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9.死闘の百年

 グリモアは万能だと思っていた。使えばどんな不幸な人でも救えると確信してならなかった。そんな脳内お花畑ないつぞやの自分を殴ってやりたい。詐欺だ。こんなの詐欺以外の何ものでもない!


「いたぞ! 情報通り山奥に潜んでいやがった! 魔女狩りだ! 火を撒け!」

 絶対に人に見つからない場所に隠れていたのに見つかった! 何故⁉ 何故わざわざ追いかけてきたのか⁇ 大多数の大人は私を視認すると同じような反応をする。『魔女だ!』と。魔女って何なんだ⁉ 私が一体何をした? ていうか初対面で殺しにかかるってヤバいだろ。

「火を撒け! 絶対に逃がすんじゃねェぞ!」

 みるみる燃え上がる。山火事だ。狂っている。この人達、確実に頭がおかしい。

「死ね!」

「がはッ」

 背後から銃で撃ち抜かれた。私はろくな抵抗もできないまま倒れ、そして悶絶の末にトドメを刺されて気を失った。


「…………」

 グリモアのせいで私は死なない。リュウガの言う通りだった。ここ数日で身に染みて確信を得る。

 目が覚めると焼け野原と化していた。そこにあったはずの草木も全て焼き払われて人骨が転がっている。

 これもリュウガの指摘してきた通りだ。私の接する人間は全て狂いながら死んでいく。私が思い描いた理想とは真逆の世界。これじゃ本当に私は魔女だ。


【フフフ、おはよ。そろそろワタシのこと理解してくれたかしら?】

「紅か。…………人から逃げても無駄ということか?」

【フフ。人生そう甘くはないわね】

「何故こんなことをする! 不幸をばら撒くような真似をする⁉」

【え?】

「え、じゃないだろ!」

【ごめんごめん。そんな質問久しぶり過ぎて意表を突かれちゃった! リュウガちゃんには聞かれたことは無かったけど、カイちゃんは蒼のほうに訴えていたわね、確か。フフフ。そうね、それは快楽のため】

「快楽のため……だと⁉」

【そう。貴方は納得がいかない、というような顔をしているわね】

「当たり前だろ!」

【でも、それもワタシ、そろそろ飽きちゃったかもぉ。何だか物足りないわぁ】

「何が⁉ そこまでしておいてまだ物足りないのか⁉ 本当に悪魔なんだな、お前は」

【ええ、そうよぉ。多くの人がね? 群れながら死んでいったけどね? ワタシ飽きちゃったの。アリスちゃん、私に新しい刺激、頂戴よ】

「ふざけるな! お願いだからじっとしていてくれ! そして私がお前を満足させる義理などない」

【あら、つれないのね。嫌われちゃった。……あら、どこに行くの?】

「こうなった以上、もう人とは関われない。もっと、絶対に人が近寄れない山奥でサバイバルをして暮らすことにする!」

【あらあら。そういうところ、カイちゃんに似ているわね♪ さすがお弟子さん。そっくりに育つのね♪】

「さっきから……」

【んん?】

「その名をだすなァァ!」

 こんなに叫んだのは久しぶりだろう。親の仇の名を聞くだけでも怒りが湧き上がってくる。

【おおお、これは……】

 次の瞬間だ。目の前に突然、カイが現れたのだ。

「お前、何故!」

 躊躇なく私はナイフを投げつけた。ナイフの刃先は奴を貫通し波紋を残す。そして奴は波紋と共に消えていったのだ。

「……⁇」

 周りを確認する。どこへ消えた⁉

【幻よ、幻。幻影。こっわ~~い、この人。自分のお師匠を躊躇なく殺しに掛かるんだもん♪】

「ハア、ハア! 幻……だって?」

【そう。でも、凄いじゃない、アナタ。やればできるのね! 今の衝動、良かったわよ! 凄く興奮しちゃった! 今のよ、今の! もっとワタシに刺激を頂戴よ!】

「…………」

 この……魔本が。本のくせに、私をおちょくっているのか!




