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3.師匠の秘密

 来る日も来る日も私は休むことなく練習に励み、そして本番はカイ師匠のサポートに徹した。腕の怪我もとうに完治していた。しかしこれほどもどかしく思ったことは生まれて初めてだった。

 ある時、私は申し立てた。

「ねえ、師匠! 私もちゃんとした芸がしたいんですが! なんで私はお手伝いばかりなのでしょう!」

「でも君って、猫の練習しかしてないじゃないか」

 猫の練習ってなんだ!

「師匠がそれしかやさせてくれないんじゃないですか! 私だって道具を使って師匠みたいな綺麗な芸が――」

「はいは~~い! じゃあこれから僕の愛弟子と一緒に芸をしま~~す!」

「え?」

 突然何?

「ここにカルシウム満点の煮干しがあります。全部この子がキャッチしま~~す」

 そして突然それらを上に投げやがった。私は着ぐるみ状態のまま四足歩行で必死に煮干しを追いかけてキャッチするのだった。にゃんにゃん言いながら。クソゥ、身体に猫の動きが沁みついている!

 煮干しは結構な割合で地面に落ちていた。「ぎゃははははは!」と観客は私をみて笑うのであった。

「わ、笑うなぁぁぁ!」


「いいよ! いいよ! アリスちゃん! ウケてるよ!」

 カイ師匠も私を見て笑うのであった。いや、お前は笑っちゃダメだろ! 来る日も来る日も猫の練習ばかりさせておいて私の努力を見ておいて、それはない! やめたろうか! もうコイツの弟子でいるのはやめたろうか! もうひと月も経つのに道具の一つも使わせてくれないなんてハラスメントだ! 夜逃げしたろうか、困らせたろうか! 猫の手もなければさすがに困るだろう、本当の猫がいなければの話だが! クソが! 芸なんてこりごりだ!


「アリスちゃん!」

 首根っこを掴むな!

 次の瞬間、師匠は煙玉を使って全員の視界を遮った。そして私を抱えてから即座に移動したのであった。

「何何⁇ 何してんの⁉」

 相変わらず乗り物にでも乗っているかのような速さ、機動力がある。そしてもう一人誰かを抱えているようだ。誰⁉ しばらく走って、人気のないビルの中へと入っていくのである。



「よし! 到着」

 言って、ビル内部の無人の一室のなかに私達を連れ込んだのであった。

「ちょっとゴメンね」

 そうしてカイ師匠は恐ろしいほど速い動作で抱えていた女性の手足を拘束してソファーに座らせたのだ。何やってんの、本当に⁉

「アリス。今日はいいカモがとれたね」

 ええ⁉

「彼女に見せてあげなよ。君のスキルを。君が今まで積み重ねてきた訓練の成果を」

「何言ってるの⁉ 師匠、また拉致ってきたの⁇」

「彼女はお客さんだ。アリスがどうしてもっていうから君が遺憾なくパフォーマンスを発揮できるようにこうやって場所とお客さんを用意してやったんじゃないか」

「ここ廃ビルだよね⁇ お客さんって、拉致しただけだよね?」

「気にしない、気にしない」

 平然とした顔、ドヤ顔。どうして躊躇わずこんなことができるんだこの人は⁉ 前も私を拉致ったし。この人、やっぱり関わったらヤバい系の人なのかな? そうに違いない。

「んんんん~~~~~」

 可哀想に、口にガムテを貼られて喋る自由も奪われている。しかしその時思った。

 ん、この人は確か……。


『コラッ! 使えねえなあ! オメエみてぇな使えねぇノロマは店にはいらねえんだよ! さっさと買い出しいってこいや!』


 思い出した。随分と前に店先で男の人に蹴り飛ばされていた女性だ。パワハラを受けていた従業員の人だ。服装もあの時と同じお店のエプロン姿だった。


「さあ、アリス。チャンスとは唐突にして訪れるものさ。重要なのは、常にそのチャンスをものにするための備えがあるかどうか、だ。そもそもそれがチャンスだと気付けるかどうか、というのも前提にあるなかで、こうやって目に見えてに君に芸を披露するチャンスが訪れたんだ。それに備えていない、なんてことは、ないよね?」

