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彼も彼女も着替えたら・9


 一輝の付き合いが悪くなった。

 毎週末、何かのコラボカフェやらどこかの聖地やらに行っていたのに、「少々忙しくなりまして……」などと歯切れ悪く断られることが多くなったのだ。

 飽きたのか嫌われたのか。正直どちらにも美奈子は心当たりがある。

 コラボカフェも近場の聖地も結構行き尽くしたし、なにより『とらせん』の新作発表以来、一輝の情熱が冷めてきているような気はしていた。無理もないとは思う。新作が出ることは喜ばしいことではあるが、同時に古参ファンには不安でもある。新しい物語が完全な形で発表されればまた一輝の気持ちも変わるかもしれないが、今はそっとしておいた方が良いかもしれないと美奈子はオタク仲間として慮っていた。

 が、それはそれとして渚ちゃんの聖地お泊り旅行の件である。うっかり酔っぱらって先に寝てしまったのが良くなかったのだろうかと美奈子は考えていた。吐いたり暴れたりした覚えはない。起きたら布団の中だったし、ひとりで朝風呂にも入っていたので、特別一輝の手を煩わせたはずはない。

 だが、たしかにそのあとの一輝には違和感を感じた。にこやかに、いつもと変わらないように一輝は接するが、明らかにビジネス対応だった。あいかわらず一人称は『小生』だったし語尾は『ござる』が混ざる。

 その後の旅も楽しくなかったわけではない。むしろつつがなく終えた。まるで接待のように。

 そう、接待。最近のたまに出かける週末も、なにかこう一線を引いた接待感があるのだ。

 嫌われたのだろうか、と力なく美奈子は思う。酔っぱらってうっかり静香渚の話をしたからだろうか。それとも渚メイメイの話をしてしまったからだろうか。もしかして一輝にとって渚ちゃん攻は地雷だったのであろうか。

 そしてはたと美奈子は気づく。『性的な話題』だと。

 あろうことか『性的な話題』をしないから一輝のことを信頼していたというのに、その『性的な話題』をしない一輝の前で散々『性的な話題』をしたのは美奈子本人ではないか。一輝が『性的な話題』をしないのは『性的な話題』が苦手だからであって、きっと美奈子や女性一般に気を使ってのことではなかったのだ。

 なんという失態!美奈子は頭を抱える。

 いやでも言い訳させてほしい。美奈子はもう片方の手でぎゅっと胸を押さえる。美奈子にとって受とか攻とかカップリングやBL百合の話題は決して『性的』な範囲に入らないのだ。あれは様式美でありファンタジーであり、偶蹄目とかイネ科とかと同じ『生物分類学』の話なのである。

 言い訳させてほしい。謝罪させてほしい。一輝が笑って話を聞いてくれるものだからついうっかりカップリングの話などべらべらと喋ってしまったが、そんなに不愉快だったのならもうしない。BLや百合の話は別の仲間で盛り上がれる。一輝とはこれからも『とらせん』や『ハレ禁』でも、何か別のアニメやゲームでも、カップリング抜きでおおいに盛り上がりたいし、一緒にお出かけしたい。

 とりあえず週末に謝罪できる機会を頂きたいとメッセージアプリを開きかけたときだった。少し離れた部長のデスクから覚えのある声が聞こえてきた。

「あれ、及川くん、なんか痩せた?」

「いや、そうですか?いや、そんなには、ちょっとだけですけれども」

 はははと頭を掻く一輝がいた。部長の手には試作品がある。プロジェクトで一番若手の一輝が届けに来させられたのだろう。それにしても痩せたか?確かにちょっと顎周りがシュッとしたような気はするけどと、美奈子はパソコン画面の隙間から一輝をまじまじと覗き見た。

「ダイエットでもしてんの?さては恋でもしてるのか~?」

 このこのと笑いながら一輝の肩を小突く部長に、離れた席から「それセクハラですよ」と声が飛ぶ。『人事に訴える』の項目にまた正の字の棒が一本、美奈子の心の閻魔帳に書き足された。

