4.突然のスカウト
五年の日々が流れるように過ぎていった。
「はっはっは! いいぞいいぞ!」
「おさるさんだ――!」
十五になった私はスキルを磨き場を盛り上げるくらいには成長していた。
地面に打ち付けた数本の杭にロープを通し、そのロープの上をお手玉しながら渡っていく。大道芸でもメジャーな芸当だろう。その名の通りお手玉綱渡り。せいぜい地上数十センチのところだからバランスを崩して落下しても危険はない。見ていてハラハラひんやり感は全くないけど、それなりのテクニックでお客さんを魅了しているという自負はあるし、こうやってお猿さんの着ぐるみを着ておどけてみせる事によりお客さんにはウケる。ここの地区のお客さんはノリがいい。例え失敗しても「ウッキッキーー」とか言って面白おかしく振舞ってみせれば笑ってはくれるのだ。
ってなんやねん! ペンギンショーでペンギン達がいう事を聞いてくれなかった時の飼育お姉さんのフォローかい! 自分で自分を愛嬌でフォローしとるんかい!
その時である。
「レッディース&ジェントルメーーン!」
建物の屋根の上からカイ師匠が両手を広げながらクールに現れたのである。私含め観客一同は彼を見上げる。彼は言った。
「今から空中ショーのお披露目だ! これは必見だよ――!」
前にでてくる。なんと彼は一輪車に乗っているのだった。そしてジャグリングをはじめた。さらにそこから何もないはずの空中を一輪車で進み始めたのである。
「おおおおおお!」
と、どよめきが起こる。それはそう。一輪車で空中を浮いているのだから。
「おおおおおおお!」
中間ぐらいまで進んだ頃、さらに歓声が上がった。それは師匠のジャグリングしていた弾が燃え始めたからである。炎の球をいくつもジャグリングしながら空中を渡っているのだ。完全に私の上位互換である。難なく渡り切ると両手を天に掲げる。歓声は今日一の最高潮。そして投げ銭が開始されたのであった。
仕事が終わると特訓である。陽が沈むとライトを照らして特訓である。
「アリス。今日はもう上がりなさい。オーバーワークだ。ほら」
言ってカイ師匠は硬貨を投げ渡してきた。
「銭湯にでも浸かってゆっくり休みなさい」
「……いえ。師匠に追いつくためにはまだまだ修練が足りません!」
「追いつく……か。情熱的だね。立派だね」
「なんですかそれ。やっぱり余裕ですね。腹立ちます。どうせ私は噛ませ犬ですよ。猿じゃなくて犬の着ぐるみでやれば良かったです」
「何だそれは、上手く言ってみたつもりかい。そんなに無理をしたところで年季の差はそう容易くは埋まらないよ。特に僕の場合はね」
「埋めてみせますよ。そう言えば師匠って何歳なんですか? 何年この仕事やってるんですかぁ?」
「はっはっは。年齢なんてもう忘れたさ。まあ、芸師なら四百年ぐらいやってるんじゃない?」
「ふざけないでくださいよ。グレますよ!」
「はは、今更? もう何回もグレてるじゃないか。何回家出したと思ってるんだい?」
クッ……。悔しくってもう三度は師匠のもとを飛び出している。上から目線がムカつく。余裕の笑みが腹立つ! そして相変わらず何度みても分からぬカラクリで人の人生を変えている。何なんだ、あの本は。圧倒的な差をみせつけられて、私はグレて家出したのだった。その都度、強制的に連れ戻されたけど。
「いつか、いつか超えてみせる!」
「君はいつもユニークで面白い」
「からかわないでくださいよ!」
「いや。僕の隣に君みたいな子がいれば少しは良かったかなぁって」
「いるじゃないですか、今」
「フフ……」
「何を笑っているんですか⁉」
すると師匠は感慨深い表情を浮かべながら呟いた。
「もっと早くに君と出会っていれば良かった、と思ったりしてね」
「え?」
「そう。もっともっと、早く。僕が芸師をはじめた時くらい前に……」
「…………」
「…………」
しばらく空白の謎の時間が過ぎた後に、彼はいつもの口調で言ったのだ。
「それはそうと、早く風呂入って寝な。明日も朝から街に出稼ぎにいくよ」
「分かりましたよ」
今日の所は観念して練習を上がるのだった。
お風呂上りの一杯は格別だ。瓶のコーヒー牛乳を飲みながら脱衣所の腰掛に座る。そこで小さな子が躍っていた。一生懸命モニターに映ったアイドルの真似をしているようだ。思わず口元が緩んでしまった。母親に注意を受けているようだけど、憧れをもって何かに取り組むというのは素晴らしいことだと思う。