「……ないです。道具もすべてさっきの道端に置いてきたじゃないですか?」

「かあああああああ、ダメだね。これだから素人ちゃんはダメなんだよ」

 オーバーなリアクションの彼。ろくに猫の練習しかさせなかったくせに。ていうか拉致してまでチャンスメイクするとかヤバいでしょ。

「まずはこの人、解放してやりましょうよ」

「それはダメだよ。パフォーマンスをみてもらうまで、決して」

 な、なんで?

「わかったよ、アリス。君に何も備えがないのなら君の適応力に期待しよう。ほら」

 そう言って紙切れを差し出された。それは台本だった。カイ師匠は拉致してきた女性に話しかけた。

「ごめんね~~、君。打ち合わせするから開演まであと五分待ってね~~♪ それとアリス、ややこしいから猫の着ぐるみは一旦脱ごうか」

 察しのいい私は気付く。五分で全て準備するのだと。


 こそこそと二人で話している姿は拉致被害者の彼女からみてどう映っているのだろう。私なら恐怖で鳥肌ものだ。

「…………」

 いや、それより今は自分のこと。五分で覚えろとか無茶ぶりすぎる! 練習も無し、いきなりぶっつけ本番で台本通りのやりとりを行えと、この拉致の主犯は言うのだ。

「さあ、あまりお客さんを待たせてはダメだ。僕たちの力で彼女の心を和ませてやろう!」

「え、もう?」

 こういう時の五分は一瞬で過ぎ去る。拉致後に被害者を拘束したまま開演だなんて何をやってるんだろう、まったく。とにかく待ったなしで始まった。

 私は台本中の猟師の役回りだった。まずはナレーターのカイ師匠が最初に喋る。


【これは十年前の出来事である。森深くで狩りをしていた彼女は茂みの物音に気付いた。ここは熊や狼、猪などの猛獣が現れる危険いっぱいの森。彼女の身体は咄嗟に物音がした方向に振り向き、既に狩猟用ライフルをぶちかましていた。バン!】

 私はライフルを発砲する動作をする。

【しかしそこにいたのは、小さめの虎。まだ子供か。弾は掠ってはいたけど命中には至っていない。顔に掠ってそれなりの傷になっているけど、命まではとってはいない。彼女も悪魔ではなかった。まだ子供なら見逃そう。向こうも狩りができるサイズには見えない。しかし次の瞬間だ! 『ゴアアアアアア!』とドスのきいた咆哮がした。彼女がそっちに振り向くと親の虎が、彼女に向かって襲い掛かってきていたのだ。彼女はすぐに発砲した。バンバンバン!】

 連射する動作。

【弾は全て命中し、親虎は地面に倒れ伏せた。そして子の虎は動けなくなった親虎に駆け寄っていく。徐々に死に向かう親虎の傍で子の虎は儚げにも鳴き声を上げているのであった。そしてそこから十年後――】

