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弓の軌跡  作者: マイト
12/16

負けたくない、その気持ちだけで

「……眠れない」


 布団に入り、目を閉じてからどれくらい経っただろう。


 何度も寝返りを打ってみても、頭の中では今日のことがずっと渦巻いていた。


 ――主人公は成長しているのに、私は……。


 そう思うたびに、胸の奥が締めつけられる。


 (このままじゃ、ダメだよね……)


 ゆっくりと布団から抜け出し、そっと部屋のドアを開ける。家の中は静かで、母はまだ帰ってきていないようだった。


 「ちょっとだけ……」


 自分に言い聞かせるように呟きながら鏡の前に立つ。


 「構え……」


 静かに息を吸い、今日教わった通りに姿勢を整える。


 (大丈夫……ちゃんとできる)


 そう自分に言い聞かせながら、ゆっくりと弓を引いた。


 けれど――


 「……違う」


 何かが違う。しっくりこない。


 昼間、彼と一緒に練習したときも、同じような感覚だった。自分では正しく構えているつもりなのに、どこかぎこちない。


 「何が……ダメなんだろう……」


 鏡の中の自分を見つめる。


 弓を引く姿勢は間違っていないはず。でも、何かが足りない。


 ――彼は、あんなに真剣な目をしていたのに。


 自分の表情を見て、ふと思った。


 (私、こんな顔してたんだ)


 焦りと不安が入り混じった、どこか自信のない顔。


 「……私も、もっと真剣にやらなきゃ」


 そう呟いて、もう一度弓を引く動作をする。


 何度も、何度も、同じ動作を繰り返す。


 (明日は、絶対に当てるんだから)


 そう決意しながら、夜の静寂の中、一人きりの練習を続けた。


「……ただいまー」


 玄関から母の声が聞こえた。


 私はベッドに腰掛けたまま、小さく息をつく。時計を見れば、もう夜の九時を過ぎていた。さっきまで自分なりに弓道の動きを思い出しながら、何度も型を確認していたせいか、時間の感覚がなくなっていた。


 「綾音? 起きてる?」


 リビングから母の声がする。私は少し体を伸ばして、寝たふりをしようかと一瞬考えたが、結局立ち上がってドアを開けた。


 「うん、おかえり」


 「ただいま。……って、あんたまだご飯食べてないの?」


 母がじっと私の顔を見る。私は苦笑いを浮かべながら、小さく頷いた。


 「ちょっと、いろいろ考えてたら食べそびれちゃって」


 「もう、ちゃんと食べなきゃダメでしょ」


 母は呆れたようにため息をつきながら、キッチンへと向かった。


 「すぐ温めるから、ちょっと待ってなさい」


 電子レンジの音が静かな部屋に響く。


 私はダイニングの椅子に座りながら、ぼんやりと今日の練習を思い返していた。


 (主人公は確実に成長してるのに、私は……)


 最初の頃は同じスタートラインに立っていたはずなのに、今日の矢を放つ練習ではっきりと差が出てしまった。彼は的にかすったけれど、私はかすりもしなかった。


 「はい、ご飯できたよ」


 母の声に顔を上げると、湯気の立つ味噌汁と炊きたてのご飯が目の前に並んでいた。


 「……いただきます」


 箸を手に取り、一口食べる。温かいご飯が喉を通るたびに、少しだけ気持ちが落ち着いていく気がした。


 「なんだか元気ないね。何かあった?」


 母が心配そうに私を見つめる。


 「……ううん、大丈夫。ちょっと練習のこと考えてただけ」


 「ふうん……。でも無理はしないのよ? 綾音はつい頑張りすぎちゃうんだから」


 母の優しい言葉に、私は小さく笑った。


 「うん、わかってる」


 そう言いながらも、心の中では――(もっと頑張らなきゃ)と焦る気持ちが渦巻いていた。


 ご飯を食べ終え、食器を片付けたあと、私は部屋に戻った。


 (弓はないけど、動きだけでも練習できるはず……)


 スマホで弓道の動画を探し、何度も再生する。動画の選手の動きを目で追いながら、自分もゆっくりと真似をしてみる。


 「……打起し(うちおこし)……引き分け……」


 何も持たない手で、弓を引く動作を繰り返す。しかし、実際の練習とは違い、何かが足りない気がする。


 (やっぱり、実際に弓を持たないとダメなのかな……)


 ため息をつきながらも、私は何度も繰り返した。少しでも、自分の中で納得できる形に近づけるように。


 時計を見ると、すでに夜の十一時を過ぎていた。


 (……もうこんな時間)