「満足したんじゃなかったのか?」

【あら。お腹だっていつも満腹ってわけじゃないでしょ? そりゃ定期的に虐殺もするわよ】

 それから数日後のこと。より人が寄り付かないだろう山奥に潜んでいたのにも関わらず、吸い寄せられるようにして集団が現れ、真っ先に私を殺してからその後、恒例行事であるかのように自分たちで殺し合い自滅していったのだ。目が覚めた時にはいつものように死体が転がっている。

【それにしてもなんだかねぇ、この人達も芸がないわねぇ? まるで夜に集まってくる決死隊の小虫みたい。翌朝になったら床には小虫の死体だらけってねぇ~~】

「アンタがやらせてるんだろうが!」

【怖い怖い。フフフ、そういうのも養分になるからありがたいわね】


 そしてお前はまた現れるのか。

「カイ!」

【ワタシは、もう幻影なんて見せてないわよぉ。でもアナタ。最近独り言多いわね。頭の病気かしら?】

 何でだ。何でなんだ! 私の両親を殺した犯人なのに! 憎むべき相手なのに!


『アリス! こっちの方が近道だ、急げ!』

「分かっている、私に命令するな!」

『この材料なら、今晩の献立は串焼きだね。僕が火起こししておくから、君は食材の下処理をお願いできるかい?』

「私に話しかけるな、黙っていろ!」

『この場所もそろそろ危ないね。見つかるかもしれない。明日新しい寝床を捜そう』

「何なんだ、何なんだ! お前は! どうして現れるんだ!」


 ふざけるなふざけるなふざけるな‼ でてくるな! 何ででてくるんだ! 何で助言するんだ! なんで優しくするんだ‼ お前の手など借りたくないのに!


 分かっている。これは幻影ではなくて妄想。自分で作り出して、自分で非難しているんだ。奴の事が嫌いでも、嫌でも頭に焼き付いて離れない。一緒にいた時間が長すぎた弊害だ。

「クソックソックソッ!」



 ……ああ。今日も殺された。もう、ダメかも。もう立ち上がれない。

 これが死ぬっていう事。これが死ぬ痛み。これが絶望。

「…………」

 許せない許せない許せない‼ なんでいつも一方的なんだ! 私は何もしていないのに! 殺しにくる奴が絶対に悪い! アイツらが全部悪い‼

 もう嫌だ。殺してやろうか。今ならリュウガの気持ちがよく分かる。どうせ私から殺しにかかっても、殺しまくっても、関係ない。どうせ奴らは早かれ遅かれ殺し合って自滅する命運なのだから!

「…………」

「…………」

 ――――。

 ――――。

 それなのに、なんで⁉ なんでお前は殺されても抵抗ひとつしないんだ! 殺し合いをしている奴らを止めに入っているんだ! なんで自ら殺されに行くんだ! どうして殺されてもそんな平然とした笑顔でいられるんだ!

 カイ‼




「ククク……。随分とお楽しみのようじゃねぇか、奴隷」

「リュウガ!」

 こんな山奥にもリュウガが現れた。

「どうしたんだ? こんな山奥まで。山火事の消火活動ならもう必要ない。とっくに消えている」

 燃え尽きたともいえる。

「クク、いや。またまた豪快にやってるなと思ってよ、様子を見にきてやったわけだ。お前のその歪んだ顔、やつれた精神を鑑賞するのが趣味になっちまいそうだぜ」

「性格終わってるな、さすが反社」

 また過去からやってきたのか。コイツと関わるとろくなことがないと痛感している最中だ。

「いいのかなァ? この俺様をそんなに敵視しちゃって。せっかくアリスちゃんに有益な情報を持ってきてやったっていうのに」

「何?」

「お前はグリモアのせいで苦しんでいる。間違いないな?」

「…………」

「おっと。『お前のせいだろ』というようなツラしてやがるな。フン、師匠の言いつけも守らず己が欲望の為にグリモアを握ったテメエの自己責任だろうがよ、ククク」

「…………」

「まあいい、そんな無能なテメエに情報を提供してやろう。グリモアを上手く抑制するのにはおおよそ百年の歳月が必要だ」

「……百年?」

「そうだ、カイがグリモアをある程度まで制御できるようになった期間だ。どうだ、気が遠くなる話だろう? 絶望したか?」

「…………」

「そしてグリモアの残り寿命は残り百年だ。お前が扱いに慣れてきた頃には、お前もグリモアもお陀仏ってところだな」

「…………」

 やはりこいつは根からの詐欺師だ。それを分かっていて私にグリモアを譲った。

「しかし、そんなお前にも希望はある。カイが百年間かけて得たノウハウを最初から使え。そうすればお前はその半分の期間でグリモアを御しきれるだろう。お前の憧れだったグリモアで人様を救う善行まで五十年ってわけだ」