 悲しい導入部だ。そこでナレーションは終わる。ここからが本番。舞台にはそれから十年後の私が登場するのだ。早速、私のセリフから。

「久しぶり、カイ子。急に呼び出して何か用?」

「うん。ちょっとぉ、アリスに頼みたいことがあるの~~。お願いごときいてくれるぅ?」

「うん、いいよ。何かな?」

「今から買い物に行くんだけどぉ~~。ペットの相手をしていて欲しいのぉ」

「そんなことか、いいよ。そんなことより、カイ子。ペットなんて何か飼ってた?」

「うん。数年前に保護した子なんだ~~。名前は『トラ』っていうんだけどぉ」

「へえ、『トラ』か。可愛いね。猫ちゃんかな?」

「うん。トラ、おいで~~」

 【ゴオオオオオオオ!】とナレーター、カイ師匠の声が入る。

「虎じゃねえか! トラじゃなくて虎じゃねえか! こんなもんどっから持ってきたんだよ! ジャングルに戻せよ!」

「この子、可愛くってぇ~~。いつも私にだけ懐くの」

「私に『だけ』って何⁇ 人のみ込むサイズだよ⁉ よくこんなもん飼っていたね⁇」

「先入観よ。先入観はよくないよ⁇ 大きいからって、何でも襲い掛かってくるとは限らないのよぉ? ほら、ゴロゴロいっちゃってぇ~~、可愛い♡」

「いや、そうだけど、ハッ!」

 私が自分の心境を喋るナレーション。

【コイツは! その顔の銃弾を掠ったような傷は! コイツまさか】

 カイ師匠のナレーション。

【私はお前を殺すためだけに生き延びてきた。こうやって十年間も人間に媚びて生きてきた。人脈を辿ってお前に辿り着くためだけになァ! よくも母親を殺してくれたな? ぶっ殺してやる‼ しかし飼い主には恩がある。お前がむごたらしく死んでいく様を見ると飼い主はさぞかし悲しむことだろう、だからせめて飼い主がいない間を見計らってぶっ殺して喰ってやる‼】

「ダメダメダメ! 私丸腰! 猟師はもう辞めたの! 武器なんて何も持っていない!」

「何を焦っているのぉ? アリスぅ。私が不在の間、少しだけこの子の相手をしてあげて欲しいって言っているだけなのにぃ」

「断る。相手ってなんだ⁇ 対戦相手か⁇ 嫌だね、私は帰らせて貰う!」

「大丈夫だって、警戒しすぎだってぇ~~。アリスだってさっき『トラか。可愛い。猫ちゃんかな?』って言ってたじゃ~~ん」

「名前から想像しただけだろ!」

【ニャンニャンニャン…ゴゴゴゴゴ】

「無理しなくていいよオメエも! 隠し切れない殺意がダダもれだから!」

「だからアリスは何をそんなに慌てているのぉ? 私の留守の間、面倒みて欲しいって言っているだけなのにぃ。でっかい猫ちゃんだと思えばいいのよ~~。ただ尖った大きな牙と鋭い爪があるだけでぇ? そこだけ目を瞑ればいいのよぉ~~」

「そこって一番目を瞑っちゃいけないところだよね! デカさと牙と爪って、虎が虎であり人の脅威である所以だよね⁉ ほら、そこの柱で爪を研いでるよ! 柱が剝けているよ‼」

【ニャン】

「ほら、大丈夫~~。爪を一時的に引っ込めたわよぉ~~」

「一時的に引っ込めただけだろ! あと【ニャン】じゃねえよ!」

「わかったぁ。わかったわよぉ。じゃあ、確率を下げるために今から餌を与えるわ」

「何の確率⁇」

「いい? アリスぅ。人はピラニアがいる川を渡るためにどうすると思う? そうよぉ、肉の塊を川に投げ込むのぉ。その作戦を応用するのよぉ。ほら、トラ。肉の塊よぉ、お食べなさぁ~~い。あら、今日はスルーしているわねぇ。いつもならがっついて食べるのにぃ~~」

「…………」

「大丈夫よぉ~~。今日は食欲が無いみたい~~」

「私を食べるためにスルーしただけだろ⁉ ヨダレ垂らしまくってるよ! さっきから私の方しか見ていないよ! もうクラウチングスタートの体勢だよ‼」

「ネコと和解せよ」

「虎だから! カイ子のその買い物って、そんなに必要かな⁉ 私が命賭けるくらい必要かな⁉ 代わりに私が買いに行ってあげるよ!」

「大丈夫よ~~。大したことない買い物だから」

「大したことない買い物なら私が行くよ!」

「ダメよ~~、もう。檻閉めちゃったから~~、上からガシャン!」

「檻⁉」

「トラが逃げないようにぃ~~、柵で厳重に閉じ込めてるのぉ~~。アリスのいる場所はもう、檻のなかよぉ~~?」

「いつの間に! 私いらないじゃん! 出せ! ここから出せ!」

「じゃあ、買い物行ってくるわね~~」

「行くな! 出せ!」

「今度は、その子の父親の方を殺した猟師を買収して戻ってくるわ」

【カイ子の目が真っ赤に光るのであった】

「何⁉」

【めでたしめでたし】


 …………。

 …………。

 めでたいかこれ?



