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弓の軌跡  作者: マイト
13/16

湯気の向こうで

綾音は帰宅すると、すぐに母親から「今日は早めにお風呂に入りなさい」と言われた。


 「わかってるよー」


 返事をしながらも、まだ少しぼんやりした頭で制服を脱ぎ、バスルームへ向かう。


 湯船に浸かると、じんわりと体の奥から温まっていくのを感じた。


 「……はぁ」


 自然と息が漏れる。今日一日を振り返ると、ため息をつきたくなるようなことばかりだった。体育の授業中に倒れてしまい、主人公に保健室まで運ばれて……。


 「……恥ずかしいなぁ」


 誰もいない風呂場で、ぽつりと呟く。


 それに、目を覚ました時に主人公が寝ていたのを見た時——胸がドキドキしてしまった。


 (ずっとそばにいてくれたんだよね……)


 保健室のベッドの上で、彼の寝顔を見た時の気持ちがまだ残っている。今まで友達として一緒にいたはずなのに、今日はなんだか違って見えた。


 「……なんで、こんなに気になるんだろ」


 湯船の中で、自分の胸にそっと手を当てる。


 昨日、一人で夜更かししてまで練習したのに、主人公の方はしっかり成長しているのに、自分はまだ結果を出せていない。悔しい気持ちもあった。でも、それ以上に——


 「……バカみたい」


 頬が熱くなるのはお風呂のせいだけじゃない。


 綾音は頭まで湯に沈みながら、静かに目を閉じた。


お風呂から上がると、綾音は体を拭いてパジャマに着替え、ダイニングへ向かった。


 食卓には母親が作った温かい夕飯が並んでいる。


 「綾音、ちゃんと食べなさいよ?」


 「うん……」


 母親の心配そうな声に、小さく返事をしながら箸を動かす。


 (今日は本当に色々あったな……)


 体育の授業中に倒れてしまったこと、保健室で主人公がそばにいてくれたこと……。考えれば考えるほど、なんだか胸の奥がざわつく。


 「……ごちそうさま」


 食事を終えると、そのまま自分の部屋へ向かう。


 (昨日みたいに練習しようかな……)


 一瞬そんな考えが頭をよぎったが、主人公の「今日はすぐに寝ろよ」という言葉が思い出される。


 「……そうだよね」


 疲れがたまっているのは間違いない。昨日のように無理をすれば、また迷惑をかけるかもしれない。


 綾音はベッドに横になり、深く息を吐いた。


 (……明日から、また頑張ろう)


 静かに目を閉じると、すぐに眠りの中へと落ちていった——。


綾音と別れ、自宅に戻った後、俺はベッドの上で天井を見つめながら考えていた。


 (綾音……無理しすぎなんじゃないか?)


 今日の体育の授業で倒れたのは、明らかに疲労のせいだった。保健室の先生もそう言っていた。


 部活を始めてから、綾音はずっと頑張っていた。俺よりもずっと弓道に詳しいし、技術もある。でも最近は、どこか焦っているように見える。


 (俺が成長してるのに、自分は……って思ってるのか?)


 今日の練習でも、俺は的の端とはいえ矢を当てることができた。でも綾音は、当てることができなかった。その時の彼女の笑顔は、どこか無理をしているように見えた。


 (……俺にできることはなんだろう)


 綾音は何かを抱えている。でも、それを誰にも打ち明けていない。


 (もっと話を聞いてやればよかったか……)


 そう考えているうちに、いつの間にか瞼が重くなり、俺もゆっくりと眠りへと落ちていった。


翌朝、玄関を出ると、すでに綾音が待っていた。


 「おはよう!」


 昨日の疲れが嘘のように、綾音はいつもの笑顔を浮かべていた。


 「お、おはよう。大丈夫なのか?」


 「うん、昨日はちゃんと早く寝たからね!」


 元気そうな姿に安心しつつも、無理をしていないか少し心配になる。


 「昨日、遅くまで練習してたんじゃないだろうな?」

 

「もー、してないってば!」


 ぷくっと頬を膨らませる綾音を見て、思わず笑ってしまう。


 「ならいいけどな。じゃあ行くか」

 

「うん!」


 そうして俺たちは並んで歩きながら、学校へと向かった——。


授業は順調に進み、放課後になると綾音が俺の方を向いた。


 「今日は部活ないし、どこか寄っていかない?」

 

