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10.グリモアの魔法使い

 翌日――。

 そして翌日を迎えてしまっていた。いや、死ねない身体だからたとえ殺されたっても翌日は確実に来るのだ。


「この下手くそが! もういい!」

「は、はい。すいません」

 靴磨き屋をしていた僕は客に怒鳴られた。こ、怖……。これだ……。この全身を迸る不快な感覚。蘇ってくる、僕のなかで。もう何世紀ぶりの感覚だろうか。この絶望感は。やはり精神面はひよっこ。他人の罵倒が人体に影響するくらいに心が脆い。バリアの最初のバの字にも程遠い今の状況だ。


「おいおい、さっきより汚れてるんじゃぁねぇか? あん⁇」

 そして偶然にも僕と同じく隣でアリスが靴磨き屋を営んでいる。僕と同じくクレームをつけられているようだった。彼女は客に応対する。

「えええ⁇ そりゃ当たり前じゃん、お客さん。市販のクリームに私のアレンジを加えたドブ仕立てなんだから!」

「ド、ドブだと⁉」

「お客さんの性格と顔面に適合した品質に仕上げるために昨晩わざわざドブ川の汚泥を採取し配合して作り上げたクリームを塗ったんだよ。お客様にとても似合っているニャ。ニシシシ!」

「このドブ女が! 死ね!」

 当然これには客も手を上げる。って、マズい! アリスがめっちゃ蹴り飛ばされてるぞ! さすがに止めに入った。



「な、何してるんだい、君は! 客に喧嘩を売っているのか?」

 結局、僕ら二人はボロボロになって白昼の道端に倒れているのであった。

 そしてこれは恐らくグリモアのせいだけど、途中から無関係な民衆共が寄ってたかってきて集団で僕らをボコにしたのだ。まあ、今回死人がでていないだけ奇跡だといえる。グリモアの潜伏期間か⁇ それとも蒼の奴、まだ準備運動をはじめている最中なのか⁇ 随分と穏便じゃないか。

「師匠も知ってるっしょ? グリモア持ちはどうせフルボッコに処されるんだよ。まるでゴキブリのように。どうせやられるならこっちからユーモアに攻めたほうがお得じゃん?」

「お得って……。バーゲンセールかよ」

「あははっ。師匠。まだまだ元気じゃん!」

 隣でケラケラと笑っていた。ん? 何だろう。心が軽い。隣にひょうきんなアリスがいるからだろうか。……たくましいな。僕が知ってるアリスはもう少し頑固でまっすぐで真面目だったイメージがあったけど。