 こうして台本の演技が終了したのであった。これを見た拉致被害者の女性は無表情で目を丸くしていた。まあ、そうなりますわね。一体、貴方は私達に何をみせられたんだろうね? 全てが謎だわ。

「よし。まあまあな出来栄えだろう。彼女もきっと喜んでくれたはずだ」

 すごい自己満足。やはり未だに怯えているようにみえるけど。そして私の感想などを見抜いたかのように言う。

「大丈夫さ。喜んでくれる。今、大事なことは彼女の前で何かをやるということだよ。我々、芸師の誇りに賭けてね。後々に、今は名前も知らない彼女のなかで、僕たちの今の芸が活きてくるっていうやつだよ」

「何の話をしているんですか? 師匠」

 全く意味が分からない。

「いいや、アリス。別に分かろうとしなくていい。これから僕が行うことはどの道、人智の及ばない事なのだから」

「え?」

 そう言ってカイ師匠は振り子をとりだして女性の前に立ち振り始めた。

「貴方はだんだん眠くな~~る、眠くな~~る」

 催眠術! 驚くことに女性は目を閉じ本当に眠ってしまったのだ。なるほど。たしかにそれは人智を逸脱している。

 しかしそこからだ。カイ師匠はどこから取り出したのか一冊の本を手に持っていたのだ。ページを開いて……次の瞬間。そこからまるで魔法であるかのように青白い光が飛び出した。

「…………何?」

 本に何か発光体でも仕込んでる?

 しばらくしてから光は収まりカイ師匠は本を自分の懐に戻すのだった。師匠は女性の拘束を解いてあげる。そしてしばらくしてから女性は目を覚ました。

「おはよう、ユキノちゃん。具合はどうだい?」

「カ、カイさん! こんなところで、私、どうして……」

 ん? なんで互いの名前を知ってるんだ? 実は知り合いだったの?