『はい、ありがとうございました。今、人気沸騰中のアイドルグループ「ストロベリーピンク」さんでした!』
なるほど、アイドルか。たしかに華があって凄い。世界的に人気なんだなぁ。アイドルは大企業であり、そして私達芸師は個人事業だ。張り合いにもならないや。
「…………」
それでも観る人を楽しませてあげるという本質はどちらも同じはず。私は芸師に拾われて良かったのかも、とふと思う瞬間だった。
「さあ、今日は猿芝居だよ! みんな集まれ~~!」
私は最近お馴染みお猿の着ぐるみを着て師匠の指の動きに合わせた。指をくるくる回すと私はそれに合わせてバク転を繰り返す。
「そぉれ!」
そして師匠はリンゴを宙高くに放り投げた。私はジャンプして師匠の構えた両手の平の上に両脚を乗せた。そして師匠が真上に私を放り投げるタイミングで大ジャンプ。人間トランポリンで高々と宙に浮きあがり、リンゴをキャッチした。そしてバク宙しながら綺麗に着地してYの字のポーズで決める。
「おおおおおお!」
と今日も序盤から盛り上がったのであった。芸師とは体操選手でもあるのだ!
芸が終わった頃だ。
「そこのお二人さん。少しよろしいですかな?」
と、声を掛けられた。振り向けば黒のタキシードにシルクハットに杖のご老人。しかし杖を手にしているからといっても背筋はピンとしていた。見るからに成功者の風格を帯びている、……ように思える。
「何でしょうか?」
カイ師匠が応対した。
「先程の演技、拝見させて頂きました。どれも素晴らしいものです」
「あ、いえいえ。恐縮です」
「お二人の芸の精度、多彩さは以前より聞き及んでおりました。しかし実際に目の当たりにして、これは本物だと確信に至った次第です。失礼致しました。私、こういう者です」
と、老人は師匠に名刺を手渡した。
「フムフム。なになに? 芸能事務所『スターライト』専務のヤサカさん。スターライトっていうと今を駆けるアイドルグループを手掛ける大企業じゃないですか」
「はい。我々の活動を知って頂いて恐縮な限りです。単刀直入に申し上げますと、私が伺った理由はスカウトです。是非とも我が社と契約して頂き共に業界を盛り上げていきたく願っております」
スカウト⁉ それって凄いことなんじゃ? てか、スターライトっていえば今テレビで人気のアイドルグループ『ストロベリーピンク』を手掛けている王手企業じゃないか! 採用競争率が爆発的に高い中で一発採用だよ、やっぱり凄くない⁉ 自分達のことながらあたふたしてしまうのも無理はない。
しかしカイ師匠は冷静な表情で「ふむふむ」と考える素振りをしているのだった。そして聞いてくる。
「ねえ、アリス。興味ある?」
何? その軽いノリの反応⁇ ベテランの師匠はこういうの慣れっこなの? この大企業からのお誘いも数ある中のひとつ、みたいな感じなのかな⁉ 私は答えた。
「それはもう。テレビにでれて世界の皆に夢と希望を与えられる職なんて夢のまた夢じゃないですか」
「そうか。今の君ならきっと通用する。踊りの練習も歌の練習も欠かさずやってるだろ?」
「まあ、そうですけど。というと、私がアイドルになっても良い、と? カイ師匠の弟子を辞めてアイドルになっても良い、と?」
「そうだね。そろそろ巣立ちしてもいい頃合いなんじゃないかな、って思うんだ」
「え?」
「もう十分スキルも身についている。アイドルとして羽ばたくならベストなタイミングだと思うよ? 僕はアイドルとか興味ないから誘いは受けないけれど、君は好きな事をやるべきさ」
「急に……。そんなんでいいんですか⁇ 私、いなくなるんですよ⁇」
一呼吸置いてからカイ師匠は言った。
「大丈夫。たしかに寂しいけれど、また猫たちと戯れながらやっていくさ。それより、君の人生の後押しができたことを誇りに思うよ」
「師匠……」
急な展開に言葉を失う。
「あ、ごめんね。ヤサカさん。勝手に話し込んじゃって。この子だけでよろしければ願いします」
お辞儀をする師匠にならって私もお辞儀。
「いえいえ。アリス様ですよね。貴方様のお力添えがあるのならば我が社は更なる飛躍が見込めることでしょう。大変心強い限りでございます。つきましては、早速ですが我が社のオーディションへの参入をお願いしております」
「オーディション……ですか? 参入⁇」