「いやいや、ただの筋トレですよ。やはりデスクワークだけでは健康は保てないと思いまして」

 おお、意識高いっすね~、俺もやろうかな~などと社員たちが一輝の周りに集まりだす。中にはお腹を触る者などもいたりして、「あんま変わってないんじゃね?」などとも言っている。美奈子の目には先日呼んだBLのひとコマなど思い出されて、若干カチンと来たりもしたが、いやいやBLじゃないんだからと己を戒める。

「どこのジム通ってんの?会社の近く?」

 馴れ馴れしく肩と腕を触っている社員が訊くと、一輝は駅の近くにあるジムの名前を出した。

 あ~、あそこね~、などと社員たちが頷いている。美奈子も頷いた。そしてそのジムのホームページを早速開いた。



 トレーニングルームに入るなり美奈子は小さく舌打ちした。一輝はすでにランニングマシンに乗っていたからだ。しかも相当汗をかいて息を切らしている。

「榊原さん、まずはウォーミングアップからやりましょうね」

 運のいいことに美奈子は、韓流アイドルさながらのルックスと細マッチョなボディの男性トレーナーに、一輝の隣のマシンに案内された。

「あら、及川さん。及川さんもこちらのジムだったんですね」

 さも知らなかったように美奈子は微笑んで声を掛ける。

「榊原さん!?」

 一輝は驚きのあまり足がもつれランニングマシンから転び落ちそうになった。寸でのところで一輝についていたトレーナーがマシンを止め、一輝を支えた。

「ど、ど、ど、どうしてここに!?」

「なぜだかうちの部署で突然筋トレが流行り始めまして、こちらのジムが駅にも近くて最適なのではないかと評判なんですよ」

 ウソである。このジムのことは部長と一輝の立ち話を盗み聞いて知っただけだし、あのとき「俺もやろうかな~」とか言っていた者たちがその後筋トレを始めたという話はついぞ聞かない。

「あ、そうなんですね。まだ誰にもお会いしておりませんが……」

「曜日も時間も、皆さんいろいろご都合がありますものね」

 きょろきょろと周りを見回す一輝の目の前で、美奈子はにこりとほほ笑む。

「及川さんがいてくれてよかった。久しぶりのジムだったんで心細くて」

 ウソである。ひとり行動が寂しいと思ったことなど美奈子は一度もない。ただ、週末のお出かけが減った以上、どうにかして会話するきっかけが欲しいだけだ。

「あ、申し訳ない。せっかくですが小生は今日はもう……」

「クールダウンに行きましょうか、及川さん」

 一輝のトレーナーがカルテを見ながらストレッチエリアへと誘導する。

「あ、では……」

 軽く会釈をしようとする一輝を美奈子は逃がさない。

「及川さんはいつも何曜日に来られてるんです?」

「あ、えーと……」

 言い淀む一輝に被せるように美奈子のトレーナーが言った。

「榊原さん。筋トレはひとりでストイックにやった方が結果がついてきますよ」

 余計なことを言いやがってとトレーナーを振り返ってひと睨みしている隙に、一輝は笑いながら「では」とストレッチエリアへと行ってしまった。美奈子はふたたび自分よりだいぶ背の高いトレーナーを上目遣いに睨みつける。トレーナーは軽く肩をすくめてランニングマシンに乗るように指さした。

 しばらくすると一輝の姿は無くなり、一輝についていた小柄なトレーナーが美奈子のもとへ来た。

「フリーコースを選んでいただいているのですが、お忙しいみたいで来られる曜日や時間はバラバラですよ。なんだか集中して鍛えていらっしゃるみたいなんで、そっと見守って上げてください」

 なんだよーと若干不貞腐れながら美奈子はその後のメニューをこなした。声もかけられないなら何のためにトレーニングジムなんか入ったのか。もう辞めちゃおっかなーなどと唇を尖らせ、内心ブーブー言いながら着替えているとスマホが鳴った。一輝からのメッセージだった。挨拶も無しに先に帰ったことへの謝りと、次の週末のお誘いだった。

 少し機嫌が直った。とりあえず入会した初日の今日いきなり退会するのはやめた。



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