「おや、憶えていないのかい? 君にはもうこんなものは必要ないよね?」

「……それは、そうだ。私……」

 カイ師匠は小瓶を取り出した。その中には錠剤が入っているように見える。

「ダメだよ。いくら辛くってもこんなことしようとしちゃあ。死のうとしてたでしょ」

「…………」

「君はいつも頑張っている。周囲に気を配れるいい子だ。辛いことにも耐えながら今まで腕を磨いてきた。君の作るパンはいつも最高に美味しいからね」

「…………」

「そんな子がろくでもない人間の為にこの世界から消えるなんて事はあってはならない!」

「……カイさん。いつもカイさんは私が潰れそうな時に慰めにきてくれる。元気をくれる。それなのに、私……」

「ああ。ユキノちゃん。君はこれからも生きていける。その優しさ、気配り、何より君の作るパンで周りの人を幸せにできる。だからへこたれずに生きていこうよ」

「カイさん……」

 ユキノと呼ばれた女性は涙を零した。そして笑みを浮かべる。

「カイさん。さっきのお芝居。面白かったです。元気でました」

「そっか。サービスだ。お代はいらないからね」

「はい。ありがとうございました!」


 そのやり取りのあと、彼女はこの場を去っていった。

「…………」

「…………」

 二人になり一度静まり返る。

「カイ師匠。知り合いだったんですか?」

 私が聞くと師匠は答えた。

「うん。知り合いだよ。彼女の名前や境遇を知ったのはついさっきの事だけどね」

「え?」

 よく分からなかった。

「ついさっき、()()()()()()()()()()()()()んだよ」

「は?」

 聞けば聞くほどわけが分からなくなる。

「それはそうと、良かったね、アリス。さっきの寸劇、面白かったんだって。君、演技の才能あるんじゃない?」

「え?」

 さっきから頭の中が「?」ばかり。どう考えても彼女、恐怖に縛られていたように思うけど。

 そしてカイ師匠動く。

「おっと、こうしちゃいられない。仕事の途中だった。連絡をいれないと」

「連絡?」

 師匠は懐から通信機を取り出して喋りはじめた。

「ああ~~。こちらカイ。リュウガかい?」

 え、リュウガ? 反社と通信してるの⁇

「………ああ。サイワイ地区二丁目のヴェリーホワイトパン屋のジンという男が性格悪くってねぇ。まあ、少し診ると分かると思うんだけど……。ちょっと取り締まってくれないかな? そういうの専門でしょ? ……ああ、分かっているよ。ちゃんと払うから。うん、ちょっと厳しめに頼むよ。うん」

 そして通信が終わった。

「何を話してたんですか?」

「え、うん。まあ、落とし前というか、平和的な話ではないね。彼にしか頼めないビジネスの話だよ」

「ビジネス……」

「じゃあ、行こうか」

「行くってどこへ?」

 「まあ、ついてきて」と言ってカイ師匠は移動し始めた。



 心当たりがある場所だった。それは以前にユキノさんがパワハラ男に蹴り飛ばされていた場所だ。つまりユキノさんの勤め先のお店だ。

「まあ、僕らの仕事は既に終えている。今来たのは確認のためだよ」

 と、師匠は言うが……。そこには既に黒スーツの男達がゾロリ。その中心にはリュウガがいた。

「よぉ! この店にジンってのはいるか?」

「ああ、俺だが。アンタは……? 何か用かい?」

 ジンという男は多少引きつった様子だ。そりゃそうだ、極道みたいな軍団が突然押しかけてきたのだから。リュウガは言う。

「お兄さ~~ん。俺様の顔を知らねぇか、ククク。それはそれでまた一興だな。今すぐにでも、お前は俺様という恐怖を知ることになる」

 するとリュウガは懐から本を取り出した。それは赤色の本で、それを男の胸元に押し付ける。直後赤い光が飛びだした。また本⁉ それにアレ、前にも見た気がする。

「あ……」

 するとジンは跪いた。どういうことか黒髪が一気に白髪に変化していき顔がしなびていく。そしていつかのチンピラのように失禁しはじめたのだった。

 リュウガはジンに言った。

「あ? 殺したろうか?」

「す、すみませ、ん。もう、もう、彼女には手は、だしません」

「フン」

 害虫を見るような目でジンを見下し、リュウガは背を向け立ち去っていくのであった。部下の黒スーツたちもそれに続く。ジンはそのまま倒れ伏せる。ユキノを蹴り飛ばしていた時の面影の欠片すら残らない。



「自分で依頼しておいて言うのも何だけど、やっぱりリュウガはおっかないね」

「何が起こったんですか? 特にリュウガは何もしていなかったように思えたのですが」

 観察してた限りじゃただジンが何もなく跪いてから恐怖に怯えていたようにみえたけど。リュウガは手はだしていなかった。

「そうだね。()()ちょっと脅しただけだね」

「え?」

「見てごらん」

 するとユキノさんがお店に帰ってきた。そこにいたジンは泣きながら土下座を始めたのだ。

「すみませんでした、すみませんでした、すみませんでした」

 と。え?


「これでユキノさんは無事さ。もうジンにいじめられることはない。これからは平和な環境で頑張れるはずさ」

「どういうことですか、師匠? なんで自殺しようとしていた人の人生が反転して一気に改善されたんですか?」

「ま、ちょっとした魔法をかけたのさ。これ企業秘密ね♪」

「んん……、魔法?」

 自分でも怪訝の表情になっていることは分かっているが、師匠はそんな私に相変わらずのスマイルを向けてくるのだった。

「ま、僕に関しては謎要素があるほうが君も興味が持てるだろ?」

「…………何ですかそれ」

 本当に何が起きたのか謎だらけだった。通常では考えられないような事が起きた。人の心ってこんなにも容易く変わるものなのか⁇ 私ひとりに対し登場人物がこぞってドッキリを仕掛けているのではないか、と疑ってしまうほど不思議な出来事だ。

