8.原初の記憶
「ハ……ハハ……。この気持ち、これで何度目だ」
リュウガを失った。そして唯一の弟子すら崖から突き落としてしまった。
【ヒヒッ。楽しいなァ、楽しいなァ! こんな快楽は何度目だろうなァ? カイよォ】
「…………」
リュウガの遺骨を埋めた。ここは彼の墓。巨大な滝が目の前で音をたてている。この場所だけは四百年間、何も変わっちゃいない。思えば僕とリュウガの決別はこの場所から始まったのだ。
「…………」
でも、それももうおしまい。百年後には僕も同様にこの場所に埋まることだろう。もうすぐそっちに行くよ、リュウガ。
あとは死ぬまで百年間、隠居生活だ。グリモアが大人しくそうさせてくれるのかは別として。
【いいぜェ。隠居生活な? オレは許可してやるゥ。お前の邪魔はしねェぜ、ヒヒヒ】
「何? 今まで散々嫌がらせと妨害を繰り返してきた君が、隠居を許可してくれるのか?」
【ああ、約束しよう、カイ。オレはもう人を殺しゃしねェ。オレとお前がくたばるまではなァ】
「…………」
【だが、カイ。オレの性格はいい加減知ってるわなァ? オレはなァ、人を殺さない代わりに、お前との五百年の締めくくりによォ? とっておきのプレゼントを用意しようと思ってるんだァ、ヒヒッ。楽しみにしておけよなァ! 嗚呼、言っちまった! サプライズにすれば良かったぜ、ヒヒヒ!】
「とっておきのプレゼント? …………とにかく。本当にもう人殺しはしないんだな?」
【ああ! 楽しみに待っていてくれよなァ!】
「…………」
どうあれコイツの関与がなければもう人の血をみることはない。コイツが何を企んでいようとも、僕にとってのそれ以上の不幸もないはずだ。あとはコイツと心中するのみ。
「…………長かった。リュウガ」
本当にあの魔女キリエに人生を歪められたハズレくじの人間だ。僕たちは。
リュウガの墓の前。膝をつき、目を瞑り、既に埃で地層ができるほど深く深く埋まってしまった原初の記憶を掘り返してみた。
――――。
――。
人が苦手だった。うまく関われる気がしなかった。だからいつも自室に引きこもって読書をしていた。
「よう! カイ! 遊ぼうぜ!」
「え! リュウガ。窓から話しかけないでって前に言ったよね?」
「細けぇこと気にすんなよ! みんな集まってるぞ! 鬼ごっこしようぜ!」
「ヤだよ。ハブられるし。前だって僕だけ相手にされなかったじゃん」
「俺が何とかしてやったじゃん。今日も奴らが何か言ってきたら無理にでも言い聞かせてやるよ」
「そこまでして遊びたくない」
「いいから行こうぜ!」
「ちょっと!」
その日もリュウガに窓から引っ張り出されたのだった。酷い奴に目をつけられたものだ。しかし彼が唯一僕がまともに会話できる同年代だったのだ。
「ヒック……」
「泣くなよ、ちょっと擦り剥いただけだろ? 俺が代わりに飛び蹴りで泣かしてやったじゃねぇか」
そして今日もイジメられて泣いて帰ってくるのであった。隣でリュウガは強気な様子でジャブを繰り出しているが、対して僕の涙が夕陽に染められたのはこれで何度目か。
「まったく。お前も鍛えた方がいいぜ、カイ。泣き虫もそろそろ卒業した方がいいんじゃ……おい、あれ見てみろ!」
突然、リュウガは指さした。
「ん?」
通りの隅に人が集まっているようだ。何やら盛り上がっている様子。気になって僕らもそのなかへと入っていった。
陽気な声が聞こえた。
「は~~い、次はこの状態からお手玉だぁ~~」
人の輪の中心にはシルクハットにタキシードを着用した髭のおじさんが一輪車に乗ってジャグリングをしていたのだ。さらにそのお手玉が発火したのだった。観客たちは大いに盛り上がった。
その頃の僕は十にも満たない年齢だった。だけどその時の胸のざわめきは今まで四百年の永い人生を通しても忘れたことは無かった。
「あら、どうしたのカイ。ボケッとしちゃって。ごはん冷めちゃうわよ」
「え。うん」
「具合でも悪いのか?」
「うんうん」
「あ、そういえばリュウガ君が言ってたわ。今日大道芸を見たんですってね。それでカイが夢中で見入ってたって」
「んん? 大道芸ってあれか? 綱渡りやったり傘でボール回したり。へえ、そうなのか。カイはそういうの好きなんだな。よし、父さんが手品のひとつでもみせてやろうか」
「アナタどんくさいのにそんな器用な事できるの?」
「侮るな、母さんよ。父さんだってその気になればできるんだ」
「それ、ダメな人のフラグじゃないかしら?」
僕はごくありふれた一般家庭に生まれた一人っ子だった。両親の仲も良かった。ただその親からは他所の子供たちとはもっと遊べ、と耳にタコができるほど言われた記憶がある。