「詐欺にかかりやすい人間というのは、既に詐欺にかかった人間だ。信用すると思うか?」

「もう落ちるところまで落ちた人間が何言ってやがる。優しい俺様はお前という愚民に手を差し伸べてやってるんだぞ」

「どの口がそれをいうか反社め」

「まあ聞け。グリモアを御する。それ即ち、自己犠牲だ」

「自己犠牲……」

「そうだ。カイは自分の命をグリモアに売った。俺はそんな事しねェがな。カイは他人が死ぬ前に自分の命を何度も差し出した。俺の場合は素直に他人を殺してきたけどな」

「…………」

「ここで、重大情報だ。グリモアは他人の死よりも所持者の死や苦痛を特に好む傾向がある。勿論、それ以外の人間共の死も好物だけどな。そこは、元の所持者である魔女キリエの怨念がかけられているといえるな。奴にとっては自分を殺した奴の死が香ばしいに決まっている。おっと、安心しな。それはカイの愛弟子であるお前にも適応されることだろうよ」

「魔女キリエ?」

「話が逸れた。カイが多くの人間を巻き込まないようにとってきた行動。それが自害だ」

「自害? 自殺か」

 なんてことを提案してきてるんだ、コイツは。

「そうだ。お前が自殺することで、ひとまずお前の行く先々の暴動はなくなるかもしれないぜ?」

「……そうなのか、紅」

【フフフ。どうかしらね】

「クク……。どうしても現状を変えたければ、試してみる価値はありそうだな」

 笑いながら奴は空気と同化するように消えていった。

 …………会うたびに嫌な感情を残していく最悪な野郎だ。





 僕は自分を殺しながら生きている。何回も死んできた。今夜もゴロツキ二人に話を持ち掛けて死ににきた。

「お兄さん、変な奴だね~~。この前も俺らに半殺しにされてたよね? いや、殺したはずだけど、なんで生きてんの? そうまでしないとあのガキ養えないの? 俺らさぁ、根っからの悪だけど、これに関しちゃ俺ら悪くないよぉ? 真っ当な取引だし」

「…………」

 問題は金じゃない。そして変な奴だと思われても仕方がない。そう、僕は異常者。

「何にせよ払った分はしっかりと殺させて貰わねえとなァ。悪党の俺らから金とるっつうことはそれだけの覚悟が必要だぜ!」


「がはっ」

 いきなり視界が揺れる。口の中には鉄の味。鉄パイプで殴られる殴られる殴られる。痛いなんてものは既に通り越している。歯が折れ、骨が折れ、それでもかろうじて意識があった。上から容赦なく踏ん付けられる。

 しかし人間というのは恐ろしい生き物で、数百年の歳月を費やせばどんな逆境でも適応できるものだ。痛みに対する慣れというやつだろうか。

「……さらせ! お…………変だなァ! ガ…………のために…………けかよ!」

「………………らは同情……………お人………………くって…………」

 徐々にゴロツキ達の声も飛んで聞こえてくるようになる。そして僕はいつも死ぬのだ。


 意識が戻ればそこには誰もいず、陽が昇りかけている。今日もまた無事死ぬことに成功した。気分は、最悪だ。そうして果てしなく続く人生のうちの一日が始まるのだ。これでグリモアが納得してくれるのなら安いものだろう。