「…………」

「…………」

「ねえ、アリス」

「何ですか?」

「何で僕が君やユキノさんを拉致したと思う?」

「女性でパクりやすいから」

「実は街中でする僕の芸には二つの目的があってね。一つ目は単純にお客さんに楽しんでもらう事。そしてもう一つは……、たまにいるんだよ。自分から幸福を逃がすような人が。せっかく僕が芸で幸福をばら撒いているのに悲しそうな目をしながらスルーしていく人が」

 そう言えば私も最初カイ師匠の手品芸を見たとき……、そんな感じだったのかな? さっき拉致ったユキノさんも師匠の目にはそう映ったってことなのか。

「そういう人に限って人生の歩き方が上手くない。真面目だけど幸福がある方向とは別の方向に向かおうとする。『僕はいいです』『私は遠慮します』ってね。不幸なオーラが滲み出ている」

「…………」

「ま、これは長年の経験により得られた能力。不思議だろうけれど僕には人を見分ける感覚があるんだ」

「だから、拉致った、と?」

「ああ。そこからマンツーマン。僕はね、もちろん多くの人に楽しんでもらいたいんだけど特に、困っている目の前の一人を救いたいんだ」

「…………」

「あ、ごめんね。お客さんも道具も投げ銭も放り投げて自分のやりたい事ばかりしていたら商売にもならないよね? こっちも生活かかっているからね」

「いえ……謝らなくても別に」

「でもね、真面目に頑張っている子は肯定されて生きるべきだよ」

 カイ師匠はそう言った。その優しさは亡くなった両親、そして騙されていたにしてもあの陽だまりのような孤児院の生活を思い出させてくれたのだった。

 この人はやっぱり人を肯定してくれる人間だ。

「アリス、僕は、いや僕たちは人に幸せを与えてあげないといけないんだ」

「…………」

 確かに、師匠は実際に成し遂げた。そんな大きなことを半日も経たずに達成した。まるで魔法のような力で。芸師って、すごいんだなぁ……。

「ねえ、師匠」

「ん?」

「私も困っている人を救えるでしょうか! さっきの師匠のように」

 そうだ。今度は私が誰かを助けてあげないといけないんだ。幸運にもそういう職に就いたらしい。この世界には不幸な境遇に立たされている人なんていくらでもいるんだから。

 しかし師匠は冷淡な口調で返すのだった。

「いや、僕の言い方が悪かった。単調直入に言うけど、アリスが僕やリュウガと同じように人の不幸を根こそぎ解消することはできない。しようとしなくてもいい」

「…………」

 私は「師匠のように」って言ったんだけど。なんでリュウガが入ってるの? あれこそ人を不幸にする象徴じゃん。

「ただ、僕たち芸師の仕事は人々の笑顔をつくることだ。小さな幸せをばら撒くことだ。それはほんの少しだっていい。そのほんの少しが、心を病んでしまっている人を意外と救うんだよ」

「それは分かりますが、何故ですか? 師匠のように拉致とかリュウガのように乱暴とかするのは気が引けますけど、私だって大きなことをしたい! 酷い目に遭わされている人は見過ごせない! 師匠のようにズバッと解消したい!」

 ため息を一つ。自分の額に指を当てながら困ったような仕草をしながら師匠は言った。

「あのね、アリス。無理なものは無理。普通に考えて常人がそんなことできると思う? 僕は君の思うところの魔法使いみたいなことをしたんだよ? 絶対に実現不可能なことを」

「でも、今は難しくても、いつか! きっと催眠術の類なんですよね⁉ 私だって師匠から学べばいつかできるようになりますよね!」

「催眠術、か。どうだろうね」

「どうだろうね、って」

「とにかく、今回のようなワケありの件に関しては全て僕に任せてくれればいい!」

 むむ……! ちょっと厳しめの口調。

「君は君のできることだけを全うしてくれ。目の前のやるべきことに集中するんだ。君は猫の練習をしていたんだったね? 猫の練習はひとまず卒業だ、おめでとう。これからは道具を使った練習をやっていくよ」