「ねえ、師匠」

「ん?」

「前にさ。いや、遠い未来にさ」

「どっちだよ」

「私との出会いがもっと早かったら良かったのに、って言っていたよね」

 思い返す。


『もっと早くに君と出会っていれば良かった、と思ったりしてね』

『え?』

『そう。もっともっと、早く。僕が芸師をはじめた時くらい前に……』


「……ああ、言ったね。遥か前に――。いや、そうか。時間系列でいうと今から約四百年後に言うのか」

 不思議なものだ。時間を遡るなんて。

「実現したね! こんな形で出会うなんて、やっぱりすごいよ、アハハハ。これからずっといようね!」

「…………ずっと?」

 彼女は僕の考えもしない事を唐突に言いだす。

「ねぇ、師匠。ところで、さっき殴られたの大丈夫だった?」

「え? まあ、ああ。大丈夫だよ」

「師匠、この先に何が起きるか知ってるんだよね? 不安だよね? 怖くない?」

「…………」

「……師匠?」

 まるで見透かされているみたいだった。なんて返答しようか。と、考える前に既に僕の口が動いていたのだった。

「そりゃ……怖い。不安だ。もう一度あの人生をやり直すなんて、どうかしてる。不安で不安で……、僕は……」


 頭を抱えながら弱音をさらけだす。意志とは裏腹にさらけだす。ここまで僕の精神は脆かったのか! 発言の制御もできずに、ここまで弱音を吐くのか⁉ それもアリスの前で。

 でもアリスは起き上がり、そんな情けない僕に対して、にっこりと笑ったのだ。


「やっと、見つけた。弱虫な師匠! ずっと捜してた」




『バリア? 知ってるよ。カイにできて私にできないことはもうない、と言ったはずだが? 私は何回自分を殺してきたと思っている? 侮るなよ?』

『ほう。お前らはつくづく狂った師弟だ。なら、これは知ってっか?』

『ん?』

『カイはな? バリアを張っていてもそれでも心が潰れたときは、笑うんだよ』





「師匠。師匠は弱いままでいい。だけど、夢や希望は失わないで欲しい。バリアなんて張らせない。どうしようもなく辛いときに一人で笑うなんて心が壊れちゃってる証拠だ。そうならないように私がずっと傍にいてあげるよ! 私はそのために来た!」

「アリス……、なんで……」

 するとアリスは「コホン」とひとつ咳払いをした。

「カイ師匠は私の目標であり憧れだった。ずっと思っていた。あの余裕の笑みが腹立たしいな、とか、いつまで私のこと子ども扱いするんだろ、とか。そして何より、グリモアについては終始一貫隠し通した」

「…………」

 アリスと話していると百年も前のことなのについ最近の事のように思える。ドヤ顔で胸を叩くアリス。

「でも今、私はその全てを覆す実力を手にして戻ってきました! そうです、カイ師匠の今の肉体は五百年前。いうなれば心身ともに赤子同然ですね。それに引き換え私は百年間熟練を積み重ねてきた歴戦のベテランです。もう既に師匠にできて私にできないことはないと断言できます! さあ、大船に乗ったつもりでドンと構えていてくださいよ!」

 いや違う。そうじゃない。

「何故僕を憎まない⁉ 僕は君の両親を殺した張本人だ、忘れたわけじゃないだろう!」

「…………」

「…………」

 「フウ」とアリスはひとつ息を吐き捨てた。





『お前、カイのことは許したのか? 随分と余裕ぶったツラしてやがるが。知ってるぜ? アイツに両親ぶっ殺されたんだってな?』

『ああ、そうだな。それに関しては私は気の毒だった。が、アイツもアイツで必死だったんだろう。五十年以上過ぎた今では奴のことは手に取るように分かるよ。まあ、許す許さないでいえば、許してやらんこともない』

『あん? テメエ今なんつった?』

『奴のことは手に取るように分かるよ。まあ、許す許さないでいえば、許してやらんこともない』

『気に入らねぇなあ、テメエ奴隷のくせに何様だ? あん⁇ テメエにカイの何が分かるってんだ‼』

『既に私は極限の境地へと達した。カイの立つ土俵に既に私はいる。リュウガ、この土俵は貴様程度では踏み込むことは不可能。そんな領域だ』

『ふざけやがって! イキがるな、小娘がァ‼』

『…………』



『ハア……ハア……。なんだテメエ。あれだけ殴っても顔色ひとつ変えねえのか。気味悪いぜ……』

『……言っただろう。私は領域に達した。カイの事は手に取るように分かる、貴様が話さなくてもな。今となっては、私からグリモアを遠ざけたかったカイの気持ちが身に染みて分かるよ。あれは本当に地獄の日々だった。自分の愛弟子に呪物を渡すなんて愚行は私なら絶対にしない』

『この俺に殴り倒されたまま平然とした顔で喋る。お前、何かに取り憑かれてんのか?』

『聞け、リュウガ。お前はこれまで何回死んだ?』

『ハア? ふざけてんのか? 知るかよ』

『どうせ数える程度だろう。いいか、リュウガ。かつて貴様が言っていたな?』


 テメエが『スゲエ』『欲しい』と憧れた力を得るためには、テメエが想像している何倍もの苦しみが付きまとうってもんだ。それこそ、割に合わねぇだろうっていうくらいのな。


『そう、割に合わない。全くもって、そこまでして得るものでは無かった。だが私は得てしまった。そこまでして、得てしまったんだよ、リュウガ』

『…………』

『逆に聞こう、リュウガ。貴様はカイの何が分かる? 貴様程度がカイに近づけたとでも思ったか?』

『何だと……』

『カイに追いつきたい! カイのように立派に人助けできるようになりたい! しかし蓋を開ければ現実は正義ではなかった。想像していたものとはあまりにも真逆だった。多くの人を巻き込んだ。この身体も何千回と死んだだろう。そうしてようやくカイに追いついた。カイが私の両親を殺してしまった時のことも自然と見えてくるようになった』