「よう。生きてたか奴隷? 百年経ってようやくちょっとは色気が付いたんじゃねぇか? まあ、そのシケた面構えじゃデリヘルは無理か」

「リュウガか。そろそろ来ると思ったよ」

「ほほう、その様子だと仕上がりは万全といったところか?」

 あれから本当に百年。私は生き抜いた。生き抜くしか選択肢はなかった。そして今日ようやく百年越しに彼のもとに向かう。

「西の大瀑布。本当にその場所なんだな?」

「誰に対して口を訊いてる? この俺様の情報に一寸の狂いもねぇ。日時は今日。今日、お前らもグリモアも死ぬ。寿命ってことだな」

「…………そうか」

「あとは。ま、せいぜいその人生に有終の美でも飾ってくれや」

「…………」

「まともな人生を歩めなくて残念だったな。こればかりは同情するぜ」

 そう言い残し、リュウガは消えていった。

「…………」

 まったく。本当にその通りだ。前世で何をやらかしたらこんな人生を歩むことになるんだ。呪われている、あり得ない。

 そして同時に私はどうして憧れなんて抱いてしまったのだろう。





「やあやあ、そこの君。そこのパッとしない、でも世のため人のため自分の骨をすり鉢で粉になるまで引いてそうな青年君。ちょっと良いかな?」

「⁇」

「そうそう。君、君。ウチはしがない何でも相談窓口だよ。君、心に闇を抱えているね。お姉さんには分かるんだよ。無料で相談に乗ってあげるよ」

「お心遣い痛み入るけど、僕は別にそんな事はないよ。では」

「ああああ、ちょっと待って! 本当は辛い事たくさんあるんでしょ? 例えば誰かに殴られたり殺されかけたり!」

「…………あの。君、見た感じまだ若そうだけど何かのインターンシップとかでお仕事をしているのかな? 大丈夫。僕はそんなじゃないよ。君も頑張ってね」

「あ、ああ!」


 これじゃ浅い。もっと深く。


「へーい、そこのチェリーボーイ! 私の曲芸を見ていかないかい? タ・ダ・で! これで病んだ気分もスッキリするZE☆」

「⁇ 僕のことかい?」

「そうだよ、じゃあ早速やるね! 紅蓮の嵐お手玉‼ そしてお次はぁ! メディシンボールの上で逆立ちをしながらバウンドさせる! ビョンビョン!」

「おお、凄い凄い! 立派だよ。日頃からの訓練の賜物だね」

「どう? カイし…お兄さん。元気でたかい?」

「んん。僕は元々元気だよ。君も今のままを大切にしてね。今日はありがとう」

「え、ああ。お兄さん! 心の病みは大丈夫なの⁉」


 もっとだ。ぜんぜんダメだ。もっと深く。


「お兄さん。ズタボロだね。大丈夫? 何があったの⁇ はい、タオル」

「う、うん。ちょっとね。ありがとう。でも、大丈夫だよ」

「大丈夫なことないよ。半殺しにされちゃってるじゃないか。手当するよ? 話も聞くよ! 私、看護師だから!」

「はは。君は優しい子だね。でもそれには及ばないさ。恥ずかしい話だけどさ、こういうの慣れっこなんだ。気持ちだけ受け取っておくよ。じゃあ」

「ちょっと……」


 違う。もっとだ。もっともっと深く。


「ねえ、お兄さん。大変だったね。急に客が暴力振るうんだもんね。酷い時代だね。大丈夫だった?」

「ああ、お客さん。見苦しいところを見せてしまった。僕は大丈夫だよ。君の方こそ巻き込まれなかったかい?」


 ――――――――。

 ――――――――。


「うんうん、全然大丈夫。何の問題も無いさ」



 ――――――――。

 ――――――――。


「平気、平気さ。ちょっと小腹が空いていただけだから」


 ――――――――。

 ――――――――。



 もっと、もっと深く、深く。本心じゃない。笑顔だけど目に光がない。希望がない。他人のことを気遣うというより自分を大事にしていない。全然大丈夫じゃないはずなのに。







 グリモア。君にはまるで敵わなかった。君の一方的な圧倒勝利。僕の五百年の完全敗北。


そして、とうとう僕もそっち側に行く時がきたんだね。

「リュウガ」

 彼の墓の前で両膝をつく。分かる。僕の寿命もここまで。今日、今からグリモアと共に尽き果てる。その時がようやく訪れた。

「…………」

 人生を振り返るとあまりにも過酷だった。グリモアの試練、その一言に尽きる。数え切れないくらいの人達を巻き込んで殺してしまった。そして数えきれないほど死ぬことになった。これ以上の不幸があるだろうか。こんな人生があっていいのだろうか。

「…………」

 リュウガ。最後に心によぎるのは君の顔と……。

「…………」

 アリスだ。僕が関わってしまったせいで、結局君までも不幸のどん底に突き落としてしまったね。君の最後の顔は今でも覚えている。忘れられない。

「…………」

 油断すれば不幸はすぐ隣にあった。渦巻く激流のような不幸が口を開いていつでも待っていた。

 目を瞑る。

「いつからだろう」

 僕は自分を殺して生きてきた。この世界に希望なんて持ってしまうとかえって自分を苦しめてしまう。不幸が来ると分かっているのならば、世の中の不幸を受け入れて期待なんてしないで生きていくほうが遥かに生きやすい。それが魔本グリモアに選ばれてしまった僕の生き方だった。