「いいな、それ。どこ行く?」


 綾音は少し考えたあと、嬉しそうに提案する。


 「カフェとかどう? 甘いもの食べたいな〜」


 「いいな、ちょっと休憩もしたいし」


 俺たちは学校を出ると、近くのカフェへと向かった。


店のドアを開けると、コーヒーと焼きたてのパンの香ばしい香りがふわりと漂ってきた。


 「うわぁ……いい匂い」


 綾音が嬉しそうに鼻をくすぐる香りを堪能している。店内は落ち着いた雰囲気で、木目調のテーブルや柔らかい照明が心地よい空間を作り出していた。


 「ここ、初めて来たけど、雰囲気いいね」


 「そうだな。落ち着く感じで、ゆっくりできそうだ」


 席に着くと、綾音はメニューをじっくりと眺め始めた。


 「うーん、どれにしようかな……パンケーキもいいし、パフェも捨てがたい……」

 

「甘いのばっかじゃないか」

 

「だって今日は甘いもの食べる日だから!」


 何の基準なのかは分からないが、綾音の中ではそう決まっているらしい。結局、彼女はふわふわのパンケーキと紅茶を注文し、俺はアイスコーヒーとシンプルなチーズケーキを頼んだ。


しばらくして、運ばれてきたパンケーキを見た綾音は目を輝かせた。


 「わぁ……すごい、ふわふわ!」


 ナイフを入れると、ふんわりとした生地が弾むように動く。その上にはたっぷりのメープルシロップとホイップクリームが乗っていて、見ているだけで甘さが伝わってくるようだった。


 「いただきます!」


 綾音はフォークでパンケーキを口に運び、一口食べると目を閉じて幸せそうに微笑んだ。


 「ん〜、おいしい!」

 

「そんなにか?」

 

「うん! ふわふわで、甘くて……もう最高!」


 俺も自分のチーズケーキを一口食べる。しっとりとした舌触りと、ほどよい酸味が口の中に広がる。コーヒーの苦味ともよく合って、なかなかいい組み合わせだった。


「ねぇ、私のパンケーキ、ちょっと食べてみる?」

 

綾音がフォークに小さく切ったパンケーキを乗せて、俺の方に差し出してくる。


 「いや、自分で食べるから」

 

「そっか……」


 少し残念そうにする綾音に、何となく気まずくなりながらも、俺はコーヒーを一口すする。


「それも美味しそうだね」

 

「お前も食べてみるか?」


 俺がフォークで小さく切ったチーズケーキを綾音に差し出すと、彼女は驚いたように目を瞬かせた。


 「えっ……いいの?」

 

「さっき、お前も食べるかって聞いたしな」

 

「じゃあ、遠慮なく……」


 綾音は少し照れたようにしながら、俺のフォークからチーズケーキを口に運んだ。


 「んっ……おいしい! ちょっと酸味があって、さっぱりしてるね」

 

「まあ、甘すぎないのがいいんだよな」


 お互いにスイーツを楽しみながら、何気ない話を続ける。


 「そういえば、部活のことなんだけど……」

 

「ん?」

 

「私、もう少し頑張らないとなって思った」


 綾音はフォークを持ったまま、少し真剣な表情を浮かべた。


 「昨日、保健室に運ばれちゃったのも、たぶん無理してたせいだし。でも、主人公はどんどん上達してるのに、私は全然……」


 「そんなことないだろ。昨日は疲れてただけで、ちゃんとやってるじゃないか」

 

「……そうかな」


 綾音は少しだけ俯きながら、パンケーキの端をつついた。


 「焦る気持ちは分かるけどさ、無理して倒れたら意味ないだろ?」

 

「……うん、そうだね」


 少し沈んだ空気になったが、次の瞬間、綾音は顔を上げていつもの笑顔を見せた。


 「じゃあ、これからは無理しすぎない程度に頑張る!」

 

「それが一番いいな」


 そんなやり取りをしながら、気づけばカフェの時間もあっという間に過ぎていた。


店を出ると、外はすっかり夕方になっていた。


 「楽しかったな」

 

「うん、また来ようね!」


 綾音の笑顔を見ながら、「また誘ってくれよ」と俺は返す。


 帰り道、並んで歩く俺たちの影が夕陽に伸びていた。



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