 ここ百年間、僕のグリモアは目立った殺戮はしていない。今日も世界は平和に回っていて何よりだ。

ここは人が集まりやすい動物園内の広間。この日も僕はピエロに変装してお客さんの前で曲芸を披露していた。快晴のもと愉快なBGMが鳴り響き、歓声も上がっている。

「はい、炎のお手玉で~~す」

 燃え上がる玉を宙に回すと「おおおおお」とさらに一層歓声が沸き起こったのだった。

 遥か昔に憧れた曲芸師になれている。そして観客達を喜ばすことができている。気が遠くなるような長い時間、苦しみの方が圧倒的に多かったけど、今となればそれはもう慣れっこだ。そんなことより日々の積み重ねにより蓄積されたスキルが思いのほか僕に感動を与えてくれていた。完全に見失ったと思っていた期待や希望が知らずのうちに湧き上がってきていたのだ。

「…………」

 観客の最前列。目を輝かせながら僕のショーに夢中になっている少女がいた。そうだ、僕もあのくらいの頃はそうだった。芸職人の技に心を奪われてリュウガと一緒に曲芸の練習に浸った日々があったっけ。あの時の感動を僕は皆に与えることができているんだ。グリモアのせいで多くの命を奪ってしまった。でも、それでも今の人々を喜ばせることができたのなら、この先もずっと死ぬまで今のままを維持できたのなら、それは僅かながらも償いになっているのではないだろうか。

 多くの人が集まる僕の小サーカス。嬉しそうに僕の芸をみる少女をみてそう思った。

 だがその時。


【クク、貯まったな。嬉しみゲージ】


「何⁉」

 背筋に嫌な寒気が走り火の玉がすべて地面を転がる。観客はざわつく。そしてその直後のことだ。

「おおおおおお!」

 と近くから叫びが聞こえた。振り向くとライオンが観客を飛び越えて僕のそばへと着地したのだった。

「次はライオンか! やるな、兄ちゃん!」

「動物園にピッタリな出し物じゃないか」

 これは予定してない! ライオンなんて知らない! でも皆、ピエロとライオンとの共演だと思い込んでいる。

「ちょっとこれは……」

 僕が言いだそうとしたが。

「いいぞ、ピエロ! 魅せてくれ!」

「次は何をやってくれるんだ!」

 さらなる歓声が沸き起こるのだった。

「これは……」

 グリモアか⁉ 何をした⁇

 ライオンは僕を見ながら唸っている。いや、僕が喰われるだけならまだいい。問題はそうじゃない。

 グリモアは呼びかけてきた。


【いやァ、ちょいとね。飼育員さんの心を支配してライオンを逃がしてみたのよ】

「何だと⁉ どういうつもりだ!」

【溜めて溜めて溜めてぇ、解放する。それが俺の楽しみなんだよぉ、カイちゃ~ん。そのためにお前をあえて泳がせていたんだ、油断したぁ? さあ、希望が絶望に変わる瞬間だァ。これがホントのイッツ、ショ~~タ~~イム!】

 次の瞬間、僕の隣にいたライオンは観客に飛び掛かった。ターゲットは女の子の傍にいる彼女の両親。頭から喰らいついて両者とも即死させた。当然のこと混乱が生じる。皆、一斉に逃げだした。

【おおっと、逃がしはしねぇぜ! いくぜ、ライオン君! お前の力をみせつけてやれ!】

「ゴゴゴゴゴゴ!」

 唸りながらライオンは次々と人を嚙み殺していく。

【そして、さらにショーはヒートアップ! 人々はここで殺し合う!】

 するとどういうわけか、恐怖と混乱に支配されていた観客達の目の色が突然殺気にすり変わった。グリモアが人の心を操ることはよく理解している。

 コイツ……、ここへ来て! 広がるは地獄絵図。皆殴り合いを始めた。

「皆、やめてくれ!」

 僕が周囲に呼びかけたその時、両腕を取り押さえられた。

「貴様だな! 無許可でライオンを連れ出した凶悪犯は! 来てもらうぞ!」

「麻酔銃だ! 被害が広がらないうちにライオンをなんとかしろ!」

 警備員達だった。駆けつけた警備員は狂わされてはいなかった。いや、彼らももしかするとグリモアに動かされている三文芝居の役者なのかもしれない。真偽はどうであれガッチリと両腕を捕まえられた僕は強制的に連行される。振り向くと、既に息絶えた両親に泣きつく少女の姿があった。ああ、僕のせいでこうなったんだ。そんな光景を僕は忘れることができようか。