「…………」

「不満そうだね。どの道、基礎ができなければ君は無能の役立たずで終わるだけだ。頼むよ」

「…………」

 そんな言い方しなくていいじゃないか。どれだけ秘密を通したいんだよ。



 そして拠点に帰って練習を開始する。少しだけコツを習って今はひとりでバランスボールの上に乗る練習をしている。

 何だってんだよ。何かむしゃくしゃするなぁ……。

「あ、痛ッ!」

 いててて……。落下した。自分の身長と同じくらいの大きさのボールから転び落ちてしまった。イライラしながら練習なんてするものではないな。せっかく待ち焦がれた練習なのに集中できたものではない。でも、私を露骨に下っぱ扱いする師匠が悪い! 私だって魔法みたいに人を救いたい! 教えてくれない師匠が悪い!

「お姉ちゃん、大丈夫?」

 声を掛けられた。幼くて弱々しい声。見てみると真ん前に少女がいた。転んだ私と同じくらいの目線の高さの子だった。彼女の気配にはまるで気付かなかった。おおよそむしゃくしゃしていて視界が狭まっていたんだろう。

「猫のお姉ちゃん!」

 そして次に指を差して元気な声でそう言われた。今は普段着だけど、いつも猫の着ぐるみを着用しているから知って貰えているのだろうか。

「うん。そうだよ。猫だよ。にゃんにゃん」

 トホホ、といった心境だけど明るく返してあげる。まさか子供相手にピリピリした返答ができるはずもない。しかしながらこういう対応は得意だ。孤児院では面倒見のいいお姉ちゃんで通っていたのだから。

「ところで君、名前は? 私はアリス」

「アンコ」

「アンコちゃんか。どうしたの? こんなところまで遊びに来たのかな? おうちは?」

「いえで」

「家出! またどうして⁇」

「お母さんがね。アンコの好きなオモチャ、買ってくれないの。だから、いえで」

「そうかぁ。じゃあ、お姉ちゃんが代わりに遊んであげよっか」

「え?」

「う~~~~ん」

 と、周りを見渡してみる。しかし特に遊べるようなものはないようだ。ならば。

「アンコちゃん、アイドルって知ってる?」

「あいどる?」

「歌って踊る人だよ。私が再現してあげるよ。拍手、パチパチパチ~~」

 拍手するとアンコも拍手するのだった。……自分で誘導しておきながら少しだけ緊張するな。しかしこういうのは孤児院生活のときに極めている。年下の子をあやすのは私の十八番というものだ。歌だってよく歌ってきたし、きっと大丈夫! 息を大きく吸って、吐いて~~、さっそく歌い始めた。


