろそろ1か月になりますよね。少し負荷かけるか、マシンを増やすか……。及川さん、食事、ちゃんとバランス取れてます?」
一輝のカルテを見ながら思案していた小柄なトレーナーは一輝の目を見る。
「えっと……、それはもう、小生の母上は料理が得意で……」
「料理が得意っていうのとバランスが取れてるメニューはあんまり関係ありませんよ。どうです?」
「カレーとかシチューとかかつ丼とか、ご飯にかけるメニューが特に得意な母上でして……」
「シチューは一般的にはご飯にかけないんです。どうします?今は初心者健康増進コースですけど、思い切ってバキバキダイエットコースに変えて、本格的に身体造りしませんか?」
心配気な小柄なトレーナーの表情から、営業ではなく本当に一輝のことを思ってのアドバイスだとわかっている。だが本格的にやり始めると毎食食事の写真は送らねばならないし、食事もブロッコリーだの鶏むねの蒸したのばかりになるし、それはなんとしてでも一輝的にはお断りしたい。
「いや、そこまでは……」
小柄なトレーナーは大きくため息をつくと恨みがましい目で一輝を見上げた。
「いいんですか?いつまでたってもお付き合いできませんよ?よその誰かに持ってかれちゃいますよ?あんな綺麗な人」
「いや!付き合うとかそんな……!そんなつもりは小生は全然……!」
「本当に~?」
「いや、あの、そんな、全然……」
小柄なトレーナーの上目遣いが怖い。一輝は脇腹を伸ばしながら目を逸らした。
「『とらせん』ですね。僕も好きなんですよ、『とらせん』。でも最近はやってないなあ」
生まれて初めてくぐったトレーニングジムの玄関。ガチガチに緊張していた一輝を担当してくれたのは中学生に見紛うほど小柄で童顔なトレーナーだった。トレーニングジムで働いているのだからまず中学生ではないとはわかったが、何より身体中に纏う立派な筋肉が成人男性であると雄弁に知らしめていた。トレーニングウェア代わりに一輝が着ていた『とらせん』のTシャツを見て、彼はにこりと微笑んだ。
「もしかして、コスプレか何かのために?」
他意の無い澄んだ目で見つめられ、一輝は慌てて首を振った。
「いやいや。仕事柄あまり身体を動かさないものですから、そろそろ健康に留意するべきかと思いまして」
「それはいい心がけですね。趣味も仕事も、まずは健康あってのものですからね」
にこやかに相槌を打ってくれる彼はどこか人を安心させる雰囲気がある。『とらせん』の話題を振ってくれたこともあって、一輝は緊張がほぐれていくのを感じた。
「運動はもちろんですが、トレーニングには食事の要素も重要になってきます。協力してくださる奥さまとか彼女さんは?」
「いやいやいや、とんでもない!」
ぶんぶんと勢いよく手のひらと首を振る一輝に、小柄なトレーナーはおやと目を見開いた。
「いらっしゃらないんですか?」
「小生はそんな!彼女など……!」
「ああ。そうなんですね」
トレーナーは「失礼しました」とほほ笑み、「ではひとり暮らしを?」と尋ねた。
「まだ実家におりまして、すべて母上任せで……」
いやはやお恥ずかしいと一輝は頭を掻く。
「ではお母様にこの表を見ていただいて、なるべく低カロリーで高たんぱくな食事を用意していただくようにお願いしてください」
「あ、はい」
野菜や果物、鳥や牛などの絵の描かれた、家庭科の授業でしか見ない表みたいなものを渡された。
「では、早速ですが準備運動から始めましょう。ストレッチとか普段されますか?」
「いやいや、せいぜい椅子から立ち上がって腰を伸ばすぐらいで……」
実際開脚して背筋を伸ばそうにもお腹の邪魔もあってなかなか前に倒れない。生木を引き裂くような声を上げる一輝の身体に、小柄なトレーナーは喜色をたたえた声で言った。
「これは改造し甲斐がありますよ、及川さん。頑張りましょうね!」
小柄なトレーナーは真木由嗣と言った。小柄ながら体操選手のような鍛え上げられた身体に人懐っこい笑顔。話題も豊富で、まあまあ厳しい指導ながらも一輝はたちまち心を許して、あくまでオタク友達としての美奈子のことまで話すようになってしまった。
「好きなんでしょ?その人のこと」
一点の曇りもなく言い放つ真木に一輝はいつも焦る。
「いや、だから、そうではなく!その方とはとても話が合うので一緒にいて楽しいだけで……!」
「それを『好き』っていうんでしょ」
「いやいや。真木先生の言われる『好き』と小生の思ってる『好き』とはジャンルと言いますかカテゴリーと言いますか」
「え~?」
胡乱な目をする真木に一輝は釘を刺す。
「ち・が・う・ん・です!」
「でも、その方に告白したくて身体作ろうとしてるんでしょ?」
「誰が言いましたかそんなこと!」
「顔に書いてあります」
一輝は両手で顔を覆った。
「書いてません!」
「今、書いたじゃないですか」
真木は人差し指で一輝の顔を指す。
「書いてません!」
しゃがみ込んで顔を隠す一輝を、ほらほらと真木は立たせた。
「アームカール頑張りますよ!10回2セット!目指せ、お姫様抱っこです!」
「目指してません!」
湯気が出るほど真っ赤になった一輝を鼓舞しながら、真木は笑っていた。
「すごい盛り上がってるね」
「菅生」
すらりとした高身長のトレーナーが真木の隣に来た。鍛えてはいるが身長があるせいかそれほどマッチョには見えない。韓流スターのような涼やかな顔立ちはジムの女性会員たちの良い励みになっていそうだ。
「うるさかった?ごめんね。及川さんのやる気を引き出してた」
ちっとも悪く思ってなさそうに、真木は言った。
「やる気は……!常に……!」
「及川さん。喋らなくていいですから。頑張って」
「むふう!」
一輝は鼻息荒く腕を胸に寄せる。その様子を見ながら菅生は小声で真木に囁いた。
「真木さん。及川さんばかり構わないで、他のお客さまもお願いします」
真木は半目で菅生を見上げる。すぐに笑顔を作り一輝に向き直った。
「じゃ、及川さん。僕ちょっと他の方を見に行きますけど、残りのメニューも頑張ってくださいね。ちゃんと見回りに来ますからね。サボっちゃだめですよ!」
「合点承知!」
ふうふう言いながら続けている一輝に手を振り、真木はその場を離れる。菅生も真木に付き添うようにその場を離れた。