「さて……」

 残りほんのいくばくかの寿命。もうすぐ意識も途絶える。途絶えれば楽になれるはず。長い、本当に長くて辛い道のりだった。



【そう簡単に死ねると思うなよ】



 その時、グリモアが呼びかけてきた。


【ヒヒヒ、カイ。昔、言ったよなァ? 最後にとっておきのプレゼントを用意しているって! そしてそれはたった今、発動する! 聞いて驚け! そのプレゼントとは、もう一度だけ一からやり直しだ!】

「……一から?」

【言葉通りよォ! このオレに取り憑かれたその時から、もう五百年間、同じ人生を繰り返せって言ってるんだ! トータルで千年だな、ヒヒヒヒ!】

「そんな馬鹿な! いくらお前が馬鹿げた力を持つ妖魔だとしても時間に干渉するなんてこと、できるはずない!」

【おうとも。あの大魔女キリエですら時間干渉に関しての魔術までは至らなかった。しかし、カイ。テメエの意識を大昔に戻すことはできるんだよ。他人の記憶に入り込むってのはオレの十八番だがよォ、これはその応用だ】

「…………」

 嫌な予感。



【ヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!】

 笑い声が響く。同時に視界が不気味さを伴いながら色づいていく。世界が形成されていく。

「…………」

 そして視界はすぐに落ち着いた。そこには僕が存在した。ここはどこかの部屋のなか。天井から垂れた電球が点滅している。郷愁。すごく馴染がある。僕の身体がこの場所を知っていると訴えてくる。

「……これは」

 そうだ、もう四百年以上前に手放した自分の家だ。今は跡形もなくなっているはずの実家。それが存在するという事は……。

【テメエにはこれからテメエの記憶の中をもう一度辿ってもらう。テメエの肉体自体はもうすぐ朽ちる。もう数時間と持たねぇだろう。長い間お疲れさん。しかし、しかしだ! その数時間の間で、テメエはこの世界で五百年の体感を得る! 苦悩に満ちた五百年間の牢獄を精神的に体感するんだ! これがオレがテメエに送る最後にして最大のプレゼント『フィナーレ』だ! どうだ、嬉しいだろ、カイ! テメエ風に言うなら『玉手箱』っていうやつだったか? ヒヒヒ……】

 嫌な予感的中だ。

「何故だ! 何故ここまでする! 僕はお前の為にこれまで尽くしてきただろ! もう十分じゃないか!」

【不十分だから言ってんの。最後の百年、きっちり休んだじゃないの、隠居でなァ! ヒヒヒ……それにカイィ! オレの性格、知ってるよなァ、油断させて油断させて、溜めて溜めてからのロマン砲の一発が大好きなんだ。今のお前の歪んだ顔、最高だぜ? ウヒャヒャヒャ!】

「『蒼』お前!」

【では、おやすみ。カイ。ここからは長い長い夢の時間だ】

「おい! 待てグリモア! ふざけるな!」

 しかし奴の声はここで途絶えた。


「…………」

 突如押し寄せる重圧。な、なんだ!

「これは……!」

 これはもう何百年も味わってはいなかった不快感と不安。長らく忘れていた。これは紛れもなく恐怖といわれるものだ。

 鏡をみる。これは自分だ。若き日の自分。

 部屋の隅に引きこもって一人で泣いていたまだ青かったときの自分。精神的にまだまだ弱くて恐怖を克服することができなかった時の自分だ。

 ここから僕は数百年という年月をかけて環境に適応する『バリア』を完成させていくんだ。

 それはとても便利であり、同時に不憫である。世界に何も期待しない。ただ絶望だけを受け止める。期待するから傷つくんだ。何にも期待せずに生きれば何にも傷つけられることはない。

 殴られても殺されても生き返る。そしていつか殺されることに慣れてくる。

 裏切られてもずっと笑顔でいられる。裏切られること前提なのだから何も悲しくはない。

 心身ともに不死身になっていく。ただしこのバリアの習得には何百年という気が遠くなるくらいの期間を費やす必要がある。習得できていない状態に戻されるとなると、その後の悲劇は僕が一番知っている。最悪なんてものじゃない。この先は地獄だ。




 今は夜。静かな夜。綺麗な虫の音が響いている。これが僕の故郷。古き良き故郷……のはず。ノスタルジーは一般的には尊くて美しいものと受け止められる。しかし今の僕にはそうは映らない。監獄の入り口に立たされているようなものなのだから。鈴虫の鳴き声などは悲劇の序曲とでもいえようか。

 その時――。


『お前の笑顔を消してやる』


 不安の上からさらに不安を煽る声が響いてきた。

「え?」


『今度はバリアは張らせない』


 なんだこれは、こんなの知らない! 僕にこんな過去の記憶はない! そして明らかな敵意だ。また未知の苦難が押し寄せてきている、のか! バリアの妨害だなんて考えただけでもゾッとする。こんなの一周目よりはるかに鬼畜だ。

 迫ってくる。分かる。物凄い速さで何かがここに近づいてくる!