「ラララ~~ラララ~~♪ 諦めないで~~前を向いて進めば~~何だってできるさ~~♪」

 リズムに合わせてフィーリングでターンとステップを繰り返す。

「ラララ~~♪ 辛い時だって~~♪ 私が傍にいるから~~♪」

 満面の笑みを絶やさずに熱唱する。サビに差し掛かる前からアンコはノリノリで――。


「すご~~い、お姉ちゃん、カッコイイ」

 歌い終わったときにはすっかり上機嫌だった。

「まあ、こんなもんさ。歌以外にもお姉ちゃんは色々やっているよ」

「すご~~い!」

 アンコは目を輝かせるのだった。すっかり心を掴んでしまったようだ。

「お姉ちゃん。猫のやつ可愛いね!」

 そして私の頭を指さして言ってきた。

「え? ヘアピンのこと?」

 私は猫のヘアピンをつけている。これは昔、母親から貰ったものだ。今はもういないけれど。形見として私はいつもつけているのだ。

「そう、これはね――」

 と、言いかけたところで。

「アンコ! アンコ!」

 遠くから彼女を呼ぶ声が聞こえた。大人の女性が慌てながらこちらへ向かってきたのだ。

「あ、お母さん!」

 と、アンコは返す。母親か。そりゃこんな小さな子が一人でどこかへ消えたら心配するに決まっている。アンコの元まで来てひとまず息を整え、母親は言った。

「アンコ、お友達?」

「うん、猫のお姉ちゃん!」

「猫の⁇」

「お姉ちゃん凄いの!」

「そう」

 と、安心した様子の母親は次に私に謝罪してきた。

「ごめんね。うちの子が迷惑かけちゃって。この子ったら急に飛び出しちゃって」

「いいえいいえ。大丈夫ですよ」

「まあ、しっかりした子ね。アンコもお姉ちゃんを見習いなさい」

「うん」

「じゃあ、帰るわよ」

「うん」

「それじゃあ。ありがとうね」

 母親はアンコの手を引き、こちらにお辞儀をしてから去っていくのだった。

「アンコちゃん。お母さんを大切にね!」

 私の呼びかけに一度振り向き手を振るアンコ。

「お姉ちゃんね、サーカスやってるんだって!」

「あら、すごいわね! 今度見に行きましょ」

 帰路につく親子の会話が聞こえてきた。



 どこからともなく話しかけられた。

「おめでとう、アリス。君は一組目のお客さんを手に入れたよ。立派に、芸師としてね」

「んん……」

「おや。まだそんなしかめっ面をしてるのかい?」

 私の心はアンコのようにすぐには好転しない。それに――。

「…………聞いてたんですか?」

「驚いたよ。君、あんなにも歌、上手だったんだね。お兄さん心に沁みちゃった。才能だよ。神だよ」

「やっぱり聞いてたんですか⁉ 盗み聞きですか⁉」

「あれだけ熱唱しておいて盗み聞きとはご挨拶だね。それに、素直に褒めているのに」

 自分のが上手いくせに。

「べ、別に、そんな大したこと……してないですし」

「そうかな? さっきの子の笑顔を思い出してみなよ。すごく喜んでいたよね」

「…………」

「あれで十分なんだよ。馬鹿げた力なんて必要ない」

「…………」

「それでも、君が大したことをしていない、というのならばそれは逆に才能なのかもしれないよ。何も意識せずにさっきの流れを作り、やり遂げたのなら、根本から人を楽しませる素質が備わっているんだ」

「…………」

「ともあれ、あの子は君の最初のお客さんだ。覚えておくと言い。君にとってあの子の笑顔はきっといつかの励みになるはずだ」

「……ホントにですか?」

「ああ。ホントさ。芸師を続けるんなら何かの喜びやきっかけがないと寂しいからね」

 今一度思い出してみる。

「…………」

 あの子は喜んでくれていた。ちゃんとした芸でもない私の歌と踊りで。

「…………」

 そうだ、私は嬉しかった。あの子が喜んでくれたことが、嬉しかった。

「実感した? それが君のルーツになるかもしれない。人を喜ばせることが嬉しい。それが君が芸師を続ける意味だ」

「…………」



「ところで、アリス。もう一回だけ最初から歌ってくれないかな?」

「は、はあ⁉ なんでですか⁉ 嫌ですよ」

「さっきはあんなに一生懸命だったじゃないかぁ。可愛い歌声で」

「からかわないでください。嫌なものは嫌なんですぅ。師匠も私に教えてくれないじゃないですか? あの魔法!」

「ああ、まだそれ言ってるのか……。いいかい、アリス。僕たちは何もサーカスだけを披露するわけじゃない。リサイタルだってやる。君にその素質があるかどうか、ちゃんとみておきたいって思ったんだよ。正直さっきはちょっとだけしか聞けなかったから、さ?」

「…………」

 確かにカイ師匠は最初にあったときに歌ってくれた。綺麗な歌声で。彼のいう事には間違いはない。

「…………」

 そして人の心を変える魔法を教えてくれ、というのは私の単なる我儘だ。

 一つ息を吸って、歌うことにした。


「…………これは」

 歌い終わった頃には師匠は真顔で目を丸くしていた。


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