「ええ。それは我が社の採用選考オーディションなのですが、今回はいわゆるプレミアム招待という枠で招待させて頂きます。採用をかけた苛烈な戦いは終盤を迎えてはいますが、既に採用枠は確定しております。その厳選された確定枠のなかにアリス様は加わり最優秀賞を目指して奮闘して頂きたいと思っています」
「そんな優遇を受けていいんですか? 私が。それって、すごいシードってことですよね⁇」
「はい。実は我が社の会長がお二方のことを大変気に入り、是非とも獲得したいとのことでして。オーディションの優勝者にはもちろん賞金と豪華景品もご用意させて頂いている、とのことです。早速のお仕事なのですが、受けて頂けますか?」
「…………」
少し戸惑っているとカイ師匠は軽く背中を押してきた。
「行っておいでよ」
「師匠……」
「君の芸師のルーツは人を喜ばせることだ。その才能がついに世界に向けて披露されるんだよ。そんな喜ばしいことは他にはないさ。オーディションには僕も応援に行くからさ」
優しく送り出してくれる。師匠……。今まで反抗したり色々好き勝手言っちゃったりしたけど、こういうことになると物悲しくなる。育ててくれてありがとう!
「分かりました。私、やります!」
そして私の新たな人生がスタートするのだ。
と、そのとき。ポトッと私の足元に何かが落ちる。
「おや」
これは猫のヘアピン。
「それはアリスの。このタイミングで壊れたか」
「ちょっと縁起が良くないですね」
「もしかして、あれかな? 願い事が叶うと千切れるアイテム」
「それ別のやつです。あと、ちょびっと古いですね」
「接着剤か、いや。溶接で直そうか。大丈夫、オーディション当日までには間に合わせるよ」
「…………ありがとうございます」
このヘアピンについては師匠には話したことがない。親の形見であるということを。物が破損したりすると彼は惜しまず靴でも服でも新品を調達してくれる。でも、察しがいいのかどうなのか、このヘアピンについては新品に買い替えるという提案はしてこなかった。
「凄い……。こんな豪華な場所、はじめて」
今、都市部某ホテルの上層階にてオーディション最終日の前夜祭パーティーが開催されている。
「さすが大企業ってところだね」
初めてパーティードレスに袖を通した。師匠もスーツ姿である。無論、レンタル品。優美な音楽、ピカピカの内装、目の前には酒池肉林といわんばかりの豪華な料理とお酒、そして周囲にはマスコミ関係者や色々な業界のお偉い様方も招待されているようでビジネスの話などが耳に入ってくる。さすがスターライト。なんて豪華絢爛なことだろう。
そして当然そのなかには私だけじゃなくてオーディションを勝ち抜いてきた出場者もいるわけで。
「よォ、失礼。アンタが新しく参入してきたアリスって奴か?」
田舎者のテンプレみたいな反応をしていると話しかけられた。何かの書類を手にしている。私の写真でも張られているのだろうか。
「あ、はい。アリスです。どうも」
話しかけてきたのは褐色肌の女性だった。私より背は高くてスラリとしたモデル体型。年齢も私より上だろう。ベールを被っている。ショートのトップスの下は筋の通った鍛えられた腹部が大胆に露出していてその下は靴まで隠れるロングのスカート。ドレスといえばそうだけどどこかの民族衣装だろうか。第一印象は気が強そう。ショートヘアで穢れひとつ許さぬ美顔だが目つき顔つきが如何にも好戦的で男顔負けといったところ。火の中、水の中でも容赦なく飛び込んでいきそうな感じがする。
「そうか。お前が鳴り物入りで内定枠に参入してきたアリスか。私はラーニャ。トーナメントで次にアンタと当たる相手だ」
「そ、そのようですね。よろしくお願いします!」
「フン、大物として招待された割には覇気がない。ホントにそんなんで大丈夫か? この祭典を盛り下げないでくれよ? ここに集まった挑戦者達の内定は確定している。あとは如何に観客を盛りあげられるか、が課題だ。お分かりか? 新来者さん」
高圧的。第一印象は本当によく当たる。しかしこういう野次まがいなものにはある程度免疫がある私。気落ちなどするものか。するとさらに別の女性が声を掛けてきた。
「コラ、ラーニャ。失礼でしょ。ごめんね。うちの妹が」
「ナコッタ姉」
新たに現れた女性。同じ衣装を身に纏っているけど、こちらはおっとり優しい系のオーラを感じる。ラーニャと同じ褐色の彼女だけど、ふわりとしたロングの髪に全てを慈しむような瞳はまるで女神のよう。そしてボーイッシュなラーニャより胸は遥かに大きい。なるほど、姉妹での参戦か。姉妹なのに対極的な二人だ。