 その少女はアリスだった。現実とは残酷な巡りあわせを備え持つものである。それからそう遠くない未来に僕は、行く宛てをなくした彼女と出会ってしまうのであった。





「ねえ、師匠!」

 突然顔を近づけられてゾクッとした。何だこれは。アリスは子供だと思っていたのに、思っている以上に大人の女性に見える。これも五百年前に戻された精神の弊害というものなのか。

「……な、何?」

「私の人生は結果的に師匠が絡んで酷いことにもなったけどさ。じゃあ、その罪、これからの五百年間での償いってことで」

「え?」

「知ってると思うけど、これからの師匠の五百年間は大凶も大凶! 放っておいても酷い目に遭うでしょう。その隣でずっと私がみていてあげるから。ああ、師匠がまた酷い目にあって泣いてるなぁ~~って」

 クスッと笑うアリス。

「いや、そんなので君の気が収まらないだろう!」

「じゃあどうするんですかぁ? 私が師匠を殺すんですかぁ?」

 上目遣いで胸を手の先でツンと刺してくる。本当に刺されているかのように胸にグサリと衝撃がくる。初体感。痛みとは別の殺意無き刺激。そしてアリスは「じゃあ師匠……」と続けて言った。

「これから私たちは五百年間の長い長い旅をします。これは師匠の記憶の中の毎日だけど、そのなかで必ず私、アリスと出会うはずです。幼いアリスがこの世界では幸せに過ごせるように私達が力を尽くして頑張りましょう! ね?」

 それは盲点だった。

「そうか……。そうだね。少なくともそれは、その通りなのかもしれない」

 確かに、ここから四百年後にアリスと出会った。ここは現実の世界じゃないかもしれないけれど、それは可能なのかもしれない。

「あ。それと……」

 と、アリスは追記した。





『テメエ、やっぱり死ねや! 死ね死ね死ね死ね、クソ奴隷の分際で‼』

『…………』

『ハア、ハア……。さすがに死にやがったこのアマが!』

『…………』

『いいか、俺は未来を見る事ができる! これから起こる最大の災厄は、カイが所持するグリモア「蒼」だ。奴は「フィナーレ」と称してカイの狂気じみた五百年をもう一度繰り返させようとする。テメエはテメエがくたばる直前にカイに接近して、テメエのそのグリモアを使いカイの記憶に入り込め! そこには必ず過去に飛ばされたカイがいる。この上なく業腹だがカイの苦しみはテメエが何とかしてやれる! テメエさえ傍にいれば絶望の渦中でもアイツは折れずにやっていける! テメエの使命はカイを救うことだ! いいか、そのために、そのためだけに俺はテメエにグリモアを引き継いだ! これはトータル六百年に渡る長期計画なんだ!』

『…………』

『だが、そんなことをテメエのグリモアが許すはずがねェだろう! カイの心に入り込んで五百年分のカイの不幸を妨害しようものなら、今度はテメエに災難が降りかかるはずだ! そんなことはカイが許さないだろう。そこで登場するのが俺だ! テメエのグリモアの「紅」とは既に契約済みだ! テメエに向けられる災害を全て俺が引き受けてやるとな!』

『…………』

『俺がテメエにグリモアを引き継いでくたばる間際、俺はテメエが背負う予定の災害を全て受け止めてやる。「紅」に魂を売ってやるんだ! 俺は死ぬ一瞬の間にとてつもない絶望にかられるだろうな、それこそ五百年分の! だから俺はテメエだけは許さねえ! 死ね死ね死ね死ね! なんでテメエなんだ! なんで四百年も遅れて沸いてでてきたテメエが選ばれるんだ! 俺じゃねぇんだ! 俺が先にアイツと出会った! 俺が手を引いてやった! なのに、なんでテメエが選ばれるんだ! なんでアイツに必要なのはテメエなんだ‼』