「よう! 遊ぼうぜ!」
そしてその翌日もリュウガが僕の自室の窓を叩いたのだ。
「ええ……」
露骨に嫌な顔をする僕。しかし今日のリュウガはいつもと少し違った。身体がゆらゆらと揺れていた。何だろう、と外を覗いてみると。
「借りてきたんだ」
「?」
彼は器用にも一輪車に乗っていたのであった。まさか乗りこなしている? 足元を気にしつつ彼は言う。
「昨日の、芸。お前、面白そうに見てた、じゃん? やろうぜ、アレ」
「え?」
その時、僕は一瞬心がときめいたのだ。しかし僕が何かを言うより先にいつものようにリュウガは僕の手を掴んで窓から引っ張りだした。その日も彼に引っ張り回される。しかしその日は意外と悪くはなかった。
「痛ッ。なかなかうまくできねぇな」
運動神経抜群のリュウガでも最初はバランスを崩しながら一輪車から転落していた。
「お前もやってみろよ、ほら」
「え?」
「おおおお。乗れてる乗れてる。ああああ!」
僕なんかは一瞬で転落した。
「ひッ」
「おい泣くな泣くな! お前も伝説の芸職人になりたいとは思わないのか⁉」
「伝説の芸職人?」
「そうだ。お前の力で観客を沸かせるんだ。昨日の人盛りのようにな」
「僕の力で、観客を……」
「そうだ。だから頑張れ!」
「…………」
しかしそう言われても、話が急すぎる。
「おい、お前ら! 何やってんだ!」
と、その時。別の子らが来た。
「お前らは昨日俺が殴ってやったタッ君達!」
「わざわざ丁寧に説明してんじゃねーよ! で、今日は何やってんの⁇ 笑えるんだけど」
そして彼らは喧嘩腰。上から目線で言ってきた。
「まあ、ちょうどいい。おい、カイ。そのダサい乗り物練習してんだろ? やってみろよ、お前らの成果を見てやんよ」
「え? でも、さっきはじめたばっかで」
「いいからやれって言ってんだ!」
タッ君は急かしてくる。
「いいじゃねぇか。初めての客だ。芸職人は実戦あるのみ! 今のお前の実力を見せてやれ!」
しかしリュウガは僕の背を押してきたのだった。
「え、う……うん」
と言って一輪車にまたがるも、すぐに転落してしまったのだった。
「ぎゃははははは! だっせぇ!」
いじめっ子のタッ君は僕を指さして笑った。
「何だテメエら! 努力してる奴を笑うのか⁉」
リュウガは肩を持ってくれる。
「行こうぜ! ガキみたいな遊びやってる奴なんか相手してられっか」
そしてタッ君たちは走り去っていくのであった。
「気にするな。いつか俺らが伝説の芸職人になって見返してやればいいんだ」
「え、でも。僕は何もやるとは……」
「やるんだよ! お前は本気で憧れていた。昨日の芸を見ているお前は本気でやりたいと思っていたんだ! だから続けろ!」
いつも通りの彼独自の理不尽で強引な誘導。スパルタ親父の貫禄がでている。だがその時に限り、彼の言う事も的を射ている、と納得する自分がいたのだ。
その時から積極的に外にでるようになった。元々読書好きだったこともあり大道芸について色々調べたり、練習したり。
「おうおう! 上達したじゃねぇか! まさかお前がそこまでできるようになるとはなぁ!」
リュウガに褒められた。一輪車を練習すること数か月。七転八起の日々を超えようやく乗りこなせるようになったのだ。
「しかし俺はさらに上を行くぜ!」
しかしリュウガは既に一輪車の上でジャグリングを披露できるまで至っていた。
「凄いね、リュウガは」
「まあな! お前もすぐにできるようになるさ!」
「そうかな。僕はアレだし。運動オンチだし」
「なあ、カイ! 俺達で最高の芸職人になろうぜ! 俺とお前が組みゃ最強だろ!」
「え」
「約束な!」
相変わらずリュウガは一方通行な奴だった。でも気弱で引きこもりな僕にとっては良くも悪くもこれ以上ない刺激を与えてくれた唯一の友人だったといえる。
来る日も来る日もリュウガに振り回された。
「芸職人とは、言ってみればスタントマンだ!」
「スタントマン⁇ 映画撮影とかの?」
「そしてスタントマンとは即ち、何でもできる万能人間のことだ! お前も万事に対して対処できなければならない。プロになるためにはな」
「何それ。本当なの?」
「読書家なら知ってると思ったけどな」
「それは知らなかった」
「まあいい。ほら打つべし、打つべし! 芸職人とは格闘技もできなければならない。他にもパルクールや俺との組体操なども視野に入れておけよ!」
どういうわけか何故かミット打ちをやらされていたのだった。これは理解できない。さりげに喧嘩の道に誘っていないか?