「初めての舞台で緊張しているのよね。アリスちゃん。私、ナコッタと申します。明日は初戦からお願いね」
「は、はい!」
そうして彼女達二人は行ってしまった。
「ああ、行ってしまったね。僕は胸がボインで大人で優しそうなナコッタ姉さんが好みかなぁ?」
「聞いてませんし。師匠は黙っているべきです」
「あはは。アリスちゃんは手厳しい。……さっきの人達は『アラビアンフレイム』っていう二人チームのアーティストさ。炎を主体に豪快ド派手な演出をキメてくる、僕たちと同じストリートの大道芸出身だ。僕も過去に拝見したことがあるけど、そりゃもう度肝を抜かれるような型破りな荒業を次々と披露していたよ」
「そ、そうなんですね」
師匠は楽しそうに話しているけど、明日私はそれと比べられるんだよね? 大丈夫かな。
その時だ。話しかけられた。
「おや、こんなところに可愛い子猫ちゃん」
「にゃん」
反射的に鳴いてしまった。どうやら猫が抜け切れていないようだ。
「フフ。君ったら、なんて愛くるしいんだ。よかったら俺達と、一杯どうかな?」
「あ、貴方は……」
黒のスーツにキラキラした金色のネックレス、そして十字のピアス。青色のオールバックの髪型で化粧をつけていて香水の匂いも漂っている。
「おや、どうした、レイジ。うわっ、何その天使! いつの間に知り合ったんだよ。お前の姫⁇」
そして今度は同じ服装の茶髪のお兄さんが会話に入って来た。前髪は女性のように長く片目を覆っている。筋盛りヘア? 毛束一つ一つがまとめられていてそれが藤の花みたいに盛り上がっては垂れ落ちている。これをヴィジュアル系とかっていうのだろうか。
「はは、これも運命の出会いさ。俺はレイジ。そっちのは、サザナミ。今宵という夢のように儚いシンデレラの時間を、俺達と一緒に過ごさないかい? レディー?」
「は、はい……」
突然ぐいぐい食い込まれてきた。
「はいはいはい! ストーップ! ごめんね。この子、僕の連れなんだ。そっとしておいてくれるかい」
師匠が割り入ってくれた。助かった。困惑していたところだ。
「な~~んだ。先客がいたのか、残念。お兄さんもなかなかイケメンじゃん。同業者? ホスト?」
「いや、僕は、まあいわば芸人だよ。ホストじゃない。この子の師匠さ」
「へえ~~。じゃあ、もしかしてイケメンお兄さんもこのオーディションに参加してるワケ?」
「いやいや、僕は参戦しないよ。出場するのは、彼女だ」
「アリスです。よろしくお願いします」
軽くお辞儀をする。すると青髪のレイジは私をみて意外そうな顔をした。
「ああああ! まさか君が新しく参戦したアリスって子か。まだ可愛らしいのに凄いねぇ。才女っていうやつかな? 全てが終わったら、シャンパンタワーやろうぜ☆」
そして彼らは去っていくのだった。……今夜はよく話しかけられるなぁ。
「参ったな、全く。アリスはまだ未成年だってのに。……さっきのも参加グループの一角『シュガーホワイト』さ。アリスが勝ち進めば二戦目で当たる相手だね」
「ここに集まるのはなんか癖が強い人達ばかりですね」
「彼らはホストグループの五人組さ。一人一人名前までは知らないけれど、さっきの青髪の男がレイジ。茶髪の方がサザナミだ」
「知ってます、さっき自己紹介してました。あと多分源氏名です」
「実力派のホスト達が集結してチームを形成している。女性ファン達からすれば究極のドリームチームかもしれない。ターゲット層が明確だね」
「……ホスト、か」
そこでマイクが入った。
『皆さま、大変長らくお待たせいたしました。名付けて「盛り上がればそれで良い!」コンサート及び、当社採用選考オーディション前夜祭にお集まり頂きありがとうございます。早速ですが当社役員の挨拶をさせて頂きます。ええ、まずは当スターライト社――』
会場のステージに五人の人が立った。その一人は知っている人物だった。ていうか、こんな事ってあるのか……。その男は司会進行中にも関わらず突然マイクを手にして言う。
『来賓の皆さま方。お集まり頂きありがとうございます』
白いスーツのグラサンをかけた男。棒読みの形式だけの挨拶だと伺える。むしろ反社でも挨拶ができたことに驚きだった。
『俺がこのスターライトの会長、リュウガだ。明日のオーディションは俺が審査員長を務める』
そう、リュウガ! 何故、極道のボスがこんなところにいるんだ! そしてなんで会長なんだ!