 奴は生き返る。何度殺されようとも殺された分だけ生き返る。それがグリモアに憑かれてしまった不運な人間の宿命。奴が死ぬのを何度も目の当たりにした。

 そしてついに奴は殺されるのに慣れた。何なら毎日のように自ら死ににいく日々が続いていたくらいだ。さすがの俺でも奴の奇行にはドン引いた。

 そしてある時、見てしまった。それはやっとのことで奴が街の民衆共と芸を通じて仲良くなった時のことだ。文字通り血が滲む努力だったのだろう。グリモア持ちが下手(したて)にでて人と接するとロクな目に遭わない。タコ殴りにあうのがオチだ。しかし奴はどんな試練でも歯を食いしばって踏みとどまり、決死の想いで芸を通じて周囲と分かり合える時を迎えることができたらしい。俺から言わせると愚行の一言だが。あんな何の力も持たない愚民共は蹴飛ばして従わせていればいいものを。何故そうまでして構うのか。

「…………」

 しかし、それも長くはもたなかった。すぐさま手の平返し。カイは仲良くなった街の愚民共に刺殺されてから埋められたのだ。奴の事だ、掘り返さなくても勝手に這い出てくるのは分かっていたが、さすがに見てられなかった。その時ばかりは掘り返してやったさ。これで懲りただろうと、言い聞かせたが奴は俺の意見には同意しなかった。

 折れずに愚民共に媚びへつらう奴はまた愚民共と仲良くなり、そしてまた裏切られて殺された。それを何度も何度も繰り返した。そしてついに奴は壊れた。

「アハハハハ! アハハハハハハハ‼」

 笑った。そして同時に涙を流した。

 苦しんでいるのか、カイ!

 奴に近寄ろうとした。しかしその時だ。この俺ですら臆するほどの重圧を感じた。


【来るなよ? 今、カイに手をだしたら殺す。生まれてきたことを後悔するくらいには殺してやる】


 聞こえた。カイが持つグリモア『蒼』の声だ。

【ごめんねぇ、リュウガちゃん。今、蒼がお食事中なの。ここは席を外してくれると嬉しいなぁ】

「チッ」

 そうだ。俺は黙って見ていればそれでいい。アイツが馬鹿なんだ。何のメリットもないのに愚民に媚を売り続けるからこうなる。力を持つ者なら俺様のように蹂躙すればいいだけだ。俺が助けてやる義理なんて何もない。これは奴の自業自得だ。

「…………」

 ならば何故、俺はここにいる……。

「…………」

 俺はカイを助けたいのか? あんな状態のカイはみたことがない。奴は今、孤独に押しつぶされている。

「…………」

 俺はグリモアに怖気ついているのか。この俺が……。

 こんな奴らに指図されるいわれはない。何故俺様がグリモア共の指示に従わなければならない⁉ だが足が前にでない。目の前で苦しんでいるカイがいるのにも関わらず、ただ立ち尽くすだけだ。

「…………」

 いや、それでも俺には何の非も無い。悪いのはアイツのやり方だ。


 その時、不届きにもこの俺の背後から一人の人間が飛び出してきた。アイツは奴隷のアリス! なぜ奴がここに! この場所は奴が生きる時代ではないはずだ。だが奴はこの場にいて、カイの方に躊躇なく向かっていく。蒼の脅威に臆することなくその領域に踏み入った。