さらに修練を重ねる日々が過ぎ……。最初の成果もよく覚えている。それはリュウガと二人で玉乗りの練習に励んでいた時のこと。たまたま通りかかったおばあさんとその孫が見てくれていた。
「まあ。お上手ね。ヒー君、お兄さんたち、凄いね~~」
「わぁ~~」
まだ大人の膝くらいの大きさの子供が僕らの練習をみてキャッキャとはしゃいでいたのだ。とても嬉しそうにみていたのを記憶している。
「なあ、カイ。これが修行の成果というやつだ。手応えを感じたか?」
リュウガは既にコーチの風格だ。
「え、うん。なんだか、ちょっとだけ嬉しかった、かも」
「そうだろう。お前はタッ君に馬鹿にされた。しかしお前はそれでも修行をやり続けて成果をだしたんだ」
「成果って言っても……」
「成果に大も小も関係ねぇ。目の前のひとりを圧倒するんだ。別に大勢を喜ばせる必要なんかさらさらねぇ」
「うん……」
その時のリュウガの言葉は、それ以降の僕の生き方の指針になるほどの影響力のあるものだった。
「他人を貶す、馬鹿にする、なんてことは誰にだってできる。例えそれが間違っていようとも言うのはタダだからな。好き勝手、言いたい放題だ。だが、それを覆すほどの修行は容易いものじゃない。お前はそれをやり遂げ成果をだした。今となれば、あのタッ君の馬鹿よりお前のほうが偉いってわけだ」
「いや、とはいっても、さっきのはたまたま上手くいった練習を見られて評価されただけだし。本番じゃないし大袈裟だと思うよ?」
「じゃあ本番に向けてやるしかないな。お前の将来は芸人で決まりだ。俺がリードしてやっからしっかりついてこいよ。まだまだ始まったばかりだ」
「え、ええ……」
リュウガの言う事はいつも突拍子なく無理難題で手が届かないようなことばかり。でも彼が言うと不可能が可能になりそうな、不思議な力が言葉に宿っているような気がするのだ。
それから五年の歳月が流れた。想像もしていなかった。本当に芸を披露して投げ銭収入を得ているなんて。十五やそれくらいの年齢でリュウガと二人で遠出して芸師をやっていたのだ。大道芸のジャンルに絞られずやれることはやった。演奏したりコントをやってみたり時には観客参加型のクイズをやってみたり。信じられないことだけど、それなりに成功して家計の足しにはなっていたのだった。本当にこのままリュウガとプロの芸師になってしまうのだろうな、とビジョンが見え始めていたのだった。
しかし、情勢が急変した。これはある日の帰りの道中での会話。
「最近、出入りキツイよな。どうにかならねぇもんか。警備兵の目に映らねえ壁から侵入できねえかなあ。俺らなら余裕じゃね?」
毎日のように山を越えて遠方の街へと仕事に向かっていたのだけど、街に入れてくれないことが多々あるのだった。
「嘘かホントかは知らないけどね。一日にして壊滅させられる街が後を絶たないって話だよね。全部、魔女の仕業だって」
「今時、魔女だって。そんなもん存在するのかよ」
この頃のリュウガはぐんと身長が伸びていて、グラサンでタンクトップ、金髪のツンツンスパイクヘア。最近腕に刺青などを入れだみたいだ。見れば見るほど不良の貫禄が出始めている。そして街の門番である警備兵に幾度となく止められたりしていた。まあ、警戒されるのは彼の見た目によるものだけではなかったけど。
そして次の日。
「ダメだダメだダメだ! 帰れ、ガキ共! 今、この街では限界警戒態勢が敷かれている! 近隣の街が滅びたんだ! 今は蟻一匹の出入りも許されねえんだよ!」
「なんだ急に! 昨日まで入れたぜ、おっさん! 俺ら別に害じゃねぇよ! 入れろよ!」
「お前ら入れたら他の奴らまで入れないといけなくなるだろ! よそ者は家帰って大人しくしてろ!」
「はああああ⁉」
「まあ、リュウガ。いいじゃないか、今日は帰ろうよ。見た感じ街の人達も外にはいないみたいだし。入ってもお客さん集まらないよ?」
「チッ」と舌打ちをひとつ。僕の説得に納得したのか彼は警備兵に背中を向けるのだった。
「けーるぞ、カイ」
そしてその日、自分達の村に引き返すことにしたのだった。
「こ、これは……」