 明日は学校もあるし、そろそろ寝た方がいい。そう思いながらも、身体は勝手にもう一度、型の確認をしようとしていた。


 (あと少しだけ……もう少しだけ練習したら……)


 床に立ち、再び構えをとる。何度も何度も、繰り返し、正しい姿勢を体に染み込ませようとする。


 気づけば時計の針は午前一時を回っていた。


 (……さすがに、寝た方がいいかな……)


 そう思ってベッドに向かおうとしたが、足が止まる。


 (でも、彼はきっともっと頑張ってる……)


 ――負けたくない。


 その気持ちが、私の足を止めさせた。


 「……もう少し、やろう」


 そして、また構えをとる。


 静かな夜の中で、私は一人、ただただ動きを繰り返した。


朝、いつものように家を出て、綾音との待ち合わせ場所へと向かう。


 日差しは心地よく、空気も澄んでいて、気持ちのいい朝だった。けれど、遠くから綾音の姿を見つけた瞬間、違和感を覚えた。


 (……なんか、様子が変だな)


 いつもならこちらに気づくと軽く手を振ってくれるのに、今日はそうじゃない。ぼんやりと立っているような感じで、どこか元気がない。


 「おはよう、綾音」


 声をかけると、彼女はゆっくり顔を上げた。


 「あ……おはよう」


 返ってきた声は、どこか覇気がない。近づいてよく見ると、目の下にはうっすらとクマができていて、顔色も悪い。


 「綾音……もしかして、あまり寝てない?」


 そう尋ねると、彼女は一瞬驚いたように目を見開き、すぐに苦笑いを浮かべた。


 「え、そんなことないよ? ちょっと疲れてるだけ」


 その言葉とは裏腹に、綾音の足取りはどこか重く、歩くペースも遅い。明らかに普段と違う。


 「……本当に大丈夫か?」


 「うん、大丈夫、大丈夫!」


 綾音は無理に明るく振る舞おうとするけれど、その笑顔にはどこか力がない。


 (いや、絶対大丈夫じゃないだろ……)


 昨日の部活が終わった後、彼女の様子が少し沈んでいたのは気づいていた。でも、そのまま別れてしまったし、何かあったのかはわからない。


 「……無理はするなよ?」


 そう言うと、綾音は少し驚いたような顔をして、それから小さく笑った。


 「うん、ありがとう」


 その言葉が本心なのか、ただ心配させまいとして言っているのか――それは、わからなかった。


 そのまま二人で歩き、学校の正門をくぐる。教室の前で「またあとで」と言い合い、別れたが、やはり綾音の様子が気にかかる。


 (昼休みにでも、もう一度ちゃんと聞いてみるか……)


 そう思いながら、自分の席に向かうと、前の席の男子がこちらを振り返り、軽く笑った。


 「お前さ、最近綾音と一緒にいること多いよな。もしかして付き合ってたりする?」


 「は!? そんなわけないだろ」


 思わず即否定すると、男子はニヤニヤと笑いながら「まあまあ」と肩をすくめた。


 「でもさ、綾音、ちょっと元気なさそうじゃね? なんかあったのか?」


 「……それは、俺も気になってる」


 綾音の様子が明らかにおかしい。それを感じているのは自分だけじゃないらしい。


 (やっぱり、何かあったんだろうか……)


 不安を抱えながら、授業が始まるのを待つ。けれど、どうにも気持ちが落ち着かなかった。


午前の授業が終わり、体育の時間がやってきた。今日の種目は短距離走。クラス全員が校庭に集まり、準備運動を終えると、数人ずつ走るよう指示が出された。


 「次の組、位置について!」


 教師の声に合わせて、綾音もスタートラインに立った。しかし、その表情はどこかぼんやりとしていて、いつもと違う雰囲気だった。


 (やっぱり調子悪そうだな……)