「何何⁇ カイ、笑ってるの⁇ いや、泣いてるの⁇ どっち? 変わった人だね、あはは!」

 怖いもの知らずのそいつは笑いながらカイの肩をバンバンと叩く。

「アリス……。いや、何でもない。僕は笑ってもいないし泣いてもいないよ」

「またまたぁ。街の人にいじめられたんでしょ? ちょっとはやり返せばいいのに、カイは真面目な子だなぁ。このアリスもんが仕返しの道具でもだしてあげようか? んん?」

「アリス。僕の方が君より年上だからね? 一応、初代から末代くらいの差はあるからね」

「年齢マウントですか、それ。ダメですよ。この世界は初代の頃から未来永劫に渡り実力主義ですから! 私にはカイより百年分のマージンありますから!」

「生意気に育ったな、まったく」

 カイの顔が自然になった。しかしアイツら二人は蒼の怒りに触れて燃えている。物理的に燃え上がっている。だけどアイツらは平然としてやがる。異常だ。神経とんでんじゃねぇのか⁉

 俺はその業火に近づくことすらできなかった。

 すると突然アリスは消えた。空気に馴染んで消えていった。


「…………」

 何だ今のは。幻……。いや、俺は未来が見える。まさかこれは別の未来(IF)の世界線……。アイツにはカイを救うことができるのか⁇

 カイは地べたに膝をついて笑いながら泣いていた。あの奴隷がこなかった場合の世界線に戻ったらしい。

 ……カイ。お前は同志が欲しかったのか。話ができる相手が欲しかっただけなのか⁇ だけどそれは俺じゃねぇ。

「何だよ……そりゃ」





『――なんでテメエなんだ! なんで四百年も遅れて沸いてでてきたテメエが選ばれるんだ! 俺じゃねぇんだ! 俺が先にアイツと出会った! 俺が手を引いてやった! なのに、なんでテメエが選ばれるんだ! なんでアイツに必要なのはテメエなんだ‼』

『…………』

『クッ……。情けねぇところ見せちまったな。グリモアの支配と欲望に負けた俺が、それに抗い続けたテメエに言えたことじゃねぇわな。そうだ、俺が選ばれなくて、最後まで抗ったテメエが選ばれるのは当然のことだ。俺は自らカイのもとから離れた。テメエに権利はあり、俺はテメエに委ねなければならない運命だ。…………って、聞いちゃいねぇか。マジで逝っちまったのか? ――ま、あとのことは任せたわ』

『…………』

『…………』

『…………馬鹿が。こんなので死なないっての』





「リュウガの尊厳のために伝えておきます。あの人は私達のために魂を捧げてくれた」

「そんな、リュウガが……」

【えええ! えええ! それはそれは至高のテイストだったわ! まさかあの乱暴なリュウガちゃんが自ら魂を捧げてくれるなんて思いもしなかったものォ。生前はワタシのリクエストに従順で、そして死ぬ間際にワタシに食べら・れ・る♪ リュウガちゃんの使い捨て、サイコー♡ アリスちゃんが五百年間カイちゃんと一緒にいる程度なら、見逃してあげる♪ どうせ現実世界では秒の出来事だしね。二人とも絶望のハネムーン楽しんでね!】

 親友が酷い目に遭った。僕のせいで。嬉々として紅はそれを語ったのだ。


 沈む僕の心とは裏腹に晴れやかなトーンでアリスは話しかけてきた。

「ねぇ、師匠!」

「…………」

「私ね? 昔、師匠に憧れていたんです! 救われない人をまるで魔法使いみたいに幸せにできる。そんな力が私にもあればどれだけ素敵な事だろうって。それが今、やっと叶えられる場所まできたんですよ!」

「…………」

「師匠はずっと前に私に教えてくれましたよね? 困っている目の前の一人を救いたい、って」

「ああ……。確かに、そんな時もあった、ね」

「この先、地獄のように酷い世界が待ち受けていてきっと師匠は何度も何度も殺されるでしょう。でも、今度は一人にはさせません! どれだけ裏切られようとも闇討ちされようとも、私だけは師匠の傍にいてあげます!」

「…………」

「これからが私の人生最後の、そして最大の大仕事です! 私はグリモアを使って困っている師匠を助けたいと思います! 師匠がいつも困っている人にやっていたみたいに! だから安心してください! 大船に乗ったつもりでいてくれて大丈夫です!」

「アリス……」

「師匠! 今度はもう私に対して余裕の笑顔なんてさせませんよ! 辛すぎて笑ってしまうなんていう劣悪な精神状況にはさせません! そんな笑顔は排除します! あとバリアとかもいらないっしょ。私達が揃えばもう『無敵』なんですから。『はい、無敵~~』ってやつです!」