街に戻った。しかしそこで待っていたのは見るも無残な光景。
「え……」
思考が停止する。現状を受け入れきれない。
「死んでやがるのか。どこもかしこも死体だらけじゃねぇか」
リュウガがみなまで言った。その通り。今朝までは日常の風景が広がっていた僕たちの村が、今は大量殺人現場に変わっていたのだ。本当にここは僕の村なのか。何度思考しても受け入れられない。
「おい、カイ! どこ行く⁉」
そして半ば放心状態のまま僕は自分の家に走っていく。いつもと違う。人の声が聞こえない。音がない。不気味な静けさ。
家に着いた。扉を開く。
「…………」
絶句。両親は息絶えていた。血を流して死んでいる。近くには血で染められた包丁が転がっていた。
「え……、え……」
父と母の前に僕は跪いた。血の気が引く。気が気でないとはこの事。
「おい、カイ! 平気か!」
リュウガが追い付いてきた。
「…………」
「大丈夫じゃなさそうだな。少し落ち着いたら調べてみようぜ。こりゃ一体、何なんだ」
「……うん。大丈夫。付き合うよ、リュウガ」
「……おう。気をしっかり持てよ」
その後、生存者がいないか、村を捜索することにしたのだった。
「お~~い。誰か生きてるか! 生存者はいねぇ――か――⁉」
リュウガが叫びながら村じゅうを歩いて回る。彼は鉄のメンタルだ。その後を僕がふらふらとついて行くのだった。
「今日は物騒なもんが落ちてやがるな。チャカか」
リュウガはピストルを拾い上げる。頭から出血して倒れている男の死体がすぐ傍にあることから、見たままその場で自害したものだと思われる。
どうして……。
「これが噂の魔女の仕業だってのか……。実在すんのかよ、マジで」
「…………」
そうだ、魔女。そんな化け物でもいない限りこの惨劇はありえない。
「!!」
その時、はじめて僕たち以外の音が聞こえた。振り向く。
「ハア……、ハア……」
それは。その者は……。
「タッ君?」
振り向くと、彼がいた。僕とは相性最悪の仲だけど、昔からの顔見知りのタッ君だった。肩で息をしていて苦しそうだ。そして血まみれであり、刃物を手にしていた。
「おい! お前! ここで何が起きた! 何で皆血まみれで死んでんだ⁉ まさか、お前がやったのか⁉」
リュウガが呼びかけると彼は焦点があっているのかどうか分からぬ視線をこちらに向けて、ヨダレを垂らしながら笑った。そしてその直後、
「キエエエエエエエエエエエエエエエ!」
と奇声を上げながら刃物の先を僕の方に向けて走り込んで来たのだった。
『パンッ!』
短い発砲音が聞こえた。胸元を撃ち抜かれたタッ君が目の前で息絶えた。
「リュウガ……どうして」
彼は迷うことなく発砲したのだ。リュウガがタッ君を殺害したのだ。
彼は答えなかった。
…………。
しかし僕は後に後悔した。彼にそんなことを聞いたことを。その時の僕は冷静に思考するという能力が大きく欠落していたというのもあるが。あのままリュウガが発砲しなければ殺されていたのは僕だった。その彼に対して『どうして』と責め立てるのは恩を仇で返す行為に他ならないだろう。
「…………」
「…………」
しばらく無言でいた。互いに無言だった。目の前で人が死んだのだ。しかも昔から見知った顔のタッ君が、死んだ。正当防衛とはいえリュウガもさすがにこれにはこたえた様子だった。
「…………」
「…………」
どれだけ経過しただろう。放心状態で時間を感じなかった。どうしても目の前の現実を脳が処理しきれなかったのだ。
「……おい。誰か来たぞ」
静止した僕の時間を動かしたのはリュウガのその一言だった。振り向くと確かに人が複数人こちらに向かってきていた。武装した警備兵達だった。
「おい! 君達無事か!」
「ああ、問題ねぇ」
「ここで何が起きたんだ⁉」
「俺達もそれを捜査している最中だ。何が起きたか把握できてねぇ。ただ、一つ言えることは、『狂ってやがった』ってことだ」
「狂ってた?」
殺し合う夫婦、ピストルで自害する男、発狂して襲い掛かってくる顔見知り、そして村じゅうの至る所に血まみれで倒れている死体。そのどれもが確かに狂っているといえる。リュウガは駆けつけてきた彼ら警備兵に対し、冷静にこの事件現場の説明をしていたのであった。