 不安を感じながら見守っていると、笛の音とともに走り出した。最初は普通に走っているように見えたが――。


 「っ……!」


 綾音の体がふらついたかと思うと、そのまま前のめりに倒れた。


 「綾音!!」


 俺は咄嗟に駆け寄った。他の生徒や教師もざわめく中、彼女は地面にうつ伏せになったまま動かない。


 「大丈夫か!? 綾音!」


 肩を揺さぶると、ゆっくりとまぶたが開き、かすれた声が漏れた。


 「……ごめん、ちょっと、くらくらして……」


 額に手を当てると、熱い。明らかに発熱している。


 「先生! 綾音を保健室に運びます!」


 「すぐに連れて行け! 誰か一緒に――」


 「俺が運びます!」


 そう言って、俺は綾音の腕を肩に回し、そっと抱え上げた。


 「……ごめん、迷惑……かけて……」


 「いいから、じっとしてろ」


 綾音の体は驚くほど軽かった。こんな状態で無理をしていたのかと思うと、胸が苦しくなる。


 周りの生徒たちが心配そうに見守る中、俺は綾音を支えながら、保健室へと向かった。


俺は綾音の体を支えながら、なるべく急ぎつつも揺れないように気をつけて保健室へと向かった。校舎の中に入ると、涼しい空気が肌に心地よく、外との温度差が余計に綾音の体温の高さを際立たせた。


 「先生! 綾音が……!」


 保健室のドアを開けると、白衣を着た女性の先生がすぐにこちらに気づいた。


 「まあ、大変! こっちのベッドに寝かせてちょうだい」


 先生に指示されるままに、俺は綾音をそっとベッドに横たえた。しかし、その間に綾音の意識は完全に途切れ、俺が声をかけても反応がない。


 「綾音……?」


 心配になり、覗き込む。彼女の顔はいつもより青白く、細い息遣いだけが聞こえてくる。


 「先生、綾音は……」


 「大丈夫よ、ちょっと診てみるから、あなたはそこで座って待ってて」


 そう言われ、俺はベッドのそばの椅子に腰掛けた。先生は綾音の額に手を当て、軽く脈を測ったあと、体温計を脇に挟ませる。数分後、先生は軽く息をつきながら俺の方を見た。


 「ふぅ……これは、単なる風邪じゃなくて、疲れね」


 「疲れ、ですか?」


 「ええ。無理をしすぎて、身体が限界を迎えちゃったのね。ここ最近、睡眠不足だったんじゃないかしら?」


 (まさか……)


 昨日の帰り道、綾音の様子はどこか思いつめたようだった。その後、夜に何かしていたのだろうか? でも、綾音はそんな素振りを見せなかったし……。


 「とにかく、今はしっかり休ませるのが一番。あなたも心配でしょうけど、しばらくそっとしておいてあげてね」


 「……わかりました」


 先生が綾音の体に毛布をかけると、保健室には静かな時間が流れた。俺はただ、綾音の寝顔を見守ることしかできなかった。


ぼんやりとした意識の中で、瞼が重たく感じる。


目が覚めた瞬間、視界に入ったのは彼の寝顔だった。


 (え……)


 私のベッドのすぐそば、椅子に座ったまま腕を枕にして眠っている。無防備な顔。穏やかな寝息。


 心臓がドキドキと高鳴る。


 (なんで……こんなに近くで……)


 寝顔をじっと見つめると、普段とは違う優しい雰囲気があって、なんだか目が離せなくなる。


 「……バカ」


 思わず小さく呟く。こんなところで寝てたら、風邪ひくよ。


 ふと、彼の前髪が少し乱れているのが気になった。そっと手を伸ばして直そうとした、その時――


 「……ん」


 彼が微かに動き、まつげがぴくりと揺れた。


 「……あれ、綾音?」


 ゆっくりと目を開けた彼と、目が合う。


 (えっ、近い……!)


 途端に胸がドキドキと早鐘のように鳴る。視線を逸らそうとするのに、どうしても動けない。


 「……起きたのか……よかった」


 彼がホッとしたように微笑んだ。その笑顔を見た瞬間、心臓が跳ねるように波打つ。


 (な、なにこれ……おかしい……)


 「体、大丈夫か?」


 心配そうに覗き込んでくる彼。ますます距離が近くて、心臓が壊れそうになる。


 「……うん。大丈夫」


 なんとか言葉を返す。まだ少し胸の鼓動が落ち着かない。


 「そっか……よかった」


 安堵したように笑う彼を見て、またドキンとする。


 (もう……なんなの、この感じ……)