『ラララ~~♪ ラララ~~~♪』

 突如、女性の歌声が聞こえた。その瞬間、かろうじて部屋を照らしていた電球は消えた。歌声と共に消える電球。展開がホラーすぎる。

『ラララ~~♪ ラララ~~~♪』

 いや、しかしこの歌声にはどことなく優しさがある。切なさを伴いながらも美しさが感じられる。

 直後。

 バリン! と窓ガラスが割れた。

 そして人が一人、僕の部屋へと飛び込んできたのだ。





『よう、本当なら還暦超えたババアだな、ククク。こんな山奥でキャンプたァ悠長なもんだな? それともここは姥捨て山だったか? んん?』

『リュウガか。反社が私に何の用だ』

『テメエからしちゃあ半世紀ぶりだってのに敵意丸出しかよ、クク。中身まで変っていないらしい。で、タイムリミットまで半分が過ぎたわけだが、お前、それなりに仕上がってんの?』

『……フン、そんなことか。馬鹿を言うな。カイにできて私にできないことはもう何もないほどだ。グリモアも今や暴走することもない』

『大したもんだなァ。たったの五十年でそんな境地にまでたどり着くとは。もはや貫録の顔面してやがるじゃねぇか。一体、何回自殺しやがったんだァ⁉ クハハハハ!』

『……そんなことを聞くためだけに来たのか?』

『クク、お前にとっておきの情報を提供しにきてやった。お前の敵に関する情報だ』

『情報、だと?』

『ああ、カイはな。バリアを習得している』

『バリア……』





 窓ガラスをぶち破って現れたのは、アリス。

 何度確認しても彼女だ。そして歌いだした。これはアリスの歌声。

「ラララ~~~♪ ラララ~~~♪」

 そうだ。心に呼びかけてきた脅迫の声も彼女の声だ。百年前に耳にして以来の彼女の声、歌声。そして容姿も最後に別れた時より少しだけ大人びたような気がする。別れ間際、僕は憎まれていた。僕が親の仇だということが判明し、僕は殺すべき対象だと彼女から認識されてしまったのだ。

 倒れ込む僕に向かって彼女は言った。

「カイ……、師匠」


 察した。グリモアを使って僕の過去に入り込んで来たんだ。

 彼女も僕同様にグリモアを使いこなせるのだ。そうでないと、この場所に彼女がいるのはおかしい。

「…………」

 殺しにきたのか。ここは僕がグリモアを手にして間もなくの世界。この世界で殺し続ければ僕を本当の地獄へと突き落とすことができるだろう。なんせバリアのない丸腰なのだから。しかし彼女には殺す権利がある。これは因果応報。僕はどんな悲惨な思いをしようとも彼女の殺意を受け止めなければならない責務がある。なんせ僕は親の仇なのだから。

「…………」

 そして僕のせいで君の人生の何もかもを狂わせてしまった。もし君がこれからの僕の五百年を業火で焼き尽くすというのなら、それでようやく釣り合いがとれるのかもしれない。

 アリスは僕の方へと歩み寄る。

「…………」

 そして、僕を通り過ぎた。

「…………?」

 何故か彼女は壁に立てかけてあったウクレレを手に取った。たしかそれはここから四百年後に彼女にプレゼントするはずの楽器だ。それを手に持ち弾き始めた。流れる優美な音色。その上に彼女の歌声が重なる。

「ラララ~~♪」

 僕を地獄の果てまで追い込むはずの彼女は何故か僕の前で演奏を始めたのだ。

 はっ……。と、そこで不意に涙が零れ堕ちた。彼女には歌の才能があったことは知っている。最初に聴いた時にもそれには一目置いたものだ。だけど今はその歌声に心が波打って声もだせなかった。僕は天使のような歌声の彼女のパフォーマンスが終わるまでただの身動きひとつもできないでいた。


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