「魔女狩りだ! 情報によると魔女は西の山の大瀑布付近に根城を構えているとのことだ! 動ける男は武装しろ! 畳み掛けるぞ!」
自由兵役である。戦う意志のある男達が近辺の街や村からかき集められた。そして勿論、僕たちも。身内が殺されたんだ。黙って他人任せなわけにはいかない。
集められた兵士達はざっと五十。僕らの村がやられた三日後には討伐する予定がたてられた。短期決戦である。
魔女の根城まで残り半日という場所まで進攻していた。そして日没を迎える。つまり今は決戦前夜。道中でテントを張って翌日の討伐の為に英気を養うこととなった。武装した状態で一日歩き続けたせいで皆それなりに疲労がきているのだ。そして翌日への緊張もあるだろう。誰も喋ることなく皆険しい顔をしている。
夕食をとり終えた時にリュウガが僕に言ってきた。
「なあ、カイ。お前、メンタル大丈夫か? 俺は大丈夫だが」
「うん。だいぶん落ち着いた」
「そうか。ところで、知ってっか。昔、その昔。どこぞの国かは知らねぇが、戦の直前に戦慄しきった兵隊共の前に漫才師を二匹ばかり派遣したんだとよ。そんでそいつらは兵隊共の前で持ち芸を披露して活気づけさせたんだ。緊迫はみるみるほぐれ見事大勝利、だったらしいぜ?」
「へぇ~~。そんなことがあったんだ。で、それがどうしたというんだい?」
「あん?」
「はいはい、皆さん注目!」
「今から俺達がテメエらを盛り上げていくぜ!」
「ついにこの時がやってまいりました! 魔女です、魔女討伐です。しかし我々の前には様々な魔女の手下が現れることでしょう。それをどうやって蹴散らして魔女のもとへと辿り着くのか! そのビジョンを今から描いていきましょう」
「なるほど、魔女討伐のシミュレートというわけだな」
「これはラスボスに辿り着くために勇敢にも雑魚敵と戦わされた男の話である」
「雑魚敵と戦わされた⁉」
「お前」
「え、俺? 俺がやるん? 雑魚敵けしかけられる役?」
「(コクンコクン)」
これはリュウガが客で僕が複数の店員を演じる唐突なコントである。
「おいコラァ! 髪の毛入っとるやんけ! どういうつもりやねん!」
「はい、どうしました。お客さん」
「お前んとこの牛丼は髪の毛入り提供するんかいや!」
「はあ~~」
「はあ~~、じゃないわ、謝れや!」
「いや、でもお客さん。謝らせるっていうのはちょっと違うような気がするんですよねぇ。何でもそうですけど強制的にさせるのは意味ないっていうかぁ。そういうのって、本人が心の底から申し訳ないと思って初めて価値がでるもので――」
「心の底から申し訳ないと思えや!」
「例えばですよ? 例えるなら幽霊物件買わされるのと優良物件買うのとでは天地の差ですよね? 値段だけ見て中途半端な安物買うくらいなら買わないほうがいいですよ。後々になって後悔してしまいます。つまり身の入らない謝罪ならしない方がマシなんです。これはお客さんの為でもあるんです」
「お前、客ナメとんのか! ブチのめすぞ、コラ!」
「えええ怒鳴られるほど罪悪感が消えていく不思議♪ 今これで謝ったら幽霊物件どころか三匹の子豚の一番雑魚な家になりそう。あ、家じゃない、あれはただのゴミか。お客さんのためにも尚更謝れないや」
「……お前土下座しろ。それで許したるわ。特・別・に」
「いやぁ。僕みたいな雑魚が土下座してもお客さんのクオリティー下げるだけですよ。極端に言うならば誰にもマウントがとれない弱者人間が蟻に向かって偉そうにしているようなものなんです。だからお客さんの為を思えば僕は土下座でき――」
「お前何なん⁉ 謝ったら死ぬ病気なんか⁉ 謝罪もできんのか? もうええわ。店長呼べ! お前じゃ話にならん」
「ええっと。店長ですか? 大変申し上げづらいことなのですが……」
「あん⁉ 店長は不在とかぬかすんか?」
「いえいえ、滅相もございません。大変申し上げづらいことなのですが、お客様程度のレベルでは店長を差し出すことができません」