『つまり、俺様が一番偉い! 五人いる審査員のひとりだが、俺の意見が他を圧倒する場合がある。そこんとこ、よろしく』
グラサンを触りながら壇上を移動していく。そして。
『あ、そうそう』
と言ってリュウガは私を見てきた、気がした。
『オーディション優勝者には、特別な景品の用意がある。以上』
「…………」
特別な景品。前にスカウトの人も言っていたような気がする。そのスカウトのヤサカさんも壇上にいるけど。そうしてリュウガは一人ステージから姿を消すのだった。どれだけ自由奔放なんだ。一番偉いんだから別にいいのか。
『続きまして、社長のホッピー氏による挨拶です』
そして社長の挨拶が始まった。
「よう、カイ。そして奴隷。久しぶりだな」
「リュウガ」
役員の挨拶中にリュウガが話しかけてきた。うわぁ、相変わらず嫌な威圧だなぁ。前より風格が増している気がする。
「カイ。テメエ、うちのスカウト断ったみたいじゃねぇか。つれねえやつだなぁ」
「ごめんごめん。僕はマイペースなもんでね、知ってると思うけど。入社するより自営の方が向いてるんだよ」
「フン」とリュウガはひとつ息を吐いた。
「…………」
これは勘だけど、ろくでもない事を考えてそうな空気だ。
「おい、奴隷」
「もう奴隷じゃありません」
「おうおう、言うじゃねえか。ところで、奴隷。優勝者には景品を用意していると、俺様は言ったな?」
「はい、言ってましたね」
「欲しくねぇか? 景品」
「別に欲しくないです」
「クハハハ、景品が欲しくない奴なんかこの世にいねぇよ。テメエは俺が気に喰わねェだけだ」
「全くもってその通り。今回ばかりはお前の言い分が正しい。言い得て妙すぎる。私は完璧に論破されてしまった」
言ってやるとリュウガはあからさまに不機嫌な面に変わった。
「気に喰わねぇなァ、不愉快だ。一度目は許す。次は殺すぞ、クソ虫が」
そしてすぐに元のやらしい面に戻る。ゴツゴツのイカツイ顔面を寄せてきた。
「なぁ、アリスちゃんよォ。その景品ってのはよォ。きっとお前が喉から手がでるくらい欲しているもんだぜ?」
「喉から手が? ……そんなこと言って何になるんですか? 私は既にエントリーが決定している。どの道、景品が欲しかろうがそうでなかろうが、優勝を目指すのみです」
言うとリュウガは笑った。
「クハハハハハ! そうだそうだ、その通りだ。お前は正しい。俺様はその景品が何なのかっていうのを直々に伝えにきてやったわけだ。奴隷風情にな。光栄に思え」
「……で、その私が喉から手がでるくらい欲しい景品って、何なんですか?」
「あん?」と突然リュウガは睨みをきかせてきた。一瞬で戦慄が走り背筋がゾッとした。
「なあ、奴隷。『グリモア』って、知ってっか?」
え?