「なんで……なんでそうまでして君は……。本当に僕が憎くないのか⁇」

「私は師匠と同じ道を歩んだこの世界で唯一の人間です。私イコール師匠! 私と師匠はもう一心同体と言っていいでしょう! もはや貴方のことは何でも分かります」

「…………」

 頭が上がらず膝をつく。泣き崩れていた。この百年、僕が腐っている間にアリスは想像を絶する進化を遂げたのだ。

「見捨てられるはずもない、裏切れるはずもない。そして今、同じ位置にいます。これからはタメです。師匠呼びも必要ないでしょう。だから」

 だから?

「これから五百年、よろしくね! カイ」

 ここにきて呼び捨て。そしてそのとき、彼女の幼き日の残片を思い出した。


『私は必ず……、必ず、貴方を超える』


 それは大昔に彼女が家出をしてようやく捕まえたときに僕に訴えてきた言葉だ。…………本当に超えてきた。こんなことがあるだろうか。キャリアを考えると絶対に抜かれまいと確信していたのに僕は彼女の執念に呑まれてしまったのだ。今度は僕のほうが彼女の背中を追わなければいけない番になろうとは。

 ……そしてこれは幻か? 彼女のその背中には、軽やかでそして安心感のある天使の羽根が確かにみえた。





 目の前には白髪パーマの顔立ちが整った男と実行犯のショートヘアの小柄な女がいた。

「んんん~~~~!」

 手足がロープで縛られていて身動きがとれない。ガムテープで口元が塞がれている。声もだせない。誘拐だ! 私はこの人達に誘拐されたんだ!

「活きのいい獲物がとれたね、カイ。今宵は存分にお楽しみだ」

 小柄な女が喋った。華奢な体格な割に私を軽々と抱えながら建物から建物へと飛び移っていた。まるで忍者のように。確実に只者ではない。この女は何者なのか。

「……そう、だね。でも、今の僕からするとちょっとやり方が強引過ぎるというか、気が引けるというか。……でも、これでいいんだよね?」

「何を臆しているんだ。こういうのは慣れだよ、慣れ、カイ君。君も将来的に私みたいな究極的な悪党に育つんだよ。何事も経験!」

「知ってるよ。知っていますけどお、今の僕の小心な精神では荷が重いというか」

「私はかつてのカイ師匠みたいに甘くはないよ? スパルタでいくよカイ君! 次やる時は君が(さら)ってみようか。大丈夫だ、君ならできる!」

「でも今の僕はまだまだ腕も未熟で……。上手くできるかどうか……」

「バカモン! やる前から不安がってどうする! 私が傍でみていてやるからまずはやってみるんだ! 何事も挑戦!」

 これは、男のほうが華奢な女のほうに圧倒されている。察するに主犯はまさかの女のほうだ。

「んんん~~~~!」

 もがく。金か! 金が目的なのか! うちは貧乏だから何もでてこないぞ!

「おっとごめんね、お嬢ちゃん。今宵の主賓を無視するなんて礼儀に反していたね。これは失礼失礼、フフフ。では、カイ。アレをやろうか。渡しておいただろう? 台本どおりに動いてくれよ?」

「え、あれをやるの? 本当に?」

「無論。私の計算に狂いはない。きっとこの子には確実にハマる。なんせこの私が幾星霜を費やして練りに練った自信作だからな? フフフ」

 男は多少取り乱している。一体何をしようというのだろうか。性悪な笑みをこぼす女は接近してきて私の口元に手を伸ばしてきたのだった。な、何をする気だ!

「んんん~~~~!」

 触るなぁぁぁ!





 五百年と百年を生きた彼と彼女は息を引き取る。青空の下、小さな花畑がつくられた瀑布の隣の墓の前で二人とも最後は穏やかな顔で逝ったのだ。


「ったく、よりによって俺の墓の前かよ。しかし、いい顔して逝きやがる。さぞかし満足な最後だったんだろうぜ。……これなら俺の死に際が血の色に染まっても悔いはねぇな」


 彼は柄にもなく優しげな笑みを浮かべながら空気に溶けて消えていったのだった。





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