「死ねや!」
「グハッ」
「お前、客にどの口利いとんねん!」
「クッ……、私ごとき雑魚を倒した程度で……つけあがるなよ。私は所詮店員のなかでも最弱、グハッ」
「死ね死ね死ね!」
「お、お客様、ど、どうなされました⁇ う、うちの店員をお踏みつけになられているようなのですが……」
「おう! お前、店長か⁉ コイツ、客ナメとんねん」
「い、いいえ。私はただの店員でして……」
「店長だせや」
「は、はああああ……。また怒られる……(チラッ)。今月クレームが一回でもきたら、私はクビなのに……。あああ、どうしよう……。この歳じゃ、再就職なんて……(チラッ)」
「また独特な奴がでてきたなァ⁉ 店長呼べや!」
「あああ……。身体が弱った祖父の入院費を稼がないといけないのに。店長を呼ばれると、私は、確実にクビになって、ああ、私に優しくしてくれた祖父に恩返しをしたいと思っていたのに……」
「店長を呼べ」
「借金も返済しないといけないのに……。次、返済が止まればヤクザに殺されるんだった……。ああ、私の人生って一体何だったんだろう……」
「店・長・を・呼べ」
「へ……」
「お前の今後と牛丼に入った髪の毛を天秤にかけたら明らかに牛丼の髪の毛の方が事が重大なんじゃ! 結果的にお前は死んでもええからはよ店長呼べや!」
「ひ、ひどい……。そんなこという人がいるなんて。し、仕方ない。い、今、店にいないので、電話で呼んでみますね。トゥルルルル、トゥルルルルル。あ、店長ですか? あ、はい。実は、その……。お客様がですねぇ……店長を、呼べと。え………、いえいえいえ! とんでもない! 牛丼がとても美味しかったのでお礼を言いたいらしくて! はい! はい! 大丈夫です! 異常はありません! ありがとうございます! では、失礼します! ブチッ」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………あの。店長がですね。土下座で謝っていました」
「嘘つけや! そして自分の身切れや!」
「痛っ!」
「もうええわ! 二度と来んからな、こんな店!」
「はい!」
「はい、ちゃうねん! なんでそこだけ威勢のええ返事やねん!」
「…………」
「…………」
「クソが。ホンマはバックヤードにおるんちゃうんかいや、あの店の店長。電話でクレームつけたろ。トゥルルルル、トゥルルルルル! もしもし? さっきそちらの店舗を利用させて頂いた者なんですけどね」
「『どうやら二人目の店員を倒したようだな、褒めてやろう、クク。しかし我々真の店員の本領はここからだ』」
「お前らのクレーム対応どうなっとんねん!」
「「どうも、ありがとうございました」」
そして寝袋に入ってテントの内部の天井を見上げながら僕はリュウガに言ったんだ。
「あの人たち全然笑ってなかったね? 僕たちのコント、面白くなかったのかな?」
「さあな。大方、明日の戦いにビビりすぎてそれどころじゃなかったんじゃねぇか? ガチガチだったじゃねぇか、脊髄にセメントでも流し込んでんじゃねぇのアイツら。それか感情をもたない鉄と油で動く機械なんだろ」
「あの人達のことはともかく、僕らもまだまだ精進しなきゃってことだね」
「まあ、今後の活動についてはまずは魔女を倒してからの話し合いだ」
「……うん」
「…………」
「…………」
そしてしばらくの沈黙。リュウガが言う。
「……まだ立ち直れてないわな、お前」
「……うん。リュウガは凄いよ。辛くないの?」
「俺はもともとこういう人間だ。誰が殺されても悲しまねえ。ドライな男なんだよ。……まあ、何事も思い悩み過ぎるな。多くの場合は何とかなるものだ」
「うん。そうかもね」
「魔女をぶっ倒してから、また一緒に芸師の道を極めようぜ」
「うん」
僕たちは約束を交わした。
そして夜は更けていき、陽が昇り、魔女と呼ばれる存在との決戦の時が来たのだ。
「な、何なんだアイツは……」
雑魚敵はでてこなかったが魔女は情報通り西の山の大瀑布にいた。大きな滝が流れ落ちるすぐ近くの平地。