 目を逸らしたくなるけど、感謝の気持ちをちゃんと伝えなきゃ。


 「……ありがとう」


 「ん?」


 「ずっと……見守ってくれてたんでしょ? 本当に、ありがとう」


 照れ臭さをごまかすように笑ってみせる。彼は一瞬驚いたような顔をした後、優しく微笑んだ。


 「気にすんなよ。心配だったしな」


 その言葉が、また心をくすぐる。胸のドキドキが、まだ止まらなかった。


しばらく二人で話していると、保健室の扉が開き、先生が戻ってきた。


 「お、目が覚めたみたいね」


 先生は軽く微笑みながら、ベッドに横たわる綾音の様子を確認する。


 「気分はどう?」


 「……はい、大丈夫です」


 綾音がそう答えると、先生はベッドのそばに座り、軽い問診を始めた。


 「頭痛はない? 立ちくらみとか、吐き気は?」


 「少し体が重い感じはしますけど、それ以外は大丈夫です」


 先生は顎に手を当て、少し考え込むような仕草をした後、深く息をついた。


 「ふむ……やっぱり、疲れが溜まっていたのね。ちゃんと寝てなかったんでしょう?」


 その言葉に綾音は一瞬ぎくりとする。昨夜のことを思い出し、視線をそらしながら曖昧に頷いた。


 「無理をしすぎると、また倒れるわよ。しっかり休むこと、いい?」


 「……はい」


 「それと、あなた」


 先生は彼の方へ視線を向けた。


 「綾音さんが無理しないように、ちゃんと気にかけてあげてね」


 「えっ、俺ですか?」


 突然の指名に、思わず驚く彼。


 「そうよ。あなた、ずっとそばで見ていたんでしょう? それなら、彼女が無理していたら気づいてあげることもできるはずよ」


 「えっと……まあ、はい……」


 先生に言われ、彼は少し戸惑いながらも頷いた。


 「ふふっ、頼んだわよ」


 先生は満足そうに頷くと、カルテに何かを書き込みながら言った。


 「今日はもう帰っていいわよ。でも、家に帰ったらしっかり休むこと。いいわね?」


 「……はい」


 「じゃあ、行っていいわよ。気をつけて帰るのよ」


 そう言われ、二人は保健室を後にした。


 廊下を歩きながら、彼は横目で綾音を見た。


 「本当に大丈夫か?」


 「……うん」


 綾音は小さく頷くが、声には少し疲れが滲んでいた。


 「無理すんなよ。先生にも言われてただろ」


 「……わかってるって」


 綾音は苦笑しながらも、どこか歯切れが悪い。


 「……昨日、練習してたのか?」


 彼が問いかけると、綾音は驚いたように目を見開いた。


 「……なんで?」


 「なんとなく、そんな気がしてさ。やけに疲れてるし……」


 綾音は少し視線を落とし、言葉を探すように沈黙する。


 「……昨日は、ちょっとね」


 そう呟くように答えた綾音に、主人公はそれ以上深く聞くのをやめた。


 (やっぱり、無理してたんだろうな……)


 そんなことを考えながら、二人は一緒に昇降口へと向かった。


学校を出ると、すでに日は傾き始めていた。夕焼けに染まる街を歩きながら、主人公と綾音は並んで帰宅していた。


 「……はぁ」


 綾音が小さく息を吐く。その顔にはまだ疲れが残っているように見えた。


 「やっぱり、まだしんどいのか?」


 主人公が心配そうに問いかけると、綾音は少し驚いたようにこちらを見た。


 「ううん、大丈夫。少しぼーっとしてただけ」


 「ならいいけど……」


 主人公は少し眉をひそめながら、歩くペースを落とした。


 「でもさ、今日はちゃんと寝ろよ」


 「え?」


 「昨日、夜遅くまで起きてただろ? それで今日倒れたんだから、もう無理すんなよ」


 そう言われ、綾音は少し気まずそうに目をそらした。


 「……そんなにバレバレ?」


 「まあな。顔見ればわかる」


 主人公は肩をすくめると、綾音は苦笑した。


 「……わかったよ。今日はちゃんと寝る」


 「絶対だぞ? 約束な」


 「はいはい、わかったって」


 綾音は少し呆れたように言いながらも、どこか嬉しそうな表情を浮かべていた。


 そんな何気ない会話をしながら、二人は並んで歩き続ける。


 家が近づいてくると、綾音がふと立ち止まった。


 「……今日はありがとうね」


 主人公の顔を見ながら、綾音は少し照れくさそうに微笑む。


 「べつに大したことしてないけどな」


 「そんなことないよ。ずっとそばにいてくれたし……すごく安心した」


 綾音のその言葉に、主人公は少し照れくさくなり、目をそらした。


 「ま、まぁ……友達だからな」


 「……うん」


 綾音は微笑んだまま、小さく頷いた。


 そうして、二人はそれぞれの家へと帰っていった。

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