その瞬間。
「おい、リュウガ! ふざけるな‼ 何を口走っている‼」
師匠が怒鳴りながらリュウガの胸倉を掴み上げたのだった。周りにいた参加者はこちらに注目した。そして何故かリュウガは笑う。
「ククク、珍しく怒っちゃって。僕ちん怖~~い」
「そんなことが許されると思っているのか! 見損なったぞ、リュウガ!」
「俺が決めたんだ。お前は黙っていろよ。そして」
言い、リュウガは師匠の手をはらう。
「この俺様が、誰に許されないって? この俺に審判を下せる存在はこの世界に存在しねぇんだよ」
「クッ……」
「もし、お前の弟子が優勝しちまうようなことがあれば、グリモアはそいつのもんだ」
私を指さしたリュウガ。酷い剣幕でリュウガを睨みつけるカイ師匠。
何が起きてるんだ? こんな師匠はじめて見た。そしてリュウガは私に話しかけた。
「奴隷、出世したな。お前が優勝したときのみ景品はグリモアだ。お前、カイの真骨頂は知っているな? 弟子のお前にすら教えない極秘のスキル。お前の言うところの『魔法』というヤツか?」
「…………」
「なるほど、確かに魔法だ。人の心を、人生すらも変えてしまう人外の得物。それは手品ではない。タネもトリックもない。これは正真正銘の魔術書だ」
いつのまにかリュウガの手元に本が現れていた。たしかそれは以前にみたことがある。そしてカイ師匠も色違いだが同じものを取り出せる。そして私には決して教えてくれない。人を幸福にする『魔法』だ。師匠はそれを定期的に使うくせ、私にはその一切を黙秘するのだ。
「俺はカイと同じ魔法を使える。その力が欲しくはないか?」
「欲しい……」
考えることもせずに気が付けば発していた。
「そうか。そうだろうな。知っていたぜ。奴隷、決定だな。有能たる支配者、たまには褒美もくれてやらんとな」
「ふざけるな! そんなことは絶対に許さない! 取り消せ! その契約を取り消せ!」
「熱くなんなよ、ヘタレが。俺の性分は知ってんだろ? 気まぐれだろうが何だろうが、最初に発言したことは必ず実現する。どうしてもこれを阻止しようってんなら――」
「いいだろう、僕が阻止してみせよう。僕が参戦してアリスの優勝を止めればその契約は無効になるんだろ⁉」
「クク……、その通りだ。加えて言えばカイ。お前が優勝すれば金輪際、俺はこの契約をアリスに持ち掛けないと誓おう」
「どういうつもりだ、リュウガ。これがお前の狙いか? 僕をお前の傘下に取り入れることが目的か⁉ それとも他に何か陰謀があるのか⁉」
「クク……。そんなに警戒すんなよカイちゃん。まあ、泥船にでも乗ったつもりで最後まで展開を見届けろ。それよりお前が参戦するとなると、第二シードだ。第一シードの愛弟子とは勝ち進めば決勝で対戦することになる。参加者はお前らを入れて八組。まあ、せいぜい派手なオーディションに仕上げてくれや」
そしてリュウガは去っていく。凄い剣幕のまま今度は私を見て師匠は言った。
「どうして断らなかった?」
「それは、私にも力が欲しいからです。不幸な人を幸せにしたい」
「そうか。ひとまず内定おめでとう。でもこのオーディションは諦めてくれ。本気で君を倒しにいくから。僕からすれば、できれば君が決勝までにコケてくれれば嬉しい限りだけどね」
目の色が違った。いつも穏やかな彼からは見たこともない炎が瞳の奥に宿っていた。
そして私の前から去っていく。今までに感じたことのない寒気が走った。
「…………」
これで良かったのだろうか。目まぐるしく状況が変化して気付けば想定外の所に立っている。師匠から巣立ちではなく、気が付けば敵に回っていた。何だ、この胸の空虚。明日は大事なオーディションだというのに別のことに心が支配されていたのだ。胸のドキドキが止まず頭が真っ白になる。
私、大丈夫だろうか。
両手を繋いでいた。両側には安心感があって頼れる大人が二人。見上げても顔がよく確認できない。でも二人は私の両親だということは知っている。この日は遊園地にきていた。目の前では小さなサーカスショーが行われているようで、ピエロさんがいた。
ピエロさんはマントを取り出してそれを振るう。するとその中から大きな雄ライオンがでてきたのだ。しかし直後それは私に一直線に襲い掛かってきたのだ。思わず目を瞑る。そして次に目を開けると。
え?
両親は血を噴き出しながらライオンに喰われていた。
え?
「フフフフ」
と、不気味な笑いを浮かべるピエロが私を見ていた。
「いやあああああああああ!」
私は目を覚ます。
「…………」
酷い夢だ。汗がでるほどの悪夢をみていたのだ。
ここはホテルの一室だった。
「…………」
まだ真夜中。明日は大事なオーディションだというのに、うなされるなんて。しかし両親の夢なんて初めてみたかもしれない。
「…………」
もう一度寝直すことにした。