ローブで身を包んでいる。フードの陰になって顔は見えないが目だけは真っ赤に光っていた。そして何といってもデカかった。三メートルはあるだろう巨体。奴の前には分厚い謎の本が浮遊している。魔導書というやつだろうか。
最初に銃器を使った。奴に向けて発砲した。しかしどういうわけか効かなかったのだ。それどころか弾が跳ね返ってきて狙撃者に命中した。普通じゃない。あれはやはり魔女だった。
次にこちらの軍勢は白兵戦を仕掛けた。近接武器を手に持ち一斉に奴に飛び掛かっていく。しかし奴は宙に浮いたのだ。どういうことだ⁉ 魔法か⁉ 剣や槍では届かない高さまで浮いていた。
「野郎! 投擲だ!」
男達は手に持った槍を投げようとした。しかし次の瞬間、奴の前に浮遊していた本がペラペラと高速でめくれはじめたのである。そして……。男達の動きがピタリと止まった。
ここからが地獄絵図のはじまり。突如、彼らは味方同士で殺し合いを始めたのである。僕は少し離れた場所から見ていたけど何が起きているのか分からない。ものの数分で全滅してしまったのだった。
魔女は笑う。そして呼んできた。
「クク……。カイ、カイよ」
僕? 僕の名前を知っているのか⁉
「滅びの村の生き残りよ。あの村も、こうやって皆殺しにしてやったのだ。どうだ、悔しかろう、憎かろう」
こうやって、とは。これが奴の能力……。何らかの能力を駆使して人々を殺し合わせた、という事だ。
「何故だ。何故そんなことをするんだ⁉ 大量虐殺だなんて‼」
魔女は僕の問いかけに答えた。
「クク。そんなもの、愉悦のためよ。人が怒り苦しみ狂い、そして死ぬことこそが、我にとっての至高の養分となるからだ」
「そんなことの為に、僕らの村を潰したのか!」
「クク。そんなことの為に、我はお前達の村を潰したのだ」
「絶対に許さない! よくも家族を殺してくれたなァ!」
僕は宙に浮いた魔女に向かって弓矢を放った。矢はまっすぐに飛んでいく。しかし僅かに的を外してそれは魔女の横を通り過ぎていった。
「クク。ならば、安心せよ、カイ。貴様も家族の所へと誘ってやろう」
魔女が言うと分厚い奴の本がペラペラとめくれはじめる。
「が……、ああ」
【自害せよ。自害せよ】
僕のなかに囁く悪魔の声。
なんだ。これは……。
僕は腰に装着してあるナイフを取り出してその切先を自分の喉元に突き付けたのだ。
「…………」
僕は、死ぬのか。そうだ、死ぬのだ。僕はこのナイフで喉ぼとけを貫いてやるんだ。
その時だ。
「死ね、魔女!」
宙を走るリュウガが、高く浮き上がっている魔女の後頭部を斧で叩き割ったのだ。その瞬間、僕は悪魔の声から解放された。僕を殺そうとしていたナイフが地面に落ちる。
魔女は地に落ち倒れ伏せてから、声を絞り出した。
「な、人間ごときが宙を……。どういうこと……だ」
リュウガは魔女のもとに着地してから奴を見下し言う。
「カイが飛ばした矢に糸を仕込んでいた」
「何?」
「あ、説明めんどくせえや。とりあえずまあ、そのまま死ねや人殺しの悪魔」
…………。
僕は他の兵士たちとの共闘には参加せずに準備を整えていた。
まず矢に手品用の糸を巻きつけた。そして糸の束から糸を必要分伸ばして、次に束ごと近くの木に巻きつける。これで木と矢が糸で繋がるわけだ。この糸は注意して見ても目視不可能なほどに極細で絡まらず、且つなかなか切れることのない優れものである。
そして魔女に向かって矢を放ったと思わせておいて、実は違った。本当の狙いは崖の上に先回りして待機しているリュウガにこの矢を届けること。そしてリュウガは矢により届けられた糸を崖の上のどこかに結び付ける。そうすることで僕の位置とリュウガの位置で一本の糸が張られることになる。そしてそこから芸師お得意の綱渡りならぬ極細糸渡りである。これは宙を浮くマジックとして普段から僕らが扱っている芸だけど、空中に浮遊する魔女に接近するための手段として今回使ったのだ。
「ク……。人間め。貴様らはこのキリエを殺した。しかし、簡単に死ねると思うな。我が最大の得物であり我が分身ともいえる魔本グリモアが、貴様らを無限の牢獄へと誘うこととなるだろう、ククク」
「言いたいことはそれだけか? じゃあな、あばよ!」
リュウガは斧で躊躇なく魔女キリエの首を刈ったのである。これにて魔女討伐は成功を収めたのであった。死者は、僕とリュウガ以外の全員。約五十名だった。
しかし最後に残した魔女の言葉の通り、そこから無限の牢獄が始まったのであった。魔女の前に浮かんでいた分厚い本が二つに引き裂かれ、それらは僕ら二人の前にきた。引き裂かれた割にはちゃんとした本の形に修復している。不気味なオーラが漂うそれは話しかけてきたのだ。
【よう。オレは『蒼』ってんだ。よろしくなァ、兄ちゃん】
身構えると同時に青く光るその魔本は僕の身体のなかへと入ってきたのである。そしてリュウガの方も同じように赤く光る魔本が身体のなかへと入っていった。
「…………なんだ?」
「さあ、分からねえ。このキリエとかいう魔女、何をしやがったんだ」
そこから二、三日の間、魔本は大人しかった。まさに嵐の前の静けさというやつだ。
そして……。
「魔女の遣いだ! 殺せ!」
「逃がすな! 俺達で始末するんだ!」
芸師の稼業を再開しようとして僕らが街に入ったところで突然、命を狙われた。街の見知らぬ人達に。
「おい、一旦ずらかるぞ!」
「え、うん」
僕らは逃げた。何故狙われているのか理解不能、意味不明。だが、それが魔本グリモアのせいであると気付いたのは割とすぐのこと。
【殺せ、殺しちゃえよォ】
脳裏にグリモアの声が響く。その都度、内側からその気にさせてくるものだから本物の悪魔だ。しかしそれには屈することなく、僕とリュウガは逃げ続けたのだ。
「クソッ、逃げるぞ」
「うん」
無条件に襲い掛かってくる民間人たち。もはや仕事どころではない。来る日も来る日もそんな日が続いた。
そしてある時、僕はドジを踏んで逃走中に転んでしまった。僕の上に振り上げられる鍬。しかしそれが振り下ろされる前に、その男は死んでいた。リュウガがナイフを投げつけたのだ。首筋に刺さって即死だった。
「……リュウガ」
「…………」
【ハハハハァ‼ ついにヤっちゃったねぇ! 君のお友達、ヤっちゃったねぇ! 見てみろよ、あの鮮やかな血しぶき! 綺麗だねぇ!】
「リュウガ……」
「このクソ野郎共が!」
そしてリュウガは鍬を拾って民間人を殺し始めた。殺す、殺す、殺す。あまりにも狂気を帯びていて僕にはそれを止める勇気がなかった。
そして殺し終えた。そこにはたくさんの死体と血の海。もう、殺しに掛かってくる者は誰もいない。
「…………」
まただ。また僕を守るためにリュウガが人を。
「クク……」
え? 笑った。リュウガが笑った。返り血を浴びたリュウガが、高らかに笑い始めたのだった。
「ハハハハハハハハ! 何だこりゃ。おもしれぇじゃねえか‼」
「リュウガ」
「なんで今までコソコソコソコソと逃げ回ってたんだろうな、俺達! バカみてぇだ。そうだ、殺しゃいいんだ。邪魔する奴ァ皆殺しだ! なァ、カイ! 気持ちいいぜ! こんな感覚、今まで味わった事ねぇ!」
「リュウガ……、どうしちゃったのさ」
「カイ、お前も殺そうぜ」
「なんで? どうして魔女みたいなこと、言ってんの?」
「え? 殺さねぇの⁇ こんなに楽しいのに」
「殺しは、したくない」
「ああ?」
リュウガは睨みつけてきた。今まで見たことのないような極悪な目つきをしていて僕は怯んでしまった。
「……チッ、そうかよ。じゃあお前との縁もここまでだ。一人で芸師でも何でもやってろ。俺ァ生きたいように生きるとするぜ、じゃあな」
「リュウガ……」
こうして今まで一緒にいたリュウガと僕は別々の道を歩むことになったのだ。これまでの僕の人生はリュウガがリードしてくれていたから歩めていたようなもの。一人で芸師の道を歩むなんてとてもイメージできなかった。
「…………」
彼は組織を立ち上げた。人を恐怖により支配するやり方を選んだのだ。僕には到底そんな事はできない。
「…………」
それから数百年という永い永い無限に続く人生を歩むことになる。その間、僕と彼とが若き日のように分かり合えたことなど、一度も無かった。




